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明日天気になったなら  作者: 桃 春花
第三部 それぞれのかたち
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10



 目の前に至福の光景が広がっている。

 大きな缶にぎっしりと並べられているのは、いろんな種類のクッキーだ。封を開ければふわりと香ばしく甘い香りが鼻をくすぐる。

 別の缶にはドライフルーツが詰められていた。きれいにカッティングされ、お砂糖の衣をまとっている。赤や黄色、オレンジと、見た目にも楽しいカラフルさだ。

 インテリアになりそうな可愛らしい陶器のポットには、なんとチョコレートが詰まっていた。この色、この香り、まさしくカカオ! この世界にもチョコレートがあったのかと狂喜乱舞である。

「一度に食べるのではないぞ、少しずつだぞ」

 もらったお菓子にうっとりしている私に、ハルト様が釘を刺した。わかっていますよ、小さい子じゃないんだから。

 ……今、一個だけつまんじゃってもいいかな?

 断りを入れて、私はクッキーを一枚かじった。ああ、バターの香りが素晴らしい。生地に練り込まれたナッツも大好きだ。

「よろこんでいただけたようで、何よりです」

 向かいのソファに腰かけるカームさんが言う。こんなにたくさんお土産くれるなんて、いい人だ。なんて、前なら絶対に考えなかっただろうけれど、今なら素直に感謝できる。

「これ、行儀の悪い」

 缶を膝に置いてクッキーを食べていたら、隣に座るハルト様に叱られた。ちょっとくらい許してよ。一度こういう贅沢してみたかったのだ。

「一度に食べるなと言ったであろうが。少しだけにしておきなさい」

「でもクッキーは早く食べないと湿気っちゃいますし」

「だからといって、この缶の中身を一日で食べ尽くす気か。食事はろくに摂らぬくせに、甘いものだとそうやって際限なく食べおって。もうそれだけにしておきなさい」

 私から缶を取り上げてふたをしてしまう。むくれていると、カームさんが笑い声を立てた。

「まるで本当に親子のようですね」

 昨日の疲れなどみじんも感じさせない、端然と優雅なたたずまいだった。今日はいつもどおりの長衣姿だ。白からラベンダーへのグラデーションに細かな刺繍やビーズで装飾がほどこされていて、上品さを損なわない華やかさがある。けっこう派手な衣装なのに、自然と着こなしているのだからすごい。

 一山越えた後の、穏やかなひとときだった。訪れた私たちを迎えたカームさんは、ハルト様の謝罪を快く受け入れ、彼もまたあらためて私に謝ってくれ、なごやかなお茶会へと場は移った。お供の人たちにも茶菓子がふるまわれ、イリスは呼ばれてこちらへやってきた。

「そのつもりです」

 からかいを含んだカームさんの言葉に、ハルト様は穏やかに答えた。

「形はどうあれ、私は親としてこの子を見守るつもりです」

 ……たぶん、これは私へも向けられた言葉なのだろうな。養女にならなくても、親のつもりで見守ってくれると。

 優しい、やさしい王様。民を慈しむその心で、私のことも思ってくれる。

「女の子ですからいずれは嫁いでゆくのでしょうが、まかせられる男が現れるその日まで、私がこの子を守ります」

「それは、わたくしへの牽制と受け取ってよろしいのでしょうか」

 ハルト様の言葉にジンとしていたら、カームさんがちょっと挑発的に切り返してきた。ハルト様もにこにこと答える。

「ご理解いただけたならありがたい。チトセと親しくしてやってくださることには感謝しますが、妙ないたずらはご遠慮願います」

 おいおい、何を言い出すんだこの人は。せっかく仲直りしていたところだったのに、またおかしな雰囲気になってしまうじゃないか。

 心配になってカームさんを見たら、ものすごく綺麗に微笑んでいた。うわぁ、腹黒さ全開の笑顔だ。

「いたずら、とは……なんのお話でしょう」

「私はあなたと違って腹芸が苦手ですので、単刀直入に言わせていただきますが、マナで呼ばせるなどお戯れが過ぎましょう。よもや、この子を愛人にしようなどとお考えではありますまいな?」

 ――なんかすごくつっこみたい単語が聞こえたが、それよりもまず。

 なんでハルト様が知ってるかなってイリスがチクったんだよね、それ以外あり得ないよね!

 別のソファに座るイリスをにらめば、素知らぬ顔で視線を外された。このやろう。

 私は傍らにあったクッションをつかみ、彼に投げつけた。狙いは正確だったのに、あっさり受け止められてしまった。あ、舌出してる、腹立つ!

「……なにをしている」

 無言でケンカしていたら、ハルト様に叱られてしまった。イリスめ、後でいじめてやる。

「その件については私から言わせてください。カームさん、もといカーメル様。人が知らないと思ってよくもひっかけてくださいましたね。聞かれたのがイリスだったからいいものの、他の貴族や役人の人だったら私、あらぬ噂を立てられるとこでしたよ。断固抗議します」

「ひっかけるなどと、人聞きの悪い。わたくしはちゃんと言いましたよ、特別な相手にのみ許す名だとね」

「そんなの、普通友達とか思うでしょうが。恋人や旦那さんを呼ぶ名前だなんて知ってたら、はじめからお断りしてましたよ」

「……ひどい子」

 わざとらしく悲しげな顔を作って、カームさんはため息をついた。

「当たり前の話です。なんの関係もない赤の他人を恋人呼ばわりする方が異常でしょう」

「うわ、ばっさり」

 イリスがつぶやいた。やかましい、いちいちまぜっかえすな。

「今後二度とその名前ではお呼びしませんから。ふたりっきりの時でもね」

「そのような。わたくしを好きだと言ってくれたではありませんか」

「チトセ!?」

 素直なハルト様はあっさり乗せられて目を剥いた。イリスまで表情を変えている。私はうろたえなかった。

 ふん、その程度であわてると思ったら大間違いだ。舐めるなよ。

「ええ、言いましたよ。人間性に対する好意としてね。でもちょっと考え直したくなっているところです」

「大いに考え直してほしいですね。君には、一人の男として見られたい」

 こいつは、どうしてくれようか。

 見ろ、ハルト様が卒倒しそうな顔になっているじゃないか。いじめか? いじめているのか? 実は面白がっているだろう。

「お望みとあれば。その場合、嫌いな生き物に分類しちゃいますけど、それでも?」

「男だからとひとくくりに考えるのはどうかと思いますが」

「私ひとりくらいが男嫌いの偏屈を押し通しても、世間の迷惑にはならないでしょう。というわけで、しょうもない冗談はここまでにしてくださいな。カーメル様のことは、友人として好きでいたいですので。今日は仲直りと友好のためにお会いしてるんですしね」

 にっこりと笑顔で言い切ってやれば、カームさんはため息をついて黙った。よし、勝った。

 横でハルト様が露骨に胸をなでおろしている。なんでこんな冗談真に受けるかな。ユユ姫といい、素直すぎる一族だよ。それだからからかわれるのだ。

「まあ、急ぐ気はありませんが……呼び方はそのままでお願いしたいですね。言ったでしょう、君に堅苦しい呼び方をされたくはないと。友人だと言ってくれるのなら、どうか聞き入れてください」

「だって友達感覚の呼び名じゃないんでしょう」

「必ずしも伴侶だけというものではないのですよ。親友にも許す名です」

 ……親友って。

 やっとちょっと仲良くなったばかりなのに、いきなりそこまで言うかと思ったが、まずはハルト様の反応を見た。この言葉が本当なのか嘘なのか、私にはわからない。

「それは……たしかに……しかし、男女の間でとなると、どうしても違う意味に取られがちだが」

 私の視線を受けて、ハルト様が答えてくれる。なるほど、まるきり嘘というわけでもないのだな。しかし他人に聞かれたらまずいことには変わりない。

「いっそニックネームでもつけた方がいい気がするなあ……カーメル……カーム……カーカー? それじゃカラスか。カーさんとか」

 考えながら言ったら、その場の全員から却下されてしまった。あ、シラギさんが撃沈している。給仕してくれていた女官がケーキを落っことした。あわててこぼしたものを拭こうとしたらティーポットを倒してしまいさらに被害が広がって、イリスが手伝おうとしたのはいいのだけれどとっさにつかんだのがテーブルクロスで、お前それ引っ張ったらどうなると横からどついて制止する。しばらくてんやわんやの騒ぎになった。

 ――うむ、王様相手に釣りバカ日誌的呼び名はアウトだったか。

 ちょっと素直に反省してみる。失礼してごめんなさい。

 結局、これまでどおり人前では気を付けて、あくまでもプライベートな、ふたりだけの時にはカームさんと呼ぶことでおさまった。うっかりポロっとやってしまわないよう要注意である。基本口には出さないように心がけよう。

 テーブルクロスを取り換え、淹れ直されたお茶を前に、一同は話を再開する。なんとなく表情や雰囲気が微妙に思えるのは、私のせいじゃないですよね?

「そうそう、ご報告しようと思って忘れておりました……先日の、刺客の一件ですが」

 さすがの自制心で余裕の態度を崩すことなく、カームさんが話題を変えた。

「レズリー卿の元に出入りしていた人物が、エンエンナから出て西へ向かいました。現在細作に追跡させております」

 レズリー卿というのは、もしや殺された内通者のことだろうか。

 こそっとイリスに確認すれば、その通りだとうなずかれた。

「西、ですか……」

 ロウシェンの西、となるとアルギリ方面だが、当然ながらさらに西には海が広がっている。

「ガムランにでも向かってるんでしょうかね」

 イリスが言った。ガムランって地名かな。

「アルギリ国内の港町だよ。海の玄関口として栄えている」

 訊く前にイリスは私に説明してくれた。

「その可能性はありますね。もしくは、アルギリ内にとどまるか……報告待ちですが」

 カームさんの言葉にハルト様はうなずいた。

 スパイがそのままエランドに帰るならまだしも、アルギリで潜伏するのなら、そちらにも協力者がいる可能性を考えなければならない。まさかアルギリそのものがエランドについているってことはないだろうけれど。

「エランド本国では、今のところ目立った動きはないようです。もっとも、表面上友好国とはいえ、大使たちは厳重な監視下に置かれていますから、報告も限られた範囲内で得た情報でしかありませんが」

 シーリースとエランドは、一応交流があるらしい。でも大使を派遣しているのはロウシェンだけで、リヴェロとアルギリはまだ検討中だそうだ。そのため現地情報はロウシェンの大使から入るものに限られている。

 その大使の人たち、大丈夫かな。開戦状態になれば即座に拘束されるだろう。ものすごく危険な任務だ。承知の上で行っているのだろうが、心配な話である。

 エランドってどんな国だろう。国交があり大使を受け入れるくらいだから、鎖国状態ではない――と、なると。

「ねえ、普通に旅行でエランドへ行くことって、できるのかな」

 私はイリスにこそっと耳打ちした。イリスは怪訝そうに答える。

「旅行って……そりゃあ、国々をめぐる交易商人もいるし、都合で国を離れたり戻ったりする者もいるけど……何を考えてる?」

「別に」

 こっちでは海外旅行はあまり一般的ではないらしい。移動手段や所要時間を考えると当然かな。観光客を装うのは難しいか。ならば商人に混ざるとか……出入りには入国審査があるのかな。パスポートとか提示するのだろうか。そういうシステムだと、どこから来たかを隠すのは難しそうだ。うーむ、王様なんだから偽造パスポートの手配くらいできないかな。カームさんなんか、そういう工作は得意そうだけど。

「チトセ?」

 ハルト様がこちらを向く。ちょっと厳しい顔で私に釘を刺す。

「妙なことを考えているのではあるまいな? そなたはよけいなことを考えず、まず脚を完全に治すことと、この世界に慣れることに専念しなさい」

「はい、お父様」

 にっこり微笑んでいい子のお返事をしたら、ハルト様が手にしたカップを落っことした。あーあ、せっかくきれいにしたばかりのテーブルが、またお茶で濡れてしまった。

「お……お、とう、さ……っ」

 ハルト様は大きく目を見開き、プルプルと震えだす。そこまで驚かなくても。さっきから何度も父親発言していたくせに。

「チ、チトセ……」

 感極まって私に手を伸ばすハルト様をするりとかわし、私はまずこぼれたお茶を拭き取った。

 いや、気になって放置できなくてね。

 テーブルをきれいにしてから、ちょっぴり涙目なハルト様に向き直る。

「ここでお話することでもないですから、またのちほどにね」

「わたくしに遠慮しているのでしたら、かまいませんよ。むしろ興味があります」

 すかさずカームさんが口を挟んだ。いいのかな? 個人的な話なのに。

「チトセは、正式にハルト殿の養女になるのですか?」

「いえ、なりません」

 即答したらハルト様が一気にしょげ返った。いい年したおじさんが、しかも王様が、そんなワンコみたいにうるうるした目で見ないでほしい。

「さっきハルト様もおっしゃったように、形式にこだわらないでいきたいです。こういうのに形なんか必要ないですよね? 私は、ハルト様のことはお父さんだと思っています。それはもう、とっくに私の中で定着していたことでした」

 どうしようってずっと悩んでいたけれど、それは形式に対してだけだった。気持ちの次元では、もうとっくにお父さんとして見ていた。

 気が付いたのは、実はほんの昨日の話だけれど。

「それならば、正式に養女になってもよいのでは? なぜそこを否定するのです」

「形式って、気持ちのためじゃないと思うんですよね。身分の保証とか、場合によっては財産関係とか、そういうもののためにあるんじゃないでしょうか。考えてみたら私にそういうものは不要でした。私はただ、ここで安定した暮らしができればいいんです。戸籍は必要だからほしいですけど、戸籍上天涯孤独でもかまいません。実質的にはちゃんと友達も家族もいるんですから」

 ちょっと気恥ずかしかったが、友達、家族とはっきり口にする。私がそう思っていることを、わかってもらうために。

 ハルト様の表情が少し変わった。イリスもじっと私の話を聞いている。

「形式だけを見た場合、養女になるのはあまりいいこととは思えません。なにしろハルト様は王様ですから。私みたいな素性の知れない子供を養女にするなんて言ったら、きっと反発する人がいるでしょう。その反対の行動を取る人も……すでに現れ始めていますし。私にとっても、ハルト様にとっても、いろいろ面倒なことになりそうです。それを押し切ってでも形式を整える必要があるのかって考えたら、全然ないし。今だって、こうして一緒にいられるんです。養女にならなくても問題ありません」

 私はハルト様の隣に座り直し、優しい顔を見上げた。

「今はまだ、お世話にならないと自分の生活もままなりませんけど、私はちゃんと自立できる人間になりたいです。日本でだって、学校を卒業すれば就職して、自分でお金を稼がなきゃいけなかったんです。いつまでもずっと親の世話になってはいられません。自立しなきゃいけないんです。それと一緒です。私はこの世界――この国で、ちゃんと働いて自立できる人間になりたいです」

「…………」

「で、ものすごく高望みだなとは思うんですけど、できればハルト様のお手伝いになれるような仕事がしたいです。ロウシェンじゃ、身分や家柄で職業が決まるわけじゃないらしいですから、本人の能力次第では望めますよね? 今現在の私には無理でも、頑張って勉強します。お仕事では部下になって、プライベートでは家族になって、ずっとおそばにいたいです」

 なんだか愛の告白みたいだなと、言いながら自分にツッコミを入れてしまった。これほどそばにいたいと思った人は初めてだ。私はハルト様と一緒にいたい。恋じゃないけれど、これも一種の愛なのかな。

「チトセ……」

「私の望む道を選びなさいって言ってくださいましたよね。これが私の、心からの希望です。けっこう無茶な目標立てちゃったとは思いますが、ハルト様さえ認めてくださるなら頑張ってみせますよ。こう見えても勉強は得意なんです。通ってた学校じゃ学年トップだったんですから。目標が決まれば努力のし甲斐もありますし、いつか絶対立派なキャリアウーマンになってみせます」

「……そなたが努力家なのは知っている。熱が入ると見ていて心配になるほど集中して打ち込むこともな。そなたならば、言うとおりの人間になれるだろう。だが、それでよいのか? もっと娘らしい、華やかで楽しい暮らしを考えてもよかろうに」

 ハルト様は私の話を否定するのではなく、ただ心配そうだった。私はそれに笑って答える。

「とても華やかで楽しい人生になると思いますよ? 日本にはキャリアウーマンがたくさんいたんです。できる女は同性からも憧れられるんです。そんな女性になれたら素敵ですね」

 馬鹿にされ、いじめられるばかりの生き方ではなく、いつか人から認められ、すごいと思われるような人間になれたなら。

 ううん、別に尊敬なんてされなくていい。ただ、人とうまく付き合えるようになって、仕事ができることも認められて、周りに受け入れられたなら、それで十分幸せだ。私はずっと、そういう人間になりたかった。

 日本では何も努力せずに不満を抱えているばかりだったけれど、自分から踏み出してたくさん努力したら、理想に近づけそうな気がする。

 この地でそういう未来を目指したい。

「……やはり、ハルト殿には勝てませんか」

 なぜかカームさんがため息混じりにこぼした。

「なにがですか」

「言ったではありませんか、君をリヴェロへ連れて帰りたいと。しかしこうも見せつけられては、負けを認めざるを得ませんね」

 なんの勝負だ。ハルト様とカームさんの、複雑にして微妙な見つめ合い――にらみ合い?に首をひねる。

「こうなると、わたくしとしては正式に養女になってもらった方がありがたいのですが」

「なんでカームさんがそんなこと希望するんですか」

 美しい顔が私を見て微笑む。

「それならば、正式に君に求婚できますからね。血縁がなくとも公王の娘ならば、妃に迎えるに不都合はありません。国を通じての申し込みなら、ロウシェンもにべにはできぬでしょう。合法的に君を手に入れることができるのですが」

 とても本気とは思えない話に脱力してしまう。

「どんな作戦ですか。そこまでしなくても……っていうか、カームさん独身だったんですか?」

「違うと思っていたのですか?」

「はあ。年齢的にもう結婚してらっしゃるんじゃないかと思ってました」

「あいにく、まだですよ。なかなかよい相手に巡り逢えなくてね……それも君と出会うための運命だったのかと、今となってはめぐり合わせに感謝しています」

 もう、ほっといていいかな、この人。いい加減相手するのがめんどくさくなってきた。

 何がいい相手がいないだよね。そんなはずはなかろう。この人のことだ、もてるのをこれ幸い、独身貴族を謳歌して遊びまくっていたのだろう。

 そんな人のプロポーズなんて、冗談でもゴメンナサイである。

「あー、まあ、十年後もお互い独身だったら考えましょうね」

 適当に受け流す私を、ハルト様が抱き寄せた。

「あなたにこの子は差し上げん。それならば、イリスと(めあわ)せる!」

「え、僕っ?」

 いきなり名指しされたイリスがお茶にむせて苦しげに咳き込んだ。

「ハルト様、なんでイリスなんですか」

「トトーでもよい。いや、順番から言えばアルタか。とにかく、私の目にかなう男でなければ認めん」

 どこの頑固親父だ。

「わたくしでは認められないと? それはずいぶんなお言葉ですね」

「公王としてのあなたの業績には敬意を示しますが、女性関係となれば話は別です。あなたがけっこうな遊び人でいらっしゃることは承知しています。そんな方にチトセはまかせられません」

「この歳までまったく経験がないなどと言う方が白々しいでしょう。それなりにお付き合いは経験してきましたが、だからといって不誠実な男とみなされるのは心外です」

「私は物心ついて以来、妻一筋でした!」

「そちらの方がよほどに珍しいかと……うらやましくはありますが」

「……ハルト様と奥方様って、そんなに昔からの付き合いだったの?」

 どうにかハルト様の腕から抜け出して、私はイリスににじり寄りささやいた。ようやく咳をおさめたイリスが、お茶を飲み直しながらうなずく。

「小さい頃に決められた許嫁だったんだよ。でも仲はよくて、ご結婚後もいい夫婦だったらしいよ」

「そうなんだ……」

 それなら、なおさら亡くなった時は辛かっただろうな。ずっとそばにいて、一緒に生きるのが当たり前になっていた人なのに。

 ユユ姫が自信を持てないのもわかる。ずっとひとりだけを愛していた人って、簡単に振り向いてはもらえないと思っちゃうよね。

「で、イリスは私と結婚する気なの?」

「ええ? えーと……どうしよう?」

 どうしようじゃないだろう。

「とりあえず知ってる相手並べとけって感じで言われてもね」

 私はため息をついた。

 ハルト様とカームさんはまだ言い合っている。もっとも、ハルト様が一方的にからかわれている構図だ。カームさん、ひょっとしてハルト様のことが好きなのかな。真面目で純朴な反応を楽しんでいるようだ。

 まあ、このようすなら両国の関係を心配する必要はなさそうだ。ちょっと口喧嘩できるくらいな方が、うわべだけでない本当の友達と言えるだろう。

 ――ふと、この場にいないもう一人の公王のことを思い出した。

 シーリース三国が一致団結してエランドに対抗しなければいけないのに、ロウシェンとリヴェロばかりが仲良くしていていいのだろうか。アルギリとの関係は問題ないのかな。

 ひとりふてくされてそっぽを向いているような、子供っぽい印象の王様を思い出す。もしかすると私と似ているのではないかと思えて、ちょっと気になる人だった。

 この会談期間中に、知り合う機会がないものかな。

 やがてお茶会もお開きになり、離宮を辞して帰る道、私の手を引きながらハルト様は言った。

「そなたの望むようにと言ったからな。正式な縁組はしないことにする。それでよいのだな」

「はい」

 私はハルト様を見上げてしっかりとうなずいた。

「形が何でも、私はハルト様をお父さんだと思っています」

「ああ……ありがとう」

 優しい笑みが返ってくる。ありがとうはこっちの言葉だ。

 優しくしてくれてありがとう。守ってくれてありがとう。私を受け入れてくれてありがとう。生きる道を示してくれてありがとう。

 感謝の言葉はいくらでも出てくる。たくさんのありがとうを、私も返していきたい。人に優しくされたいならまず自分が優しくなるべきなのだと、ハルト様に教えられた。自らが手本となって示してくれる、この世界でのお父さん。

 日本にいる佐野のお父さん、もちろんあなたのことも忘れません。十六年間育ててもらった家族だって、私の心の支えでありお手本です。あの家で教えられたことを基本に、この地でもたくさんのことを学んで、私はきっと幸せに生きてみせるから。

 想いが届くことはないけれど、暮れゆく空に向かって私は祈った。どうか、みんなも幸せでありますようにと。

 明日の空も晴れでありますようにと。




                    ***** 第三部・終 *****

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