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明日天気になったなら  作者: 桃 春花
第三部 それぞれのかたち
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「本当に心配したのよ。ハルト様なんて、昨夜は一睡もなさってなかったわ」

 枕元に座るユユ姫が、お姉さんの顔で私にお説教する。その顔にもうっすらと疲労の陰が浮かび、睡眠不足をうかがわせていた。

「ユユ姫も寝てないの?」

「いいえ、わたくしは寝所へ追いやられたから……ただ、なかなか寝付けなかったの」

「ごめんなさい」

 私は頭を下げる。たくさんの人に迷惑をかけただけでなく、たくさん心配もされていた。申しわけないとしか言いようのない話で、とにかく謝るしかない。

「本当よ。せっかく怪我が治ってきたところなのに。まあ、あなたを責めるのは筋違いでしょうけど」

 ユユ姫は事情を知らないからそう言うけれど、実は責められてもしかたがない。あんな事態になるとは思わなかったが、カームさんに何かたくらみがあるらしいことは察していたのだから。

「無事でよかったわ……どうしているかと気が気じゃなかったし、ハルト様のあんなお顔も見ていられなかったわ」

 私は匙を置いた。疲れているだろうからと配慮され、出されたご飯は胃に優しいお粥だった。さすがに今日は量が多いと苦労することもなく、完食してお盆をヘンナさんに返した。受け取った彼女は、代わりにお茶のカップを渡してくれた。いつものお茶と違い、ちょっとくせのある香りがするから、何かの薬なのかもしれない。

 飲むと案の定苦かった。でも我慢だ。みんなすごく心配して気づかってくれる。文句なんて言ったら罰が当たる。

 ちなみに頬にはべったりと湿布が貼り付けられている。そんなにひどい腫れでもないのに大げさすぎると思ったが、女の子が顔を殴られるだなんて!とユユ姫のみならず周り中の女性陣が血相を変えていたので、ここはおとなしく従っておくことにした。

 でも、ひとつだけお願いを言わせてほしい。汗をかいて汚れた身体のままベッドに入っているのが、ものすごく落ち着かない。お風呂に入ってさっぱりしたい。

 ここはユユ姫の館の、私の部屋だ。いちばん近い場所ということで、一の宮ではなくこちらへ連れてこられた。ハルト様も昨夜はここに泊まったそうだ。捜索ができない夜間も一の宮へ帰る気になれず、できるだけ近くにいたかったらしい。

 今は、さまざまな事後処理のため、二の宮へ上がっている。私にゆっくり休むようにと言い残して行った。

「ハルト様は、親しい人が事故にあったりするのが、怖くて仕方がないのね」

「ええ。どうしても、奥方様たちのことを思い出してしまわれるのでしょう」

「この間はユユ姫のことを心配して、今度は私で、ハルト様の方が心労でまいってしまいそうね。はげないといいけど」

「まあ」

 ユユ姫は呆れた顔で私をにらんだ。

「なんてこと言うの。ハルト様ははげたりなさらないわ!」

「男の宿命よ? イリスだってカーメル公だって、数十年後にはどうなってるかわかんないわよ」

「よくそんなことを考えられるわね」

 ユユ姫はため息をついた。

「ハルト様にそんなご心痛を与えたのはあなたよ。ひどいことを言わないの」

 叱られて、私は首をすくめる。いえ、申しわけないとは思っていますよ。だからこそ、髪の安否が気になるわけで。

「ねえ、ティト。ハルト様にどうお返事するつもりなの? まだ何も申し上げていないのでしょう?」

 ユユ姫は表情をあらためて訊いてきた。

「あまり長くお待たせするものではないわ。わたくしのことなら、気にしなくていいのよ。わたくしのせいでハルト様のお申し出を断られたりしたら、かえって嫌よ。気にしないで、お受けしてちょうだい」

「うん……」

 私はあいまいにうなずいた。断るつもりになっていたのに、今は揺らいでいる。ハルト様のあんなようすを見てしまったら、断ってはいけないような気になった。

 でも、それで正しいのかな。

 養女になって、亡くなった息子さんの代わりにハルト様のそばにいて、甘えたり親孝行したり……そんな生活も幸せではあるだろうけれど、私はもっと、違う形であの人の支えになりたい。

 ――望む形はだんだん見えてきている。ただ、自分に力が足りなさすぎるのが問題なのだ。

 その後、私は頼み込んでお風呂を使わせてもらった。疲れているだけで身体は全然大丈夫なのだから、とにかくさっぱりしたかった。

 上から下までしっかり磨き上げ、清潔な衣服に着替えて上機嫌で浴室を出ると、廊下にイリスがたたずんでいた。

 開け放った窓枠に腰かけ、なぜか力なく肩を落としている。

「どうしたの」

「いや……ようすを見に来たら、風呂の最中だって聞いてさ」

 女風呂の前で出待ちとは、デリカシーのない。風呂上りのラフな格好を見られたくないという女心に、まったく気付かないんだな。

「のぞいてないでしょうね」

「……もうちょっと肉つけてから言ってくれよ」

 私は口をとがらせ、彼の隣に割り込んだ。ちょっと驚いた顔をしながらも、イリスは位置をずらして場所を作ってくれる。

「具合は?」

「全然平気。今回はほとんど怪我もしてないし」

「その顔のは……」

「ちょっと腫れてるだけよ。湿布が大げさだから大変そうに見えるけど、痣にもなってないし」

「そうか」

 少し笑った彼は、また視線を落とす。本当にどうしたのだろう。いつも陽気で腹が立つほど呑気なくせに、やけにしょげたようすが気になってしまう。

「……ごめんな」

 イリスは力なく言った。

「なにが?」

「怖かっただろう……あんなとこ、見せちまって」

 なんのことかと、聞く必要はなかった。彼の言っていることは、すぐにわかった。

「気が回らなくてごめん。トトーはちゃんと君やカーメル公に配慮して抜かなかったのに、僕は頭に血が上って目の前の連中が許せなくて、つい……」

 とっさには言葉が出てこず、私はだまってしまった。

 たしかに、あの光景は恐ろしかった。今も思い出すと震えが走る。

 騎士は戦うのが仕事。それは刺客の第一撃を受けた時点で思い知ったことだった。イリスやトトー君も同じなのだと、わかっていた。でもじっさいに目の当たりにすると、怖いと思わずにはいられない。彼らは私たちを助けるために戦ってくれたのだ。死んだのは刺客――私たちを殺そうとしていた、恐ろしい存在だ。完全に正当防衛で、戦わなければこっちが被害をこうむっていた。だからイリスのしたことはけっして間違ってなんかいない。非難なんてされることじゃない。感謝されてしかるべきだ。

 でも刺客を始末し終えて戻ってきたイリスと目が合った時、私はきっと顔中に恐怖を浮かべていたことだろう。カームさんにすがりついて、返り血を浴びた彼を正視できずに目をそらしてしまった。そう、あの後ずっとイリスは元気がなかった。私が彼を怖がってしまったために落ち込ませたのだ。彼は私たちを助けてくれたのに。

 申しわけないと思う。けれど同時に、今でも怖いと思う。

 槍に串刺しにされて立ったまま死んだ刺客や、首を斬り飛ばされた刺客の姿がまだ脳裡から離れない。思い出せばどうしても昨日の記憶までよみがえる。最後にたどりつくのは、崖から落ちていく姿だ。

 また恐怖に震えそうになるのを、ゆっくり呼吸して落ちつかせる。間違えてはいけない。私が怖いのは、受け入れられないのは、イリス個人ではなく、簡単に殺し合いが行われるという状況だ。ここはそういう世界だと理屈で言い聞かせても、感情はついてきてくれない。元の世界にだってそんな国はあった。でも私の周りは平和で、戦争なんて遠い話で、犯罪も自分にふりかからない間は他人事で、私はずっと穏やかに暮らしてきた。

 そこから抜け出さないといけない。今はもう、違う場所にいる。ここで生きていくためには、この世界の現実を受け入れないといけない。

 怖くても、厭わしくても、逃げることはできないのだから。

「……もし、あの場に私がいなかったら、イリスはそんなに落ち込むことはなかったのよね」

 私はゆっくりと答えた。

「私を怖がらせたから、だから気にしてるんでしょ。戦ったこと……人を殺したこと自体は、後悔なんかしてないよね」

「……騎士だからね」

「うん」

 うなずく。それでいい。彼が自分を否定する必要はない。

「だったら、謝らないで。イリスは何も悪くないんだから。私が勝手に怖がってるだけなの。ごめんなさい。……それに、私だって人を殺したし」

「え?」

 イリスが顔を上げる。考えたくなくて忘れようとして、でも忘れられるわけがなかった、私の罪をうちあける。

「襲いかかってきた刺客を、崖に突き落としたの。どうなったのかわからないけど、かなり高かったから死んでるんじゃないかと思う。死んでもいいと思ってやった。殺意はたしかにあったわ」

「…………」

「私も、人殺し。しかたなかったんだって、正当防衛なんだって思ってる。間違いじゃないと思う。でも人を殺した事実は事実……他人を怖がる権利なんてないの」

 イリスの肩に頭を預ける。どうしてこんな、殺し合いをしなくてはいけないのだろうと思いながら。

 みんな、もっと仲良く暮らせたらいいのに。嫌いな奴とだって、適度に距離を取ってもめないようにやり過ごせばいいのに。なぜ人は争うのだろう。ささいないじめから、上は国同士の戦争まで、人間って本当に嫌な生き物だ。

「そうか……怖かったな」

 イリスが腕を回してきて、私の肩を抱いた。

「うん、それはたしかにしかたのないことだ。ティトは必死に身を守っただけだろう。当たり前の行動だよ。でも簡単に開き直ったりできないよな。怖いと思うのは、人として正しい気持ちを持っているって証拠だよ」

 私をいたわってくれる、優しい腕と言葉が泣きたいほどにあたたかい。

「それでいいんだ。怖がってていいよ。でも自分を責めるなよ。ティトは悪いことをしたわけじゃないんだからな。もしどうしても辛くなったら、一人で我慢しないで僕に言ってきな」

 イリスの言葉が優しくしみこんでくる。ずっとぬぐえずにいた罪悪感と恐怖から、私を救い出してくれる。

 争いばかりではない。人間は優しい心も持っている。他人を思いやり大切にする心もあるから、絶望なんてできない。

 愚かなのも恐ろしいのも優しいのも、みんな人間。私も人間。否定したってしかたがない。ただそういうものだと、ありのままに受け入れるしかない。

「ねえ、どうやって私たちを見つけたの」

 私はイリスにもたれたまま訊ねた。いろいろ怖かったけれど、この腕はやっぱり頼もしい。こうしていると、本当に帰ってこられたんだと実感してほっとなる。

「ティトが知らせたんじゃないのか? 上から探してる最中、何度か不自然な光が見えたんだ。移動していってるみたいだったから、もしかしてティトなんじゃないかって思って、地上部隊に知らせて付近を捜索してたんだよ」

 そうか。私の努力は無駄ではなかったか。

「沢伝いに山を下りてるんじゃないかって話になって、そっちへ向かったんだけど、間に合ってよかったよ」

「そっか……ありがとう、来てくれて」

「当然だよ」

 イリスは優しく微笑み、それから今の話で思い出したと、ポケットに手を突っ込んだ。出てきたのはカームさんから借りた硝子の飾りだ。

「落ちてたから拾っといた。これを使ったんだな」

「うん。でもこれ、カームさんのなの」

「カームさん……って」

 あ、しまった。うっかり言ってしまった。

「……カーメル公のことだよな」

「うん、なんでかそう呼んでほしいって頼まれて」

 説明するとイリスはますますおかしな顔になった。ものすごく驚いているというか、信じられないといった顔だ。おそるおそる、彼は私に訊いてくる。

「……他に、何か言われたか?」

「ほかって」

 いろいろ話したから、そりゃたくさん言われたけれど。イリスは何を気にしているのだろう。

「王様を親しげに呼ぶのはまずいってわかってるわよ。だから人前では普通にして、ふたりの時にだけって約束はしたけど。それでもだめ? やっぱり失礼?」

「いや……本人がそう呼んでくれって言ったんだな?」

「うん」

「だったら何も問題はないよ。いや大ありかもだけど――ええと」

 イリスはがしがしと頭をかく。その癖どうにかならないかな。イケメンがだいなしだ。洗練されたしぐさとはとうてい言えないぞ。

「何をそんなにパニクってるの?」

「ぱにく? いや……あのさ、王族が、マナで呼ばれるのって、すごく特別なことなんだけど」

「マナ?」

 真名とも、愛名とも聞こえた。本名という意味だろうか。

「ユユとかハルトとかカーメルって、本名じゃないの?」

「本名だよ。一般的にはそっちで呼ばれる。マナで呼ぶのは……夫婦とか婚約者とか、そういう相手で」

「……ふーん」

 なるほど、そういうことか。私は軽くうなずく。ようするに「あなた」とか「ダーリン」とか言うのと同じだろう。

「ちゃんと意味わかってるか? つまり、マナで呼んでほしいと言われたってことはだ、求婚されたってことになるんだぞ?」

「……馬鹿?」

 思わず冷たく言い放ってしまった。

「それは時と場合と相手によりけりなんじゃないの。カーム……カーメル公が私に求婚するとか、ないでしょ。落ち着いて考えなさいよ。そんなのありだと思う?」

 つっこんでやると、イリスは難しい顔で考え込んだ。

「ええと……うーん……な、ないかな?」

「ないわよ」

 私は息を吐いた。

 何をあわてているのだか。そういう慣習があるからって、現状を無視して考えるものじゃないだろう。どうやったら王様が私にプロポーズなんて話になるのだ。もっと常識で判断してほしい。

 まあ、悪いのはカームさんだな。そんな意味のある名前で呼ばせるだなんて、悪ふざけにもほどがある。いくらふたりの時にだけって約束しても、誰かに聞かれることだってあるだろう。現に今、イリスに知られてしまっている。

 たしかに、特別な相手にだけ許す名前だとは言っていた。でもそれで婚姻関係を連想する人はいないだろう。家族とか仲のいい友達とか、そういう間柄で呼び合うニックネームくらいに思うじゃないか。

「私が知らないのをいいことに、内心で面白がってたな……次会った時に、おもいっきり文句言ってやろう」

「……ほどほどにな? 国際問題にしないでくれよ」

 どこまで本気なんだか、イリスは真面目な顔をして言う。国際問題って、それは私よりむしろハルト様の方だろう。

「イリス、ハルト様は今どうしてる?」

「ハルト様? 二の宮で政務を執ってらっしゃるよ」

「あの後カーメル公とは……会ってらっしゃらないわよね?」

「カーメル公も今は休んでおられるだろう。明日以降になるんじゃないか?」

 王様同士の会話で、まともに相手を非難するようなことを言ってしまうのはまずいだろう。そういう意図を伝えるにしても、もっと婉曲に、言葉を選んで言わないといけない。怒りにまかせてストレートに言ったのでは、その発言によって足をすくわれる。

「あれ、どう考えてもまずいよね……金輪際うちの子には近づくなって、普通のお父さんが言うならともかく、王様同士じゃねえ」

「あー……」

 イリスも困った声を出す。

「心配してらしたからなあ……反動で、つい言っちまったんだなあ」

「国際問題になる?」

「いやあ、どうだろう」

 何とも言えない顔でイリスは首をひねる。

「あのくらいなら、そう大きな問題にはならないと思うけど。カーメル公も今回の件では負い目があるから、強くは出られないし」

「負い目って言うなら、むしろロウシェンの方が立場は悪いのよ。身内から裏切り者を出しちゃったんだもの」

「んー……」

「そこんとこの調査はどうなってるの。イリスはこんなとこにいていいの」

「調査段階じゃ僕の出る幕はないよ。アルタは行ってるだろうけど」

 イリスは肩をすくめる。

「それに、調べたところで大した手がかりは得られないだろう。そんな証拠を残してくれてるとは思えないからな」

「黒幕はエランドよね?」

「思い込みは危険だな。他の可能性もある以上、決めつけちゃだめだ。まあ、もっとも疑わしい存在ではあるけど」

 私は口をつぐみ、考えた。ここでのんびり休んでいていいのだろうか。政治や軍事の話に私なんかがしゃしゃり出るものではないと思うけれど、ハルト様たちに全部おまかせして自分は何も考えずにぼけっとしていて、それでいいとは思えない。

 なにせ、今回は私も関係者だ。ハルト様に言うべき言葉がある。

「ねえイリス、ハルト様に会いに行きたいんだけど、連れてってくれない?」

「……今か?」

 イリスは少し顔をしかめた。

「休むように言われてるだろ。用があるなら、後で来ていただけるように伝えておくから。きっとハルト様も君のことが心配で、時間が空いたらいらっしゃるおつもりだろうし」

 お仕事中に乗りこんだりしたら邪魔だろうな。それはわかっている。でも今行きたい。今、話さなければいけない。

「ごめん、迷惑だってわかってるけど協力して。どうしても今、会って話したいの」

「…………」

 難しい顔をしていたイリスは、結局ため息をついて了承してくれた。わがままで言っているのではないと、理解してくれたようだ。

 私はすぐさま部屋へ戻り、ちゃんとした服に着替えた。反対するユユ姫たちを強引に押し切って、イリスと一緒に二の宮へ上がる。

 ほとんど踏み込んだことのない宮の、それも政務区域を歩くのは緊張した。すれ違う人たちが私を見ていぶかしげな顔をしていく。イリスが一緒でなかったらつまみ出されていたかもしれない。

 連れて行かれた執務室は教室程度の広さの、どっしりとした調度に囲まれた、重々しい品格のある部屋だった。

「チトセ? どうしたのだ」

 立派なデスクについているハルト様が、入ってきた私に驚きと困惑を浮かべた。部屋にはアルタと宰相のおじいさん、それから役人らしい知らない男性も数人いた。アルタはおやおやとひょうきんに眉を上げただけだったが、宰相たちには案の定にらまれてしまった。

「お仕事中に申しわけありません。お話ししたいことがあって来ました」

「……後にしなさい。今は忙しい」

 普段は甘々なハルト様も、やはり仕事中は厳しくなるようだ。難しい顔で私を追い出そうとする。

「休むように言ったはずだ。ユユのところへ戻りなさい。後で時間ができたら顔を出すから」

「お邪魔なのは承知の上で来ています。どうしても聞いていただきたいので」

「何をだ。今回の件についてなら、そなたが気にする必要はない。ちゃんと手は打っている」

「それは私が口を出せることじゃないです。そうではなくて、カーメル公とのことです」

「…………」

 迷惑そうな視線があちこちから向けられている。非難のまなざしはイリスにも向いていた。なぜこんな部外者を連れてきたのかと、今にも誰かが言い出しそうだ。

 身の程をわきまえないずうずうしい真似をしているという自覚はあった。いくら親代わりに面倒を見てくれている人だからって、相手が王様だってことを忘れてはいけない。ここは私なんかが踏み込める場所ではないのだ。

 それでも引く気はなかった。私だって個人的なわがままを言いに来たのではない。今ハルト様に聞いてもらわないといけないことがあるのだ。

 ……我ながら、不思議なほどに強気だな。以前ならこんなふうに強く出ることなんかあり得なかったのに。そもそもこっちから出向いて話を聞いてもらおうとすることがなかった。友好的でない雰囲気を感じ取れば、すぐにあきらめて離れていって、すみっこで小さくなっていたのに。

 でもそれは怖かったからではないのだと、今さらに気付く。人を振り向かせようと一生懸命になる気がなかったんだ。馬鹿にされるのが嫌で、人との面倒事がうっとうしくて、最初から努力を放棄していた。そこまで誰かに振り向いてほしいと思わなかった。

 君は強いと、カームさんに言われたことを思い出す。やる気の問題だけなのだと。

 本当に強くなれるかな。最後まで、あきらめずに頑張れるかな。

「ハルト様にご心配をおかけしたことは、本当に申しわけなく思っています。お怒りになるのも当然だと思いますけど、でもカーメル公とはちゃんと和解して話し合われてください。あの場での非礼をお詫びして、気まずい状況を続かせないようにしてください」

「…………」

「嬢ちゃん、詫びるべきなのは向こうだろう? あの御仁がただ襲われただけだなんて思ってないぞ。どうせわかってて、わざと嬢ちゃんを巻き込んだんだろう」

 アルタが口を挟んだ。ハルト様の代弁だろう。同時に、それはこの場の全員の意見でもあるようだ。他の人たちの表情も彼に同意している。

「そのとおりです。彼は刺客をおびき出すために、わざと隙のあるふりをしました。おまけに予想していたより刺客の数が多かったものだから、簡単に始末して終わらせるつもりがあんなことになりました」

「それでなぜハルト様が詫びなきゃならん。ちょっと物言いがきつくなるくらい当然だろう」

「こっちに強く出られる権利はないんですよ。立場的には、むしろ平謝りしなくてはいけないんですから」

「…………」

 私はアルタを、それから宰相を、この部屋にいる人全員を見回した。

「もうみなさんご承知でしょう? 今回の一件、黒幕は外国……おそらくエランドですが、その手先としてロウシェンの人間が協力していました。ハルト様のご意志とは関わりないとはいえ、これは重大な落ち度です。リヴェロは公然とロウシェンを非難できる立場です。比べて、私が巻き込まれたことなんてどれほどのものですか。個人的な感情はともかくとして、国同士の駆け引きにおいて切り札には到底なり得ません。圧倒的にこちらの立場が弱いんですよ」

 反論は返ってこない。私は視線をハルト様に戻した。彼は厳しい顔をしている。怒っているようにも見えるが、ここでたじろいではいけない。言わないと。

「私が利用されたことについては、証拠が示せませんから本意ではなかったと言い切られたらそれまでです。その上で、カーメル公は追求される前にご自分から謝罪されました。利用してごめんなさいではなく、巻き込んでごめんなさいと。利用したなんて認めない、でも謝意は示す。つまり、向こうは批判をかわすための行動をすでに取ってるんです。あとはこちらを攻撃するだけです。ところで、と切り出されたら、どうやり返すんです?」

「…………」

「私たちはとてもまずい状況に追い詰められているのだと、まずそれを前提に考えてください。私はこの問題で、昨日のうちにカーメル公と取り引きをしました」

「……取り引き?」

「私を利用した上予定外な危険にさらしてしまったこと。それを公表し追及しない代わりに、あちらも内通者の件でロウシェンを非難しないと」

「それは、釣り合わんと今言ったではないか」

 反論したのはハルト様ではなく宰相だった。このおじいさんと言葉を交わすのは初めてだ。何度か顔を合わせてはいたが、話をすることはなかった。向こうは私のことなんてその辺の通行人くらいにしか思っていなかっただろうし、私も偉い人に話しかける用事なんてなかったから。

 鋭い雰囲気を持つ、渋いおじいさんに私は顔を向ける。真っ白になった髪は長く伸ばされ、オールバックにして首の後ろできっちり束ねられている。身づくろいを無精することはないようで、眉が伸びたりしていないし、髭もなくて細い顎がすっきり見えていた。

 ……この人、若い頃はかなりの美形だったんじゃないだろうか。

 今となってはしわしわだが、鳶色の瞳だけは色を失うことも衰えることもなく、炯炯とこちらを見据えてくる。

「そのような条件で同意を得られるものではなかろう」

「普通に考えればそうですね。相手はあのカーメル公ですし。でも同意していただきましたよ。お互い様ということで手を打ちましょうと、約束しました。子供相手の口約束とは考えていらっしゃらないでしょう。私を危険にさらしたことは、結構本気で申しわけないと思って落ち込んでらしたようですから」

「あのお方が……?」

 私は少し笑ってしまった。カームさん、可哀相に。本当は優しい人なのに、王様としての行動がシビアなものだから、人として当然の感情を持っていることすら疑われる。感情よりも責務を優先させているだけで、ちゃんと優しい気持ちはあるのにね。

 まあ、私が言えることではないが。私もさんざん疑って、嫌っていたからな。

「賢い方だからこそ、安易に人をあなどって見下すようなことはなさいません。こちらが理性的にお話すれば、ちゃんと聞いてくださいます。なので、はったりと脅しも使って説得しました。もともとハルト様に対して疑いを持ってらっしゃるわけではなかったので、変にもめるよりも妥協した方がいいと判断されたようです」

「脅しって何だ、嬢ちゃん。あの御仁に何を言ったんだ」

 アルタが聞きとがめる。私が何か悪事を働いたみたいな顔をしないでほしい。つんと顎をそびやかして答えてやる。

「別に。現状を認識していただいただけです。リヴェロとロウシェンが見苦しい諍いをしていたら、そこに付け入る者が出てくるだろうと」

 事実なので、私に気おくれはない。

「せっかく向こうが譲歩してくれてるのに、こちらが態度を硬化させたままではだいなしです。エランドは多分、こういう展開も視野に入れていたと思いますよ。暗殺が失敗しても、それがきっかけでロウシェンとリヴェロの間に亀裂が入ればしめたものだとね。むしろそのためにロウシェンに内通者を作ったんじゃないかと思います。みすみすその策に乗せられることのないように、わだかまりは早々に解消して、敵に隙を見せないようにお願いします」

 ハルト様は机に肘をつき、組んだ両手に顎を隠して考え込んでいた。普段は穏やかで優しいグレーの瞳が、厳しい光を宿して机の一点を見つめている。

 一旦口を閉じ、反応が返ってくるのを根気よく待っていると、しばらくしてようやくハルト様は口を開いてくれた。

「……そなたは、それでよいのか」

「はい?」

「利用されたのはそなただ。あやうく命を落とすところだった。取り引きなどと、そんな形で終わらせてよいのか」

 私はうなずいた。

「ええ、それは私とカーメル公との間の個人的な問題ですし、既に解決済みですので。もうちゃんと和解しました。ふたりでいる間に、いろいろお話もしましたからね」

 複雑そうなまなざしをハルト様が向けてくる。いったい何を話したんだと聞きたそうな顔だが、そこはもう言わぬが花ということで。他人に説明するのはいろいろと恥ずかしいし、あの時の私の態度こそ国際問題じゃないのかという気もする。けっこう暴言も吐いたからな。

 周りからも胡乱な目を向けられているけれど、無視しておこう。色仕掛けで丸め込まれたとか、そう思われているならそれでもいい。大事なポイントはそこじゃない。

 王様や偉い人だって、結局は人間だ。いつでも正しい理屈だけではいられない。気にくわないと思ったり、相手の態度に腹を立てたり、そんなささいなことから関係がゆがんでいってしまうこともあるだろう。考えてみれば、歴史上の王様や女王様は、けっこう個人的な問題でもめごとを起こしていた。古今東西、どんな立場の人であっても、人間関係がいちばんの課題なのだ。

 だから、ここでハルト様に間違った方向へ行ってしまわれないよう、私は止めなければいけない。騒動の関係者として、彼に心配をかけた者の責任として。

「……わかった」

 深く息を吐いた後、ハルト様はうなずいた。今度向けられた瞳には、元の思慮深い穏やかさが戻っていた。

「明日、あらためてカーメル殿とお会いし非礼を詫びよう。今後について話し合わなくてはな……チトセ、そなたも同席してとりなしてくれるか?」

 うれしいお願いに私は一も二もなくうなずいた。ええ、ええ、もちろん! いくらでも協力しますとも。大丈夫、きっとカームさんはわかってくれる。あの人はちゃんと話を聞いてくれる人だから。もしここぞと何かごねてくるような真似をしたら、こっちだって全力でやり返してやるし――いや、そうじゃなく。

 友好、友好だ。

 二国の友好とシーリースの平和のために、私はできうる限りの協力をすると約束し、ハルト様の前を辞したのだった。

 明日のために、今のうちにできることをしておこう。

 その後イリスやユユ姫に協力してもらって、私はカームさんに手紙を書いた。失礼をお詫びし、明日同席させてもらうことになったとしたためて、離宮へ届けてもらう。これを一般的に根回しと言う。ビジネスにおいて大事なことですな。

 もしかして寝ているかなと思ったのだが、返事はすぐに返ってきた。歓迎の意を示す手紙とともに、色とりどりのキャンディが詰まった瓶も届けられて、私が大喜びしたのは言うまでもない。

 これを世間では賄賂と言うかもしれない。

 まあいい。仲良くできるなら、なんでもいいさ。

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