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明日天気になったなら  作者: 桃 春花
第三部 それぞれのかたち
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 龍の心臓石によって空を飛ぶ船は、一般の船と区別して龍船と呼ばれている。ロウシェンの龍船は白い船体に緋色の帆を張った、三本マストの美しい船だ。

 リヴェロとアルギリ、それぞれの公王が持つ龍船も美しかった。リヴェロの船は紺色の船体に純白の帆、アルギリは深緑の船体に金の飾りをちりばめ、鮮やかな黄緑の帆を張っている。

 趣の異なる三艘が並ぶ光景は、壮観だった。

 中でもアルギリの船がいちばん華やかできれいだ。そこかしこに施された装飾は、本物の金を使っているのだろうか。ロウシェンやリヴェロも船体に飾りはあるものの、アルギリの船に比べるとずいぶんおとなしく地味な印象だった。

 でも持ち主の公王は、言っちゃ悪いが三公王の中でいちばん見栄えしない。年は若く、二十歳そこそこだろう。茶色い髪はくせが強く、ひどく痩せているので背が高くてもひょろひょろして見える。そばかすの浮いた血色の悪い顔は、不機嫌そうにむっつりしていた。

 何か嫌なことでもあったのだろうかと思ったが、周りの人は全然気にしていないようだ。してみると、あれが彼の普通なのだろうか。私も人のことを言えないが、とっつきにくそうな人物だ。

 反対にリヴェロのカーメル公は、誰もが目を引かれる艶めいた美貌に柔らかな微笑みを浮かべていた。相変わらず腹黒そうなうさんくさい笑顔である。

「ようこそ、お二方。ご無事の到着、何よりです」

 ハルト様が二人を出迎えている。周囲にずらりと並ぶのは、宰相や偉い役人のおじさんたち。アルタやイリス、トトー君の姿もある。

 私は部外者らしく、いちばんすみっこでひっそり人の影に隠れていた。

 そもそも部外者なのに、なんでこの場にいなければならんのか。自分の部屋で勉強していたかった。知らない人がいっぱいいる空間に身の置き所のない気分で人目を気にしつつ混じるなんて、心底嫌だった。

 でもハルト様の言いつけだから逆らえない。

「礼の手紙を出したとはいえ、せっかく顔を合わせられるのだ。直接お礼を言いなさい」

 今日の朝、一緒にご飯を食べながらそう言われた。礼儀としては至極もっともな意見だと思う。まあ、そのくらいは私だってやろうとうなずけた。しかし到着時のお出迎えまでさせられるとは思わなかった。

「ああ、そんなところにいましたか。何をぐずぐずしてるんです、早く前へ行きなさい」

 侍従の人が私を見つけて引っ張った。周りの人に注目されながら、私は公王たちが並ぶ場へと連れ出された。

「おや、チトセ。ごきげんよう」

 カーメル公が笑顔と色気をふりまいた。今日もアメジストのピアスをつけている。お気に入りなのかな。

 アルギリの公王はちらりと私を見ただけで、すぐに興味なさそうに視線をそらした。周りの人と話すこともせず、ずっとむっつりしている。なんだかふてくされた子供みたいだ。

「お久しぶりです。道中お疲れ様でした」

 私はハルト様の横に立っておじぎをした。もちろんちゃんとお愛想笑いも付けましたよ。嫌いだからって、態度に表したりはしない。失礼のないように礼儀を心がける。

「怪我の具合はいかがです? もう歩いてよいのですか」

「はい、おかげさまで、この通り元気です。その節はお見舞いの品をありがとうございました」

「気に入っていただけましたか」

「はい、とても」

 ああ、周囲の視線が痛い。こそこそとささやき合う姿もある。あれは誰だとか、なんで挨拶してるんだとか、色々言っているのだろう。

 養女の話は断るつもりなのに、先に周知されてしまいそうな状況だ。ハルト様、まさか既成事実的なことを狙って私をこの場に同席させたわけじゃないですよね?

「君ともう一度、ゆっくり話がしたいと思っていました。後程、時間ができたらつきあってくださいね」

「……おそれいります」

 喜んでいると思われたくなくて、はいとは答えなかった。でもこれで約束したことになるんだろうな。まあ話をするくらいならいい。向こうも、もう私を誘惑しようなどとは考えないだろうし。この約束自体、ただの社交辞令という可能性もある。以前と違ってカーメル公に、こちらの気を引こうとする押せ押せの気配は感じられなかった。

 私が政治とも軍事ともいっさいかかわりのない、ただの小娘だとわかったからだろう。愛想はいいし相変わらず色気ダダ漏れではあるが、拍子抜けするほどあっさりとした態度だ。最初からこうだったら、もう少し彼に対する印象はよかったのに。

 挨拶を済ませた私は、すぐに後ろへ引っ込んだ。ハルト様が両公王を促して宮殿内へと移動していく。私はそれにはついていかず、さり気なく人混みから脱出した。

 とりあえず、最初のお仕事は終了した。ちゃんと礼儀正しく挨拶できたと思う。お見舞いのお礼も言ったし上出来だろう。

 もっとも本番はこれからだが……。

「ティト」

 こそこそ物陰に隠れて消え去ろうとしていたのに、イリスが見つけて追いかけてきた。

 しかたないので立ち止まる。見た目だけはかっこいい飛竜隊長は銀の髪をなびかせ、周囲の女性の視線を集めながらやってきた。

 みなさん、こいつ先日ふられたんですよ。それも彼女ほったらかして他の女のとこに通っていたのが原因で。最低男と言ってやってください。

 あずかり知らぬところで破局の原因にされてしまった私は、ちょっとだけ腹を立てていた。

「しばらくは人前で声かけないでほしいんだけど」

 冷たく言ってやると、イリスは情けなさそうに肩を落とした。

「そんな冷たいこと言うなよ……」

「誰かさんが不誠実で無神経だったおかげで、私が他人の彼氏横取りした性悪女みたいな立場になっちゃってんですけど」

「ごめんなさい。本当すみません」

 イリスは素直に頭を下げる。問題の彼女にも謝りに行ったらしいのだが、結局仲直りはせずそのまま別れたようだ。トトー君が言うには、最初から付き合うには無理があったのだとか。

 毎日のように私の所へ顔を出していたのは、単純に心配してくれていたからだ。イリスは親切で優しいのだ。私の身の上を知っているから気にかけてくれていた。そこのところをうまく彼女に説明して、フォローしておいてくれればよかったのに。

 私はイリスに恋人がいるなんて知らなかったし、ましてやろくに連絡もせずほったらかしていたなんて知るよしもなかったから、責任を感じる必要はないはずだ。別れるきっかけになったとしても、私には関係ない。理屈ではそう思っても、だからって気にせずにはいられなかった。何もしていないのに妙な罪悪感やら気まずさやらを覚えてしまう。じっさい彼女には恨まれていることだろう。それもこれもこの男が下手を打ったせいだと思うと、腹が立って当たりたくもなるというものだ。

 イリスは困り顔で頭をかいていた。それがくせなのだろう。きれいな銀髪を、くしゃくしゃにかきまぜている。

 いい人なんだけどね。明るくて、優しくて、頼りになって。人間的魅力は大いに備えているのに、時々非常に残念なところを見せる。欠点のない人間はいないと言ったのは、ほかならぬこのイリスだったけれど、まったくその通りだなと納得してしまう。

「……それで、わざわざ呼び止めた用は何」

 今この瞬間も、さまざまな憶測を呼びながら視線を集めているなんて自覚、きっと持っていないだろう。イケメンすぎて注目されることに慣れてしまっているのかもしれない。イリスに配慮は期待できないので、早くこの場から逃げ出すため、私は冷たい口調のまま聞いた。

「あー……いや、用っていうか、どこ行くのかと思ってさ。今夜は歓迎の宴が開かれるって、聞いてるよな?」

「知ってる」

 レセプションというものだな。国賓を迎えればそういう場が設けられるということくらい、私だって知っている。

「遊びに行くのはいいけど、ちゃんと間に合うように帰ってこいよ」

「…………」

 私は無言でため息をついた。

 ――本当に、なんで私が、一般庶民の、今は身寄りもない拾われっ子の、ただの小娘の私が、そんな国際交流の場に出席せねばならんのか。

 ハルト様のため。ただそのためだけに承諾したが、本当言うと全力で拒否したかった。

 でもハルト様には返しきれないほどの恩を受けてきた。ほんの少しでも彼の役に立てることがあるなら、私なりに精一杯働いて恩返しをしたいと思う。だから苦手な人前にも立ったし、嫌いな相手ともにこやかに挨拶した。そして今夜のレセプションにも出席することにした。

 承諾した以上、今さら逃げたり嫌がったりはしない。ちゃんと約束は守る。たとえストレスで胃が痛くなりそうでも。

「始まるのは夕方でしょ。まだ十分時間はあるわ」

「といっても、女の子は支度に時間がかかるだろ。出席予定の令嬢方は今頃準備の真っ最中だと思うけど」

「私は令嬢じゃないから」

 気合を入れてお化粧やおしゃれをするなら、それなりの時間がかかるだろう。でも私は、とりあえずマナー違反にならない程度に、こざっぱりと身ぎれいにしているだけでいい。支度なんて三十分、いや十五分もあれば事足りる。

「僕がこんなこと言うのも変な気分だけどさ、それなりにおしゃれはしておいた方がいいと思うぞ。その方が逆に目立たない。周り中着飾った連中ばかりなんだから、地味にしてるとかえって浮くぞ」

 ……なるほど。イリスにしてはうがったことを言う。

 でも残念。もう一歩踏み込んで考えてほしかった。

「遊びに行くわけじゃないの。ユユ姫のところへ行くのよ。呼ばれてるの」

 私が説明すると、イリスはほっと顔をほころばせた。

「ああ、そうか、姫のところで支度するんだな。そうだよな、姫と一緒に行く方がいい。うん、それなら安心したよ」

 私があまりに嫌そうな顔をしているものだから、逃げ出すと思っていたのかもしれない。ちゃんと支度をする気があると知るや、イリスは能天気に笑った。男って単純だな。

「じゃあ、また後でな。ティトの可愛い姿、期待してるよ」

 そんなことを爽やかな笑顔で言って、イリスは戻って行った。

 あれにみんな釣られるんだろうな。かっこいいイケメンが変な下心もなく爽やかに笑顔をふりまいて、特別に思われているのかと勘違いしそうなことをさらりと言っちゃうから、うっかり惚れる女が続出するのだろう。

 カーメル公と完全に対照的だ。あっちは自分の容姿や言動が相手にどんな影響を及ぼすのか、十分以上に知り尽くしてなおかつそれを武器として利用している。逆にイリスは、自分が周りからどう見られているのか気にしないし気づかない。相手に期待させてしまうようなことを意識もせずポロっと言ってしまう。いわゆる天然だ。

 どっちも迷惑な存在である。後ろ姿までかっこいい鈍感無神経男を、石を投げつけてやりたい気分で見送った。

 多分、今夜のレセプション会場にも、イリスのことを好きな女の子の一人や二人はいるだろう。そんな人たちから、私はどんな目で見られるのだろう。元カノとの一件はうわさになっていたりしないだろうか。きっとそんなこと、イリスは欠片も思いつかないのだろうけれど。

 会場ではできるだけユユ姫のそばにいるようにして、イリスには近づくなと釘を刺しておこう。薄情と言うなかれ。私は自分の身が可愛い。




「ねえティト、本当にそれでいいの? いえ、とても可愛いわよ。よく似合ってはいるけれど……多分、すごく目立つわよ」

 ユユ姫が心配そうに訊ねる。ヘンナさんたちも似たような表情を浮かべて、口々に違う衣装を勧めてきた。

「こちらの方が華やかだと思いますよ」

「こちらは少しおとなしめですけど、とても品のいいドレスですから、場にふさわしいと思いますわ」

「ティトシェさんなら、このくらい明るい色のものでもよろしいのでは?」

 ユユ姫が昔着ていたという子供用の(!)ドレスを目の前に広げられる。私は丁重にそれらを断った。

「すみません、せっかくですけど、これで行きたいので」

「……そうですか」

「この服だと、礼儀に反する?」

 念のためユユ姫に確認する。彼女は首を振った。

「いいえ、問題はないと思うわ」

「笑われるようなおかしな格好?」

「いいえ、全然。少し変わってはいるけど、可愛いと思うわよ」

 そうだろう。そんなに変な服だったら、デザインを描いた時点で指摘されているはずだ。

 私が選んだのは、あの紺色のメイドさんもどきなワンピースと一緒に仕立ててもらった服だった。白いふんわりとした丈長の上着に下に、やはり白のワンピースを着ている。ワンピースはウエストの切り替えがなく、すとんと落ちるシルエット。丈はやはりミニ。そしてやはり同色のニーソを履いている。

 ニーソにこだわるのは、今脚が傷痕だらけだからだ。崖から落ちた時についた切り傷擦り傷である。怪我自体はとうに治っているが、痕はそう簡単に消えない。小さいものはともかく広範囲に擦りむいた場所や深く切った場所は、ケロイド状になって残っていた。それらを隠すにはスカートをロングにするか、パンツスタイルにするか、さもなくばタイツかニーソを履くしかない。そして私はニーソを選んだ。だってこれがいちばん可愛いし。

 上から下まで真っ白ではあまりに異様なので、ところどころに色は入っている。上着の襟や裾には刺繍で縁どりがされているし、首元にはレースのリボンも結んでいる。おそろいのリボンを髪にも結んだ。いちおう華やかさを出すために、今日はツインテールにしている。

 鏡の中の私は、十分おしゃれをしていた。これで十分。私レベルはこんなもん。

 ユユ姫たちの気持ちはありがたいのだが、着慣れないドレスなんか着たって服に負けるだけだ。そういうものは、普段から身に着けてなじんでいる人が着てこそ映えるのだ。似合わないおしゃれをしたって指差して笑われるだけだ。

 目立つのは先刻承知である。どうせ、どんな格好をしても私は浮くだろうし目立つだろう。人から注目され陰口を叩かれる材料はとうに揃っている。だったら今さら服装に気をつかっても無駄だ。変に気負いすぎず自分に合った服で行くのがいちばんいい。

 予定どおり私の支度は十五分で終わった。ユユ姫はつまらなそうだった。人のことより自分の支度をするべきだろうに。ユユ姫が用意しているドレスは淡い薔薇色のとてもきれいなもので、早く着てみせてほしい。

「少しお化粧する? 色白だし肌もきれいだからそんなには必要ないけど、ほんのちょっと紅を差すだけでうんと印象が変わるわよ?」

 ユユ姫がお化粧道具を見せてくれた。私は少し考え、うなずいた。手伝おうとしてくれるのを断り、自分でやる。日本で見ていた化粧品とは少し違うが、大体使い方はわかる。手早くメイクする私にユユ姫が感心の声を上げた。

「あら、慣れてるのね。こういうのは初めてかと思ったけど、そうでもなかった?」

「学校にはスッピンで行ってたけど、同人誌即売(イベント)会行く時にはメイクしてた」

「イベント?」

「趣味の集まり。あとお姉ちゃんと一緒にメイクの研究とかしてたから」

「まあ、そう。お姉さまと……いいわね、わたくしにも姉妹がいたら、そんなことができたのね」

 一人っ子のユユ姫の前できょうだいの話は悪かったかな。

「ふふ、でも今はティトがいるからいいわ。って、手を出す余地がないけど……もう終わり?」

「うん。これでいい」

 道具を置いた私の顔を、ユユ姫がのぞき込んだ。あら、と首をかしげる。

「なんだか、あまりお化粧したって感じがしないわね……ちゃんと塗った?」

「塗ったよ。血色がよくなって、目元もはっきりしたでしょ」

「そう言われれば……ティトって、もしかして、すごくお化粧が上手?」

「でもないけど」

 姉と一緒に雑誌を見ながら研究したから、ナチュラルメイクの技を習得しているだけだ。メイクしているとわからないようにメイクするのが大事なのである。明らかに盛っているとわかるのはよろしくない。

「やだ、その方法わたくしにも教えて」

 ユユ姫が目を輝かせて食いついてきた。うん、女の子だね。すごく可愛い。

 今まで友達とこんな会話をしたことがなかったから――そもそも友達がいなかったし――一緒に支度をするのは私にとっても楽しかった。女同士でキャッキャと盛り上がり、気づけば時間である。最後は大急ぎで仕上げなければならないほどだった。

 よそのご令嬢たちも、こんな感じで支度しているのかな。

 姫君らしく高貴に美しく装ったユユ姫と一緒に馬車に乗りこみ、私たちはレセプションが行われる二の宮の大広間へ向かった。

 直線距離だと大して遠くもないのに、傾斜がゆるやかになるよう九十九折に造られた道をのんびり登ってきたので、ずいぶん時間がかかった。ようやく到着し、ユユ姫の後について会場入りする。すでにたくさんの人でにぎわっていた。

 ユユ姫の姿を見かけると、次々人が寄ってきて挨拶をした。いちいち応えるユユ姫にご苦労様と頭が下がる思いだ。私がこんな立場になったら、きっと逃げだしたくなる。

 私は付き添いの侍女だと思われているのか、視線を向けてくる人はほとんどいなかった。ヘンナさんと一緒に後ろで沈黙を守る。たまにちらりと見てくるのはみんな女性だったが、ユユ姫に遠慮してか、その場で私に話しかける人はいなかった。

 ひとしきり挨拶攻撃を浴びた後、ユユ姫は会場の奥、主催者のいる場所へ向かった。主催者とは言うまでもなくハルト様である。

「遅くなりまして、申しわけありません」

「ああ、来たか」

 ハルト様が愛おしげに微笑んで彼女を迎える。うーん、ただの親戚のおじさんにしては、愛があふれすぎなようにも見える。でもそれが恋愛感情なのか親心なのかが、よくわからないところだ。

 ……家族だったら、こういう時ってわりとそっけなかったりするよね? よそとのお付き合い優先で、子供なんてけっこう適当な扱いだ。可愛がってくれた母方の叔父さんも、こんなふうではなかった気がする。

「クラルス様、カーメル様、お久しぶりにございます。ようこそおいでくださいました」

 ユユ姫は二人の国賓に優雅に挨拶をする。公王たちも挨拶を返した。想像していたような、ユユ姫の手を取ってキスするとかいうものではなかった。くちづけは特別な意味を持つものだというから、挨拶くらいではしないようだ。

 いつぞやのアレは、本当にとんでもない行動だったわけだね。てっきり挨拶だと思ってとっさに平気なふりを装ったのに、実はセクハラされていることに気付いていなかっただなんて、思い返すとまた腹が立ってくる。痴漢に何もやりかえせずまんまと逃げられた時の怒りと同類だ。

 元凶が目の前にいるものだから、怒りが外にあふれないよう無表情を保つのに苦労した。お仕事だ。今はお仕事中。報復はいずれ機会を待ってから。

「ごきげんよう。相変わらずお美しい」

 アルギリの公王が左胸に手を当てておじぎをしながら言った。初めて彼の声を聞いた。声質は悪くない。鍛えれば声優になれるかもしれない。

 笑顔のひとつも浮かべずそっけない物言いに聞こえるが、ユユ姫を嫌ったり面倒がったりしているようではなかった。もしや、輝く美女を前にどういう態度を取っていいかわからず、ついぶっきらぼうになってしまう純情さんだろうか。

 同じく左胸に手を当てておじぎをし、カーメル公がしっとりと艶を含んだ声で挨拶した。

「おひさしぶりです。しばらくお会いしない間に、ずいぶんと大人びられましたね。ますます美しくなられてまぶしいこと。さては恋でもなさっておられるのでしょうか」

「ま……」

 ユユ姫が恥ずかしそうに頬を染めてうつむく。多分今、私とクラルス公の気持ちはシンクロしている。こいつ、ウザいと。

 黙って立っているだけでも破壊力に満ちた美形のくせに、こんな気取ったセリフを口にするなんて、真剣にウザい。いやなんでクラルス公の気持ちがわかるかというと、はっきり表情にあらわれているからだ。うんうん、気持ちはよくわかる。ただでさえ外見で見劣りするのに、こんなところでも差をつけられて、そりゃウザいよね。お前はあっち行けって蹴飛ばしたくなるよね。

 ――ひょっとして、彼がずっと不機嫌そうにしていたのは、他の公王たちに比べて自分が見劣りすることを自覚し、コンプレックスを感じていたからではないだろうか。こんなところ本当は来たくなかったんだという声が聞こえるような気がした。

 なんだか親近感を覚えてしまう。他人と思えない。

 クラルス公本人が聞いたらきっと腹を立てるだろう失礼な感想を抱きつつ、私は素知らぬ顔で背景に徹していた。

 私が両公王と話をする必要はなかった。周りにはたくさん人がいて、会話は途切れることなく続いていく。私が割り込む余地はなかった。それにほっとする反面、何もしないでただこの場にいるだけでいいのかとうしろめたさも感じる。これでお仕事しているとは言えないよね。自分から積極的に話しかけるべきだろうか。でも邪魔になるとしか思えず、とてもそんな勇気は出せない。そもそも話したいこともないし。

 そのうち立ち疲れたユユ姫が、会話の輪から外れてソファに腰を下ろした。私とヘンナさんも彼女に従って人の輪から離れる。

「お疲れ。何か飲み物でももらってこようか」

 ここまで全然役に立っていないので、せめて彼女をねぎらってあげようと私は訊ねた。

「そうね、たしかに冷たいものがほしいけど……わたくしに遠慮しないで、お話してきていいのよ? カーメル様と、まだ全然お話していないでしょう」

「いい。特に話したくもないし、必要もなさそうだから」

 ちらりと見れば、どこぞのご婦人と談笑中である。ちょうど彼とお似合いな年頃の美女だ。お色気たっぷりな悩殺ボディに周囲の男の視線も釘づけだ。

 別にいいよね。接待役だなんてアルタは言ったけれど、多分半分も本気じゃないだろう。お呼びじゃない場所へ割り込んで話しかけても、場の空気を読めない迷惑な子供にしかならない。うん、私はおとなしく引っ込んでいるのが正解だ。

 自分に言い訳をしつつ、私は飲み物のあるテーブルを探して会場を歩いた。

 ハルト様たちから大分離れた場所でそれを見つけた。すぐそばにバルコニーの入り口がある。開け放たれた窓の向こうはかなり暗くなっていた。流れ込んでくる風がひんやりと冷たい。夏といっても朝晩は寒いくらいだ。長袖の上着を着てきてよかった。

 さて、どれがいいのかな。

 テーブルに用意された飲み物には、いくつか種類があった。全部お酒なのだろうか。ユユ姫ってお酒飲めるのかな。ここはソフトドリンクをチョイスするのが無難だろうと思うが、見ただけではわからない。

 私は給仕の人をつかまえて、アルコールの入っていないジュースを教えてもらった。持っていく前にその場で一杯飲ませてもらう。何かの果汁だろう、甘酸っぱい。おいしい。

 そうだ、せっかくだからスイーツもあるといいな。

 こういう場所なら軽食くらい用意されているはずだ。スイーツ、スイーツはないか。

 隣のテーブルを物色する。おつまみの中に一口サイズのケーキを発見した。取り皿を取って、乗せられるだけケーキを取っていく。いや、一人で食べるつもりじゃないよ? ちゃんとユユ姫にもあげますよ。別に私が食べたくて取っているわけじゃ……あるけれど。

 二人分ならお皿は二枚用意した方がいいかな。でもそれだと両手がふさがるから飲み物運べないし。うーん、もうちょっと乗せられるかな。

 せっせとケーキと格闘している私の耳に、どこかから女の子の声が聞こえてきた。

「見て、あれ。いやしいこと」

「まあ、あんなに取って。下品ですわねえ」

「あれが平民の作法なのかしら? 初めて知りましたわ」

「育ちは隠せませんわね」

 近くに立つ女の子たちだった。多分私と同じ年頃だろう。

 嘲笑を浮かべて私を見ながら、聞こえよがしに言っている。わざと笑い声を立てて、こちらを指差している。

 ……なんだか懐かしさを覚えてしまった。

 ああ、こんなだったなあ。日本で過ごした毎日が記憶によみがえる。ここしばらく思い出すことが少なくなっていたあの子のことを、久しぶりに思い出した。

 あんな風に意地の悪い顔で、私を馬鹿にしていたっけ。

 日本でさんざん鍛えられてきたから、今さら気にはならなかった。手にしたお皿を見て、たしかにちょっと欲張りすぎかなとは思ったが、まあいいやと開き直る。スイーツを口にできる貴重な機会だ。あんな連中を気にして我慢するのはもったいない。

 取り皿なんて使わずにケーキのお皿をそのまま持って行きたいくらいだ。さすがにそこまではしないけど。

「一体どういう子なの? なんであんな平民の子が、公王様やイリス様のおそばにいるのよ」

「拾われたとか聞きましたけど」

「どうしてそんな者がこの場にいるのかしら。よくも堂々としていられるものね。身の程をわきまえないあつかましい娘だこと」

「公王様やイリス様が甘いのをいいことに、つけ上がっているのだわ。ちゃんと、己の立場を教えてやるべきなのではなくて?」

「ですわよねえ。愚かな下民には、教育が必要ですわ」

 ……スーリヤ先生は、身分が絶対ではないって言っていた。貴族と平民の間にそれほど差はなく、身分で差別されるような社会ではないという話だったのにな。

 それでも身分を意識する人間は少なくないということか。建前と実情ってやつだね。身分制度なんてものがある以上、完全に差別をなくすことは不可能だろう。

 多分彼女たちはイリスのファンだな。非常にわかりやすい。こういう状況は予想していたから驚きはなかった。

 私をへこませてやろうとあれこれ言っているのだろうが、客観的に聞いて、彼女たちの性格の悪さをさらけ出す言葉の数々である。この場にいるのは私と彼女達だけではないのに、他の人にも聞こえるのに、そこは気にしていないのかな。

 あの子の方がずっと上手かったぞ。私を嫌って意地悪してはいたけれど、極力自分のイメージは落とさないよう上手く立ち回っていた。人目のあるところでは、あまりあからさまな真似はしなかった。

 一緒に悪口で盛り上がってくれる人ばかりだといいけどね。周囲の人がみんな、彼女たちに共感してくれればいいけどね。

「あのおかしな衣装。一体どこの国のものかしら? みっともないったらありませんわね」

「よくあんな格好で恥ずかしげもなく歩き回れるものね。わたくしなら、とても人前になど出られませんわ」

「あら、よいのではなくて? 宴を盛り上げる道化として、役に立ってくれそうよ」

「ここはそういう場ではありませんわ。他国の公王様がたをお迎えしているというのに、いやしい道化など不要ですわよ。かえって恥ですわ」

 ここまでベタだと笑いたくなってくるな。

 もうちょっとひねりの効いた嫌味は言えないものだろうか。たとえば――

「きらびやかな装いに似合わぬ卑しい心根も、恥ずかしいものですよ」

 するりと割り込んできた声に、私は一瞬反応できなかった。脳内で考えていたセリフを妄想で聞いたのかと思ってしまった。

 けれどそれは、低い男の声だった。しっとりと耳をくすぐる、フェロモンボイスだ。

「姿かたちだけでなく、内側も磨いてこそでしょう。他者を貶め、あざ笑うような真似をしていては、自身もまた笑われることになりますよ」

 突然現れた美貌の公王に、お嬢様たちは顔を真っ赤にしている。言っている内容はお説教なのだが、笑顔を浮かべてやんわりと優しい口調で言うものだから、果たしてちゃんと彼女たちの脳まで届いているかどうか。

「わたくしの友人をあまり苛めないでください。心ない中傷にさらされている姿は胸が痛みます。せっかくの宴で、このように不粋な場面は見たくないものです」

 顔と口調は優しいけど、言葉だけを取るとけっこう遠慮なくずけずけ言っている。さすがにお嬢様たちも理解できたのか、気まずげに彼から視線を逸らした。

「ま……あの……」

「いえ、そのような……」

「し、失礼いたします」

 あたふたと逃げていく。最後までベタだった。

 もし私が彼女たちの立場なら、黙って逃げるなんてせずに反撃するなりフォローするなり、もうちょっとねばるぞ。どうせ悪役張るなら徹底的にやるべきだろう。中途半端はいけない。悪役を楽しむくらいでないと。

 私は最後の隙間にケーキを詰め込み、カーメル公を振り返った。色香を含んだまなざしとぶつかる。何事もなかったかのように、カーメル公はにこやかに私を見つめていた。

 接待はしなくていいかと思ったのに、向こうからやってきた。まあそれなら、お相手するしかない。今日はそのつもりで来たのだから、いやがったりはしない。

 でもつっこんでいいですかねえ。

 いつ、私とあなたは友達になったんでしょう?

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