約束の庭2
業務を任されたとなれば、即行動である。幸い接近の機会と口実はある。私はハルト様にお願いして、使節団歓迎の宴で王女として紹介してもらった。
「娘のチトセと、その婚約者のイリスだ。息子は生まれたばかりで、このような場に連れてこられるものではないのでな、今回は失礼する」
「はじめまして、ルゥナ様。ようこそロウシェンへおいでくださいました。心より歓迎いたします」
「お目にかかれて光栄です、ティトシェ様、イリス様」
私の挨拶に、ルゥナも愛想よく返す。第一印象は普通、かな? こういう場での初顔合わせらしく、きれいに作ったお愛想笑顔だった。
「とてもお若い使節の方で、少し驚きました。ルゥナ様はおいくつでいらっしゃいますの?」
「十八になりました」
「まあ、では私と同い年……なのかしら? 私は今年十九になるから、ひとつ上ということになるのかしら」
「あら、ティトシェ様の方がお姉様でいらっしゃいましたの。お可愛らしいので、てっきりわたくしの方が上かと」
にこにこと答える彼女からは、腹の内が読み取れない。普通に社交しているだけとも取れるし、ひねた見方をすれば嫌味と取れなくもない。どっちかな。
「でしたら、ご婚約なさっているのも特に早すぎるということはありませんのね。こちらの王族の方は早くに結婚なさると聞いておりましたので、幼い頃から決められているのかと思いましたが」
ちらりと彼女は隣のイリスに視線を向ける。
「お二人の婚約をお決めになったのは、やはり公王様で?」
「いえ、僕から申し込んで、お許しをいただきました」
爽やかな笑顔でイリスは答えた。
今夜の彼は、さすがに普段のざんばら頭に適当な服ではなく、きちんと正装していた。やろうと思えば上品にふるまうこともできるわけで、社交用の猫をかぶった彼はどこから見ても夢の王子様だ。脳筋でがさつな内面を知らないお嬢様たちは、みんなこの外見にだまされる。
そこはルゥナも若い女の子、イリスを見る琥珀色の瞳には、賞賛と憧れの色が浮かんでいた。この辺の反応も普通だな。
「まあ、そうですの。こんな素敵な方に申し込まれるだなんて、ティトシェ様がうらやましいですわ」
「ルゥナ様こそ、たくさんの殿方から注目されていらっしゃるのでは?」
美少女で身分も高いなら、さぞモテモテだろう。お世辞のつもりもなく言ったら、急に彼女はつまらなそうな顔になった。
「いいえ。わたくし、普段は神殿にこもっておりますので、そういう出会いがありませんの。周りは年寄りばかり……本音をいえば巫女なんてさっさと辞めて結婚したいのですけど、なかなか代わりの者がおりませんので」
ため息まじりの告白は、ちょっと意外な話だった。
「ハノーエでは王族が神官職も兼ねているそうですね。代わりがいないというのは、王族の女性に適任者がいないということですか?」
「ええ。王族以外の神官や巫女ももちろんいますけど、祭祀長や大巫女などは王族と決められております。わたくしが大巫女に就いたのは七歳の時で、先代はその時点で三十を過ぎておりました」
「ずいぶん間が開くのですね」
これは、もしかしなくても代替わりまで結婚できないという話だろうか。二十代前半で結婚するのが一般的なこの世界の女性にとって、三十過ぎまで独身というのは辛すぎる話だな。
小学一年生の時から巫女になって神殿に押し込められてきたとは、可哀相な話だ。オリグさんの話を聞いていても、ルゥナにちょっと同情的な気分になった。
「王族なら誰でもいいというわけではありませんから。血の薄い末端の者では、神力もありません。大巫女になれるほどの血を持つ女児が、ここしばらく生まれなくて。これから生まれたとしても、代替わりできるまでにどれだけかかるのか……」
物憂げにルゥナは息をつく。これは作った表情ではなく、本音に見えた。王族もいろいろ大変なんだね。
「女性王族だけでなく、男性王族からも神力が薄れつつあるのです。このままではハノーエの存続にかかわります。なので聖地を訪れ、神のお力を頂くことになったのです」
「そうなのですか」
わかったような顔で相槌を打ったが、正直ものすごくうさんくさい話だとしか思えなかった。なんだよ神力って。カルト教団か霊感商法みたいだな。
私はそっと彼女の背後に控える随行の人々を見た。なるほど、役人や外交官というより、宗教関係の人だと言われるほうが納得のいく雰囲気だ。みんなゾロゾロした服を着ているし、身につけた装身具も何やら意味ありげなデザインのものばかりだった。
特に気になったのは、三十代くらいの男だ。他の随行員よりも立派な身なりだから、リーダー的な存在なのかもしれない。さっきから妙に私の方を見ている。視線が合ったので曖昧に微笑んでおいたが、なんとなく嫌な印象だった。
にらまれたりしたわけではなく、友好的に笑顔を返されたのだけれど、それが妙に落ち着かない気分にさせる。オリグさんから聞いた話で過敏になっているのだろうか。
よくわからない不快感をこらえていると、肩にあたたかな重みがかかった。ルゥナと話しながら、イリスがさり気なく抱き寄せてくれた。
……うん、大丈夫。彼がここにいるもの。何も心配ない。
緊張しかけていた身体が、ほっと落ち着く。私はルゥナに意識を戻した。
「神木を持って帰られるということですが、どんな木なのですか? もう決まっているのでしょうか」
「まだわかりません。でも神が導いてくださいます。わたくしには必ず見つけられますから、大丈夫ですわ」
はあ、神様のお導きねえ。演技でそれらしいこと言っているんじゃなければ、この子も頭がやばいな。
小さい頃から神殿に入れられて洗脳教育を受けてきたということだろうか。でも自分に神力とやらがあるかどうか、いちばんよく知っているのは彼女自身のはず。あると信じているのなら、本気でやばいよね。
「山に入って探されるのですか? このエンエンナ山は遠目に見れば美しい山ですが、登るとなると大変危険ですよ。足場が悪く、あちこちに崖があるんです。不慣れな人がうかつに踏み込むと、確実に遭難してしまいます」
周りに洗脳され都合よく使われているのだとしたら、知らん顔で送り出すのは気がひける。こんな女の子には本当に危険だから、私は忠告した。軽く遭難経験者ですしね。
「そうですね、地元の方に案内はお願いしたいところですが」
「案内というか、まともな登山道なんてありません。整備されているのは宮殿周辺だけですから……ねえ?」
隣のイリスに確認すると、彼もうなずいた。
「ええ、チトセの言うとおりです。地元の民もエンエンナには踏み込みません。山全体が王宮の敷地扱いということもありますし、神の山への畏敬もありますが、いちばんの理由は危険だからです。この山で自在に歩き回れるのは竜騎士くらいですよ」
ルゥナの琥珀の瞳が、最後の言葉にぱっと輝いた。彼女は身を乗り出して言った。
「まあ、でしたらイリス様が案内してくださいませんか? 竜騎士でいらっしゃるのでしょう? お願いします。どうかわたくしを助けてくださいませ」
危険だと言われても考え直すどころか、むしろ喜んでいる。柔らかそうな頬がほんのり染まっていた。胸の前で手を組み、期待を込めて見上げてくるルゥナに、イリスはちょっと戸惑う顔になった。ちらりと私に視線を流して無言で尋ねてくる。うーん……。
「……山に入ることは、中止できないんですか?」
「だって、そのために来たのですもの。神木を得ずに帰るわけにはいきません」
私たちは顔を見合わせた。イリスが山に入ること自体はかまわないんだよね。普段から仕事や訓練でやっていることだから。でもルゥナを連れていくとなると、すごく大変そうだなあ。
とはいえ、神様のお導きがわかるのは巫女の彼女だけだから、留守番してもらうというわけにもいかない。眉唾だろうが嘘臭かろうが、向こうはそう主張しているのだから連れていくしかない。イリスはいつものくせで頭をかきそうになり、あわてて手を下ろした。
「陛下にお話してみます。ご許可をいただけたら、お連れしますよ」
結局そう答えるしかなかったが、彼女の要望にイエスと答えたも同然だった。使節団を受け入れている時点でロウシェン側は彼らの目的に許可を出している。ハルト様も、使節団全員を連れていくのではなく、必要最低限にした上でひとりずつに竜騎士をつけ、安全に十分配慮するよう指示するにとどまった。
もちろん、私は行かなかった。行きたいと言っても許してもらえるはずがない。先にイリスから釘を刺され、出発する彼らを三の宮で見送るだけだった。
装備を整えた一行が木々の向こうに姿を消すと、同じく見送りに出ていたハノーエの随行員が声をかけてきた。
「ロウシェンの皆様には、こちらのお願いに快くご協力いただいて、誠にありがたく存じます」
丁重に礼をするのは、宴でもルゥナについていた男だ。ケナ=ディーと名乗られた。彼は王族ではないが、かなり高位の神官だそうで、やはり使節団のリーダー役だった。
「ケナ=ディー様は行かれなくてよかったのですか?」
巫女に行かせてなんでリーダーが残るんだと疑問を投げかければ、彼は静かにうなずいた。
「ええ、何かあった時のためにこちらに残った方がよろしいので……それと、情けないのですが私は少々身体が弱いため、同行しても足手まといになりますので」
なるほど、たしかにケナ=ディーは健康的には見えない。ゾロゾロした服に隠されていても、痩せていることがわかる。騎士たちを見慣れていると、鍛えられている人とそうでない人の違いがはっきりわかるのだ。やや青白い顔色も彼の言葉を裏付ける。私としては共感を覚える相手だった。
「大巫女に行かせて私が残るなど、妙に思われるでしょうね」
「ルゥナ様は行かないわけにはいきませんものね。竜騎士がお守りしますから、大丈夫ですよ」
私の言葉にケナ=ディーは微笑んでうなずき、それから調子を変えて誘ってきた。
「せっかくですから、お茶でも飲んでいかれませんか。留守番組同士、できればお話などうかがいたいものです」
この言葉に、私はすぐにうなずいた。神木探しに同行できなかった分、こちらからハノーエの思惑をさぐりたい。ケナ=ディーの誘いは渡りに舟だった。
彼らが宿泊している離宮へお邪魔する。中へ入ると不思議な香りがただよっていた。
「清めの香木を焚いております。ハノーエの神殿では、これが絶やされることはありません」
「そうですか……なんだか、異国の雰囲気を感じますね」
調度はロウシェンが用意したものそのままなのに、どこかエキゾチックな印象を受ける。行ったこともないのに、東南アジアに旅行したみたいだ、なんて思ってしまった。
出されたお茶やお菓子も、初めて知る味だった。リヴェロやアルギリは、外国といっても同じシーリース島なので共通するものが多い。ケナ=ディーたちは外の島の人々なのだと、強く実感した。
そうして彼とお茶しながらしばし歓談をしたわけだが、あいにくこれといって収穫はなかった。互いの国の話をしただけだ。社交の範囲の、ごく普通の時間をすごしただけだった。
一時間ほどで切り上げて私は参謀室へ帰った。雑然とした室内には、誰の姿もなかった。
みんなけっこう忙しい。あまり長い時間ここに居座る人はいない。あちこち動き回って多分情報収集をしているのだろう。オリグさんはハルト様のところかな? 私ひとりがすることもなく、仕方がないので散らかりまくった室内の整頓に励んだ。
新人だから留守番や雑用は当然だけどね。でもなんか、おいてけぼり感。みんなはバリバリ働いているのに、私はこれといって仕事をしていない。ハノーエ一行の目的を調べるという役目もろくに果たせず、情けない気分だった。
どう見てもゴミだろうというものはゴミ箱に、ゴミに思えるけれどもしかして必要かもと思うものは保留用の箱に放り込んでいく。まともな資料はできるだけ整理して棚に片付ける。棚、足りないよね。新しい棚を入れるにもスペースが足りない。参謀室そのものを移動するべきだ。ちゃんと資料室がついた、もっと広い部屋がほしい。あとで要望上げておこう。
昼食時に休憩を取っただけで、一日片付けに熱中して終わった。気付けば室内が薄暗く、窓の外は赤くなっていた。作業を止め、くたくたになって外へ出れば、ちょうど帰ってきたイリスたちと行き合った。
一日でずいぶん打ち解けたのか、ルゥナとイリスは楽しげに話をしながら歩いていた。
「お帰りなさい、神木は見つかりましたか?」
こちらから声をかけたことで、ようやく彼らは私の存在に気付いた。
「ああ、ただいま」
「ただいま戻りました。残念ながら今日は見つかりませんでしたので、明日また探しに行きますわ」
短く答えるイリスの横で、ルゥナはさして残念そうでもなく言った。神様のお導きはどうなったのさ。一日さがして空振りだなんて、妙な話じゃないですか?
「しかたないさ、調べられる範囲も知れてるしな。安全最優先で動いているから、少しずつやるしかない」
「……ふうん」
イリスのフォローにも納得いかない。出かけるまではあまり気乗りしないって調子だったのに、一日で百八十度変わった感じだ。どうしたの。
「イリス様、明日もよろしくお願いいたしますね」
「ええ。明日は竜にお乗せして、空からも探してみましょうか」
「まあ、竜に? 乗せていただけるのですか? 素敵、楽しみにしていますわ」
「今夜はゆっくり休んでください。また明日」
「ええ、また――ごきげんよう、ティトシェ様」
可愛らしくお辞儀して去っていくルゥナを、イリスと並んで見送る。やけに親しげな雰囲気が気に障った。
「明日の約束もしたの?」
「ああ、今日の探索で見つからなかったんだから、当然だろう?」
「……明日もイリスが行くの?」
私がそう聞いた理由がわからなかったようで、イリスは当然の顔でうなずいた。
「そりゃそうさ、ハルト様からも命じられているのに、放り出すわけにはいかないだろう」
別にイリスでなくても、他の騎士でもいいじゃないと思ったけれど、それ以上言わずに私は一の宮へ足を向けた。イリスは送ってくれるでもなく、その場で「じゃあな」と手を上げて反対方向へ歩いていった。
なにあれ、完全に忘れちゃってる? 明日は二人とも休みの予定で、東屋作りの続きをする約束だったのに。
そりゃあ、こういう状況だから休みがなくなっても仕方ない。でもごめんの一言もなく、当たり前の顔で言うのが信じられなかった。
あのいい加減男、そんなに簡単に約束を忘れてしまうのか。ふたりで新しい家を整えようって、たくさん相談し合ったのに。
ものすごく腹が立ったし、悲しくもあった。予定がつぶれるのは我慢できるが、それをイリスがまったく気にしていない、それどころか忘れているようすなのがショックだった。