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明日天気になったなら  作者: 桃 春花
書籍化記念企画
128/130

約束の庭3




 翌日ふたたび山へ入っていく彼らを、私は見送りに行かなかった。私を置き去りにして、背中を向けていくイリスを見たくなかった。なんとなく足が新居予定の館へ向かう。今日は職人さんもお休みなのか、ひと気がなかった。

 誰もいない静かな庭に、作りかけの東屋がある。出来上がった下の枠組みを起こし、六ヶ所の柱は地中に埋められ、これから上部を取り付けようというところだった。足元の地面に木材が転がっている。これが骨組みだけの屋根になって、いずれ緑の蔓がからむはずだったのに、製作途中のままぽかりとあいた空間がひどくさみしかった。


 ……こんなの、私一人じゃできないよ。


 ため息をついて引き返す。休みの予定だったけれどひとりで暇しているのがなんだか落ち着かなくて、結局参謀室へ向かった。

 今日も人はいない。少しだけ顔を出したホーンさんも、すぐに出ていった。私は一人で片づけの続きをする。昨日と同じように夕方まで頑張って、帰り道またイリスとルゥナを見かけた。


 一日山歩きをしてきたというのに、疲れたようすもなく楽しそうに話している。イリスを見上げるルゥナの顔は輝いて、頬が薔薇色に染まっていた。そんな彼女を見下ろすイリスも、お愛想ではない優しい笑顔を浮かべている。私はあの顔をよく知っている。いつも私自身に向けられていたものだ。どうしてルゥナをあんな顔で見ているの。胸が苦しい。押しつぶされたような気分だ。


 すぐ近くまで来たのに、イリスは私に気付かなかった。離宮の近くまでルゥナを送り、挨拶をして帰っていく。立ち尽くす私に気付いたのはルゥナの方だった。


「あら、ティトシェ様、いらしたのですか。どうなさったんですの、そんなところで」


 自信と喜びに満ちた顔が、まともに見られなかった。


「……神木は見つかったのですか?」

「ええ、イリス様のおかげでやっと! 役目を果たせて一安心ですわ」

「そうですか」


 見つかったと聞いて私もほっとした。ではもう、イリスが彼女に同行することはないのだ。目的を果たしたルゥナは自分の国に帰るだろう。


「よかったですね」

「ええ、これでハノーエの皆も喜びます。本当に、イリス様は頼りになるお方ですね。彼がずっと守ってくださったから、危ない場所も少しも怖くありませんでした」


 山でのできごとをルゥナは楽しげに報告する。イリスがどれだけ優しかったか、どれだけ頼もしかったか、うきうきと語るようすが不愉快だった。そんなの、あなたに言われなくても知っている。私の方がずっとイリスのことを知っている――なんて言えるはずもなく、私は黙って聞く。まるで自慢されているような気分だった。彼は私の恋人、私の婚約者なのに、まるでルゥナの恋人だと言われているみたいだ。一体この二日だけで、どれだけ親しくなったというのだろう。


 モヤモヤした気分のまま翌日を迎え、私は朝一番で飛竜隊へ向かった。神木探しが終わったなら昨日の代わりに休めないだろうか。そう思ってイリスの元を訪れる。しかし返ってきた答えはあまりに予想外なものだった。


「ああ、今日は代わりの休みだ。ルゥナも大役を果たして気楽になったから、遊びに連れていってやる約束をしたんだ」

「……どういうこと」


 なんで彼女と遊びに行くの。休みなら私との約束を果たしてよ。


「いいじゃないか、別に。きみとはいつでも会えるんだし、ルゥナは遠くから来てるんだぞ。優先してやるのが当然だろ」


 当然って、なによそれ。どうしてそうなるの。そんな個人的な付き合いまでする必要ないじゃない。そこまでしろと、ハルト様も命じていないのに。

 頭が混乱して、うまく抗議できない。私が口ごもっている間にイリスはさっさと出かけてしまった。私がまだここにいるのに、ろくに見向きもしないで。


 ――一体、何が起きているのだろう。


 衝撃と混乱に、私はただ呆然となりゆきを眺めるしかできなかった。それ以降イリスは毎日ルゥナと会うようになった。仕事を放り出して、足しげく彼女のもとへ通う。目的を果たしたハノーエの使節団は、もういつ帰ってもいいはずなのに、一向にそのようすを見せない。それをロウシェン側も不審がりもせず、彼らが滞在し続けるのを認めていた。


「これまであまり交流がなかったハノーエと、縁を結ぶよい機会です。好きなだけ滞在していただき、親交を深めましょう」


 オリグさんはそう言う。そんな話だったっけ? もっと違うことを言ってなかったっけ。


「ルゥナ姫はイリスのことがお気に召したようだな。イリスもまんざらではなさそうだし、このまま二人が結婚すればちょうどいい架け橋になってくれるんじゃないか?」


 アルタの言葉は冗談にしてもあんまりだ。でも誰も咎めないし、笑いもしない。冗談ではなく本気の話として盛り上がっていた。


「チトセとは婚約しただけで、まだ結婚はしていない。いつでも解消できる話だ。何も問題はないの」


 宰相も冷やかに言い放つ。さすがに我慢できず文句を言おうとした私に、ハルト様が諭した。


「結婚というものは、国同士の関係を結ぶためにもっとも有効な手段だ。どこの国でも当たり前に行われていることだ。そなたも王族を名乗る以上は、個人的な感情よりも国益を第一と心得よ」

「大体、王女ったって養女で尊い血は引いてないしなあ」

「元は素性も知れない行き倒れだろ? そりゃあ隊長だって血筋正しいお姫様の方を選ぶさ」

「ルゥナ姫は美人だし、隊長と並んでお似合いだよな」

「なにより、隊長がすっかりぞっこんだ。あれはもう決まりだろ」


 騎士たちも、みんなイリスとルゥナの縁談を支持する。誰も、私に同情してくれる人はいなかった。


「いちいち説明されないとわからないかなあ? 君とルゥナ姫じゃ比較するまでもない。どっちを取るかなんて決まってるじゃないか」

「文句言ってないで、お前は掃除でもしてろよ。そのくらいしかできないんだからさ。こんな役立たずに参謀官を名乗られるのも正直不愉快なんだよな」


 参謀官たちも私を冷たく見捨て、置き去りにする。誰もいなくなった参謀室で、私は黙々と雑用を続ける日々を送った。


「チトセ」


 声をかけられたのは、いつ以来だろう。戸口にイリスが立っていた。

 ずっと会いたかった人の姿に、泣きそうになる。思わず駆け寄ろうとした私を、イリスはその場から動かず制した。


「手を止めなくていいよ。伝えておきたいことがあるだけだから」

「なに? イリス、あの……」


 私の反応を無視して、イリスは素っ気なく言葉を続けた。


「多分もう他の人から聞いてるだろうけど、きみとの婚約は解消することになったから。僕はルゥナと結婚する」

「…………」


 声が出てこない。何か言いたいのに、喉から漏れるのはかすれた吐息だけだ。身体も動かず、私は石になったように、ただ立ち尽くした。


「ルゥナは大巫女をやめられることになったんだ。ハノーエ側との協議で、彼女をもらい受けることに決定した。代わりに、君がハノーエへ遣わされる。王族の血は引いてないけど、龍の加護を持つ人間だからということで、ハノーエも納得してくれた。心配しなくても向こうで大事にしてもらえるさ。君は男が嫌いだから、一生巫女でも問題ないだろ? ここにいるより役に立てるんだし、頑張ってくれ。今後もう会うこともないだろうけど、元気でな」


 イリスは明るく言うと、私の返事を待つことなく背を向けた。彼の向こうにルゥナの姿が見えた。二人は睦まじく寄り添って立ち去っていく。楽しげな声も、明るい風景も、何もかもが遠ざかり、私は暗闇の中にひとり取り残された。


 もう、何も聞こえない。誰もいない。


 世界のすべてと切り離された時、それは現れた。


「……お可哀相に」


 いたわりに満ちた声がすぐそばに囁く。私の手をすくい上げ、包み込むのは男の大きな手だ。見上げた先には、線の細い顔があった。


「神に愛されし奇跡の子を、ロウシェンの人々はまるで理解していない。これほど薄情に放り出すとは、なんと愚かなことか」


 彼は私を引き寄せ、ゆったりとした袖の中に包み込んだ。


「ルゥナなどよりも、あなたの方が遥かに尊く得難い存在であるというのに。真の価値を見抜く目も持たぬ俗な者たちなど、あなたの方から見限ってやりなさい。我々は――私は、あなたの素晴らしさを知っています。どうか、何も案じず共においでください。ハノーエこそが、あなたにふさわしき地。王から下々の民まで、全ての国民があなたを崇め、お仕えするでしょう。御身にふさわしき栄華と幸福をお約束いたします。このような不浄の地、未練を持つ価値もない。憂いを捨て、私と共においでなさい」


 みんなが私を見捨て、離れていった中、彼だけが優しい言葉をかけてくれた。手を差し伸べ、私には誰よりも価値があると言ってくれる。ここより幸せな場所へ連れていってくれると言われ、傷ついていた心は一気に傾いていく。どこでもいい、このさみしい場所から出られるなら。私の存在を認め、愛してくれる人たちがいるなら、そこへ行きたい。今すぐ連れて行って――


「……なんて、言うとでも?」


 今度はさえぎられることもなく声が出せた。さっきのように不自然に封じられはしない。身体も動かせる。私はなれなれしい手を振り払った。


「姫」


 目の前の顔がやけにのっぺりと、現実味を欠いて見えた。事実、これは本物ではないだろう。ただの幻影だ。私の心に入り込んだ、イメージ映像にすぎない。


「けっこう頑張ったようだけど、あまりにやり口が強引で不自然すぎたわ。こんな展開、あり得ないのよ。ハルト様やイリスやみんなが、あんなふうに私を見捨てるなんてね」

「認めたくないお気持ちはわかります。ええ、心を閉ざして幸せな夢の中に閉じこもってしまいたいことでしょう。それほどに彼らはあなたを傷つけた」


 声だけはいまだ情感たっぷりに語りかけてくる。なかなかの演技派だと、私は笑った。


「残念ね。二年くらい前なら、きっと成功していたのに。あの頃の私だったらすぐに揺らいで、周りから見捨てられたと簡単に信じてしまったでしょうよ。でも、その手はもう通用しない。あの頃の私とは、ちがうの」


 目の前の身体を力一杯突き飛ばす。その瞬間、何かが割れる甲高い音が響いた。


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