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明日天気になったなら  作者: 桃 春花
第四部 たくらみの宴
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「レイダさん、アイロンお借りしていいですか?」

 洗濯したての服を手に、女官たちの作業室を覗き込む。そこにいた三十過ぎの女性は、私に気さくにうなずいてくれた。

「ええ、今は空いてますから。どうぞ」

 お礼を言って私は中へ入った。タイミングを見計らってきたので、作業室にいるのは彼女一人だ。私はアイロン台に服を広げた。

 しばらく一の宮で暮らして周囲を観察した結果、女官たちの仕事の段取りというものが多少わかってきた。お昼ご飯の少し前であるこの時間、作業室で縫い物やアイロンがけをする人はあまりいない。そこを狙ってやってきたのである。忙しい時に来たら、本当に邪魔で迷惑だから。

 だからといって、まったく使われない夜間に来ても、それはそれで問題がある。コンセントに差し込むだけで使えた故郷のアイロンと違い、こちらのアイロンは箱型の(こて)に焼けた炭を入れるのだ。炭の準備どころかまず火をつけるところからして私には難度が高い。なので、火種がちゃんと用意されていて、いつでも作業にとりかかれる時間でもないといけない。つくづく、日本の便利な生活がなつかしい。

 アイロンをセットして服のしわを伸ばし始めると、とたんにレイダさんから指導が飛んできた。

「あまり一ヶ所に長くあてていると焦げますよ。それと、適当に始めるのではなく、当てていく順番を考えなさい。胴体部分は広いから後回しです。まず襟や袖をきれいにして、それから身頃を。先にやったのでは、他の場所を当てている間にまたしわがついてしまいますよ」

「はい」

 言われたとおりに私は襟からアイロンを当てていく。鉄製の鏝は重たくて、ずっと持っていると腕がだるくなる。熱気に当てられ汗も浮いてくる。エアコンとは言わない、せめて扇風機がほしい。

 でもこうして教えてもらえるのはありがたかった。私は本当に何もできない。日本でも祖母や姉に甘えきって、ろくに家事を手伝わなかった。せいぜい自分の部屋を片付けるくらいで、洗濯物はいつもきれいに畳んだ状態で渡されていた。それを当然としていたつけが、今押し寄せている。日本よりはるかに不便なこの世界で、これまでやらなかったことを身につけていくには、誰かの指導がないと難しい。

 意地悪でも冷淡でもないけれど、あまり親しみも感じられない一の宮の女官たちの中で、レイダさんは例外的に話しやすい人だった。といっても、特に愛想がいいわけではない。むしろ口数は少ない方だ。でも質問すればいつもきちんと答えてくれるし、私がまごついていれば道具の使い方から作業の仕方までわかりやすく教えてくれる。他の女官たちのように、自分がやるからと取り上げようとはしない。私が自分でしたがることはまかせてくれ、だめなところを指導するというスタイルだ。それが実にありがたい。

 今の時間に作業室に来たのも、実は彼女がいると知ったからでもあった。

 頑張って服のしわを伸ばしていく。シャツが終わると次はスカート。どちらも着古した感じの服だ。

「……それは、ティトシェ様の服ではありませんね。どなたのものです?」

 縫い物をしながら見ていたレイダさんが聞いてきた。

「はい、人から借りたんです。この間出かけた時に、着ていた服を汚してしまったので」

「トーヴィル様とおでかけになった時のことですか」

「はい。トトー君の実家でお世話になって、お姉さんから借りました」

 汚してしまった服はすぐに洗濯してくれたのだが、帰るまでには乾かなかった。なので結局、私は借りた服を着たまま帰ってきたのだ。エリーシャさんは、返すのはいつでもいい、トトー君に預ければいいと言ってくれたけれど、はいそうですかというわけにはいかない。迷惑をかけてお世話になったのだから、お礼がてら自分で返しに行くのが筋というものだろう。

 どうにかアイロンがけを終えて服をたたむ。ここでもレイダさんの指導が入って、おかげで私は借り物をきれいな状態に整えることができた。

「トーヴィル様のお姉さまが、そのような粗末な服を着ていらしたのですか? それとも、わざとそういう服を選んでティトシェ様に差し出されたのですか」

 粗末か。言われて、私はあらためて畳んだ服を見る。たしかに手ざわりの悪い布で、飾り気もない。でも借りた時だって清潔だったし、ほころびなどもなく十分着られる状態だ。

「お姉さんもお母さんも、同じような格好でしたよ。粗末って言いますけど、破れてるわけじゃないし、ちゃんとした服ですけど」

「失礼しました。そうですね、言い方が悪かったです。ただ、トーヴィル様のご家族がお召しになるには、ずいぶんと……質素だと思いましたので」

 レイダさんは言葉を選んで言い直す。まあ、それは私も思ったことだった。

 トトー君の本名はトーヴィル・トッド・トーラス。名前が三つということは、貴族のはずである。それに地竜隊長の職にあるから、生活に困っているはずはないだろう。なのに実家が貧しい人々の暮らす下町にあるって、ちょっと不思議ではある。

 この間会ったエリーシャさんは、貴族の令嬢にしては元気がよすぎて言葉づかいも庶民的だった。貴族の内情はさまざまだと、スーリヤ先生から聞いていたから、こういう貴族もいるんだなで流したが、もうちょっとつっこんで考えるべきだったろうか? でもよそさまの家庭事情にあんまり立ち入るのもなあ。

「トーラス家は没落貴族ですものね」

 いきなり別の声が割りこんできて、私とレイダさんは同時に振り返った。入ってきた女官を見てレイダさんがわずかに眉をひそめる。

「ミセナ」

「ティトシェ様ご存じありませんでしたの? まあ陛下もアルタ様も、トーヴィル様に目をかけていらっしゃるごようすですから、そういうことはお耳に入れないようになさるでしょうね。でもこれ、結構大事なことですわよ」

 ミセナさんは抱えていた荷物を適当な台に下ろし、こちらへ近寄ってきた。私とそう年の違わない彼女はおしゃべり好きで、よく噂話で盛り上がっているところを見かける。なので私はちょっと苦手だった。どうしても、いじめっ子たちを思い出してしまうから。

 どうせ私のことだって、陰であれこれ言っているんだろう――そう思ってしまうのは、私が卑屈なせいだけではないはずだ

「ミセナ、およしなさい」

「あら、私は何も意地悪で言ってるんじゃないわ。ティトシェ様のために、知っておく必要があると思うからよ」

 たしなめられてもミセナさんはやめなかった。人様の家庭の事情を聞く、どんな必要があるというのだろう。

「ティトシェ様はトーヴィル様がお気に入りなのでしょう? 同い年で気安いのでしょうね。理解はできますけど、お相手として選ばれるのはいかがなものかと思いますわ」

「ミセナ!」

 ……何か、妙な誤解があるようだな。お相手って、何のお相手だ。交際相手か? 彼氏認定されているのか?

「トーヴィル様ご本人は悪くありませんけど、なんといってもお家がね……ティトシェ様のお立場をよりしっかりしたものにするには、もっといい家の方と結婚なさるべきですよ」

 いきなり結婚まで行ったか! 飛躍すごいな!

 こっちでは交際=婚約だとでもいうのだろうか。でもそれなら、イリスは婚約者にふられたことになる。そこまで深刻そうには見えなかったぞ。

 と、いうか、そもそも私とトトー君はそういう「交際」などしていない。やっと友達と言えるかなって思うようになったばかりだ。

「トーラス家は先代様のせいですっかり没落しきって、今では下層の者と変わりない暮らしぶりだと聞きますわ。トーヴィル様のご活躍で盛り返しをはかるつもりなのでしょうけど、まだお若いですしねえ。失われた財産を取り戻すのは、そう簡単な話ではありませんわ」

 ひとりでしゃべるミセナさんのおかげで、知らなくていいことが次々耳に入ってくる。レイダさんを見ると、もう知らんって顔で縫い物を再開していた。

「先代様って、トトー君のお父さんですか」

「いいえ、祖父君ですわ。ご子息……トーヴィル様の父君は、竜騎士になりそこねて亡くなられましたの」

 なりそこねて? 何があったのか、かなり気になる。でもそこに食いついたら、ミセナさんと同じになってしまうのだろうな。

「先代様はそれはもうひどい放蕩者で、一代で財産を食いつぶしてしまわれたんです。そのため家屋敷や土地をすべて手放すはめになりましたの」

「ずいぶん、トトー君ちの事情にくわしいんですね」

 軽い皮肉のつもりで言ったのだが、通じなかった。

「以前は、我が家とそれなりに付き合いがありましたから」

 ミセナさんは当たり前の顔で言う。

 以前は、ね。没落しちゃった今では付き合っていないということか。さっきからの発言も合わせると貧乏になった奴とは付き合わないって宣言しているように聞こえる。周り中から借金して迷惑をかけていたなら縁を切られて当然だけれど、でもそういうことがあるなら真っ先に言うんじゃないかな、ミセナさんなら。

 こういう話は聞きたくないな。ミセナさんは私のためってつもりかもしれないけど、金持ちか貧乏かで付き合う相手を選ぶ気はない。

 もっとも、こちらの世界の、特に貴族たちの間では常識なのかもしれない。友人として付き合うにも家柄や財産が重視されるのかな。だったら私なんていちばんだめな物件だよね。他人にあれこれ言える立場じゃないよ。

「陛下の後ろ盾があるとはいえ、ティトシェ様がこの国での立場を固めるには、伴侶選びは重要ですよ。せっかく名家の方々が招待してくださってるんですから、一度お出かけになってお知り合いを増やしてみられては? 身分も財産も申し分のない素敵な男性がたくさんいますよ」

 平成生まれの日本人としては、かなり反発を覚える意見だった。でも安易に反論しないよう私は自分に言い聞かせた。国によって、時代によって、価値観というものは異なる。ましてここは世界すら違う。異端者は私の方だ。彼女は本当に親切のつもりで言っているのかもしれない。全部受け入れるつもりはないけれど、真正面からはねつけてけんかをするのはよくないだろう。

 なのでとりあえず、大事なことだけを口にする。

「トトー君とはそういう関係じゃないです。普通に友達なだけです」

「あら、でしたらなおのこと、招待を受ければよろしいじゃないですか」

 いや、それとこれとは別だって。

「結婚とか伴侶選びとか、私にはまだ考えられない話です。男の人は苦手なので、一生独身でもいいくらいです」

「まあ! そんなことを言っていたら後悔しますよ。そりゃあ、結婚はまだ早いかもしれませんけど、お相手は今の内から探しておかないと」

 やめてくれ。十七歳で婚活しろと言うのか。

「知らない人と会うだけでも気が重いのに、結婚相手だなんて意識してたら胃痛で倒れそうです。よけいに出かけるのが怖くなりました」

「ティトシェ様ったら、そんな引っ込み思案ではいけませんわ。殿方は恐ろしくなんかありませんわよ。とても優しくしてくださいますって」

 私が小さい頃からさんざん男にいじめられてきたことを知らないミセナさんは、気軽に言ってくれる。そんな優しい男が一般的なら私は男嫌いになんぞならなかったっての。

 中には優しくしてくれる人もいる。でも基本男は敵だ。

 私は立ち上がり、アイロンの始末をした。畳んだ洗濯物を手に取り、二人に会釈して部屋を出る。ミセナさんはまだしゃべりたそうなようすだったがかまわなかった。あんな話題にいつまでも付き合っていられるか。

 部屋に戻って手早く支度を済ませ、私は一の宮を出た。

 今日はイリスタクシーが使えないしトトー君もお仕事だ。しかし山を下りて下町まで、徒歩で行くとなるとたどり着く前に力尽きる。なので私はまず、三の宮のユユ姫の館へ向かった。馬車での送迎を既に頼んである。

 以前私が何気なく言ったことが新商品開発のヒントになったとかで、ユユ姫は私に報酬を約束してくれていた。そのお言葉に甘えて、今日の足をお願いしたのだ。ついでに手土産のお菓子も。お礼に行くのに手ぶらじゃあんまりだからね。

「街に出たりして大丈夫なの? この間だって、倒れてしまったのでしょう?」

 きれいにラッピングされたお菓子を受け取る私に、ユユ姫は不安そうに言った。

「あれは乗り物酔いと貧血が重なったせい。今日は体調がいいから大丈夫」

「具合が悪くなったらすぐアークに言うのよ? 無理をしてはだめよ」

 ……そんなにいつも体調が悪いわけではないのに。この間のは、たまたまなのに。

 この館に来てから熱を出したり怪我をしたり遭難したりと心配させることが多かったから、ユユ姫まで過保護になっているようだ。ここ最近の、ハルト様との攻防戦も耳に入っているのかな。

「ハルト様にはちゃんと言ってあるのでしょうね?」

「……出かけるくらいで、いちいち報告しなくても」

「言ってないのね……仕方のない子」

 ユユ姫はわざとらしくため息をついた。

「あなたはまだこの国に不慣れなのだから、黙って出かけたら心配されるに決まっているでしょう。それに、あなたが外へ出るたびに何か問題が起こっているし」

 それもたまたまだ。私が問題を起こしているわけじゃないぞ。先日の体調不良はともかく、誘拐されかけたりそれで崖から落ちたり焼け死にそうになったりしたのはユユ姫関連のとばっちりだ。刺客に追いかけられて遭難したのはカームさん関連のとばっちりだ。いずれも私が何かをしたせいではない。私は何も悪くない。

「アーク、よろしく頼むわね。おとなしそうに見えて時々信じられない無茶をする子だから、気をつけておいて」

 ユユ姫は戸口近くに控えた御者さんに声をかけた。まだ二十代の若い男性だ。しかもかなり体格がいい。実はユユ姫の護衛も兼ねていて、騎士に負けないほど腕が立つのだとか。ボディーガード兼運転手って、映画に出てきそうだな。

 しかし服を返しに行くだけでなんでこうまで言われねばならんのか。

 納得しがたい気分でアークさんとともに館を出、私は街へ向かった。

 行先について、詳しい番地などはわからないので、アークさんには五番区のこれこれこういった建物の近くで、と説明した。前回の帰り道、周囲の目印を懸命に覚えておいたのだ。アークさんは街の地理に詳しいようで、すんなりとわかってくれた。ただ、進むにつれて道路事情は悪くなる。馬車一台がやっと通れるような狭い道に入り込むのはやめておいた。対向車が来たらどうしようもないし、もし行き止まりになっていたら方向転換もできない道で立ち往生してしまう。

 ここからなら自分で歩いて行ける、と思える場所で馬車を停めてもらった。

「すみませんが、ここでしばらく待っていただけますか。なるべく早く戻ってきますので」

「お待ちするのはかまわないのですが、おひとりで大丈夫ですか?」

 アークさんは道の端に馬車を寄せる。ここなら、そう迷惑にもならないだろう。ところでこの国に駐車禁止とかの決まりはあるのかな?

「ここからそう遠くありませんから。道もちゃんと覚えています」

「お気を付けて。声をかけられても、ついて行かないでくださいね」

 小学生じゃないですから! 知ってますよね、私の年齢!

 アークさんに見送られつつ、私はまた納得できない気分で歩き出す。本当にもう、私どんだけ頼りないと思われているのだろう。これでも警戒心は人一倍強いつもりなのに。

 ユユ姫やアークさんのせいで危険地帯に踏み込んだような気分になってびくびく歩いたが、問題は何も起こらなかった。周りはごく普通の通行人ばかりだ。怪しい危険人物なんて見当たらない。

 当たり前だ、真昼間の街中なのだから。

 記憶に従って、トトー君の家を目指す。見覚えのある角を曲がると、偶然行く手に赤い髪の女性が歩いていた。

「エリーシャさん」

 振り返った彼女は最初いぶかしげに私を見、そしてすぐに笑顔になった。

「ああ、ティトシェちゃんね! こんにちは、今日は具合はいいの?」

「ええ、こんにちは」

 私はエリーシャさんに駆け寄った。

「先日は本当にお世話になりました」

「どういたしまして。元気になったのならよかったわ。今日は一人? トーヴィルは一緒じゃないの?」

 エリーシャさんは私の後ろに目をやり、あたりをさがす。

「トトー君は今日はお仕事です」

「お嬢様がこんなとこまで一人で来るものじゃないわよ。お供の人もいないの?」

「御者の人がいますよ。馬車で待ってもらってます。あと私はお嬢様じゃないんで大丈夫です」

 たしかに引きこもりだったが、一人で出かけられない深窓の令嬢なんかじゃない。この世に男さえいなければ、一人旅をしたってかまわないくらいだ。

「どう見てもお嬢様よ」

 エリーシャさんは苦笑する。

「本当ですよ、貴族じゃありませんから。それより、服をお返ししに来たんです。長々とお借りしてすみませんでした」

「あらまあ、わざわざご丁寧に。トーヴィルに預けてくれればよかったのに」

 私が差し出した包みをエリーシャさんは受け取った。

「この大きな箱は?」

「お菓子です。知り合いのとこでもらったので、おすそ分けに」

 お礼のためにわざわざ用意した、なんて押しつけがましいことを言えば、相手を恐縮させてしまう。そこまで格式張る用件でもないのだから、ついでに持ってきましたってニュアンスでいいだろう。

「まあ……どうもありがとう。こんなに気をつかってくれなくてもよかったのに」

「いえ、この間はすっかりご迷惑をおかけしちゃって、申しわけありませんでした」

「若いのに義理堅い子ねえ。寄っていく? 勤め先でちょっといいお茶をもらったのよ。ちょうどいいから、このお菓子と一緒にいただきましょ」

 少し考え、私はうなずいた。アークさんを待たせていることも気になるが、たまたま会ったからって路上で挨拶しただけで帰ったのではあんまりだろう。お母さんの方にもちゃんとお礼を言ってこよう。

 エリーシャさんと並んで道を歩く。

「お勤めしてらっしゃるんですか」

「ええ、表通りの食堂でね。ふふ、びっくりした? 貴族の娘が下町で働いているなんて」

「いえ……私はこの国の生まれじゃないので、身分のことはまだ実感できなくて。それに、先生から貴族も平民も同じようにお仕事しているって聞いてます」

「ああ、それは役人とか軍人とか、一部の人だけよ。街で商売しているのは、ほとんどが平民よ。まあ貴族といってもうちみたいなのもいるし、いろいろだけど」

 エリーシャさんのようすに屈託はない。言葉だけをとらえれば自嘲的ではあるが、彼女の表情にそういった陰はなかった。家が没落したということを、特に気にしているようすではない。

「ティトシェちゃんは外国の生まれなのね。どこ?」

「……うんと遠い、東の島です」

「へえ……ずっとこっちにいるの? それとも一時的な滞在?」

「ずっとです。もうこっちで暮らすことに決まりましたので」

「そうなの。じゃあ色々慣れないこともあって大変でしょうね。困った時はトーヴィルをどんどんこき使ってやって。あたしが許すわ」

 明るい口調に自然と笑いがこぼれる。いい人だな。きっと私に事情があることを察しただろうに、何も聞かずにいたわってくれた。優しい人だ。

 年の頃も私の姉と同じくらいだ。少しトトー君がうらやましい。

「そういえば、聞きたいことがあったのよね。うちのトーヴィルとは、どういう関係なの? この間はなんか微妙な返事してたけど、本当は付き合ってるとか?」

 ちょっといたずらっぽくエリーシャさんは聞いてくる。弟の彼女登場?という状況を楽しんでいるようだった。でもごめん、期待には応えられないな。

「友達ですよ……たぶん」

「だからどうしてそう微妙なのよ」

「トトー君って、いまひとつ何考えてるのかよくわからないから……でも友達だと思ってくれてるのかなって、そう感じ始めたところです」

「ああ……まあね」

 エリーシャさんはため息まじりに苦笑した。

「あの子って、昔っから妙に悟りきった顔してて、普通の子供みたいにわがまま言ったり泣いたりしなかったのよね。もしかして何か問題があるんじゃないかしらって、心配した時期もあったわ」

「そうなんですか」

 小さい頃からあんなだったら、そりゃあ周りは心配するだろう。

「まあ結局、ああいう性格なんだってことで納得したけどね。そうねえ……あんまり女の子に興味持ってるようすないし、黙って待ってても進展は期待できないわね。押しの一手で攻めるしかないわね。少なくとも、あなたには友達だって言うくらいの好意は持ってるんだから、ぐいぐい押していけば落とせるわよ、きっと」

 ……ん?

 話が妙な方向に流れてきた。

「あの、そういうことを考えているわけじゃ……」

「ああ大丈夫、別に弟に女が寄ってくるのを嫌がるような気持ち悪い姉弟愛はないから。むしろあんな子を好きになってくれる女の子は大歓迎よ。まあ、いけすかない気取ったお嬢様ならいびり出してやったかもしれないけど、ティトシェちゃんなら文句はないわ。礼儀正しい、いい子だもの。ちょっと身体が弱いところが気になるけど、チャリス先生の言うとおりにすればきっと丈夫になれるわよ。大人になったらぜひうちにお嫁に来て」

 ど、どこまで本気なのだろう。

 私は反応に困ってしまった。冗談のようにも聞こえるが、本気だったらちゃんと否定しておかないとややこしくなる。トトー君のことは好きだけれど、そういう対象に見ているわけじゃない。

 どう説明しようかと悩みながらも口を開きかけた時だった。近くの路地から急に人が何人も走り出て、驚く私たちに向かって突進してきた。

「何よ、あんたたち!」

 強気に威嚇するエリーシャさんに、一人が襲いかかる。後ろから羽交い絞めにされて、エリーシャさんの手から荷物が落ちた。私がきれいにしてきた服やお土産の箱が、男たちの足に踏みにじられる。

「やめ……っ」

 騒ごうとする彼女の口に布が突っ込まれた。白昼堂々の襲撃に絶句する私にも手が伸ばされる。片手で口をふさいで軽々と抱き上げられ、ほとんど荷物のように運ばれてしまった。エリーシャさんはと目を向ければ、彼女も担ぎ上げられている。拘束されてもなお暴れる彼女には数人がかりで、完全に荷運びされていた。

 とても抵抗できる状態ではない。何が起こっているのか、どうなるのか、パニックに陥りそうな頭を必死に落ち着かせる。周りには通行人がいる。目撃者は何人もいる。なのに男たちは、おかまいなしに私たちをどこかへ連れ去ろうとする。それに驚きながらも、周りの人々も手出ししようとせずただ眺めている。

 脳裏にユユ姫の言葉がよみがえった。

『あなたが外へ出るたびに何か問題が起こっている』

 否定できなかった。これは、たしかに問題だ。

 私は何もしていないのに。問題を起こすような行動は、何ひとつしていないはずなのに。

 どうして毎回こうなってしまうのだろう。まったくもって不可解で、不本意だった。

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