約束の庭1
書籍化決定しました。2022.11.2に一迅社アイリスNEOより「龍の娘と空の騎士―ぼっち少女は愛され人生をめざし中―」と改題して発売されます。
告知もかねまして、以前特典用に書いた番外編を公開いたします。
イリス編はこちらと「晴れ、ときどき竜」に、トトー編とカーメル編は「晴れ、ときどき竜」の方のみに投稿します。
三の宮に点在する館の中で、そこは人通りの少ない静かな場所にあった。
「ここからもう庭になるな」
イリスが示してくれた地面には、それとわかる目印や仕切りはない。長年使われていなかったせいで、植え込みなのか雑草なのかわからないほどに植物が生い茂っていた。
「まずは館の方を手入れしてからだから、庭は後回しだな。そのうちここらもすっきりするだろう」
「本格的なのじゃなくていいけど、一応外と内を仕切る門か何かがほしいな。アーチでもいいけど」
離宮も王族の館も、全部ひっくるめて王宮の一部ではあるから、日本の民家みたいに門や塀を構えるのはおかしいかもしれない。でも私としては、何かちょっとした仕切りがほしいのだ。ここからはプライベートスペースよと示せるような。境目がわからない状態というのは落ち着かない。なんでもきっちり整っている方が好きなもので、オープンな状態は気に入らないのだ。
「高い塀じゃなくて腰より低いフェンスか、イリスの実家みたいに植え込みで仕切るのもいいな」
「アーチか……なら花の咲く蔓植物があるといいな。それを柵にも絡ませるとかさ」
「それは綺麗になりそうでいいけど、手入れが大変じゃない?」
「庭師に頼むさ」
「庭師まで雇えるかしら」
「心配しなくても、僕の俸祿はそう少なくないぞ。実家から多少は財産も分けてもらえるし、君だって結婚に際して持参金を用意してもらえる。はっきり言って僕らは金持ちだぞ」
「お金持ちのランクがわからない。それに持参金とか財産分与とかは、何かあった時のために貯金しておくべきじゃないの? お給料や年金と違って、減ってもまた入ってくるものじゃないでしょう」
「金銭感覚のしっかりしたお嫁さんで安心だ」
私は真面目に考えて言っているのに、イリスは笑うばかりだ。本当に大丈夫なのかな。戦い方は熟知していても、生活に関することはあまりわかっていなそうな大貴族の若様だ。しかも大雑把でいい加減な性格。こんな人の言うことを真に受けて、よくわからないまま適当に流していたら大変なことになりそうな気がする。お金に関しては私がしっかり管理した方がよさそうだな。
草だらけの庭でも、通路部分だけは通りやすいよう整えられていた。古びた石畳の上を歩き、大きく枝を張り出した木のそばを曲がると、目の前に建物が現れた。
予想より小さな館だった。丸い塔と長方形の建物をくっつけたような形をしている。入り口は塔側にあり、長方形の部分は奥になる。外壁にはアンティークな色の煉瓦が貼り付けられ、おとぎ話に出てくる魔女の家みたいな可愛らしい雰囲気だった。
「気に入った?」
私の反応を見てイリスが言う。
「うん、すごく可愛い。これ屋根は緑がいいな。でも緑って褪色しやすいんだっけ」
見上げれば、元は黒だったらしい屋根が、風雨にさらされて灰色っぽくなっている。
「何色にしたって年数が経てば褪せるだろ。塗り直せばいいさ。あの上に緑を塗れば、暗い色調になって落ち着きそうでいいな」
「うん、周囲の緑にも溶け込んで馴染むと思う」
「どうせなら赤とかにして、はっきり違いを出すって手もあるが?」
「それだとどこかの隊舎みたいになっちゃう」
笑いながら私たちは館へ足を向ける。玄関の鍵は開いていた。先に来ていた女官が用意をして待ってくれている。私たちはお礼を言って中へ入り、間取りや雰囲気を見て回った。
建物自体は、さほど大きくない。日本でも、お金持ち地域に行けばありそうな規模だ。一階はダイニングとリビングと応接間がそれぞれ一部屋で、使用人が住み込むための部屋が二つ、あとは厨房や物置だ。二階の部屋は五つで、主寝室とそれにつながる書斎、その他の部屋が三つという構成だった。これ、子供が四人以上になったら二段ベッド必須だな。
「君が小さい館がいいって言うから、ここが候補に挙がったんだけど、本来は大勢で住むための館じゃない。以前は老夫婦の隠居所として使われていたらしいよ」
「なるほど」
「他にもっと広い館もあるから、そっちを見に行こうか?」
イリスの提案に私は首を振った。
「私の感覚では十分に広い家だわ。なにより可愛いいからここがいい」
部屋数だけを見れば、豪邸というほどでもない。でもそれぞれが広くゆったりとした部屋なので、せせこましい印象はまったくなかった。リビングは確実に二十畳以上、もしかしたら三十畳以上あるかもしれないし、寝室も広い。私が四人も五人も子供を産める気はしないし、これで十分ゆとりを持って暮らせそうだ。
それに可愛らしい外観が、とにかく気に入ってしまった。ええ、少女趣味ですから。おとぎ話の世界が萌えツボストレートでしたよ。
そう言うと、イリスも納得したように頷いた。
「そうだな、僕らにはこのくらいでちょうどいいか」
「じゃあ、決定?」
「ああ」
明るい笑顔で答えてくれる。私はとてもうれしい気分であらためて家の中を見回した。
ここが、私たちの家。これから一緒に暮らす場所。いずれ家族が増えて、にぎやかになっていく場所。
「庭に、イシュちゃんとリアちゃんが入れる小屋を作れるかな」
「広いから余裕で作れるな。馬小屋だって作れるぞ」
「馬は世話が大変そう。そんなに乗ることもないだろうし……それなら犬と猫を一匹ずつ飼いたいな。小さい頃から一緒に育てば仲良くなるんだって」
「ああ、実家にもいたことあるよ。でもそのうち子供ができたら、そっちの世話で大変になるぞ」
「ペットがいる方が子供の情操教育にいいのよ」
たわいのない話をしながら庭へ出る。こんな話をしているのがくすぐったく、ちょっと不思議な気分だ。この私が結婚生活を、そして子供が生まれたあとの話をしているなんてね。そんな未来を考えることのできる自分に、そして相手にいとしさを覚える。幸せというのは、こういう気持ちを言うのだろう。
「どうせ大がかりな改修工事になるからな、好きなように作り直せるぞ。希望は今のうちにどんどん出しておけ」
「すっきりきれいになれば、それでいいけど。ごちゃごちゃしてるより、芝生とかで広々している方が好きなのよね。あ、でもパーゴラかガゼボがあるといいな」
庭の一角にベンチとテーブルがあれば、メルヘンな外観がさらにおしゃれになるだろう。
「パーゴラって?」
日本で暮らしていた時、近所にガーデニングに熱心な家があった。あそこまで頑張って手入れする気にはなれないと思いつつ、通りすがりに花であふれた庭を見るのは楽しみだったものだ。つる薔薇の絡まるパーゴラは憧れだった。
「パーゴラは、ええと、蔓植物を絡ませるための大きな棚、と言えばいいのかな。柱があって、上に格子状や平行に木材を渡すの。ガゼボはもっとしっかりした造りの東屋ね。屋根付きで、壁がある場合もあるわ。どっちも日陰を作ったり花を楽しみながらお茶ができるような、屋外の休憩所なの」
身振りを交えて説明すれば、なんとなくわかってくれたようだ。この辺りがいいと私が示した場所で、イリスも幅や奥行きなどを確認した。
「花はどんなのがいいんだ?」
「うーん……薔薇くらいしか思いつかない」
そもそもこの世界に薔薇はあるのかな。桜っぽいのがあったから、似たものはあるかもしれない。
「でも薔薇はとげがあるからなあ」
「色は?」
イリスはどんどん質問を重ねる。私が出した希望はすべてかなえられそうだ。
「白か淡いピンクがいいな。薔薇でなくてもいいから、なるべく長い期間楽しめて、とげのないもの……って、私の希望ばかり聞いてるけど、そっちはどうなの? イリスの好みも言ってよ」
「僕は別に何でもいい。ん、でも、大きい花より細かい花がこぼれるように咲いてるのがいいかな」
話はすっかり花選びになって、つまり東屋を作ることは決定だ。こんなふうに希望を出し合って計画するのが楽しい。
「東屋って誰に作ってもらうんだろう。大工さん? それとも庭師さん?」
「どっちかと言うと大工かな……いっそ、自分で作るか?」
「え?」
いたずらっぽい笑みで、イリスは言った。
「その方が楽しいと思わないか? 全部他人任せにしてないで、自分でも家を整えるんだ」
「そりゃあ……」
それができれば楽しいとは思う。でも作るといっても、そう簡単にできるものじゃないと思うんだけど。私DIYなんてやったことないよ。
「釘一本打てる気がしないわ……」
「そういうのは僕がやるから。君は設計と作業の手伝いをしてくれよ」
「イリス、できるの?」
「故郷では水車小屋とか修理したし、嵐で竜舎の屋根が吹っ飛んだ時にも僕が上って直したぞ」
なんとも頼りになる人だ。これで大貴族の若様って、なにかがおかしい気がする。
でもわくわくしてしまった。DIYそのものに憧れがあるわけじゃない。自分ひとりなら絶対にやらない。イリスとふたりで作るという、その計画が心を浮き立たせた。
「決まりだな。仕事の合間にふたりで頑張ろう。花もいいのがないか探しておくよ」
お日さまの笑顔に私も笑って頷く。こうして、小さな館は私たちの住まいと決定した。
家の中を職人さんがリフォームしている横で、私とイリスは東屋の製作に励んだ。形は六角形の、パーゴラとガゼボの中間みたいなものにした。ガゼボはさすがに素人には難易度が高いし、普通のパーゴラでは物足りなかったので。
「さすが細かいし、よく計算してるな」
私の描いた設計図を見ながらイリスは木材を切る。コンパスや分度器はこちらにもあるので、使い方を教わって設計した。日本で受けた教育に感謝だ。こういう初歩的な設計なら十分できるくらい、日本の基礎教育は優れている。
「イリスみたいに適当な人が、よく小屋だの屋根だの修理できたなと思うわ。板を切ったら幅が合わなかった、なんてなかったの?」
「大体の勘でやってたけど、特に問題はなかったなあ。ちゃんとぴったり合ってたぞ」
本当かな。イリスのことだから、ずれていても気にしなかっただけなんじゃないの。
子供が遊んでいる時に倒れたりしたら大変なので、いい加減には作れない。強度はしっかりさせておかないと。私は設計図をプロにも見せてアドバイスをもらった。そしてイリスは意外なほどきちんと、設計図どおりに作ってくれた。特に神経質に計っているふうでもないのに、切った木材を合わせるとちゃんとぴったりなのだ。おかしい。この人本当に勘と本能で生きている。ちょっと納得がいかない。
毎日は来られないので時間がかかったけれど、家が若返り庭もきれいになっていく中、東屋も少しずつ形を作り上げていった。
東屋の完成が近付いてきた頃、エンエンナ宮殿にお客様がやってきた。ハノーエという外の島にある国からの外交使節団だ。
「お初にお目にかかります、ルゥナ=ミィジと申します」
使節団の代表は、なんと私と同年代の女の子だった。紅茶色の波うつ髪が印象的な、可愛らしい子だ。
「この世のはじまりの地、シーリースはロウシェンを訪れることがかないまして、望外の喜びに存じます。公王様におかれましては、此度の訪問を快く受け入れてくださいましたこと、ハノーエの民を代表してお礼を申し上げます」
若い使節の口上を、私は玉座から離れた目立たない場所で聞いていた。
「見たところ普通の使節団のようですけど」
そばには背ばかり高くて縦にも横にも薄い、幽霊のような男性が立っている。
「代表が女の子っていうのも、そう珍しくはないですよね? 私が特使になったこともあるんだし、外交なんて王族のお仕事として定番では?」
抑えた声で尋ねると、オリグさんは頷いた。
「いかにも、彼女は現国王に近い血筋と聞いております」
ハノーエは政治と宗教が一体化していて、王族は祭祀を司る神官でもある。今回の訪問も、外交より宗教的な意味合いが強かった。
なんでも神の山エンエンナに奉納をして、神木をもらって帰るとかなんとか。シーリースでも創造神をはじめとしていろんな神様が信仰されているが、あまり聞いたことのない儀式だ。
エンエンナに踏み入るということは、すなわちロウシェン王宮の敷地内に入ることである。当然ハルト様の許可が必要になる。なのでこうして、正式に使節団が結成され、表敬訪問しているわけである。
流れを見ればどうということのない、普通の国際交流だ。うちの参謀室長が何に引っかかっているのか、私にはよくわからなかった。
「ハノーエとの関係は、あまりよくないんですか?」
使節団の目的に警戒すべしと言った上司は、質問に小さく首を振った。
「よくも悪くもありません。普段使節が行き来することもなく、非常に疎遠な間柄でした」
「国交がなかった?」
「一応はあります。先代陛下ご崩御の際や、今上陛下ご即位の際など、特に大きな国事の折には特使が来ておりました」
それ以外では大使を置くこともなく、ほとんど交流のない状態だったとオリグさんは続けた。私はなるほどと、少し考える。
絶縁状態ではないけれど、冠婚葬祭くらいでしか顔を合わせなかった疎遠な相手。それが突然に訪ねてきたから、何事かと警戒しているわけか。
……そんなに警戒する必要があるかな? ちゃんと事前の手続きは済ませているし、宗教儀式が目的なんだから、式年遷宮みたいに何十年に一度の特別な年なのかもしれないじゃない。
「向こうはそう言っておりますな。その通りであればよいのですが、どうにも引っかかりましてな」
「参謀室長としての勘ですか」
「さよう」
飄々とオリグさんは頷く。人騒がせな外見とお茶目な性格でイロモノ枠を担当しているゾンビだが、本職は頭脳労働者だ。参謀官としての経験と勘が何かを嗅ぎ取っているのなら、私はそれを信じて調べるまでだ。
「わかりました。彼女とは同年代の女同士ということで、接近もしやすいと思います。なるべく使節団に同行して、彼らの目的をさぐりましょう」
新入り参謀官としての頑張りどころだ。正直知らない人たちにこっちから近付いて仲良くするなんて、非常にプレッシャーを感じる仕事だが、やるしかない。いつまでも人見知りで引きこもってはいられない。正式に参謀室に就職し、社会人になったんだから、好き嫌いで仕事を選んではいられない。
隙あらば逃げたがる気持ちをねじ伏せて、頑張るのだと自分に言い聞かせる私を、オリグさんはしばし無言で見つめ、頷いた。
「……そうですな。よろしくお願いいたします」
書籍に関する詳細は、9/10付の活動報告にてお知らせしています。