花と策略
イリスの青い瞳が愕然と見開かれる。口は何かを言いかけたまま言葉を失い、むなしく開閉のみを繰り返す。
他のみんなも似たような反応だった。竜騎士団長アルタは頭を抱え、この世の終わりを嘆くがごとく大げさなジェスチャーで上をあおぐ。ハルト様は感心とも驚きともつかない顔をし、トトー君は珍しく感情もあらわに、心底悔しそうな息を深々と吐いた。
「すごいわぁ……」
横で見ていたユユ姫が私を称賛する。
「ティトって、やっぱり賢いのねえ」
「こういうのは、慣れと適性の問題」
「慣れはともかく、適性?」
「正直者ですぐ遠慮しちゃう気配り屋さんには不向き」
言いながら私はハルト様をチラ見する。今言った特徴を兼ね備えた王様は、まさしくいちばん弱かった。
「なるほど、つまりひねくれ者で容赦のない攻撃的な人間が強いわけね」
「そう言いながらこっちを見ない」
「あら、ティトが言ったのよ?」
「そういう言い方はしてない」
「でもそういう意味でしょう」
「……やってくれたな」
言い合う私たちの会話に、男のうめき声が割り込んだ。イリスが恨みをたっぷり込めた目で私をにらんでいた。
「狙ってたな……この機会を狙って、手控えしてたんだな。こっちを油断させるために、わざと負けてたんだろう」
「ちがう」
私は否定した。
「狙ったのはもっと前段階から。こういう遊びには賭け事がつきものだから、流れを向けてやれば言い出すだろうと思って。ほとんど最初から狙ってた」
「悪魔かお前は!」
「この程度でそんなこと言ってるようじゃ、負けて当然」
「この……っ」
イリスは握りしめた拳をぷるぷる震わせる。ハルト様が力なく息をついた。
「……そもそも、チトセに勝負を持ちかけたのが間違いだったというわけだな」
そのとおり。今頃気づいても遅いです。
私は男どもに、にっこりと微笑みかけた。
「そんなわけでみなさん、約束のものをよろしく」
そもそもの始まりは、私が退屈を訴えたことだった。
療養生活もひと月近くに及ぶと、何もせず寝てばかりな毎日が苦痛になってくる。傷は着実に癒え、もう発熱もしないし痛むことも少なくなった。あまりの退屈に耐えかねて散歩に行きたいと言っても、まだだめだと即座に却下される。少しくらいは歩いてもいいんじゃないかと思うけどな。リハビリだって必要だろう。やたらと大事にしすぎていたら、逆に後遺症が残りそうな気がする。
「だったらせめて、ここで勉強させてください」
訴える私に、ハルト様もイリスも難しい顔で首を振った。
「療養って言葉の意味わかってるか? なんでそう無理したがるんだよ」
「この状況で勉強しても無理じゃないでしょう。脚以外はもう全部治ってるんだから」
「だが身体は弱っている。あまり負担をかけるのはよくない」
「怪我したばかりの頃ならともかく、毎日ひたすら寝て食べての生活でとうに回復しています」
「寝て食べてって言うけど、ろくに食べないじゃないか。以前よりさらに食べなくなっただろう」
「それは動かないから。寝てばかりで食欲がわくわけないじゃない」
交互に口を開くイリスとハルト様に対抗するが、彼らはなかなかいい顔をしてくれない。本当にもう、私をどんな虚弱人間だと思っているのだ。怪我をした以外は健康そのもの、元気盛りの十代なのに。
しかし私はぐっとこらえて苛立ちを押し隠し、彼らの情に訴える策に出た。
「心配してくださるのはうれしいんですけど、もう毎日が辛くてつらくて……ここではテレビもパソコンもスマホもないし、ゲームも漫画もラノベも同人誌もないし。何もできずにただ時間が過ぎるのを待つだけなんて、ほとんど拷問です。唯一ここでできるのが勉強なのに、それすらも許してもらえなかったら、どうしたらいいのか……」
「む……ううむ」
泣きそうな顔でうつむいてみせれば、案の定ハルト様が揺らいだ。よし、この線で押せばいける!
じっさい言ったとおりなのだ。日本の病院ならテレビもあるし売店に新聞や雑誌も置いてある。家族に頼んでいろいろ持ってきてもらうこともできる。だがここには何もない。本当にやることが何一つないのだ。
十日も二十日も寝て食べる以外何もしない生活なんて、たいていの人間が耐えられないだろう。のんびりダラダラとグータラ生活を楽しめるのは、せいぜい三日くらいまでだ。それ以上になってくると暇を持て余す。
今ここにゲームがあったなら。それなら私は勉強したいなんて言わない。悪魔を仲魔にしまくりゾンビをなぎ倒しカナンの地を目指して異議ありと叫んで天下を統一し龍神の神子になって八葉お持ち帰りし新撰組では鬼と羅刹の秘密を知り皮肉屋で意地悪な皇都随一の陰陽師を恋に叩き落としてやる。
――最後のは世間的にはドマイナーゲームだったのだけど、私は気に入っていた。続編が出るとか出ないとか、結局どうなったんだろう。出るならやりたかったなあ。
「テレビとかスマホとかよくわからないけど……ゲームくらいなら、まあ」
イリスのつぶやきに、私はがばっと顔を上げた。
「あるの!?」
食いつく私にイリスは苦笑した。
「お姫様のお気に召すかどうかわからないけどな」
そう言って彼が持ってきたのは、トランプに似たカードだった。
……うん、そうだよね。テレビゲームが出てくるわけないよね。き、期待なんかしていなかったよ。このファンタジー世界にそんなもん、あったらびっくりするからね!
まあ、これはこれで楽しめるか。うん、悪くない。
初めは私とイリスとハルト様、それからユユ姫の四人で遊んでいた。ルールを教えてもらい、対戦しながら覚えていく。そのうちトトー君とアルタ団長が連れ立ってやってきた。ところでみなさん、お仕事大丈夫なんですか。王様と騎士団の幹部たちが勢揃いして、今頃職場はどうなっているんだろう。
「おっ、面白いことやってるじゃないか! 俺も入れてくれ!」
カードを見るなりアルタ団長が声を張り上げた。いつ見てもテンションの高い人だ。三十路も半ばなのに、子供みたいにはしゃいでいる。
ユユ姫と交代して彼はゲームに加わった。今やっているのは四人で遊ぶゲームなので、人数が増えると見物に回る人が出てくる。
まず最初に四人でカードを分けて持ち、一枚ずつ出していく。カードの種類によって強弱があり、負けると出されたカードを全部引き取らなければならない。大半は取っても問題ないが、ある種のカードには点数があって引き取るとその分の点が自分につく。最終的にいちばん得点の多い人が負け、というルールだ。さらに一枚、いわゆるババがあって、このカード一枚で大きな得点を取ってしまう。つまりは、できるだけカードを取らないように、得点を低く抑えるというゲームだ。
ルールは単純だが、なかなか盛り上がるゲームだ。手持ちの札の中からどれをどのタイミングで出すか、その駆け引きが重要になる。
ユユ姫が記録係になり、新メンバーで一回対戦した。結果、勝者はイリス、二位がアルタ団長、次が私でハルト様はビリだ。
「こういうの、騎士団でやってるの?」
戻したカードを混ぜながら私は訊ねた。騎士たちはにこにこしながらうなずいた。
「ああ、よくやってるよ」
「飲みに行ったら大抵始まるよなあ」
イリスの言葉に続いてアルタ団長が言う。
ふーん……。
「飲むついでにね。なんか、賭博くさいわね」
「は、ははは、いや男同士の親睦だよ、お嬢ちゃん!」
無意味に大笑いする団長からイリスへと視線を移せば、彼も微妙に目をそらしつつ言い訳した。
「いや、まあ……それほど大金は賭けないよ。騎士団の風紀は特に乱れていないから、大丈夫」
「ふーん」
「……なんだよ」
「別に? それでイリスは強いのねって思っただけ」
「だから本当に、問題になるほどの賭けはしてないぞ。僕よりトトーの方が強いしな」
「そうなの」
横で見物しているトトー君を見る。たしかに、このポーカーフェイスは強みかもしれない。彼もゲームには興味があるようで、私たちの対戦をじっと見ていた。
次に勝ったのは団長だった。二位がイリスで三位私、またハルト様がビリ。
「ふむ。ただ対戦するだけというのもつまらんな。どうだろう、ここでも何か賭けんか?」
最初に言いだしたのは団長だった。イリスはハルト様を気にして言い返す。
「賭けって、今はそういうのしなくても」
「金を賭けるとは言っておらん。たとえばだな……俺が勝ったら嬢ちゃんのくちづけをいただくとか!」
「ハルト様、ここに変質者がいます」
「あっ、違うって、ほっぺたでいいから! 汚いもの見る目を向けないで! ハルト様までそんな目で見ないでくださいぃっ!」
お金以外を賭けると聞いて、イリスもその気になったようだ。
「そうか、そういうのなら……うん、じゃあ僕が勝ったら歌を聞かせてもらおうかな」
言い出したか。私は半眼で彼を見る。
「しつこいわね」
「いいじゃないか。カーメル公には聞かせて僕らには聞かせてくれないだなんて、けちくさいぞ」
「聞かせたわけじゃない。勝手に聞かれただけ」
「やっぱり女の子は顔のいい男が好きなのかなあ。そりゃあカーメル公の美貌には誰もかなわないよなあ。そっかあ、ああいうのが好みかあ」
「……自分だって女顔のくせに」
「何か言ったかな?」
「私ばっかり条件つきつけられて不利じゃない。そんな不公平な賭け、乗れないわ」
むくれて言い返せば、彼はそれもそうかとうなずいた。
「じゃあ、ティトが勝ったら僕ら全員が君の希望を聞くってことでどうだい?」
「……こっちは初心者よ。そんな簡単に勝てるわけないじゃない」
「十回勝負にしよう。十回対戦して、総合得点で判定すればいい。ティトは覚えが早いし、もうコツもつかんできてるみたいだし、十回も対戦すれば大丈夫だろ」
「…………」
一回あたりの対戦にかかる時間は短い。十回勝負といっても、それほど長くはかからない。イリスの提案は妥当なラインだった。
私は少し考えた後、上目使いに彼を見た。
「私が勝ったら、本当に言うこと聞いてくれる?」
「いいとも」
「じゃ、女装して」
「――おい」
「ていうのは冗談だけど」
イリスなら似合いそうな気がするが、そんな条件をつけても私には何の得もない。どうせなら収穫を得なくては。
「私の所から持っていった勉強道具一式、返して」
「……それなら、まあいいか」
「それと今後一切、歌のことは言わないで」
「そんなに嫌か!?」
私はイリスを無視してハルト様に向き直った。
「私が勝ったらどこかに遊びに連れていってください」
「なに?」
ハルト様は目を丸くした。
「チトセがそのようなことを言うとは……はじめてのおねだりだな。よかろう、連れて行ってやるとも」
やけにうれしそうな反応が返ってきた。賭けにしなくても聞いてもらえたかな。私はこっそりユユ姫のようすをうかがいつつ、釘を刺す。
「怪我が完治してからじゃなく、すぐにですよ」
「む……いや、それは」
「遠くじゃなくてもいいです。お城の中でもいいです。きれいな花とか咲いてて、静かで雰囲気の素敵なところ」
「……まあ、行き帰りは抱いて行けばよいか……」
ええそれでも結構ですよ。ただしハルト様に抱っこしてくださいとはお願いしませんけどね。
私は最後に団長を見た。この人には何を頼もうか。イリスやハルト様と違って、交渉したいことは特にないしな。
「アルタさんは……」
「そんな他人行儀な呼び方はよしてくれ。愛をこめてアルタと呼んでくれればいい」
「……(ウザさをこめて)アルタはお菓子をくれますか? 甘いお菓子をたくさん」
「お菓子? そんなものでいいのか?」
アルタはきょとんとした顔になる。真面目にしていれば迫力系の美男子なのに、雰囲気も表情も三枚目なものだから全然かっこいいと思えない。印象は人なつこいライオンだ。
「いいともー、甘いお菓子を山ほど――」
「待った!」
「ならん!」
「だめよアルタ!」
「山じゃなく粒で」
言いかけたアルタに、他の四人が一斉に反論した。トトー君まで……しかも粒って何だ。
アルタはまたきょとんとして周囲を見回す。
「なんですかな?」
「チトセに菓子は当分禁止だ」
ハルト様が難しい顔で言う。
「何か問題でも?」
「問題大ありだよ。ただでさえ食が細いのに、お菓子なんか食べたら余計食事を採らなくなっちまう」
私はイリスをにらんだ。
「私は普通に食べてる。こっちの人が私から見ると食べ過ぎるの」
「そう言いながらお菓子は食べるんだろ。わがままにしか聞こえないよ」
「甘いものは別腹なの」
「別の腹を持ってるならそっちにも栄養詰めとけ」
――これだから。
最近、食事に関してハルト様たちの指導が厳しい。ちゃんとおなかいっぱい食べている、必要なだけ摂取していると言っても信じてもらえない。
……そりゃあ、嫌いな肉や魚は食べないけれど。だって肉は重くて胸焼けするし、魚は食べるの面倒なんだもん。小骨が多くていらいらするし、皮や目は気持ち悪いし。かまぼこやはんぺんみたいなものがあればよかったんだけどね。
食事のたびにうるさくチェックが入り、そのせいでよけいに食事が面倒になってきた。体調不良を口実にお粥しか食べずにいたら、お菓子を全く食べさせてもらえなくなってしまった。お菓子が食べられるならご飯を食べろと言われるのだ。
居候の身でずうずうしく贅沢を望む気はないけれど、食べきれないほどのご飯をくれるのなら、お菓子だって少しくらいくれてもいいじゃないかと思ってしまう。私だって女の子、甘いものがほしいのだ。
私はアルタに目を戻した。切実な表情を作り、甘えてみせる。
「こんなふうに、話を聞いてもらえなくて……アルタならお願い聞いてくれますよね?」
ライオンの顔がでれーっとにやけた。
「よしよし、俺がおいしいお菓子を差し入れしてやろう」
「おい、アルタ」
文句を言いかけたイリスを引っ張り、少し離れた場所でこそこそとやり合う。
「賭けの条件だろ? 勝ったらって話だ。このくらい、いいじゃないか」
「それは、そうだけど……」
私に聞こえないよう話しているつもりなのだろうが、とにかく声が大きいから丸聞こえである。ハルト様もユユ姫もトトー君も、呆れた顔で彼らを見ていた。
「よーし! では各々のほしいものを賭けて、勝負を始めようか!」
「……トトー」
うきうきと宣言するアルタとは反対に、ハルト様はうかない顔でトトー君を呼んだ。
「交代してくれ。私は抜ける」
「ハルト様」
席を立つ彼に抗議の声を上げると、苦笑とともになだめられた。
「ああ、大丈夫だ。遊びには連れて行ってやる。それは賭けとは関係なく約束しよう。ただその、私はこういう勝負には弱いのでな。参加しても結果は見えている。トトーが入った方が盛り上がるだろう」
……つまり、私の勝率を落としたいわけですね。そんなに私にお菓子を食べさせたくないのか。
むっつりと口をとがらせる私から目をそらし、ハルト様はトトー君と交代した。
「じゃあ、トトーは何を賭けるんだ? ティトに何か頼みたいことあるか?」
「えー……何だろう」
イリスに聞かれてトトー君は首をかしげた。
私もトトー君に頼みたいことって、特に思いつかないな。
……でもないか。
「怪我が完治したら街を見に行きたいんだけど、トトー君つきあってくれる? 案内と護衛をお願い。ついでにお昼ご飯おごって」
「……それ、この前の時に言ってほしかったよ」
ツッコミを入れつつも、トトー君は了承してくれた。これで変質者対策は大丈夫。ついでにトトー君とちょっとは親睦を図れるかも。
なんでトトーに頼むんだと文句を言うイリスはやはり無視した。トトー君からの要求は、私の国の話を聞かせるということだった。賭けにしなくてもいいような内容で、私に異存はない。なりゆきで参加しただけだから、トトー君は賭けの部分には興味なさそうだった。このようすだと普通に頼んでも一緒に出かけてくれたのだろうか。
――かくして、熱い勝負が始まった。
配られたカードを確認し、お互いをさり気なく観察し合う。みんな気合が入っている。なぜ騎士たちが賭けを好むのか、よくわかった。ただ遊ぶよりも勝負に熱がこもる。
一回目の対戦は、トトー君が一位、イリスが二位、以下アルタ、私と続いた。
「ぬう、やはりトトーは強いな」
アルタがぼやく。このゲーム、いいカードが回ってくるかどうかの運も大きく関係するが、手の内を悟られないようなポーカーフェイスも必要だ。イリスやアルタはそこがちょっと下手である。表情を隠しているつもりなのだろうが、トトー君に比べると読みやすい。
こんなふうに、私たちは対戦を重ねた。順位は上位だけが入れ替わり、私がずっと最下位なままだったが、点数自体はいい勝負だった。それほど差はない。全員が同じくらいの点数を取っている。
なにせ、私はババをほとんど引かないからね。一度だけ引いたけれど、それ以外はうまくかわした。ちまちまと得点を重ねて最下位になっているものの、大負けはしていない。
「けっこういい勝負よ。これなら逆転も可能だわ。頑張って、ティト」
得点を記録しながらユユ姫が応援してくれた。お菓子には反対しても、それ以外では私の味方になってくれるらしい。
もちろん、頑張るとも。私の腕の見せ所だ。
逆転可能範囲を保ちつつ、私は機会を待っていた。そしてそれは十回目、最後の対戦で訪れた。
配られたカードを開いた途端、私は内心で来た!と叫んだ。もちろん顔には一切出さず。
対戦の最初に、まず札を三枚交換する。今回私が出す相手はイリス、出されるのはアルタだ。これもいい条件だった。アルタは悪い札はさっさと手放す癖があるから、きっと弱いのが回ってくるだろう。
札を交換し合うとイリスはちょっと変な顔をした。気づかれただろうかとひやりとしたが、アルタから回ってきたカードを見て大丈夫と安心する。予想通り弱い札ばかり。しかもババまで入っている。
――これならいける。
私は内心でほくそ笑みつつ、勝負を始めた。
最後の対戦とあって全員さらに気合が入っていた。得点はほぼ横並びだから、誰が勝つかわからない。この対戦で結果が決まる。
互いの出方をうかがいつつ札を出していく。私は慎重に出された札を確認していった。あれが出た。あれも出た。あとあれが出れば……よし、出た。
私が持っている以外の弱い札はおおむね吐き出された。いよいよ、勝負を仕掛ける時だ。
私は満を持してババを出した。男どもの顔があからさまに輝いた。
「あらら」
イリスがうれしそうに声を上げる。出された札はどれも強く、ババは私が引くしかない。一気に大量得点が流れ込んできた。
「ああ……」
ユユ姫が残念そうな声を上げた。この瞬間、私の負けを全員が確信しただろう。
――ところが、どっこい。
続けて札を出していく。どれもこれも弱い札ばかりだ。どんどん私に札が集まり、得点を積み重ねていく。
「最後の最後で運が悪かったな」
イリスが同情半分に笑う。そう、最初にどのカードが配られるか、そこはもう運の問題だ。多少悪い札が混じっていても作戦次第で勝てるが、あまりに悪すぎると負けがほぼ確実になる。
――ただし、あるひとつの例外を除いて。
こんなことを言って笑うということは、彼は私の思惑に気付いていないらしい。最初になぜあのカードを回したのか、もっと深く考えればここで気付けただろうに。
私はあえて強い札を手放した。もともと弱い札が集まっていたから、アルタから回ってきた札も合わせると手持ちはほとんど弱い札ばかりになった。
それこそが狙いだった。
真っ先に気付いたのはトトー君だった。次の札を出し合った時点で彼は舌打ちをした。でももう遅い。今さら気づいても防ぐ手段はない。
さらに私は札を引きまくった。私が持っているのより弱い札はもう残っていないから、何をどう出そうと全部私が引くことになる。さすがにイリスとアルタも気付いた。それぞれに「あっ」とか「しまった」とか言っている。最後の一枚を出し終えた時点で、彼らはがっくりとうなだれた。
「すごい……ティト、『龍の眼』よ」
私が取った、すべての点数カードを見てユユ姫が言った。
ババおよび点数つきのカードを全部引いて最大得点を獲得すると、引いた当人の得点はゼロになり対戦者全員に最大得点が付加されるというルールがある。このゲームにおける一発逆転の奥義、それが「龍の眼」だ。
弱い札ばかりが集まるのはむしろチャンスなのである。大勝利につながるのだから。
「……やってくれたな」
イリスがうめいた。
「狙ってたな……この機会を狙って、手控えしてたんだな。こっちを油断させるために、わざと負けてたんだろう」
「ちがう」
私は否定した。
「狙ったのはもっと前段階から。こういう遊びには賭け事がつきものだから、流れを向けてやれば言い出すだろうと思って。ほとんど最初から狙ってた」
手控えしたのもわざと負けたのも事実だが、狙ったのは賭けを始める前からだ。なかなか許可の出ない散歩、返してもらえない勉強道具。それらをもぎとるために、話題が賭けに流れるように仕向けた。イリスが歌を聞きたがっていることも承知していたから、きっと言い出すだろうと思ったのだ。
「悪魔かお前は!」
「この程度でそんなこと言ってるようじゃ、負けて当然」
「この……っ」
イリスは握りしめた拳をぷるぷる震わせる。勝てると思い込んで余裕の態度を取ってきたものだから、いいざまだ。こちとらコンピュータ相手に対戦を重ねてきたゲーマーだ。私に簡単に勝てるなんて思わないでほしい。お正月に親戚で集まると、いとこ同士でよくゲームをしたものだが、私は最強女王の称号を贈られていた。
「ねえ、もしかして、ずっといい勝負が続いていたのもティトの作戦だったの?」
ユユ姫の質問に私はうなずいた。
「最初から勝ちまくると警戒されてやりにくくなるから。いつでも逆転可能な範囲で負けておくことがポイントなの」
「それって、得点を操作したってことよね? どうやって」
「このゲーム、なるべくババを引かずに点を取らないっていうのが表のコツだけど、裏返せばいかにして相手にババを引かせるかってことにもなる」
「……うむ」
ハルト様がうなずく。
「他の点数カードも同様。引かせたい相手に行くように仕向けるのがコツなの。全員の得点を確認しながら、リードしてる人がいたらそこに点数を叩き込む。ババが回ってきてもむやみに放り出さないで、場合によっては確保しておいた方がいい。狙い撃ちがしやすくなるから」
「なるほどねえ……」
ユユ姫は素直に感心している。他の男どもは苦い顔だ。
「……そもそも、チトセに勝負を持ちかけたのが間違いだったというわけだな」
ハルト様が息をついた。おっしゃる通り、それが彼らのいちばんの失敗だ。
私は男どもに、にっこりと微笑みかけた。
「そんなわけでみなさん、約束のものをよろしく」
うめき声とため息が返ってくる。こうして、私はいくつもの戦利品を手に入れたのだった。
連れて来られた宮殿の奥庭には、季節の花が咲き乱れていた。
甘い芳香があたりに漂っている。花に惹かれた蝶が何匹も、ひらひらと飛んでいた。
「ちょっと疲れました。ここで休憩しています」
私は言って、そばのベンチに腰かけた。
「そうか。では……」
「向こうの花、きれいな色ですね。少しもらって帰ってもいいですか?」
「ん? ああ、それなら切らせよう」
私が指差す方をハルト様は見る。遠くに鮮やかなローズピンクが見えていた。
私はユユ姫に言った。
「ユユ姫、取ってきてくれる?」
「え? ええ……」
「ユユ姫ひとりじゃ歩くの大変でしょうから、ハルト様も行ってくださいね」
「……ああ」
指名を受けた二人は顔を見合わせ、花の咲く方へ歩き出した。肩越しに振り返ったユユ姫が、照れた顔で私をにらむ。私は手を振って送り出した。
「ちょっとあからさますぎやしないか」
イリスが言った。私は気にしなかった。彼もアルタもトトー君も、ユユ姫のお供に立候補せずこの場に残ったのだから共犯だ。
「このくらい、いいでしょ」
「ふたりで歩くくらい、珍しくないよ……あれで進展するとは思えないけど」
トトー君が近くに咲く花を一輪折り取って、私に渡してくれた。花を欲しがったのは単なる口実なのだけれど、まあ受け取っておこう。淡いブルーのこれもきれいだ。
「小さなことの積み重ねも大事だと思うわ。それに進展がなくたって、ユユ姫には楽しい時間になると思う」
「姫には頑張っていただきたいものだな。お世継ぎはどうするのかと、重臣連中も頭を抱えている」
「あ、やっぱり世襲制なんですね」
私はアルタを見上げた。珍しく真面目な顔で腕を組んでいる。そうしていると騎士団長の肩書もふさわしい、立派な人に見える。
が、すぐにへらっと顔を崩してこちらを見るからだいなしだ。
「そうなんだよー。ユユ姫が結婚して子供ができたらその子を養子にもらうだなどと無茶をおっしゃってな。ご自分で産ませれば手っ取り早いのになあ」
「アルタ、言い方が露骨だよ」
イリスが脇を小突く。
「嬢ちゃんも姫の味方なんだよな? その頭脳、大いにあてにさせてもらうぞ」
アルタは真紅の大輪の花を選び、私に差し出した。きれいではあるが、自己主張の激しい花だ。他の花との取り合わせが難しそうだな。白の小花と合わせるか、それともグリーンと合わせるか。
「あんまりあれこれしない方がいいと思うけどな。ハルト様もユユ姫のことを意識してないわけじゃないと思うし……ただまあ、歳が離れすぎてるからなあ」
ハルト様たちを眺めながらイリスが言う。
「男の人にとって、歳の差って大きな問題?」
「うーん……まあ、そうだね」
こちらを振り向いた顔は、なんだか複雑そうだった。
「相手が若すぎるとさ、何か悪いことしてる気分になるんだよな」
「そうなの?」
「俺は気にせんぞ!」
「いやアルタはちょっとは気にしろって」
「別に歳なんてどうでもいいと思うけどな……」
「それはお前がまだ十代だからだよ。自分の歳を気にする必要がないからだ」
横から口を挟む上官と同僚にツッコミを入れつつ、イリスは続ける。
「ハルト様にしてみれば、十七歳も年下の女の子を、しかも親代わりな立場なのに、そういう目で見るなんて不道徳きわまりないって気分なんだろうな」
「そんなことを気にするということは、その気がまったくないってわけじゃないのよね。ユユ姫が気になるから、歳の差で悩むのよね」
「……多分ね」
あいまいにイリスはうなずく。アルタとトトー君も首をひねっている。ハルト様がユユ姫をどう思っているのか、誰もはっきりとした確信は持てないようだった。
私にもわからない。大切に想っていることは間違いないだろうが、それが恋愛感情なのか、あくまでも親心なのかが問題だ。
うまくいくといいんだけどな。こうやって見ていても、ふたりはお似合いだと思った。ハルト様はユユ姫のそばにぴたりと寄り添い、彼女がふらついたらすかさず支えている。そうこうするうち抱き上げてしまった。ここに来るまでも歩いてきたから、ユユ姫がそろそろ立っていられなくなったのだろう。
ユユ姫のことをよく理解していて、宝物のように大切にしているハルト様。そんな姿にさっさとくっついちまえ!と思ったのは私だけではないだろう。
「人のこともいいけどさ、ティト自身はどうなんだよ」
不意にイリスがこちらへ矛先を向けてきた。
「どうって?」
「カーメル公のこととか」
「……ここでなんでその名前が出てくるのかしら?」
私の声が低く、冷たくなった。男どもはそろってたじろいだ。
「いや、だってさ、向こうはティトのこと気に入ってたみたいだし」
「わざわざ見舞いまで送ってきたしな……」
「カーメル公かー、たしかにあの御方は女の子にもてそうだよなあ」
口々に言う三人を私はにらみ、黙らせた。
まったく、なんでそういちいちカーメル公を引き合いに出すのだ。不愉快きわまりない。
「基本的に男は嫌いだけど、あの人はもっと嫌いなの。今度言ったら本気で怒るわよ」
「はいはい」
イリスは肩をすくめた。
「男嫌いなのは感じてたけどさ、じゃあ僕らも嫌いかい?」
「……基本的にって言ったでしょ。嫌いじゃない人もいるわよ」
「僕は?」
言わせたいのか。どうあっても言わせたいんだな、その笑顔は。
私はそっぽを向いて答えなかった。イリスはくすくすと笑う。どうやって反撃してやろうかと考えていると、頭上から花が降ってきた。
ブルー、オレンジ、イエロー、ピンク。色とりどりの種類もごちゃまぜな花が、私の周囲にたくさん散らばった。
……これだから、こいつは。
最後に白い花を一輪、イリスは身をかがめて私に差し出した。
「どうぞ、気難しいお姫様」
私はその花を受け取り、ついでにおもいきりイリスの頭をはたいてやった。
いくらなんでも摘みすぎだろう。庭師さんに怒られるぞ。しかも適当に引きちぎって、ほとんど花の頭だけだったりする。持って帰って生けることもできないじゃないか。
この大雑把男が!
はたかれてもイリスは笑っていた。わかってないだろう。私が怒ったのは花の扱いが乱暴すぎるってことなんだからね。ムードもへったくれもない、がさつさが悪いんだからね。
けっして、絶対に、照れているわけじゃないんだからね!
***** 終 *****
作中のゲームは、Windowsアプリでおなじみのハーツを元にしました。