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明日天気になったなら  作者: 桃 春花
第二部 はじめての友
16/130



 少し天候も回復してきた翌朝の気分は、かなりどん底だった。

「…………」

 いつものように部屋に届けられた朝食を前に、私は手をつけることもできずに煩悶していた。

 卵と肉を使った温かい炒め物。添えられた温野菜とは別に、みずみずしいサラダの鉢もある。具だくさんのスープにフレッシュジュース。もちろんお茶のポットも。香ばしい焼き立てパンは籠に山盛りにされて、デザートのフルーツまでたっぷり用意されている。

 ――なにごとだ、これは。

 昨日までのつつましやかな食卓はどこへ行った。

 私の雑穀粥を返して。朝なんてお粥でいい。それかシリアルに牛乳かけて、さらっと流し込めるものがいい。

 こんなにいっぱい食べられない。

 ただでさえ今朝はなんとなく体調が悪いのに。全身がだるくて、これは多分風邪の初期症状。こちらの気候にまだ慣れない身体が、少しまいっているらしい。いまひとつ食欲もわかない。こんな時こそ胃に優しいお粥がほしいのに。

 豪勢すぎる朝食を前に深々とため息をついた時、部屋の扉が叩かれ返事をするより早く開かれた。

「おはよう、酒乱娘。気分はどうだい?」

「……本当に早いのね。どうしたの、こんな時間から」

 何やら聞き捨てならない言葉が聞こえたが、さしあたって彼が朝から、しかもちゃんと扉から姿を現したことに疑問を呈した。

 イリスは何度か見た覚えのある、ちょっと意地悪な笑顔で入ってきた。

「気になったから。出勤する前にようすを見ておこうと思って」

「何が気になったの」

「だから、気分はどう? 頭痛や吐き気とかしていない?」

「……ないけど」

 だるいだけで他の症状はない。そもそもどうして彼が私の不調を知っているのだろう。

「ふーん。二日酔いはなしか」

 二日酔い?

「さっきから、酒乱とか二日酔いとか何の話。お酒なんて飲んでないけど」

「そうだねえ。まさかケーキで酔うとは驚きだよねえ」

 にやにやと私を見下ろすイリスが何について言っているのか、ようやく私は理解した。

「酔ってないわよ」

「酔いつぶれて寝ちまった子が何か言ってるなあ」

 ……む。まあたしかに、不自然なほどに眠くなってしまって、いきなり沈没したけれど。

 あれを酔ったというのだろうか。

 私は考え、不本意だが認めることにした。たしかにあの眠気は、ちょっと普通ではなかった。

「……寝たのは、お酒のせいかもしれない。でも乱れてはいないでしょう。酒乱とまで言われる筋合いはないわ」

「記憶がなくて何よりだ。昨日アスラル卿相手に派手にやらかしたことは夢の彼方かい」

「覚えてるけど」

 あれは酔いのせいではない。やろうと思ってやったことだ。

 ……まあ、あらためて思い出すと、いつもよりちょっとだけ調子に乗っていたような気もしなくはない。我ながら饒舌だったとは思う。少しばかり大胆になっていたようだ。これが酒の勢いを借りるというものだろうか。

「弱いのか強いのかどっちなんだろうな。まあ具合が悪くないならよかったよ」

 イリスは私の頭に手を置いて、ぽんぽんと二、三度軽く叩いた。

 今日も見た目だけは爽やかな騎士のいでたちを眺めて、私は彼に問いかけた。

「イリスはもう朝ごはん食べた?」

「ああ」

「もう少し、入らない?」

「ん?」

 私は机の上の山盛り朝食を示す。

「手伝ってくれるとうれしいんだけど……三分の二、いえ四分の三くらい食べて」

 イリスはまじまじと朝食を眺め、それから大きく息を吐いた。

「自分で食べろ」




「多すぎるって、これが? 普通の朝食ではなくて? これが半分も食べられないというの?」

 ユユ姫がありえなーいと言いたそうな顔で私と朝食を見比べる。あの後なぜか部屋にやってきた彼女は、イリスと並んで私の食事風景を見物していた。

「……イリス、これ無理」

「だめ。そのくらいは食べな」

 頼んでなんとか量を減らしてもらったが、それでも最初の半分くらいまでだった。もそもそとつつく私をイリスが厳しい顔で見張っている。

 うう、なんか給食を食べられずに居残りさせられている子の気分だ。なんで朝からこんな目に遇わねばならんのだ。

 元の半分のさらに半分を食べたところで、私はとうとうギブアップした。

「もう無理。これ以上入らない」

「何言ってんだ、ほんのちょっとしか食べてないじゃないか。頑張って食べろ」

「体質が違うの。日本人はこんなに食べられないの。本気で無理だから」

「……じゃあ、あとこれだけ食べろ」

 目の前に差し出された卵料理から私は顔をそむけた。

「わがままで好き嫌いしてるんじゃないわよ。無理だから無理って言ってるの。どうしてもって言うなら食べるけど、そのかわり後でもどすからね」

「そ、そこまで……」

 あきらめたイリスがお皿を戻す。ユユ姫が頬に手を当ててうなった。

「とんでもない小食ね……どうりで今までの食事でも元気にしていられたわけだわ」

「どういうことです?」

 イリスが彼女を振り返る。ばつの悪そうな顔でユユ姫は説明した。

「うちの女中たちが、彼女を虐待していたみたいなの。……いえ、そのつもりだったというべきかしら」

「虐待?」

「粗末なものを、ほんの少ししか食べさせていなかったらしいわ。ここしばらくは、粥一杯だったとか」

「ティト?」

 またイリスはこっちを見る。私は無視してお茶を飲んだ。食べすぎでつらい。

「ヘンナが気づいてわたくしに相談してきたの。すぐにやめさせることもできたのだけど、少しようすを見ましょうって言ったのよ。ティトがどうするか、知りたかったから」

 ユユ姫はそんなことを言う。胃もたれと闘いながら、私はそんな裏だったのかと少し驚いていた。

 そうか。あれはユユ姫の指図ではなかったのか。ヘンナさんも共犯ではなく、すべては彼女たちのあずかり知らぬことだったのか。

 ……じゃあ、あの時ヘンナさんに何か言うことはないかと聞かれたのは、別に出ていくと言えって要求されたわけではなかったのかな。

 私の考えすぎだったのか。

「なんで言わなかったんだ」

 イリスがちょっと怖い声を出す。

「そうよ。わたくしに言えなくたって、イリスになら言えたでしょうに。毎日会っていたのに、なぜ言わなかったの」

 ユユ姫にまで責められてしまった。

 なぜと言われてもなあ。

「……別に、言いたいことは何もなかったので」

「そんなはずはないでしょう」

「いえ本当に。お粥と言っても量はけっこうありましたし、普通においしかったですし。毎食満足していたので、何かを訴え出る必要がなく」

「…………」

「むしろ今の状況の方が辛いです。食べすぎで死にそうです」

 ため息が三つ重なった。残りひとつは入口近くに控えたヘンナさんの分だ。さらに彼女の後ろには、事の犯人であろうメイドさんたちが立たされていた。

「ねえ、ティト? もうひとつ訊きたいのだけど。あなたがいつもここで一人で食事していたのはなぜ?」

 ユユ姫が訊ねると、メイドさんたちがさらに身を縮めた。その反応に私はぴんときたが、かばってやる理由もないので事実をありのままに答えた。

「食事は部屋に運ぶと言われました。なので、ここで食べるものだと思って」

「…………」

 ユユ姫は一瞬メイドさんたちの方をにらみ、それから私に向かって頭を下げた。

「本当にごめんなさい、ひどいことをしてきたわね」

 どうやら、ユユ姫は一緒に食事できないほど忙しいわけでも、私と同席したくないわけでもなかったらしい。おそらく彼女の方には、私が一人で食べたがっているとでも伝えられていたのだろう。当然だな。いじめをするには、ユユ姫やヘンナさんの目から隠さなければならない。

「いえ、全然ひどくなかったです」

 私はおなかをさすりながら答えた。

「私から見ればやることがあまりに甘いというか、中途半端というか、全然いじめの域に達していなかったので。量を減らしたつもりなんでしょうけど、あくまでもこっちの人基準なんで私にはちょうど適量でありがたかったんです。どうせやるなら、いっそ一日一食にするとか、丸一日絶食とか、そこまでやれば根性も見えたのに、律儀に朝昼晩三食出してくださって」

「…………」

「さっきも言ったように普通においしかったですしね。虫入りスープとか雑巾のしぼり汁とか、そういうのも出てきませんでしたし」

「む、虫……」

「雑巾って……」

 私が挙げた例にユユ姫とイリスがたじろぐ。私は首をかしげた。驚くほどのことだろうか。

「いじめの基本でしょう? 小学生の頃よくやられましたよ。私なら――そうですね、一見普通の料理と見せかけて実は地獄の激辛料理とか、塩と砂糖間違えました的なものを出すかな。一目見ておかしいとわかるようなものにはしません。食べて初めてダメージくらう形にします」

 ふらりとユユ姫があとずさる。ヘンナさんが飛び込んできて彼女を支えた。

「普通に食べられるおいしいものを、相手の適量も知らずに自分基準で出して、それでいじめてるつもりなんだから笑っちゃいます。あんまり可愛らしいんで腹も立ちませんでした」

「やっぱり、ティトはティトだった……」

 イリスが頭を抱えながらわけのわからないことを言った。

 私は部屋の内外にそろった顔を見回す。特に廊下のメイドさんたちは、悪事がばれた気まずさと同時に私に対する腹立たしさも浮かべていた。上等上等、にらまれても平気だ。それが日常の風景だ。

 ユユ姫が気を取り直して言った。

「嫌がらせを受けているという認識はあったのね。たとえそれがあなたにとって嫌がらせにならないものだったとしても、そういうつもりで接されているとはわかっていたのね」

「はあ、まあ」

「ならやはり言うべきでしょう。人があなたに悪意をもって嫌がらせをしかけているのよ。効果があるかどうかの問題ではないわ。そういう人間がいると、訴えるべきだったでしょう」

「……まあ、もっとエスカレートして実害が出たなら考えるつもりでしたが」

「そうではなくて!」

 ユユ姫は苛立たしげに頭を振った。

「なんとも思わないの? あなたに嫌がらせをする人間がいたのよ?」

 私は思わず苦笑した。この人はまっすぐだな。きっと周り中から愛されてきたのだろう。よくわかる。美人でお姫様っていうだけでなく、彼女には私にない魅力があふれている。

 いじめられるのがデフォルトだからなんて言っても、彼女には理解できないのだろうな。

「ずっとここで暮らしていくわけじゃないですし。限られた期間内の話ですから、実害もないのに気にする必要はないかと」

「…………」

 ユユ姫は愕然とした顔をする。イリスが私をにらんだ。

「ティト」

 何を怒っているのだろう。言わなかったからって、そこまで問題視しなくてもいいだろうに。

「それに、状況を考えれば嫌がらせのひとつやふたつ、されても当然だと思います。何の関係もない赤の他人が押しかけて、生活全般面倒見てもらってるんです。ずうずうしいって不愉快になる気持ちはわかります。ちょっと意地悪したくなるのが人情ってものでしょう。一方的に責められるものでもないと思います」

 言い切って、しばらく何も反応がなかったので私はおやと顔を上げた。ユユ姫は、さっきとは違う難しい顔をしていた。私を見ずに、じっと自分の足元を見つめている。イリスやヘンナさんには非難がましい目を向けられていた。

 ……何か、まずいことを言っただろうか。

 卑屈すぎたか? 現状を客観的にとらえて話したつもりだったのに。

 ややあって、ユユ姫は感情を抑えた平坦な声で言った。

「……彼女たちを、どう罰したらいい? あなたは何を望むの」

 私は廊下のメイドさんたちを見た。

「特には、何も」

「許すということ?」

 私は首を振った。謝られてもいないのになぜ許さねばならんのか。私はそこまで慈悲深くはない。

「許すも許さないもないので。それは私の考えることではありません。処罰の権限はユユ姫にあるでしょう。こちらの流儀にのっとって判断されればいいのでは。それについて私が口を差し挟むつもりはありません」

「……そう。わかったわ」

 低く言ったユユ姫は踵を返した。私を見ないまま部屋を出ていく。ヘンナさんに支えられながらゆっくりゆっくり歩いていく姿に、勢いというものはまったくなかったが、心情的にはさっさと飛び出していきたいところなのだろうとわかった。彼女の背中には怒りの気配が漂っていた。

 扉が閉じられ急に静かになった部屋で、私はそっとイリスを見上げた。

「……何か失礼なこと言っちゃったかな」

 イリスはため息をついた。今までよりもずっと深い、呆れきったため息だった。

「わからないか」

「…………」

 私がユユ姫を怒らせてしまったのだということはわかった。でも何がいけなかったのかはわからなかった。

 いじめられた、みんなひどいと憤慨してみせるべきだったのか。そういう態度を取らなかったからユユ姫を怒らせた? いや、そうじゃないだろう。

 そんなことで怒らせるとは思えない。何か別の理由があるはずだ。

 でも、それが何なのかがわからない。

 悩む私を見ていたイリスは、頭に手を突っ込んでくしゃくしゃとかき回した。せっかく今朝は少し落ち着いていた髪が、またざんばらに飛び跳ねた。

「わからないなら考えな。いいか、今のはティトが悪い。それは絶対だ」

「……そうだろうとは思うけど」

「そうだろう、か」

 整った顔に皮肉な笑いが浮かんで消える。

「ちゃんと理解して納得できるまで考えるんだな。それが宿題だよ。君が今すべきことは文字や地理の勉強じゃない。答が見つかるまで他の勉強は一切しなくていい」

 言うなり、彼は勝手に私の机を漁った。ノートや手作りの単語帳、作りかけの辞書などを次々に取り上げる。

「何するの」

「スーリヤ女史にはしばらく授業は休みだって伝えておくよ。この問題を解くまで他に頭を使う余裕はないだろうからね」

「イリス!」

 私の勉強道具一式を持って彼は部屋を出ていく。呼び止めても振り向いてはくれなかった。何もなくなった部屋に一人残されて、私は途方に暮れた。

 ――どうすればいいのだろう。

 みんないなくなって、一人で考えろと言われても、私には答なんて見つからない。

 ただ、ユユ姫だけでなくイリスも怒らせたのだということはわかった。きっとヘンナさんも怒っているだろう。

 なさけない、ひどい気分だった。

 私はどうしてこうなのだろう。ちゃんとしているつもりでも全然できていない。無自覚に人を不愉快にさせて、そして嫌われていく。

 どこへ行っても同じだ。こんな私だからいじめられるんだ。原因は私自身にあるって、そんなことは昔からわかっていた。

 でも何がいけないのか、いちばん大切なところがわからない。

 みんなにわかることが、なぜ私にはわからないのだろう。

 自己嫌悪にさいなまれる。嫌がらせをされることなどより、自分の馬鹿さの方がずっと腹立たしかった。

 せっかく親切にしてくれていた人たちを、これでみんな失ったのだと、また嫌われてしまったのだと思うと、涙がこぼれた。




「……よい。寝ているなら、そのままで」

 眠りと覚醒の狭間をただよっていた意識が、聞こえてきた声によって引き上げられた。

 私はぼんやりと目を開けた。身体も頭も重くてだるい。のどが乾いた。ああ、やばいなと思いながら少し動く。

「……ん、起こしてしまったか」

 また声がした。低く穏やかな、耳に心地よい声だ。誰のものかに思い当たって、私は急いで身を起こした。

「ハルト様」

 部屋の入口にハルト様の姿があった。お供はいない。ヘンナさんがハルト様に一礼して退出していく。近づいてきたハルト様は、べッドから下りようとあわてる私を制し、自身もベッドに腰掛けた。並んで座り、なんとなく久しぶりに思える顔を見上げる。

 この間、ほとんどすれ違いな形で会って以来だ。二人だけで落ち着いて話すなんて、もっと久しぶりだろう。

「すまぬな、起こすつもりはなかったのだが」

「いえ、こちらこそ昼間からダラダラしてすみません」

 窓の外はまだ明るい。感覚的に、そう長時間寝たとは思わなかった。多分まだ正午くらいだろう。

 イリスが出ていった後、しばらく一人で悩んだものの結局何も解決策は浮かばなくて、私は布団にもぐり込んだのだった。風邪気味でだるかったし、一度思う存分泣きたかった。布団の中で泣いていつものように気持ちを落ち着けようとして、そのまま眠ってしまったらしい。

 寝起きの髪を手で撫でつけていると、ハルト様の大きな手が乗せられた。

「疲れていたのだろう。旅の途中で事故に遭い、そこからまた旅をして、ここに落ち着いてからは何かに追い立てられるように必死に勉強し続けていたからな。身体が休みたがっていたのだ」

 ハルト様の声は優しかった。ここへ来る前にユユ姫には会ったのだろうか。今朝のできごとを彼が知らないとは思えなかった。

 ハルト様にどう思われているのか、それを考えるとまた気持ちが落ち込む。

「無茶をしたようだな」

 私の頭をなでながらハルト様は言った。

「みなが驚き、呆れていた。私も聞いて驚いたぞ。ユユを助けようとしてくれたのはうれしいが、危ない真似はするな。そなたが怪我などしては、ユユも喜びはしない」

 もう一つの問題も思い出して、私は謝った。

「すみませんでした……ユユ姫のお立場は、大丈夫でしょうか。私のせいでまずいことになったんじゃ」

「ん? いや、それは大丈夫だろう。立場を悪くしたのはアスラル卿の方だからな。イリスのおかげで未遂に済んだとはいえ、これでもうユユに近づくことはできぬだろう」

 それはどうだろう。ほとぼりが冷めたらいけしゃあしゃあとまた押しかけてきそうな気がする。

 でもユユ姫の立場が悪くなっていないのなら、よかった。

「ユユ姫は……?」

「うむ……ここへ来る前に、少し話してきた。今は仕事をしているよ」

「そうですか」

 やはり会ったのか。なら今朝のことも聞いただろう。

 私の表情を読み取ったのだろう。ハルト様が背中を軽く叩いた。励ますようなしぐさだった。

「なぜユユを怒らせたのかは、わかったか」

 私は首を振る。自分が悪いことはわかっているのに、理由がどうしてもわからない。情けなくてまた涙が出てきそうだ。

「……ごめんなさい」

 ハルト様は息をついた。

「前に言ったな。そなたには、わかっていないことが多いと。何よりいちばん問題なのは、周りの気持ちを理解しないことだな」

「……はい」

「ことが自分にからまない他人の問題となれば、驚くほどに目端が利くのに、自分のことになった途端目隠しをされたように理解しなくなる。私から見るとな、そなたは他人と関わりを持とうとしない人間に思える」

「…………」

 私は顔を上げた。思慮深いグレーの瞳が穏やかに、深くこちらを見つめている。

「話しかけられるまで自分からは話しかけない。相手が関わってこない限り自分から関わっていこうとしない。放っておかれれば、そのままずっと一人でいる。誰かと関わりたい、つながりたいという意識が感じられぬ。ここへ来てから自発的に出歩いたことはあるか? イリスやトトーに、自分から会いに行こうとしたか?」

 ――そんなこと、考えもしなかった。

 用もないのに会いに行ってどうするのか。そんなことのできる関係だとは思えない。

「トトーは同い年だ。いちばん話しやすい相手ではないのか。少し独特の雰囲気ではあるが、そう付き合いづらい奴でもなかろうに。あれはあれなりに、そなたを気づかっていたように思ったぞ。イリスはもっと積極的にそなたをかまっていた。この地でできた、最初の友だろうに」

 ……友達?

 そんな風には考えていなかった。イリスはいつも親切にしてくれたが、それは彼がいい人だからだ。ずっと年上の大人で優しい人だから、かわいそうな子をかまってくれているのだと思っていた。

 友達だなんて、そんな厚かましいことは言えない。

 目をまたたく私にハルト様はまた息をついた。

「……イリスも報われぬな。そなたの中では、単なる知人どまりか」

 非難された気がして私はまたうつむいた。

「今にして思えば、カーメル殿は稀有な存在だったわけだな。どういう理由であれ、そなたに自ら関わる気を起こさせたのだから」

 ハルト様の声に少し笑いが混じる。私はその意見には複雑な気分だ。

「あの時、人は自分のことだけで精いっぱいだと、だから誰の助けも期待してはならぬのだと、そなたは言ったな。すべてを否定する気はないが、あまりに寂しい考えだ。ではそなたも、誰のことも助けようとせず自分のことしか考えていないのかと思ってしまう」

 寂しい――たしかに、さみしい。でも、それは仕方がないのだと。

 ハルト様が私の手を取る。優しく包み込んで、見捨ててはいないのだと伝えてくる。

「だが違うだろう? そなたはロウシェンとリヴェロの仲を取り持ち、危機を回避させてくれた。ユユの難儀を見過ごさず助けに入った。他人のことなどどうでもよいとは思っていない。ちゃんと気にかけている。ならば、他の人間もそうなのだと思えぬか? 他人もまた、そなたのことを気にかけているのだと考えられぬか」

 他の人が、私を気にかけている。

 助けようとしてくれる?

 ――それは、そうだろう。だから私は今ここにいる。衣食住の不自由なく、贅沢にも勉強だけをして暮らしていられる。すべて人の善意のおかげだ。

 でも、それはハルト様の指示だから。ユユ姫はただ言われたことに従っているだけだと、そうとらえていなかったか。

 本当は迷惑な居候に違いないと、決めつけてはいなかったか。

 ユユ姫自身が私を気にかけてくれているなんて、そんな風には思っていなかった。

 だから、早くここを出ていかなければと。いつまでも迷惑をかけていないで、早く自立しなくてはと思い続けていた。

 それは……間違い、だった?

 ユユ姫が、怒った理由は……。

「ユユはな、怒ったというより、傷ついたのだ。そなたにまったく相手にされていない、一時の関わりにすぎぬと突き放されていると思い、傷ついたのだよ」

「…………」

 傷つけた。私が、ユユ姫を傷つけて、怒らせた。イリスもヘンナさんも、だから私に非難の目を向けていた。

 だから――私が、悪かったんだ。

 ああ、だから――

 ずっと私は一人だった。友達なんて全然いなくて、いつもいつも一人だった。でもそれは、周りが私を無視していたのではなく、私が周りに関わろうとしなかったからではないのか。

 そうだ。いつだって、人から話しかけられるのを待つだけで、自分から話しかけていこうとはしなかった。友達がほしいと思いつつも、作る努力なんて少しもしていなかった。話しかけていって嫌がられるのが怖くて、面倒な思いをするくらいなら一人でいる方が気楽だと思って、努力を放棄していた。

 意地悪な子ばかりじゃなかった。たまには、ついででもオマケでも遊びに誘ってくれる子もいた。そういう時には一緒に遊んだけれど、その後を望もうとはしなかった。いつも、この場限りのことだと、冷めた考えでいた。そこから友達になろうなんてしなかった。

 そんな奴、誰が好きになってくれるだろうか。

 嫌われて当然だ。

 あの子も、そうだったのだろうか。他の子とは仲良くしているのに、私のことだけは嫌って意地悪をしていた。あてこすりを言ったり、仲間外れにしてみせたり――でもそのどれもを、私は知らん顔で無視し続けていた。私は彼女に何ひとつ反応を返さなかった。怒ることも泣くこともせず、彼女の存在をないもののように扱っていた。

 私にしてみれば自分の身を守っているつもりだったのだけれど、相手は自分のすべてを無視され否定されていると感じたのではないだろうか。もしかしたら、それで余計に意地になっていたのかもしれない。何でもいいから私に反応させてやりたくて、それでしつこくからんできたのではないだろうか。

 最後のあの瞬間だけ、私と彼女は互いに関わりあっていた。私はあの子を見ていた。存在を認めていた。

 でもそれは、遅すぎた。

 温かい手が頬にふれた。いつの間にか流れていた涙を、ハルト様が優しくぬぐってくれる。

「ユユともっと話し合いなさい。互いを知る努力をしなさい。あれはけして分からず屋ではないから。今は少し拗ねているがな。仲良くしてやってくれ」

 仲良くしてもらえるだろうか。あんなに怒らせてしまったのに。

 ――いや、だから、私が努力しないといけないのだ。相手からの行動をただ待つだけではなく。

 なによりも、まずは謝らなければいけない。

「ところで」

 不意にハルト様が声の調子を変えた。身をかがめて私の顔をのぞき込んでくる。

「チトセ、具合が悪いのか?」

「……いいえ」

 首を振ると、ハルト様の眉間にしわが寄った。

「本当か? なにやら、ひどく熱いのだがな」

 ……あ。

 私は手元に視線を落とした。しっかり握られている。もう片方の手は私の頬に添えられている。

 馬鹿だな。この状態でしらを切ったって、バレバレじゃないか。

 どうやら寝ている間にさらに悪化したらしく、かなりの高熱が出ているだろうと体温計がなくてもわかるほどだった。

 どうも、熱で頭がいかれているらしい。我ながら間抜けなことをしてしまった。

「具合が悪いなら悪いと言いなさい。なぜ隠す」

 ハルト様に叱られる。甘えるようで申しわけなかったし、医者だ薬だとまたぞろ世話をかけたくもなかったからなのだが。

「言ったところで熱が下がるわけじゃないですし」

 風邪をひいたら水分と栄養を取って、ひたすら寝倒すしかない。辛いしんどいとぐずったところでどうにもならない。

 そう言うと、ハルト様は沈痛な顔で深々と息を吐いた。

「そなたは……いや、いい。とにかく寝なさい。話の続きは熱が下がってからだ」

 無理やり布団の中に押し込まれ、ハルト様が人を呼ぶ。結局その後医者が呼ばれることになり、さんざんみんなに面倒かけまくり、数日間寝込むという情けなさきわまる顛末になったのだった。

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[良い点] いやぁ〜自虐心旺盛な子が無意識的に自虐行為して周囲がドン引く展開大好きなんだよね こうなるよね〜って [気になる点] 更新されてたから軽く読み返しておこうかなと思いここまで読んで書きたいこ…
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