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明日天気になったなら  作者: 桃 春花
第二部 はじめての友
22/130

11



 ユユ姫から話を聞いたばかりだったから、翌日またハルト様がイリスとともに訪れた時、私は内心複雑な気分だった。

 彼の傷を知ったからって私が態度を変える必要はない。変に意識しすぎるのもよくないと思う。

 でもまったく何も気にしないでいるのも、また違う気がする。

 私はどんな考えでいればいいんだろうな。

「どうだ、具合は」

 穏やかに優しい笑顔でハルト様は訊ねる。彼はいつも私や周りの人を気づかってくれる。悲しみを抱えているだなんて感じさせない。おっとりしていても、芯はとても強い人なのだろう。

「大分いいです。熱も出なくなったし、そろそろ寝てばかりいるのが辛くなってきました」

「まだだ。少し落ち着いただけだ。治ったわけではないのだから、無理をしてはならぬぞ」

「無理する気はないですけど、一日中ひたすらぼーっとしているのがもったいなくて……この間に勉強ができたらなって思うんですけど」

「チトセ」

「ベッドに寝たままでも勉強はできます。身体に負担はかけません」

 ハルト様は息を吐いた。

「根を詰めるのは身体に毒だ。今は弱っているのだから、そういうことも控えねばならん」

「でも本当に、時間がもったいなくて。それにせっかく覚えたことを忘れてしまいそうで。復習だけでも少しずつしておきたいんですけど」

 私のノートを取り上げたまま、いまだ返却してくれないイリスを見る。彼も難しい顔をして首を振った。

「ティトは前科があるからな。信用できないよ」

「前科って」

「結局無理しすぎで熱を出しただろ。それに具合が悪くても怪我してても言わないし。君の約束は信用できないんだよ」

 きっぱり言われて私はむっとなった。そんなふうに決めつけられてしまっては話にならないではないか。

「だったら、監視でもさせたら」

「あのなあ」

「待ちなさい」

 言い合う私たちの間にハルト様が割って入った。ハルト様は私を深いまなざしで見つめて言う。

「チトセ、なぜそう急ぎたがる? そなたはこの世界のことを学び始めたばかりの、赤子のようなものだ。短い時間ですべてを習得しようなどと考える必要はないし、それは愚かな考えでもある。もっとゆっくり、無理のない進み方でよいだろう」

「でも赤ちゃんが大人になるほどの時間はかけられません。私はもう小さい子じゃないんだから、独り立ちできるようにならないと。そのための努力をしたらいけないんですか」

「……ここが、嫌いか?」

 思ってもみないことを聞かれて、胸が音を立てた。今、また何か間違えた気がした。

「……そんなつもりはありません」

「そのように聞こえる。違うのならば、なぜ急いで一人になりたがる」

「……そうじゃ、なくて……」

 懸命に頭を働かせる。何を間違えた? 何を伝えないといけない?

「嫌いだからじゃなくて……迷惑を、かけたくなくて」

「誰かがそなたを迷惑だと言ったか? 早く出ていけと言ったか? もしそのような者がいたのなら、誰なのか言いなさい」

 ハルト様の表情が怖いほどに厳しい。私は急いで頭を振った。

「違います。誰も言ってません。そんな人いません」

「言わずとも、そなたにそう思わせた者がいるのだろう」

「いません!」

 違う、違う、ちがう。

 そうじゃない。人に言われたから、仕向けられたからではない。ただ、私が――

「私が……そう、思っただけで……」

 頭にあたたかな重みがかかった。ハルト様が、ゆっくりと私の髪をなでる。

「そうだ。迷惑だと、そう考えているのはそなた自身だ。周りを見ず、自分で決めつけた考えだけで物事を量ろうとしている。それを改めよと言ったはずだな」

「……ごめんなさい」

 大きな手はそのまま背中に回され、軽く叩いた。私のそばへ座り直し、抱き寄せる。ごめん、ユユ姫。今だけ許して。この人の優しさがどうしようもなくうれしくて、あたたかい胸に頼りたくなってしまう。

「急がずともよい。急いでくれるな。そんなにさっさとここからいなくなられては、寂しいではないか」

 どうしてこんなに優しくなれるのだろう。全然関係のない、偶然拾っただけの子供に、なぜここまで優しくなれるのだろう。

 それを不思議に思ってしまう私の方が間違っているのだろうか。

「ごめんなさい……いなくなりたいんじゃないです。みんなのこと、好きです。ここは、好きです。でも、いつまでも甘えてちゃいけないと思って……私は誰の家族でも友達でもないから、ここにずっといることはできないし……」

「それならば、これから家族にも友にもなればよいだろう」

 ハルト様の言葉は明快だった。私が悩む壁を、彼はあっさりと取り払ってしまう。

「考えていたのだがな……チトセ、私の子にならぬか?」

「……え?」

 一瞬言われたことの意味がわからず、やがてそれが頭に浸透してくると、困惑は驚きにとって代わられた。

「働くだけが選択肢ではなかろう。むろん、そなたくらいの歳で働いている者はいくらでもいるし、無駄に甘やかしたくて言っているわけではない。だが、そなたを放り出す気にはなれぬのだ。賢いようで、いろいろと不安もある子だからな」

「…………」

「それにな、私はそなたが好きだ。欠点も多いが、良い所もたくさん持っている。辛くても愚痴を言わず、ひたすらに頑張ろうとする強さがあり、人の助けは期待できぬと言いながら自らは無条件に人を助ける。己を危険にさらしてまでな。そうすることが当然だと考えて、誇示することもせず、見返りも求めない。一歩間違えれば欠点にもなりかねない、あやうさではあるがな」

 あたたかなグレーの瞳が、優しい笑いを浮かべてすぐ近くから私をのぞき込んできた。

「すぐに間違った考えにはまりこむ悪い癖があるが、間違いだと気づけば素直に認めて改めようとする。謝罪することもいとわない。潔く、誠実で、真摯な態度だ。簡単なようで、これを実行するのは難しいものだ。どうだ? これだけよいところを持っている者が、人から好かれても不思議はあるまい。迷惑になど思われるはずがないだろう」

「…………」

 何か、とんでもなくほめられた気がする。いや、そんなのありえない。私はそんないい子じゃない。ハルト様は大きな勘違いをしているのではないだろうか。

 不安になってイリスを見たが、彼は笑顔を返すだけで何も言ってはくれなかった。

「家族を忘れよと言うのではない。故郷の親御殿にかわって、私がそなたを守り導く役を引き受けたいのだ」

「でも……」

「私にはな、息子がいた」

 告白に、私は言いかけた言葉を飲み込む。

「たった五歳で逝ってしまってな。妻も失い、私ひとりが残された。周りは再婚を勧めるが、とてもそんな気にはなれん。だが、たしかに一人というのは寂しいものだ。そう思っていたら、イリスがそなたを見つけ、私の元へ連れてきた。これはひとつの縁だろう。親とはぐれた子と、子を亡くした親と。縁が私たちをめぐり合わせた。なあ、チトセ。私の家族になってくれぬか? ここにずっといておくれ」

「…………」

 家族に。ここに、ずっと。

 その言葉がどれほど私を揺さぶっただろう。感激というよく聞く言葉の意味を、生まれて初めて理解する思いだった。涙が出そうなほどにうれしくて、胸がいっぱいになって――けれど、私は何も言えなかった。

 うなずくこともできず、ただ困惑してハルト様を見上げるばかりだ。

 ハルト様は淡く苦笑した。

「いますぐ答を出さずともよい。よく考えて、そなたの望む答を見つけなさい。ただ、道はひとつではない。そなた次第であらゆる道を選ぶことができるのだと、それを覚えておきなさい」

 かけられた言葉を一言一句かみしめて、飲み込んで、私なりに一生懸命考える。でもやっぱり、どんな顔をすればいいのかすらわからなかった。

 ハルト様が帰った後、私は部屋に残ったイリスを見た。彼にどうしよう、と言いかけて思いとどまる。人に決断をゆだねるべき問題ではなかった。私が考えて、私が決めないといけないのだ。でも本当に、どうしよう。

「ものすごく悩んでるな。そんなに難しいか?」

 しばらく私を観察していたイリスは、苦笑しながら訊ねた。

「だって……」

「ハルト様が嫌いってわけじゃないよな」

 私は勢いよく頭を振る。本気で言われたのではないだろうが、絶対にそんな誤解はされたくなかった。

「嫌だから悩んでるんじゃない」

「じゃ、何が問題だ?」

 何って……問題なんて、そんなの、いろいろいっぱい。

「……王様だし」

 うーんとイリスはうなった。

「ハルト様の立場を気にしてるのか? それとも自分の方?」

「……両方」

 普通の人なら、拾った子を養女に迎えますって言っても問題ないだろう。家族の了承が必要だけど、奥さんも子供もいないならその心配もない。

 だけどハルト様は王様だ。家族じゃなくてもたくさんの人が、きっといろんなことを言う。

 他人なんか気にしなくていいとは言えなかった。ハルト様の周りの大勢の人は、仕事の関係者であり、身内でもある。ハルト様の決断はいろんな人に影響する。私生活のことだって干渉されずにはすまないだろう。

「そう難しく考えなくてもいいと思うけどな。正直にはっきり言えば、そりゃあ誰にも何も言われずには済まないだろう。中には嫌なことを言ってくる奴もいると思うよ。でも毅然とはねつけていればいい。何も問題はないんだと、行動で示すんだ」

 それはつまり、私がハルト様の権威を利用して悪事を働いたり私腹を肥やしたりしなければいいってことなのだろうな。

 そこは大丈夫だと言いきれる。私に権威なんて必要ない。あっても仕方ない。私はただ、衣食住に困らない生活ができればいいのだ。目下いちばんの願いと目標は、ちゃんとした人間関係を築くことだし。

「言っとくけど、外国人で血縁もないんだから継承権は発生しないよ。養女になったって姫とは呼ばれない」

「いらないし」

 即答すれば、イリスはくすりと笑いをこぼした。

「なら何も問題ないな。他に悩む理由があるか?」

「いっぱいある」

 たとえば、ユユ姫のこととか。

 ユユ姫がこの話を聞いたらどう思うだろう。私だったらきっといい気はしない。ハルト様を取られてしまうように感じるだろう。

 ユユ姫をまた傷つけたくない。嫌われたくもない。

 親を失ったっていうなら、ユユ姫だって一緒じゃないか。彼女の方がずっと前からハルト様のそばにいて、家族になる権利もあるだろうに。

 ――でも、ハルト様の言う「家族」とユユ姫が望む「家族」は別のものだ。ひょっとしてハルト様はユユ姫の気持ちに気付いているのかな。だから彼女を養女にとは考えないのかもしれない。

 じゃあ、ユユ姫と結婚して新しい家族を作ればいいじゃないかと思うけど、それは他人の無責任な意見だろうか。ハルト様はそういう風には考えられないのかな。

 私はため息をついた。他にもいろいろ、考えだしたらきりがなくて、単純に喜ぶ気にはまったくなれなかった。

 ハルト様の言葉は泣きたいほどにうれしかった。ずっと一緒にいられたら幸せだ。でもやっぱり、この話は断った方がいいような気がする。私やハルト様を含め、いろんな人の平穏のために。

 頭に軽い衝撃と重みがかかった。イリスは私の頭をぽんぽんと叩いた。

「あんまり考えすぎるな。こういう問題は下手に悩み出すと抜け出せなくなるぞ。どんな道を選んだって、何ひとつ問題のない人生なんてないんだ。どこかで転んだり壁にぶつかったりする。それを乗り越えていくもんだろ。歩き出す前に悩んだってしかたがない」

 そのとおりだとは思うが、大雑把人間に言われると素直にうなずきたくないな。

 でも彼くらい、さっぱりと物事を考えた方がいい時もあるのだろうな。

「なあ、ティト。ハルト様のこと、好きか?」

「うん」

「だよな。ひねくれ者で人見知りの人間不信な君が、ハルト様にだけは最初からなついていたもんな」

 どさくさにまぎれて言いたい放題言ってくれたが、全部事実だ。悔しいが反論はできない。

 むくれる私に、イリスはちょっと笑う。

「それがハルト様の力なんだよな。自然と人を惹きつけるんだ。おっとりしすぎて公王としては頼りないって声もあるけど、僕はあの方だから剣とこの身を捧げてお仕えしたいと思ってるよ」

 イリスの言葉に私も全面的に同感だった。

 小学生の頃からさんざんいじめられ、外へ出れば痴漢にあったりからまれたり、男には本当にろくな思い出がない。すっかり男嫌いになった私なのに、なぜかハルト様には最初から嫌悪感を抱かなかった。この人は大丈夫と、まだ何も知らないうちから気を許していた。

 その信頼を裏切ることなく、ハルト様はずっと私に優しくしてくれた。私は彼に、まだ何も返していない。イリスのように、私にも何かあの人のために捧げられるものがあるだろうか。

 早く独り立ちできるように、生活していくために、身を守るために――私が頑張ってきた理由は、全部自分のためだけだった。

 そうじゃなく、誰かの役に立つための力がほしい。はじめて、そう思う。

「……やっぱり、勉強したいな」

 つぶやくと、イリスは顔をしかめた。

「おいおい」

「私もハルト様の役に立ちたい。騎士にはなれないけど、何か私にできることを見つけたい。だから勉強したい」

「…………」

 イリスはしばらくだまって私を見つめ、ふっと微笑むと私の髪をかきまぜた。

「怪我が治ったらな」

 ちっ。今の流れならいけるかと思ったのに。意外と手ごわいな、こいつは。

「今はまず、お父様って呼んであげなよ」

「おっ……」

 オトウサマ?

「……いや、それはちょっと……」

「いいじゃないか、細かいことにこだわるなよ。親子になっちまえよ」

 世の中の多くはお前より細かいわ!

 ――そうじゃなくて。今私が引いたのは、そういう理由ではなくて。

「ご両親をないがしろにするわけじゃないぞ。父親が二人いたっていいじゃないか」

 だからそうじゃなくて。もちろん佐野のお父さんのことは忘れない。お父さんはずっとお父さんだ。そこが問題なんじゃなくて。

 現代日本の平均的庶民家庭の子供には、「お父様」なんて恥ずかしすぎて言えません。

 ネタでなら言えるが、普通に日常の会話で言える言葉ではない。せめてパパじゃだめだろうか。

 人の気も知らず、イリスは能天気に笑う。この明るさと、細かいことにこだわらないおおらかな(婉曲的表現)人柄にも助けられてきた。私はさんざん嫌な面を見せたのに、まだ愛想を尽かされてはいないらしい。時には怒って私を非難しても、それきり離れていったりしない。イリスはずっと私と向き合ってくれている。

 私もちゃんと彼と向き合わないと。ユユ姫やハルト様だけじゃなく、いろんな人と向き合っていかなければ。

 まずこの人に、伝えることから始めよう。

「……あの」

「うん?」

 イリスに声をかけて、途端に私は詰まった。伝えるって、何から伝えればいいんだろう。いざ言おうとすると、ものすごい気恥ずかしさがこみ上げてくる。

「あの……ええとね」

「うん?」

「…………」

 恥ずかしい。なんでこんなに恥ずかしいんだ。でも言わないと。女は度胸だ。

「い、いろいろ、ごめん……と、ありがとう。そ、そういえばまだ助けられたこと、お礼言ってなかったよね。遅くなってごめんなさい、助けてくれてありがとう」

 イリスは一瞬きょとんと目を丸くし、それから微笑む。

「ああ。トトーにも言ってやってくれよ」

「うん、もちろん。それから、ええと……」

 私は唾をのみ込み、本当に言いたいこと、聞いてほしいことをさがす。

「……私、すごく性格悪いでしょ。自分のことしか考えられなくて、いつも周りに嫌な思いをさせて、だからずっと嫌われてた。それなのに、イリスは見捨てないで相手してくれて、ありがとう。もっと周りの気持ちを理解できるようになりたいと思うけど、でもきっと、これからもたくさん失敗すると思う。私が悪い時にはまた教えてほしい……それで、できれば……友達に、なってくれたら……うれしい、です」

 よ、よぉぉぉし、言った、言ったぞ!

 私はほっと息をついた。言ってしまうと、恥ずかしさよりも不安が強くなってくる。どんな反応が返ってくるかとおそるおそる見上げた顔は、虚を突かれた驚きを浮かべていた。

 ふいと、口元を押さえてイリスは顔をそむけてしまう。

 私の胸に重いものがのしかかった。やっぱり、最後の一言はあつかましかったかな。うなだれそうになった時、イリスがつぶやいた。

「くるなあ、これは……」

「え?」

 がしがしと銀の髪をかきまわす。せっかくきれいな髪なのに、扱いが乱暴だからいつもくしゃくしゃだ。

 イリスはまたこちらを向いた。笑顔の意味は何だろうか。

「あのさ」

 彼はベッドサイドに膝をつき、下から私を見上げてきた。

「欠点のない人間なんていないんだよ。誰しもどこか悪いところを持っている。僕もしょっちゅう、周りから無神経だの大雑把だの言われるしね。みんな一緒だよ。欠点ばかりが気になって、嫌いになることもある。お互いに相手の悪いところを罵り合って、仲良くできないこともあるさ。でも反対に、欠点があるのに好きになることもある。こいつのここがダメなんだよなって言いながらも長年付き合う仲間もいるんだ。どうしてそういう違いが生まれるんだろうって考えたら、結局相性ってものじゃないかなと思うんだ」

 青い瞳はくもらず、まっすぐに私を見つめる。

「欠点があるのがいけないんじゃないんだよ。もちろん欠点を自覚し克服する努力は必要だよ。でもそれが簡単にできたら誰も悩まない。みんなそこは苦労してるんだ。気にしない奴がいたら、それこそ大きな欠点だ」

 みんな私と同じように、たくさん失敗を繰り返しているのだろうか。

「自分には欠点があるからだめだと、そう決めつけるのが悪いな。もうちょっと肩の力を抜きな。言うほどティトは嫌な奴じゃないよ。ハルト様もおっしゃってただろ、いいところもたくさん持っているって。欠点のない人間はいないけど、いいところのない奴もいない。相手の欠点を嫌うか、いいところを好きになるか、それは相性次第だ。相性のいい相手にめぐり逢えたら幸運だ、くらいの考えでいいと思うよ」

 膝の上に置いていた私の手を、イリスは取り上げる。一度押し戴くように額に当てて、それから右手は左胸、心臓の上に、左手は私の手を取ったまま口元へ寄せる。贈られた口づけは、どういう意味なのか。さすがに二度目だから自己判断では終わらせないぞ。

「手にくちづける意味は?」

「んー、場合によるけど、今のは敬意と友情を」

「…………」

 敬意と、友情。

 私にそんな言葉をくれるというのか。

「下手に誉めてまた無茶されても困るから言わなかったんだけどな、ティトはすごいって思ってたよ。いざという時の度胸と思いきりのよさは並みの騎士顔負けだ。おとなしそうなのは見た目だけで、胆は据わってるし気は強いし。おまけに頭がよくて計算高い」

 ……それは誉め言葉なのだろうか。いまいち微妙な表現が続く。

「人を()めるようなことを平気で考えるくせに、一方では進んで損な役回りを引き受ける。どうしようもないお人よしでもあるな。その妙な馬鹿さが可愛いよ」

 馬鹿と言ったか。面と向かってよくもそんなことを言っておきながら、続けて可愛いとか言うし。

 イリスは笑いながらもう一度くちづける。からかうように、私の目を見つめながら。

「僕は君が好きだよ。とっくに友達だ。違うなんて言われたら泣いてやる」

 ……これだからイケメンは。

 べべべ別にね! 顔なんかどうでもいいし! かっこいいイケメンだからって、それがどうしたって話でね! 私は男もイケメンも嫌いなんだから! こいつの中身はズボラで大雑把でうちの弟の方がよほどきちんとしたいい子だったしね! だから別に、見た目なんかどうでもいいんだ。そんなものにどきどきしているわけじゃないんだからね!

 いや別にときめいたわけじゃなくて! リアル騎士が膝をついて手にくちづけるって、それどこの少女漫画って構図とか関係ないし! 私がうれしいのは、どきどきしているのは――

「……ありがとう」

 せいいっぱい、平然とした態度を取ろうと思うのに、絞り出した声は情けないほどに小さかった。顔が熱い。うなじや耳まで熱い気がする。いくら表情をとりつくろっても、これではごまかせない。きっと私は今、ユユ姫のように真っ赤になってしまっているのだろう。

 くそう。こんなに動揺しているところを見られてしまうなんて、何かものすごく負けた気分だ。

 悔しくて、恥ずかしくて、その何十倍もうれしくて。

 不覚にも泣いてしまいそうになるのだけは絶対に知られたくなくて、私はうんとそっぽを向いた。

 無神経なイリスはそんな私を、声を上げて思いきり笑ってくれやがった。

 こいつ、後で絶対いじめてやる。

 そして、いっぱい、大切にしよう。

 この地でできた、私のはじめての友達を。




                    ***** 第二部・終 *****

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― 新着の感想 ―
[良い点] 嫌われたらどうしよう? って思っちゃうけれど、そうか欠点みても嫌われるかどうかは相性なんですね なんか気持ちが軽くなった
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