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明日天気になったなら  作者: 桃 春花
第一部 龍の娘
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 一体どんな原理と動力で空を飛んでいるのか。

 陽射しに輝く白い優美な船体は、空を滑りこちらへ近づいてくる。徐々に高度を下げ、おそらく海に着水しようとしている。

 私は他のすべてを忘れて船に見入った。あり得ない、異常な光景だ。でもなんとなくデジャヴも感じてしまう。

 何かのアニメか漫画にあったような。割とありそうな設定ではなかろうか。もっとも二次元と三次元では受けるインパクトが桁違いだ。

 よく見れば普通の船とは違い、左右に薄い膜のような羽を広げていた。飛行機の翼だって案外コンパクトだから、大きさの問題ではないのかもしれない。でも航空力学とか何か、飛ぶための条件をあの船が満たしているとは思えない。

「あれ、わざわざ降りてくれるのか。誰かこの子に気が付いたのかな」

 銀髪さんが言って私のひざ裏に腕を入れた。ひょいと抱き上げるけど重くないですか。細いのに力持ちですね。

 意識はしっかりしたものの、水に落ちた時の衝撃と溺れたせいで私はろくに身動きができなかった。全身が重くてだるくてこのまま泥になって崩れてしまいそうだ。やだな、背骨とかおかしくしていないといいけれど。

 船の動きは意外に速く、もう海面すれすれにまで降りていた。あまり音も立てず静かに着水する。そして止まった。ここからはまだ大分離れているが、大きな帆船が浜辺近くまでは来られないだろう。上陸にはきっと小さなボートを使うんだ。

 付近にボートはないから、船から迎えが来るのかと思った。その時点で気付かなかった私は鈍い。それならこのふたりは、どうやってここへやってきたというのか。そう思いついたのは、答が示されたあとだった。

 私を抱いた銀髪さんは、くるりと海に背を向けて後ろを振り返った。当然、私の視界も海の反対側に向けられる。背後にどんな景色があるのかはまだ確認していなかった。周囲の状況から、多分すぐそばが崖なんだろうと思い、それは正しかった。正しかったけれど……崖の前に、予想外なものがいた。

「イシュ」

 銀髪さんが呼びかける。ちゃんと聞き分けて、それはのそのそと歩き出す。銀緑色の鱗をまとったぶっとい脚。立派な爪が生えていて、あれに蹴られただけで死にそうだ。後脚に比べると前脚はちっちゃかったが、あくまでも比較の問題だ。前脚だってサイやカバ並みには太かった。

 馬をひと回りも大きくしたくらいのでっかい図体に、コウモリ系の翼。とがった口元に並ぶ鋭い牙。うん、私虫は嫌いだけど爬虫類は平気だ。ヘビとかトカゲとか、見ているだけならプリチーだと思う。そんな感覚でよかった。そっち系苦手だったら悲鳴を上げていたところだ。

 どこからどう見ても竜。ファンタジーの定番、時にラスボス時に神様、偉大なるドラゴンが、ワンコよろしく銀髪さんの呼びかけに応えてやってきて、すぐ前でお座りした。わあ、お行儀いい。

 よく見るとドラゴンの背中には鞍とおぼしきものが装着されていた。なるほど、これに乗るわけですな。え、つまりボートじゃなく竜で船へ向かうと?

「トトー、悪いけどちょっと待ってて」

 銀髪さんは連れの少年に言った。

「さすがに三人乗りはイシュが嫌がる。いくらお前が小さくても無理だ」

「小さい言うなよ……誰か代わり寄越してよ」

「ああ、すぐに来させるから」

 ここは断崖に囲まれた小さな入り江だ。陸地から出入りすることはできそうにない。私を救助したせいでしばらく彼はぼっち待機か。申しわけない。

 竜がお座りから伏せの体勢に動いた。なんて躾けのいい。銀髪さんが私を背中に乗せる間、ぴくりとも動かずおとなしくしている。おかげで落っこちることもなく、後ろに乗ってきた銀髪さんにしっかり支えられた。

 合図を受けて竜が立ち上がる。持ち上げられる感覚、高くなる視界。う、これはちょっと怖い。

 なんて、その程度で怖がってはいけなかった。竜には翼がある。そう、飛ぶのだ、空を。

 ばさりと大きな音を立てて羽ばたいた直後、竜は空中へ舞い上がった。エレベーターや絶叫系マシンでおなじみの、嫌な浮遊感に襲われる。どんどん上がる高度。うわ、うわ、うわわわわわ、やだこれ安全ベルトも何もないのに怖すぎる! 落ちたらマジ死ぬよ!

「大丈夫、イシュは君を振り落したりしないから」

 引きつる私を銀髪さんは優しくなだめてくれた。

「こいつは竜の中でも特に賢いんだ。それにこうして、僕が支えてる。だから大丈夫、落ちないよ」

 はいもう、支えるというか抱っこに近い状態ですから、多分おっしゃる通りなんでしょうけど。頼りにしてますけど。

 でも人間は本来高いところが苦手な生き物なのだ。自分で飛ぶことができないから、命にかかわる高度に本能が恐怖心を抱く。わざと怖いことをして楽しむという、他の動物にはけっしてあり得ない行動をするが、私自身は絶叫系もあまり好きではないしスカイダイビングなんてお金もらってもやりたくない。高い所は普通に嫌いだ。

 私はせめてもの自衛に目を閉じた。見えなければ高さも感じない。びゅんびゅん風を感じるしそれが濡れた身体に辛くて凍えそうだけど、がまんの子だ。少し我慢していればきっとすぐ終わる。むしろそっちに意識を向けていれば浮遊感や落下感を感じずに……済まないな! やっぱ怖い!

 時間にすればほんの数分のことだろうが、かなりな恐怖に耐えたため、ようやく竜が着地した時には私はもうぐったりして身動きもできなかった。いや元からそうだったけど、精神的にも疲れ果てた。

「イリス、その子は?」

 人が集まってくる気配がする。目を開いた私に、船の甲板風景が見えた。……ああ、船は嫌だな。あの客船とは大分違う造りとはいえ、似た風景にほんの少し前の体験がよみがえる。沈みゆく船から海に放り出されたのだ。なのにまたすぐ船に乗るって、さすがにいい気分はしない。これ、トラウマになるのかな。

 銀髪さんと似たり寄ったりな格好の男の人達に混じって、一人異彩を放つ人物がいた。うちの父よりは若い。でもそこそこおじさんだろう。三十代は確実、もしかしたらアラフォー。だけどおっさん臭くはなく、すごくかっこよかった。芸能人みたいに、かっこよく年をとった印象だった。

 少し長めの髪は薄い茶色だ。柔らかそう。他の人とは違い、ゆったりとした服を身につけている。裾が長くて足を全部隠している。男の人だからドレスとは言わないんだろうな。ローブとか言うんだっけ。派手にはならない程度に品よく装飾がほどこされた衣装は、とてもお高そうで彼が偉い人なのだと悟らせる。

「浜に打ち上げられていました。偶然、上から見つけまして」

 私をまた抱いて竜から下りながら、銀髪さんが素敵おじさまに答えた。

「あそこでか……崖から落ちたというわけではないのだな」

「それじゃ生きてないでしょう。幸い怪我はなさそうですよ」

「それはよかった」

 おじさまは微笑んで私をのぞき込んだ。ううむ、本当に素敵な人だ。顔立ちそのものは銀髪さんに比べてずっと普通っぽいけれど、品のよさと知性を感じさせ、そして優しさにあふれている。雰囲気美人という言葉があるが、この人の場合雰囲気イケメンか。基本家族以外の男は苦手なのに、彼に対しては不思議と警戒心や苦手意識を感じなかった。穏やかなグレーの瞳に、私を気遣う思いやりが見てとれる。それを素直に信じられた。

「かわいそうに、怖い思いをしたろうな」

 海水でべったり濡れた私の髪を、嫌がりもせずにおじさまはなでてくれた。

「すぐに手当てをしてやらねばな。怪我はなくとも、このままでは風邪をひく」

「はい。ってわけで、誰か湯を用意してくれ。ケチらずたっぷりだぞ」

 銀髪さんが周りに向かって声を上げる。どこかから、元気よく了承の声が返ってきた。そうか、船の上じゃ水は貴重品だろうな。お風呂なんて入れないのが普通ではなかろうか。それを私のために用意してくれるらしいから、心から感謝しなくては。

「あと、トトーをあそこに残してきてるから、誰か迎えに行ってやってくれ」

「そのまま置いてきませんか?」

 いらずらっぽい返事は、きっと冗談だろう。周りから笑いがわき起こる。とんでもないと、おじさまが首を振った。

「トトーならあのくらいの崖は登るだろう。もしくは、泳いで出るか……どちらにしろ、後が怖い。命がけのいたずらになるぞ」

 その声も笑い含みだったけれど、あのくらいって、あの崖ほとんど垂直で二十メートルはあったぞ。そこを登るのか。登山道具もなしにどうやって。しかも脱出後は殺しかねない報復をすると。おとなしそうな子に見えたのに、そんなにデンジャラスな奴なのか。

 彼らの会話がどこまで本気なのか、全部冗談なのか私にはわからない。まあそこはどうでもいい。しょせん私には関係のない他人同士の話だ。

 それより今は、早く温まって乾いた服に着替えたい。ちゃんとした寝床で身体を休めたい。しっかり休んで気力体力が回復したら……この不可思議で異常な出来事を、ちゃんと受け止められるようにもなるだろう。

 今はものを考えるのもおっくうだった。だから気にしない。ここが異世界かもしれないとか、竜がいたり船が空を飛んでいたり、そんなのどうでもいい。いいということにしておく。

 私はあまり現実逃避をしない人間なのだが、時にはそういうことも必要だと知った。精神の安定をはかるため、問題から逃げなければならない場合もあるのだ。




「あんまり気にしない方がいいよ。理香って大野君が好きなんだよ」

 こそっと声をかけてくれたのは、友達にまではなれなくても、時々話をする相手だった。

 私を嫌う子たちからさんざん嫌味やあてこすりを言われた後のことだった。私は首をかしげた。大野のことが好きで、それが私に対する意地悪とどうつながるのだろう。

「大野君、佐野さんのこと気にしてるでしょ。だから当たってるんだよ」

 私は思わず鼻で笑ってしまうところだった。いけないいけない、そんな態度をとっては性格の悪さをさらけ出してしまう。ここはおとなしく、よくわからないという顔をしていなければ。

 同じクラスの大野という男子が、私を気にしているのは本当の話だった。でもそれは好意的なものではない。正反対だ。あいつはあいつで、私をいじめているのだから。

 ことあるごとに私をネタにして悪口に花を咲かせている。人に点数付けしていたのも奴だ。それを私に聞こえる場所でやるのだから、いじめでなくて何だというのか。実害はないから無視&放置プレイで終わらせるが、嫌いな奴リストの上位に常にランクインしている相手だった。

 こういう男子には小学校の時からご縁があった。本当に、どうしてみんな放っておいてくれないのだろう。嫌われていてもいいよ。好きになってなんて思わない。こっちはあんたに一切興味ないんだから。イケメンは二次元だけで満足だ。リア充は求めていない。無視してくれる方がありがたいのに、なんでわざわざ寄ってくるのか。

 意地悪の原因が大野にあるという論法には同意できなかった。誰がどう見ても、私にやきもちを妬く必要なんてない。同情されることはあっても妬まれるはずがない。

 なぜそんなことを言うのだろうと、私は目の前の子を疑った。意地悪をされたことはないし、時々は話もする。もしかしたら友達になれるんじゃないかと思える相手だったのに、それは浅はかな期待なのか。

 なぐさめるふりをして、私達の関係をさぐろうとしているのではないだろうか。私といじめっ子、私と大野。私にとってはストレスばかりな関係も、外野からは好奇心を刺激される面白いネタだ。

 じっさいのところ、こういう人間がいちばん怖い。私をいじめる女子や悪口を言う大野なんてまだ可愛いものだ。彼らは私に対する悪意をはっきり見せている。お前が嫌いだと、最初からオープンにしてくれている。うっとうしいし迷惑だが、ある意味安心できる。

 人のよさそうな笑顔の下に悪意を隠している人間の方が怖い。私自身も性格が悪いから、人の笑顔なんて信用できないものだとわかっている。うっかり気を許してあれこれ言ってしまったが最後、どんな噂に仕立てられてクラス中、いや学年中に広められるかわかったものではない。

 そうなったら結局私が悪者にされるのだ。追いつめられるのは大野でもいじめっ子でもなく私。目に見えている。

 油断してはいけない。ただでさえすぐ目をつけられていびられるのに、自分から悪者になる道を選んではいけない。

 私は何も気づいていないふりをして、そんなことないよと白々しく笑った。大野君には相手にされてないよと、相手も承知しているはずのことを今さらに説明する。

 どんなに悪口を言われても、意地悪をされても、自分が悪口を言ってはいけない。身を守るための、最低限の心得だ。攻撃材料を自ら与えてはならない。悪口は腹の中だけで言っていればいい。

 みんな、悪口が大好きだけど。しょっちゅう悪口で盛り上がって、それでいて嫌われるようすもなくうらやましい限りだけれど。

 私が同じ真似をすれば、きっと攻撃される。みんなと同じようにはいかないのだ。

 腹の内を隠し、当たり障りのない話ばかりをする。そんなだから友達ができないんだと、心のどこかで自分自身が言った。

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