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「え、十六歳!? 本当に?」
銀髪のイリスが心底驚いたという顔で声を高めた。同様の反応が他からも返ってくる。
「てっきり十歳くらいかと……」
「いえハルト様、それはさすがに低く見積もりすぎです。でもまあ、僕も十二、三歳くらいかなって思ってましたけど」
「ボクと同い年か。とてもそうは見えないな」
赤毛のトトー君は私とタメらしい。こちらに驚きはないが、向こうは驚いている。あまり表情を動かさない、ぼーっとした雰囲気なのに、こんなとこだけ普通に反応しないでほしい。身長だってそんなに違わないじゃないか。
「どうりでしっかりしていると思った。十六歳でも上出来なほどに冷静だし、話をまとめるのもうまい。頭のいい子だね」
フォローありがとうございます、ハルトおじさま。でも言い方がまるきり子供扱いです。まあ彼から見れば、十歳も十六歳もあまり変わらないだろう。
特別童顔なわけではないと思うんだけどな。大人っぽくもないが、まさか小学生に間違われるとは思わなかった。東洋人は若く見られると言うから、仕方ないのかな。
じゃあ彼らは見た目よりけっこう若いのだろうか。お返しに私は彼らの年齢を聞いてみた。それで返ってきた答えは、
「僕? 二十四歳だよ」
「私は三十五だ」
待てやコラ。ハルトおじさまはともかくイリス、お前だって十分童顔じゃないか。てっきり二十歳前だと思ったぞ。
「ああ、僕は童顔だってよく言われるよ。おまけにこの女顔だろ、いつも舐められてからかわれるんだよな」
屈託なく笑いながら、イリスは左手のナイフで器用に果物の皮をむいて渡してくれた。これ何だろう、リンゴでも梨でもないような。形状はそれらに似たものに、おそるおそるかじりつく。あっさりした甘味で、みずみずしくて実においしい。
身体をきれいに洗ってイリスのシャツを借りて、寝床に入れてもらった後はひたすら爆睡だった。丸一日眠っていたらしい。どうにか回復して目を覚ましたら当然空腹だった。私が果物をおいしくいただいているのを確認し、イリスは食事を用意すると言ってくれた。ありがたいが、この果物けっこう大きいから十分お腹がふくれそうな気もする。
私が眠っている間に船はまた飛び立った。今は空の上だ。こうして船室にいて外を見ない限り、飛んでいるなんてわからない。実に静かなものだ。揺れもない。
目的地は彼らが住んでいる場所だそうで、あと一日も飛べば着くとのことだった。それが近いのか遠いのか判断はしづらい。空を飛んで一日かかるなら、やはり遠いのかな。でも飛行機より進む速度は遅い。乗ったことないけれど、飛行船ってこんな感じなのだろうか。
故郷で見たことのある乗り物と名前は似ているが形はまったく異なる船の中で、私は自分の身に起こったことを彼らに説明した。異世界とかそういったことは一切口にせず、ただ起きた出来事だけを忠実に伝える。それで彼らがどう判断するかと出方をうかがうつもりだったのだが、やけにあっさり納得されてしまった。
「なるほど……どうやら龍に運ばれたらしいな」
ハルト様がうなずいた。
「龍? イシュちゃんですか?」
なんとなくニュアンスが違うように聞こえたが、日本語に翻訳されて脳に届いたのは同じ「りゅう」という響きだった。この自動翻訳機能、慣れるとほとんど気にならない。普通に日本語で会話している気分になる。どういう原理なのかはさっぱりだけど。
「いや、竜ではなく龍だ。幻の存在と言われている生き物だ。もちろん、ちゃんと実在しているのは、こうして船が飛んでいることから明白だが」
「船が……?」
どうつながるのだろう。よくわからない。
「船がなぜ空を飛べるのかは知らぬのだろうな。龍は死ぬと心臓を石に変える。強い力を持つ石だ。その力を使って船は飛んでいる。滅多に手に入るものではないから、船の数は少ないがな」
よくわからないが、死んだ龍の心臓は化石みたいなものになって、そこからエネルギーを取り出すことができるということかな。どんな科学技術だろう。むしろ魔法の領域か、これは。
「龍はこの世で唯一、不思議の力を持つ生き物だ。単純に動物扱いはできぬな。国によっては神とあがめるところもある。異なる世界の間を自由に行き来し、空も飛べば地にも潜り、海を泳ぐこともある。そなたが見た白い生き物は、龍に間違いないだろう。淡くとりどりの色をまとう白い鱗に、長くうねる身体――言い伝えられている通りだ」
「はあ……」
あれか。たしかに、蛇より龍と呼んだほうがふさわしいビッグサイズだった。
「そなたにとっては気の毒な、大変不運な出来事だったが……おそらく、龍が世界を渡ったその先に、そなたの乗っていた船があったのだろう。龍の性質は穏やかだと聞く。船に気づいていたなら体当たりはせぬだろう。龍にとっても予想外の衝突だったのだろうな」
出会いがしらの衝突というわけか。それはたしかに、お互いにとって不運な偶然だ。でもそんな可能性いくらでもありうるわけで、じゃあ気軽にひょいひょい世界を渡るなんてしちゃいけないだろう。ほかにも事故の例が山ほどありそうな気がする。
私はこうして奇跡的に助かったけれど、きっとたくさん人が死んだ。あんなに急に沈んでは、ちゃんと脱出できた人がどれだけいたことか。うちの学校の二年生全員が乗っていたのだ。下手すると学年丸ごと壊滅状態なんて可能性もある。今頃日本ではトップニュースになっているに違いない。
不運のひとことで片づけるには、あまりにも重い出来事だ。
果物を食べる手が止まる。暗くなってしまった私に、ハルト様が寄り添った。ベッドに腰を下ろし、私の背中をなでてくれる。
「……船には、そなたの家族も乗っていたのか?」
私はかぶりを振る。
「いいえ。修学旅行で……通っていた学校の行事で、生徒と引率の先生たちが乗っていたんです。他の乗客もいましたけど、父兄は同行してません」
「そうか」
それだけはよかった。あの大惨事に、家族は巻き込まれずに済んだのだ。
あの子はどうなったかな。最後に見た顔を思い出す。ずっと私を目の敵にして、意地悪していた子。私を見て、そしてそむけられた顔に、最後に浮かんでいたのはどんな表情だったのだろう。
大嫌いな相手だけど、死んでいればいいとは思わなかった。どうせなら助かっていればいい。どんなに嫌な奴でも、死んだと聞かされたくはない。
「衝突に驚いて、龍はふたたび世界を渡ったのだろう。龍にふれたと言っていたな。おそらくそれで、巻き込まれたのだろう。そなたには龍の加護が残っている。わかるか?」
「加護……?」
「言葉が通じるだろう。正確に言えば、同じ言葉を話しているわけではない。互いに違う言葉を話しながら、意志はちゃんと伝わっている。自在に世界を渡る龍の力だ、人の言語の違いなど問題にもならぬのだろう。それにそなたは溺れかけていたのに、無事に流れ着いた。龍の加護を受けて、死を免れたのだな」
科学や常識の立場がないな。もういい、ファンタジーですべて片づける。それで不利益を被るわけではなく、むしろ助かっているのだから文句はない。
しかしそんな龍の力が私に残っているということは、もしかして私も世界を渡って日本へ帰ることができるのだろうか。
そう聞いたら、ハルト様は気の毒そうに首を振った。
「……わからぬ。人が世界を渡るなど、聞いたことのない話だ。龍そのものならばともかく、加護を受けただけでは無理ではないかと……」
やはりそうか。何をどうすれば世界を渡れるのか想像もつかないし、自分の中にそんな力も感じない。あまり期待はしていなかったが、落胆せずにはいられなかった。
龍のバカヤロー。お前のせいで船が沈んで私は家に帰れないんだぞ。交差点では一旦停止して左右の安全確認してからって鉄則だろうが。いきなり飛び出したら事故るに決まってる。神様扱いの不思議生物でも、基本動物だからそんなこと考えていないんだろうな。
帰れない。見知らぬ場所に取り残されて、家に、そもそも日本にも戻れない。それを認識するのは辛かった。不安がどっと押し寄せる。私これからどうなるんだろう。どうすればいいんだろう。
いやいや落ち着け。うろたえるな。そりゃ大変な状況ではあるけれど、パニクったって何の解決にもならない。正直泣き出したい気分だが、泣くよりもっと役に立つ行動をしなくては。
私は必死に自分に言い聞かせた。どんな時でも冷静さを失ってはいけない。冷静に考えれば、どこかに道はあるはずなのだ。
少なくとも私はこうして生きている。あの状況下、助かる確率は無いに等しかった。ほとんど死にかけていたのに命拾いをしたのだ。死にかけた原因も龍だが、助かったのも龍のおかげ。差引ゼロにして、もう龍について考えるのはやめにする。
これからどうなるのか。その答は私しか持っていない。どうなる、ではなく、どうするかだ。
生き長らえた以上は今後も頑張って生きていくしかない。自殺願望なんてない。元気に生きて、できれば幸せになりたい。
そのためには努力あるのみだ。自分で自分を助ける。それ以外に方法はない。
「……わかりました」
しばしの沈黙の後、私は詰めていた息とともに吐き出した。
「教えてくださってありがとうございます。その上で、大変あつかましくて申しわけないんですけど、どこか住み込みで働けるとこ紹介してもらえませんでしょうか」
「……え?」
黙って私のようすを見守っていたハルト様が、不意を突かれた顔になった。イリスとトトー君も目を丸くしている。
「帰れないなら、ここで生きていくしかないんですよね。生きるには衣食住が不可欠で、それらを得るには収入が必要です。つまり働かなきゃいけない。今までは両親が養ってくれましたけど、ここでは身寄りもないんだから自分で自分を養わなきゃですよね。でも戸籍もないし住所不定で身分証明もできない人間が就職するのって難しいですよね。見ず知らずの他人にいきなりこんなことお願いするの、ずうずうしいって承知してますけどここはあえてお願いします。どうか助けて下さい。私に住み込みの職を斡旋してください」
「は……あ、いや……」
「私頑張ります。短期だけどバイト経験もあります。自己PRポイントは我慢強くて真面目なところです。社交的な方じゃないですけど、協調性はあります。波風立てるの嫌いですから、周りの人となるべくもめないようおとなしく仕事に励みます。なにせ生活かかってますからやる気は人一倍です。きっと役に立って、雇い主にも紹介者にもご迷惑にはならないとお約束しますから」
私はハルト様をじっと見つめて、懸命に言いつのった。普段はここまで強い態度になんて出られないけれど、今はなりふりかまっていられない。この人たちだけが命綱なのだ。ここでハイサヨナラと放り出されたら路頭に迷ってしまう。遠慮や気おくれしている場合じゃない。
「どうか、お願いします」
「あ、いや……いや、待ちなさい」
ハルト様が私の肩に手を置いた。
「そう急いで考える必要はない。前向きなのは結構だが、あわてなくてよい。そなたのことは私が責任を持って面倒を見よう。助けておきながら放り出すようなことはしない。ちゃんと大丈夫なようにするから、安心していなさい」
「ありがとうございます。でもあと一日もすれば目的地に着くんですよね」
「ああ。その後で、そなたの今後についてゆっくり検討しよう。今はあまり思いつめず、休んでいなさい」
優しく言って、ハルト様は私の背中を軽く叩く。小さい子供を相手にしている感覚なんだろうな。なんでもいいや、私の外見が少しでも庇護精神に訴えかけるなら、小さい子のふりでもしてみせる。とにかく生活がかかっているんだから、他人の良心も大いに利用させてもらおう。
もちろん宣言どおり、真面目に働いて彼にも雇い主にも損はさせないつもりだ。利用させてもらう分、恩返しだってしますとも。
「切り替え、早……」
トトー君がぼそっと呟いた。イリスも何やら微妙な苦笑で私を見ていた。
「強いね。泣きもしなければ取り乱しもしないで、今後のことを考えるとは……なんか、予想外だったな。ごく普通の、か弱い女の子に見えるのになあ」
か弱いとも。剣を持った男の人に強いとか言われる人種じゃない。
まあ人前で泣くのは嫌いだが。泣いたところで誰も助けてくれるわけがない。むしろうっとうしがられる。表面上は優しくしてみせても、内心では面倒くさいと思うのが人の常だろう。私もそう。ぴーぴー泣く奴は嫌いだ。甘ったれて何を期待してるんだって思ってしまう。自分もそんな風に見られたくないから、泣きたい時は誰にも知られない場所でこっそりとだ。
いきなり路頭に迷う心配はなくなったと安心していいのかな。ハルト様のようすを見る限り、口先だけではなさそうだ。未成年とはいえ私はもう十六歳、施設にお世話になるほど幼くもないから、多分どこか働き口を見つけてもらえるのだろう。
私はようやく落ち着いて、手の中の果物にまたかぶりついた。それを見てイリスが思い出したように踵を返した。
「何か持ってくるよ。温かいものがいいよね」
「あ、いえおかまいなく。これおっきいんで、一つで十分お腹いっぱいです」
「え?」
ドアに手をかけたまま、イリスが振り返る。なにそのびっくりした顔。トトー君もハルト様も何変な顔しているの。
「いや、遠慮せずともよい。食料は十分余裕を持って積み込んであるから、たくさん食べればよい」
ハルト様がそう言うけれど、
「無理です。これ以上入りません」
ここで遠慮するのは方向が違うので、はっきり正直に答えた。食べたいのを我慢することはできても、容量以上に食べることはできない。
当たり前の話なのに、なんで三人ともそんなに驚いているのだ。
「これだけで無理って、小食すぎやしないか」
「本当に大丈夫なのか? 成長期なのだから、しっかり食べねば大きくなれぬぞ」
「それ一個で生きていけるの……? 食費かからなくていいね……」
ここの人たちはどんだけ食べるのだろう。想像するとちょっと怖いぞ。あとハルト様、私成長期は過ぎています。一五四センチで打ち止めです。
とりあえず、私のせいで増えるエンゲル係数は、あまり気にしなくてよさそうだ。居候としては喜ばしい限りである。