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降り出した雨は三日目になってもやまなかった。
「今日はここまでです。何か質問はありますか?」
私の教師をしてくれているスーリヤ女史が、教材を片づけながら言った。
ここで何歳ですかとか、恋人いますかとか、スリーサイズ教えて、なんてお約束を飛ばす馬鹿男子のいない空間は、なんて快適なのだろう。
真面目な生徒である私は、いたって真面目な質問をした。
「今日の授業とは関係のないことなんですけど、少し気になっていることがあって。お聞きしてもいいですか」
「どうぞ。なんですか」
スーリヤ先生は年齢が想像しづらい。三十歳くらいかな、と思うが、もしかすると四十いっているかもしれない。黒髪に緑の瞳の、落ち着いた雰囲気の女性だ。特別美人というわけではないが、知的で魅力的だと思う。
日本でお世話になっていた学校の先生を、もうちょっと堅くした感じだろうか。あまりにこにこしないし、余計なおしゃべりもしないが、さりとてつっけんどんなわけでもない。要するに、真面目でお堅い人なのだ。
こういう人とは、割と相性のいい私である。
「身分について教えてください。私の国では身分制度というものはずっと昔に廃止されたので、私にはそういった感覚がそなわってないんです。でもこちらには階級があるから、無頓着でいるべきではないでしょう。私は平民ということになりますから、貴族や王族の人達にどのように接するべきなのか、知っておきたいんです」
よけいなもめごとを防ぐために、郷に入っては郷に従えの精神でいかねば。
スーリヤ先生は私の話をうなずいて聞いてくれた。
「そうですね、知っておくことは必要です。身分については国によってとらえ方が違いますが、まずはこのロウシェンでのあり方を覚えておきなさい」
「はい」
「知ってのとおり、この国の民は王族、貴族、平民の三つに分かれます。ですが、階級制度は必ずしも支配関係とつながるものではありません。そういった国もありますが、ロウシェンは違います。貴族というのは、古くからある名家といった程度の意味合いです。もちろんそれなりに敬意を持って接するべきですが、身分がすべてという考え方ではありません」
ほほう。ガチガチの封建社会ではないのか。
「平民にも立派な人はたくさんいます。商売で成功しているお金持ちは、ほとんどが平民ですね。竜騎士団長のアルタ様も平民のご出身です」
……へえ。あのライオン親父は平民なのか。
まあたしかに、貴族的とは言い難い性格だったな。
「じゃあ、平民と貴族が結婚したり、平民が政治のお仕事したり、貴族が畑仕事したりとかもあるんですか?」
「ええ、ありますよ、いくらでも。貴族といっても内情はさまざまですからね。平民と変わらない暮らしをしているお家も少なくありません」
ふむ、案外日本に近い社会なのかもしれない。
「だからといって、身分をまったく無視してよいというものでもありません。卑屈になる必要はありませんが、貴族に対してはやはり敬意を持って接するように」
「はい」
貴族階級に対する敬意、と言われてもいまひとつピンとこないが、まあ目上の人という認識でいよう。多分大きくは間違っていないはずだ。
「次に王族ですが、特別な方々であることはわかりますね?」
「はい」
日本で言うところの皇族だろう。ユユ姫も、日本だったら「なんとかの宮様」と呼ばれているはずだ。
「支配者として敬うのではなく、国を守ってくださる方々であると心得ておくように。公王陛下をはじめとして、王族の方々は皆様それぞれ重要なお仕事をされています。ユユ姫も、シャール地方の領主として毎日お忙しくしておられます」
地理も習っているから、シャール地方というのがどこかはすぐにわかった。首都のお隣だ。ここから歩いて行っても三日もかからない。たしか商業と工業が盛んだったはず。
「領主……というのは、その土地の支配者、との認識でいいでしょうか?」
「少し違いますね。支配するのではなく、管理するのです。土地の民が問題なく暮らせるように、領主が目を配り、手を尽くすのです。この館に毎日たくさんの人が訪れることは知っていますね?」
「はい」
同じ館に暮らしていれば、毎日お客さんがやってくることには気づく。その対応に忙しいせいもあって、ユユ姫は私とはあまり顔を合わせることがない。お姫様だからお付き合いが多いのだろうと初めは流していたが、それにしては客層が老若男女入り混じっていて、少々妙に思い始めていたところだ。
「彼らは領主に陳情に来た領民だったり、または報告に来ている配下の人々です。本来ならユユ姫のお父君がなされるお仕事でしたが、早くに亡くなられたため、ユユ姫が跡を継がれました。時にはご自身で直接領地を回って、視察もなさっているのですよ」
「……大変なんですね」
あれはそういうことだったのか。理解して、私はうなる思いだった。
まだ十八歳。日本でなら、大学に入ったばかりの年頃だ。うちの姉よりも年下でそんな重職に就いているなんて。
お姫様というのも大変なんだな。毎日きれいに着飾って、ウフフオホホと遊び暮らすのは漫画の中だけか。
接する機会も少なくて、私はユユ姫のことをまだよく知らない。もしかすると私を疎んじて、食事を減らすといういじめをしている張本人なのかもしれなかったが、こういう話を聞くと恨む気にはなれなかった。もしかしたらストレスが溜まっているのかもしれない。そんなところへ縁もゆかりもない人間が押しかけて、毎日ホケホケ居候生活していたら、そりゃあ腹も立つだろう。
それに恨むほど辛くないし。
今や食事は毎食雑穀粥一杯。ここまで来ると勘違いや疑いすぎではなく、故意の嫌がらせでしかなかろうと確信するが、依然私にダメージはない。十分満腹になれるだけの量があるし、味もいい。あっさりしていて実に私好みだ。もともと重いものが苦手なので、こういう食べやすいものはありがたかった。
唯一物足りないのは甘いお菓子が食べられないことだが、居候の身でそんな贅沢は望めない。いつか自分でお金をかせげるようになったら存分にお菓子を食べようと、努力目標のひとつに掲げていた。
まだしとしとと振り続く雨の中を、スーリヤ先生は傘をさして帰って行った。見送りを終え部屋に帰ろうとしていたところで、ヘンナさんと出くわした。
たまたま通りがかっただけ、という雰囲気ではなかった。最初から、こちらに用があって出てきたようだ。
「スーリヤ様は帰られたのですか」
「はい、たった今。何か用事でも? 急いで呼び戻してきましょうか?」
「いえ、彼女に用があるわけではありません」
ヘンナさんはスーリヤ先生以上に笑顔が少ない。いや、私のいないところでは笑っているのかもしれないけれど、私は彼女の笑顔をほとんど見た覚えがなかった。
感情の読めないブラウンの瞳が私を見据える。
「ここでの生活に、何か不自由はありませんか。問題や要望などあれば、言ってください」
クールな声で聞かれて私は首を振った。
「いえ、何も。大丈夫です」
「姫様にお伝えしたいことなどは?」
「お世話になってありがとうございます、と」
「……他には?」
「他、ですか」
何を求められているのかな。もしや、出て行きますと言えって、暗に求められているのかな。
出ていくべきなのだろうか。でもその場合、ハルト様に連絡して別の落ち着き先を世話してもらわなくてはならない。残念ながら、誰にも頼らず一人で生きていけるレベルにはまだ達していない。
なんだか話がややこしくなりそうだ。ユユ姫がハルト様に叱られたりしないだろうか。あるいは、私がわがまま言って飛び出したと受け取られるだろうか。どっちにしても楽しい結果にはなりそうにない。
「……迷惑かけて申しわけありません、なるべく早く自立できるよう頑張りますので、もうしばらく見逃してください、と」
「…………」
ユユ姫には悪いが、今はまだここにいるのが一番無難だろう。そう判断して答える私を、ヘンナさんはしばらく無言で見ていた。
ややあって、軽くため息がこぼされる。
「わかりました、そのようにお伝えしましょう」
そう言って、彼女は私に背を向ける。私はなんだか足音を立てるのも悪いような気がして、静かに部屋へ帰った。扉を閉めて、詰めていた息を吐き出す。
こういうのは困るよなー。
出て行けと、はっきり言ってくれたらいいのに。嫌なら嫌で、そう言ってくれてかまわない。向こうには嫌がる権利がある。私の面倒を見なければならない義務なんて何ひとつないのだから。
でもハルト様が――王様が面倒見なさいと言ったから、従わざるを得ないのだろう。
だから、私から言わせようとしているのだろう。自分たちが追い出したのではなく、私が勝手に出て行ったのだと、そういう形にしたいのだろう。
気持ちはわかる。でもちょっと卑怯じゃないかな? 追い出したいほどに嫌なんだったら、王様に逆らってでも断るべきだ。ハルト様のことだから、拒否したって怒って罰したりしないだろうに。
自分は悪者にならず、私だけを悪者にしようとする。こういうやり口には、かなしいことに覚えがあった。この世界へ来る以前に、さんざんやられたことだ。
あの子も、こんな感じだったな。修学旅行の間、班で固まって行動しなければいけないから、私はあからさまに無視されのけ者にされても我慢して後をついて回った。自分がひどく卑屈になった気がしてうんざりだったが、だからって単独行動するわけにもいかない。そんなことをすれば、私が勝手な真似をして周りに迷惑をかけたということになるのだ。結局私が非難されるのだとわかりきっていた。
またあの子たちが、それを狙って私を置いてけぼりにしようとするのにも閉口したっけ。だんだん馬鹿らしくなってきて、私何やってるんだろうなーとたそがれかけていたところに、あの事故だった。
あの時から、周りの環境はおそろしく変わったのに、本質的なところは何一つ変わっていない。行く先々でこうなるって、やはり問題は私にあるのだろうか。
迷惑な居候というだけでなく、そもそも私という人間が嫌われているだけなのかな。
私はため息をついてノートを開いた。いつもはお昼ご飯まで休憩にしていたのだが、そんな気にはなれなかった。机に向かって、自習を開始する。
卑怯なのは私も一緒だ。路上生活者になるくらいの覚悟と思い切りがあれば、今すぐにだってここを出ていけるのだ。でもそういう生活はしたくない。普通の、衣食住を確保した暮らしがしたい。だからまだ周りの善意を利用している。
どれほど過酷な生活をすることになっても人に媚びない頼らない、なんてとても言えない。私は甘えた人間だ。
だからせめて、少しでも早く独り立ちできるように。一日も早くここから出ていけるように。
今はひたすら、勉強するしかない。
四日目になってようやく雨はあがったが、空模様はすぐれなかった。どんよりとした厚い雲に陽射しがさえぎられ、さんざんに降られた地面はぬかるんでいる。
ここ数日はイリスも来なかった。雨で動きづらかったのだろうし、彼だって飛竜隊長という大事な仕事があるから遊んでばかりはいられない。
今日はスーリヤ先生の授業がお休みだったので、私は手作りの単語カードをめくっていた。
何はさておき、まず文字だ。読み書きができないといろいろ不便である。他のことに関しては働きながらでも学んでいけるだろうが、読み書きができないと仕事もできやしない。
書き留めた単語を見て、それが何を意味する言葉なのかを覚えていく。こういう時、自動翻訳能力が逆にちょっと不便だった。普通外国語を覚える時は、発音と一緒に意味を覚えていくものだ。でも全部日本語に変換されてしまう今の状況では、こちらの発音がわからない。文字を「読む」のではなく、組み合わせとその意味するところを、ひたすら暗記するしかない。
言葉が通じるのはとてもありがたいのだが――痛し痒しといったところか。
「ティトシェさん」
必死に単語と格闘していると、部屋にヘンナさんがやってきた。
「姫様がお呼びです」
「……はい」
私は単語カードを置いて立ち上がった。あらたまっての呼び出しとは、いよいよ出て行けと言われるのだろうか。それとも、言い出したくなるようにネチネチやられるのかな。
受けて立とうじゃないか。そういうことには慣れている。気合を入れて向かわせてもらいますとも。
と、覚悟を決めてヘンナさんについていった私だったが、待っていたのは予想外な待遇だった。
「来たわね。さあ、こちらへお座りなさい」
リビングルームのゆったりとしたソファに、ユユ姫は優雅に腰かけていた。
笑顔で私を迎えたユユ姫は、そばのソファを勧める。可愛らしいサイドテーブルもあって、その上にはお茶とお菓子がセッティングされていた。
私が座ると、ヘンナさんがカップにお茶を注いでくれた。
「ずっと放ってばかりでごめんなさいね。このところ領内で問題が多くて、なかなか時間が取れなかったの」
「いえ……ええと、お仕事お疲れ様です」
「ふふ、ありがとう」
ユユ姫とまともに向き合うのは何日ぶりだろうか。もちろん同じ館で寝起きしているのだから、毎日顔を見るくらいはする。でもすれ違いざまに挨拶するくらいで、こんなにちゃんと向き合うことはなかった。
今日も輝く美貌の姫君だ。美しいけれど可愛らしい。アクの強い美貌ではなく、可憐と表現するのがふさわしい、やわらかな面立ちだ。
表情も柔らかかった。私は内心、おや、と首をかしげる。私に対する悪意を隠してこれだけの笑顔を作れるのなら相当な腹黒だとおののくところだが……どうも、そういう印象を受けない。
本当に悪意はないのか、それとも私が甘いだけなのか。
「あなたは、今日は何をしていたの?」
「勉強してました」
せっかくなので、ありがたくお茶をいただきながら私は答えた。ああ、美味しい。お茶なんてとうの昔に食卓から消えていたから、久しぶりに飲んだ。
「熱心なのね。でも今日はお休みの日でしょう?」
「はい。自習してました」
授業がなくたってできることはたくさんある。毎日せっせとまとめたノートは、この世で唯一の参考書だ。単語カードも作ったし、辞書も作っているところだ。
ユユ姫は首を振った。
「どうしてそんなに夢中になれるのかしら。わたくしは勉強が嫌いだったけれど」
「好きだからじゃなくて、必要ですから」
「でもねえ……少し熱が入りすぎではなくて? ハルト様にも無理をしないよう言われていたでしょう。何をそう必死になっているの」
何を、と聞かれても。
その答は、みんな承知しているはずだ。
「無理はしていません。早寝早起きのすごく健康的な生活ですよ。こちらではあまり夜更かしできませんから」
電気のないこの世界では、夜はさっさと寝るしかない。蝋燭やランプの明かりで勉強できないこともないけれど、あまり消費するのも申しわけないので、なるべく夜更かししないように心がけている。その分朝はずいぶんな早起きになった。
「そのかわり、起きている間はずっと勉強しているでしょう。スーリヤからも相談されたのよ。熱心で覚えが早いのはいいことだけれど、早すぎて心配だって。ゆっくり進めようとしても矢継ぎ早に先を求められるって、困っていたわ」
先生を困らせていたのか。それは知らなかった。でも生徒が熱心で困るって、そんなことを言われても。
「イリスが来なかったこの三日間、朝から晩まで部屋に閉じこもって勉強漬けだったでしょう。無理やり引っ張り出されないと庭どころか廊下にも出ないだなんて、それで健康的と言われてもうなずけないわ」
「はあ……」
「今日は絶対に来なさいってイリスに連絡しておいたわ。もうじき来るでしょう」
「そんな、無茶な」
イリスも気の毒に。すっかり私の担当にされてしまっている。
「無茶なのはあなたよ。自覚なさい」
「…………」
めっとにらまれて、私は困惑してしまった。
なんだろう、この流れは。普通に私のことを心配されているみたいだ。
何か裏があって、わざとこんな話し方をしているのか……と考えても、どんな裏があればこうなるのか見当もつかない。変な理屈をこじつけるより、ただ心配されているだけだと解釈する方がずっと納得しやすい。
はて? おかしいなあ。ユユ姫は私を追い出したがっているのではなかったのか。
「食べないの? 遠慮せずにお食べなさいな」
ひそかに悩む私に、ユユ姫はお菓子を勧めてくれた。お皿には可愛い焼き菓子がたくさん並んでいる。お菓子も久しぶりだ。リヴェロの離宮でカーメル公からもらった、あの時以来だ。これは激しく魅力的だった。私は厚かましくも遠慮なく、フルーツの入った一口ケーキをいただいた。
――美味しい。上品な甘さと芳醇な香りがたまらない。
あまりのおいしさに、ついもう一個いただいてしまった。
糖分も大事な栄養素だよね。エネルギー源だ。穀物にも含まれているけれど、勉強で疲れた頭にはこういう手っ取り早い糖分摂取がよく効く。
「それ、お酒が入っているのだけど、大丈夫?」
「あ、そうなんですか。どうりでいい香りだと……おいしいです」
「大丈夫なのね。ふふ、ごめんなさい。見た目が可愛らしいからつい子供扱いしてしまうわね」
ええ、まあ、日本じゃまだ飲酒できない未成年ですが。でもケーキに入っている分くらいはかまわないだろう。
「全部食べちゃっていいわよ。なんなら軽食も用意させましょうか。おなかが空いているでしょう?」
「いえ、特には」
私が空腹だろうと思う辺り、やはりいじめの首謀者なのかと思うが、それにしては悪意を感じない。私はその手の気配に敏感なはずなのだが。
「遠慮しなくていいのよ、本当に。……今日はね、あなたに謝ろうと思って」
む。いよいよ核心にふれるのか。
私はあらためて気合を入れ直したが、ユユ姫が続きを口にする前に、部屋に入ってきた人物によって邪魔をされてしまった。
「ごきげんよう、ユユ姫。うっとうしい雨がようやく上がりましたね」
何の前触れもなく現れて、気取った笑顔を浮かべながらずかずかとやってくる人に、ユユ姫の顔がさっとこわばった。
「……アスラル卿。取り次ぎもなしにいきなり踏み込んでくるとは無礼でしょう」
「ああ、お許しください。花の顔を少しでも早く拝見したいと切望するあまり、使用人を追い越してしまいました。どうか、彼女をとがめないでやってください」
なるほど、後ろからメイドさんが顔を出す。彼女がぐずぐずしていたみたいに言ったが、ようするに取り次ぎを待たずに勝手に入ってきたってことだろう。とがめられるのはあんただと全力でツッコんでやりたい。
見覚えのある灰色の髪の男性は、不愉快そうなユユ姫の反応に構わずすぐ前までやってきた。私をちらりと見おろし、つまらないものを見たとばかりにおもいっきり無視する。
……ふむ。
「何のご用ですの。わたくし、忙しいのですけど」
ユユ姫はソファから立ち上がることもなく、座ったまま言った。
「存じておりますよ。うら若い姫君の御身には過酷なまでの重責を背負っておられる。おまけにこのような素性の知れぬ子供まで押し付けられて、さぞご苦労の絶えぬこととお察しいたします。まったく、公王陛下もいささか思いやりに欠けますな。拾った子供の世話を任せるなど、姫を便利な雑用係とでも思っておられるのか」
「控えなさい。ハルト様のことをそのように言うのは許しません」
さっきまでとは別人のような厳しい顔で、ユユ姫は冷たく言った。
一瞬、アスラル卿の顔に不愉快そうな色が浮かんだ。なんだこの女生意気な口を、とでも言わんばかりだった。でもすぐに媚びた笑顔に塗り替える。
「おお、ご不快に思われましたならどうかご容赦を。けして姫や陛下を侮辱するつもりでは。ただわたくしは、姫の御身を案じているのみにございます」
私はそっとユユ姫のようすをうかがった。ユユ姫は毅然と背筋を伸ばし、王族の威厳を見せつけている。繊細な顔に気弱な表情はなく、堂々と目の前の男を見返している。
でも膝の上の細い指が、かすかに震えているのに私は気付いた。多分アスラル卿も気づいているだろう。貼り付けた笑みが深くなった。
……ふーむ。
なにやら興味深い展開だな。
アスラル卿の視界からすっかりはじき出されているのをいいことに、私はもう一つケーキを頬張りながら成り行きを見守った。