手紙
届けられた封筒には、拙い文字で書かれた短い手紙が収められていた。
子供が覚えたばかりの文字で一生懸命書いたような、上手とは言えないが微笑ましい内容だ。添えられたもう一通は彼女の保護者からで、文字を習い始めたばかりであることを書き添えてあった。
彼女と出会ったのは二ヶ月ほど前のことだ。読み書きができずロウシェンに着いてから習ったのだとすれば、短い期間によくぞこれだけと感心すべきだろう。しかも先日事件に巻き込まれ、大怪我を負って現在は療養中とのことだ。学習に充てられた時間はさらに短かったはずである。やはり、あの子は頭がいい。見舞いに贈った品も、彼女がどうするかと試す意図をひそませていたのだが、わずか一日で解いてしまったらしい。謎解き箱の中でもかなり難解な造りだったというのに、予想以上の結果である。
――はじめは、ごく普通の少女だと思っていた。
花の下で歌う姿を見つけた時には、可愛らしい子供だという印象しか受けなかった。不意に泣き出したのはなぜなのか、結局理由は聞かずじまいだったが、竜たちにあやされてすぐまた笑顔に戻り、楽しそうに歌っていた。子供の機嫌はころころと変わるものだ。大したことではないのだろうと、さほど気に留めなかった。
それよりも竜が彼女を慕い、機嫌を取ろうとしていることの方に驚いた。
竜は見た目に反して人になつく生き物だ。蛇や蜥蜴とは違う。しかし犬や馬のような獣とも違い、非常に気難しい。竜騎士はみずから竜の卵を獲りに行き、生まれた時から世話をして信頼関係を築いていく。そうしなければなつかせることはできない。育ってしまってからではどんなに頑張っても、竜をなつかせることはできないはずだった。
すでに大人になった竜をどうやって手なずけたのか、そこに強く興味を持った。
ロウシェンの動きに疑念と警戒を抱いていたところでもあったので、彼女は何者なのか、なぜロウシェン公が連れているのか調べてみようと手を出した。それが、はじまりだ。
結果から言えば、ロウシェンはよき隣人のままであり、脅威は島の外にあった。警戒はしていたつもりだったのに、いつのまにか策に乗せられかけていたのは我ながら痛恨だ。しかもそれを指摘したのが、あの小さな娘なのだから。
この島のことを何も知らないようすだったのに、あの娘は与えられた情報だけを元に状況を読み取り、危機の存在を知らせた。よもやこんな子供に教えられるとは思わなかったと、ほとんど呆れる気分だったものだ。
おまけにあの娘、手玉に取られたふりをして逆にこちらの思惑をさぐるという、したたかぶりまで発揮してくれた。末恐ろしい話である。あのまま成長して女としての魅力も備えるようになったら、大した悪女が出来上がるだろう。
もっとも、色香にはまだとんと縁がなさそうであったが。
思い出せば、くすりと笑いがこぼれた。演技をやめ本性を現した彼女は、面白いほどの男嫌いだった。誘惑をしかけてくるような男は死ぬほど嫌いだと、真正面から自分を非難してくれた。少女らしい潔癖さと、まだ恋を知らないがゆえのまっすぐさだ。すれた大人には気恥ずかしくも微笑ましい。
見た目よりは年長で実は十六歳だそうだが、精神年齢はもう少し低そうだ。あの年頃なら、そろそろ恋人を作って将来のことも考えだすものだろうに。
「……逆に、よいのかもしれませんね」
あの頭のよさは注目に値する。うまく指導して育てれば大化けしそうな予感がする。女だからといって軽視する気はなかった。才能のある者は、出自も年齢も性別も関係なく取り立てるべきだ。つまらぬことにこだわって有益な人材を捨てるなど、愚かな話だ。
遭難してシーリースに流れ着いたところをロウシェン公が助けたという話だったが、実に惜しい。見つけたのが自分だったならと思う。
ロウシェン公はおっとりと柔和な人物で、公王としてはいささか覇気に欠けるところがある。かならずしも見た目どおりというわけではないが、万事控えめで人がよい。それゆえ人には好かれる。彼の周囲の傑物たちは、心から主君を愛し忠誠を捧げることに誇りと喜びを抱いている。それこそが彼の公王の持つ才覚だろう。上に立つ者は、必ずしも自身が非凡な才を発揮する必要はない。そういった人材を集め上手く使うことこそが、王に必要な才覚だ。ロウシェン公はそれを持っている。
あの少女もきっと、彼の信奉者になってしまうことだろう。大切そうに、まるでわが子を見守るようだった彼のようすを見ていれば、そうなることは容易に想像できた。
少々、面白くない。
彼女はこちらにほしい。自分の手で優秀な人材に育て上げ、リヴェロのために使いたい。
なにより彼女自身を気に入った。頭のよさも、この自分に真っ向から挑みかかる度胸も、それでいて引くべきと判じればあっさり引き下がるいさぎよさも、媚を売ることなく憎まれ口を叩いてくる子供っぽさも、負けん気の強そうなところも、ぜんぶ面白い。
彼女はロウシェンの生まれではないのだから、遠慮する必要はないはずだ。たまたま見つけて保護したのがロウシェン公だからといって、彼に所有権があるわけではない。
一歩も二歩も出遅れた状況を考えれば、あの幼さはむしろ好都合だった。男嫌いなのも結構。たやすく周囲の男に惹かれることはないというわけだ。それぞれに魅力的なロウシェンの騎士たちを思えば、彼女の幼い潔癖さは実にありがたい。
ロウシェン公の人柄に対抗するには、やはり色仕掛けしかないだろう。前回は相手をあなどっていたせいもあって嫌われたままで終わったが、その気でとりかかれば籠絡してみせる自信はある。
そこまで考えて、ふと自分におかしさを覚えた。あんな小さな娘相手に本気で口説きにかかろうとしているとは。
三十も目前になった身であるから、それなりに色恋沙汰も経験してきた。遊びと割り切ってそれ以上を望まない女とならば楽しませてもらっている。ただ、そういう相手は残念なことに少ない。大抵の女は自分が公王であることを意識し、妃の座を期待する。初めは遊びのつもりだったはずが、途中で本気になることも珍しくない。相手を選ぶのが、なかなか難しいのだ。
ここしばらくは遊びの恋ともご無沙汰だった。久しぶりにその気を起こしたと思えば、相手は幼い少女とは。いささか不道徳だろうか。だが十六歳ならば、まったくの子供というわけではない。いくら見た目が幼いからといって、犯罪者扱いされるほどではないはずだが。
――いや、不道徳もいっそよいか。考え直し、ひとり微笑う。
幼い娘に一から恋を教え、大人に育てるのもまた一興だ。優秀な部下として、また可愛らしい愛人としてそばに置けばよい。想像してみると楽しかった。
潔癖に男を拒絶する少女が相手だ、これまでとは勝手が違う。あからさまに迫っては反発されるだけだろう。といって、あざとい策を仕掛けても彼女は見抜いてしまいそうだ。考えてみると、なかなかの難敵だった。
おもしろい。
久々に心躍る気分だった。あの難しい娘をいかにして攻略するか、策を練るのは楽しい作業だ。
次の定例会談まで、あとひと月。会場であるロウシェンへ赴けば、彼女と再会できるだろう。
「楽しみなこと……」
手紙を封筒に戻し、引き出しにしまう。側近が次の書類を持って入ってきた。頭を仕事に切り替えつつ、まだ少しだけ少女のことを思う。
まずは基本に従い、手土産で機嫌を取るところから始めよう。高価な品よりも甘い菓子がいいだろう。おそろしく小食な娘であったが甘いものには目がないようで、菓子を前にした時だけは素直に喜んでいた。色気より食い気なところがおもしろく、可愛らしい。
それから、どう口説くか。
「ご機嫌がよろしいようですね。何かよいことでもございましたか?」
側近が聞いてきた。楽しい計画を考えているうちに、つい顔が笑っていたらしい。
「これからある予定ですよ」
「これから、でございますか」
「ええ。小鳥をどうやってなつかせるかと考えていました」
「それはやはり、餌付けしかないのでは」
聞いた途端、軽く吹き出してしまった。側近は目を丸くする。
「何か、おかしなことを申しましたでしょうか」
「いいえ……わたくしも同じことを考えていたからですよ」
肩を揺らしながら答えれば、側近は怪訝そうに首をひねる。それがおかしくて、さらに笑いがこみあげてしまった。
気難しくて、可愛らしい小鳥。なんとしてもなつかせてみせる。
この手から餌をついばむようになるほどに。
***** 終 *****