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明日天気になったなら  作者: 桃 春花
第二部 はじめての友
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 襲いくる衝撃は何度目だったろう。

 無理な体勢で身を乗り出していた私は、バランスを取れずに手すりの向こうへ転げ落ちてしまった。眼下にあるのは、海。

 とっさに伸ばした手がどうにか手すりをつかまえたのは上出来だった。けれど私の運もそこまでだ。片手ひとつで自分の体重を支えることはできない。懸垂の要領でよじ登れるほどの筋力もない。思わず向けた視線の先に、驚きと恐怖に染まった顔があった。

 ……私は何を期待していたのだろう。何か期待できると思っていたのだろうか。あの子が私を助けるはずなどないのに。

 そむけられる顔。すぐに視界から消える姿。私には笑うしかできなかった。

 わかりきっていたことだ。なのに、何を期待していたのか。己の愚かさに笑いしか出てこない。

 じきに力が尽きて、私は落ちていく。視界に広がるのはにくたらしいほどの青空と、不自然に傾いた船。

 なんてつまらない、みじめな私の――……




「……ト、ティト、起きなよ、もう着くよ」

 肩を揺さぶられて意識が覚醒した。私はぼんやりと目を開く。船室で到着を待っている間にうたた寝してしまったらしい。イリスが私をのぞき込んでいた。

「……着いたの?」

 身体を起こせば夢の名残はすみやかに消えていく。目の前にあるのは狭く古めかしい木造の船室だ。あの客船のような、近代的な設備ではない。座っているベッドも簡素な造りだった。

 目の前に立っているのは銀髪の男性だった。二十歳前にも見えるきれいな女顔なのに、実は二十四歳ズボラで大雑把な中身オトコマエ。腰に剣を提げた、現代日本ではコスプレ会場くらいでしか見かけない姿をしている。

「ああ、着いたよ。もう宮殿のすぐ上だ。さあさあ、寝ぼけてないで早く行くぞ」

 イリスは上機嫌で私を急き立てた。彼に連れられて船室を出、階段を昇れば風が髪を吹き散らす。

 まだ船は着陸していない。飛行中だ。そうと悟って私は足を止めた。

「どうした?」

 先を歩くイリスが振り返る。

「着くまでここで待つ」

 飛行中に甲板に出るだなんて、私には恐怖以外の何ものでもない。たとえ端に寄らなくても、いつ外へ放り出されて落ちるかと気が気でない。

 もともと高い場所は苦手だったが、一度船から落ちたため余計に恐怖心が強くなったようだ。

 しかし私の身に起こった出来事を知らないイリスは、にやりと笑って腕を伸ばしてきた。

「何言ってんだ、こんなとこに籠ってたんじゃ損だぞ」

 私の腕を取って強引に上へ連れて行こうとする。やめてほしい。この無神経さに本気で腹が立つ。

「いいって……離して」

「見ないと本当にもったいないぞ。大丈夫だから、ほら行こう」

「いや。はなして」

 私が本気で嫌がっているのに、イリスは平気な顔をして引っ張る。いい加減にしてほしい。蹴飛ばしてやろうか。

 私の剣呑な目つきに気付いたのかどうか、イリスはさらに私を強く引っ張り、あろうことか抱き上げてしまった。

「な……っ」

「ほーら、怖くないこわくない」

 子供にするように――というか、完全に子供扱いだろう! 軽々と私を片腕に抱いて甲板へ上がってしまう。この馬鹿力――いや、本当に大丈夫なんだろうか。私だってそこそこ体重がある。さほど大柄でもない彼に、こんな体勢でしっかり支えることなんてできるのか。ふらついて落っことされたりしないだろうか。もし、そんなことになったら。

 これだったらまだ自分の足で歩いた方がましだ。

 恐怖に身をすくませる私を、ハルト様や騎士たちが笑って見ている。みんな他人事だと思って! 私のこれは実体験に基づくトラウマなんだぞ! 本当に船から放り出された経験があるから怖がっているのに!

「ほら、しっかり顔を上げて見てごらん。落ちやしないから」

 必死に首にしがみつく私の背中をイリスが叩く。もう我慢ならない。文句を言ってやろうと顔を上げ――絶句した。

 嫌でも周囲の風景が視界に入ってくる。切り立った崖はどれほどの落差なのか。天から地へと注がれるごとく、水の柱が白い飛沫を立てながら流れ落ちている。

 それは、山の中に埋め込まれた建物だった。

 斜面のあちこちに人工物が顔を出している。西洋の神殿を思わせる大きな柱が何本も並び、その奥に優美なたたずまいが見え隠れしている。宮殿といったらベルサイユやバッキンガムを思い浮かべる、私の想像とはかけはなれた光景だった。これは宮殿というより岩窟寺院の類だろうか。けれどあんな岩肌むき出しの荒削りな風景ではない。山の緑に白い建物が映え、自然と調和しつつ芸術性をいかんなく発揮する、神々しい美しさだった。

 各所に点在する建物の間を廊下や階段がつないでいる。山肌を這う場所もあれば、完全に空中を渡るものもある。見ている分には幻想的できれいだが、あそこだけは絶対に歩けないと確信する。

 崖から流れ落ちる滝は二本。正面から見ると、ちょうど左右対称になっている。もとからそうなっている場所に宮殿を造ったのだろうが、あまりにも見事な眺めに滝まで人工的に造られたものではないかと思えてくる。

 そして二つの滝から流れ落ちた水は、これは確実に人工物とわかる池に注がれていた。

 巨大なプールは周囲の建物とつながり、そこが城の玄関口で船の到着地点であるとすぐわかる。

 空からの出入りを念頭に置いて造られた、この世界ならではの建築物だ。

「どうだい、我らがロウシェンの天空宮殿は」

 誇らしげなイリスの声に我に返った。絶景に目を奪われるあまり、恐怖を忘れていたことに気付く。視線を戻せば、いたずらっぽい笑顔とぶつかった。

 むう……。

 してやったりな顔に無性に悔しくなるが、ここで文句を言うのもどうかという流れである。

 だからといって素直に素晴らしいと認めるのもしゃくで、結局私はむっつりと黙り込むばかりだった。

 イリスは快活に笑う。私を抱く腕は揺るぎもせずしっかりと支えている。細身なくせに大した力だ。

 少しだけ安心して、私はさらに広い範囲に目を向けた。宮殿を抱える山は横に長く伸びて、いくつもの峰が連なる山脈を形成している。山裾へ向かうにつれて建物の数が増え、街になっていくが、平坦な土地は少なかった。農地とおぼしき場所も、たいていは斜面に作られている。段々畑だ。これまでに見てきた場所とはかなり異なる風景だった。

「ロウシェンは国土の大半が山岳地帯なのだ」

 そばへやってきたハルト様が、私の内心を読み取ったように説明してくれた。

「シーリースの背骨と言われるカダ山脈を中心に、民の多くは山で暮らしている」

 そうなのか。勝手にヨーロッパ風の街並みを想像していたため、かなり意外な気分だった。

「山での暮らしって……なんだか大変そうですね」

「そうか?」

 面白そうにグレーの瞳が向けられる。

「ええと、移動がきつそうだし、集落や農地を作るのも難しそうだし、水を確保するのも大変なんじゃ」

 考えながら言うと、ハルト様は声を上げて笑った。温かな笑顔だ。

「そうだな。しかしどこに住んでもまったく苦労や問題なしというわけにはいかぬだろう。人はその土地になじみ、工夫して暮らすものだ。ロウシェンの民はそう悪い暮らしはしておらぬはずだぞ。それに水の問題は心配せずともよい。むしろ平地の民よりも恵まれている」

「……山から流れ出る水ですか」

「そうだ。カダは恵み多き神の山だ。一年を通じて水は豊かに流れ、実りをもたらす。そうだ、温泉も多いぞ。チトセは温泉というものを知っているか? 自然に湧く湯なのだが」

「知ってます! え、じゃあカダって火山なんですか?」

「うむ。まあこの付近は噴火することはないから大丈夫だ。多分な」

 いや多分って。もしもし王様。

「私の知るかぎり、エンエンナが噴火したという記録はない。ただ自然は気まぐれなものだから今後も必ずとは言いきれぬが、その時はその時だ」

 なんておおらかなご意見だろうか。まあそのくらいの気持ちでないと暮らしていけないのかもしれない。日本だって火山も断層も多くて地震の危険と常に隣り合わせな国だったが、それが怖いと逃げ出すわけにもいかず、対策を講じつつどうにか暮らしていたものだ。

「火山は恩恵ももたらしてくれる。先ほども言ったように温泉が涌くからな。城にも湯を引いて、常に風呂に入れるようになっているのだぞ。そんな贅沢ができるのはシーリース三国の中でもロウシェンだけだ」

 今、私の目はさぞ輝いているだろう。温泉。お風呂。なんという魅惑の響きだろうか。風呂好き日本人にはたまらない。

 船ではお風呂になんて入れないし、リヴェロの離宮で用意してもらったのも小さなバスタブにお湯を張っただけというものだった。それだってガスやオール電化のないこの世界の状況を考えれば、十分な心づくしであることはわかっていた。文句なんて言えるはずもないと自身に言い聞かせていたが、やはり日本人としては肩までしっかりつかれるたっぷりのお湯がほしい。

 ここにはそれがある。しかも常時利用可能とは、なんてすばらしい。私ロウシェン選んでよかった。うっかりカーメル公の口車に乗らなくてよかった。温泉万歳。

 などと感動に打ち震えていたのに、

「カーメル殿もこちらへ来られる時には、温泉を楽しみにしておられるからな」

 続くハルト様の一言で、私の機嫌は一気に叩き落とされた。

「カーメル公……来るんですか」

 ひんやりと低くなった声に、目に見えてハルト様がびくついた。

「ま、まあ……時折、な。その、定例会談の会場は持ち回りで、次回はうちの担当でな……」

「へえ……」

 違う種類の笑いが口許に浮かんでくる。私を抱くイリスが苦笑した。

「そんなに嫌わなくても。まあ、最後のアレは強烈だったけどさ」

 そうとも。ただでさえいい印象はなかったのに、アレで決定的になったのだ。

 あのセクハラ公王。人形みたいに綺麗な顔をして、悪いことなど何一つしませんって顔をして、いたいけな少女を手玉に取って利用しようとしたあげく悪ふざけで唇まで奪いやがった。一般人がやればれっきとした痴漢行為で警察沙汰なのに、王様という立場ゆえに許されるだなんてふざけている。法が許しても私は許さん。いつか必ず泣き入れさせてやる。

「しょうがないんじゃない……? 女の子にしてみたら、許せることじゃないだろ……怒るのも無理ないよ」

 何事にも関心がなさそうな顔をしていながら、意外にもトトー君がいちばんの理解者だ。ぼんやりした表情の下で何を考えているのか、少しばかり興味がわく。

 私と同い年の赤毛の少年は、刻々と迫りくる宮殿を見つめていた。つられて私もまた目を向ける。もう細部がはっきりとわかるくらいにまで船は高度を下げていた。プール――いや、船が入るんだから港と呼ぶべきか。そこに人がたくさんいる。

 みんなこの船を待っているのだ。自分たちの王様を出迎えるために。

「さあ、到着だ」

 ハルト様が楽しげに宣言した。




「お帰りなさいませ。つつがなきご帰還、心よりお喜び申し上げます」

 居並ぶ人々が一斉に頭を下げてハルト様を出迎える。代表格のおじいさんに、ハルト様は頷きを返した。

「ああ、出迎えご苦労。皆も変わりないか」

「はい。エランドはいかがにございましたか」

「うむ、なかなか有意義な訪問であった」

 集まった人々の数は、軽く数百人に達するだろう。これまで少数の護衛と一緒に寝起きして、いたって気さくにふるまうハルト様しか見てこなかったから、王様だと聞かされてもあまり遠い人という感覚はなかった。ハルト様はいつも優しくて親身になってくれて、私は家族といる時のような穏やかな安心感を覚えるほどだった。

 けれど今さらながらに、身分という現代日本ではあまりなじみのないものを実感した。本来なら私が近くに寄ることもないはずの人なのだ。偶然のなりゆきでこうして一緒に旅をしてきたけれど、立派な身なりの人々にかしずかれる彼を見ていると、無造作にそばへ寄ってはいけないような気になる。

「どうした?」

 所在なく立ち尽くす私をイリスがのぞき込む。

「別に、何も」

 首を振って答えかけた時、そばに人が立った。

 振り向くより早く、大きな手が頭に落ちてくる。

「なんだ、この可愛い子は? こらイリス、どこからさらってきた!」

 陽気な大声が降ってくる。わしわしと遠慮なく頭をなでられて、その力の強さに揺さぶられる。

「こんな小さい子をさらってくるとは、お前どういうつもりだ。まさかそっちの趣味があったのか」

「アルタ……大きな声で人聞きの悪いこと言わないでくれよ」

 イリスの呆れた声がする。

「たしかにその子を見つけたのは僕だけどさ、最終的にはハルト様のご決断で連れてきたんだよ」

「なにっ? では、ハルト様がこの子を? こんな、親子ほどに年の離れた娘をっ。まさか、自分好みに育てようという計画か? なんてうらやましいっ」

「……馬鹿者」

 ハルト様もため息まじりに言った。

 私は無遠慮な手からなんとか逃れて顔を上げた。おそろしく背の高い人が立っていた。でかい。二メートルくらいあるんじゃないか。肩幅も広くがっしりとした、それは見事な体格の男性だった。

 私を見下ろしにかっと笑う顔は、若々しく端正だ。多分ハルト様と同じ年頃だろう。奔放に広がった金色の髪が、ライオンのたてがみを連想させた。

 ライオンおじさんは私の前にしゃがみ込んだ。

「やあ、こんにちはお嬢ちゃん。俺は竜騎士団長のアルタだ。お嬢ちゃんのお名前はなんと言うのかな? 何歳(いくつ)だい?」

 ……ふ。もう腹も立たない。どうせこの場の誰もが、私を小学生と思っているのだろう。

 私は乱された髪を落ち着かせ、ことさらにていねいに挨拶した。

「はじめまして。佐野千歳と申します。十六歳です。船の事故でこの島に流れ着いたところを発見され、救助していただきました。しばらくこちらでお世話になる予定です。よろしくお願いいたします」

 にこにこして私を見上げていたライオンが、笑顔のままぴきりと固まった。

「……十六?」

「はい。あと三か月ほどで十七歳ですが」

「本当に?」

「はい」

「…………」

 しゃがみ込んだ体勢のまま、ライオンはたっぷり十五秒間は沈黙した。

 そしていきなり、

「よっしゃあぁっ!! それなら守備範囲内だ! この際胸がないのは妥協する! 俺と付き合おう嬢ちゃん!」

「おとといきやがれ」

 勢いよく立ち上がったライオンに、つい私は冷たく言い放ってしまった。いかんいかん、ハルト様が目を丸くしている。

 私は軽く咳払いして、礼儀正しく言い直した。

「失礼いたしました。セクハラ助平親父は守備範囲外です。それ以前に男という生き物がそもそも好きではありませんので、他をあたってください」

「あうっ、さり気なく親父認定されたっ」

「アルタさんはおいくつなんですか」

「ううっ、三十四……」

「三十路の分際でぴちぴちの十代に言い寄らないでください。キモいです。私の国では立派に犯罪です」

「なにこの子きつい! 笑顔でグサグサ来るよ!」

「ティト……もしかして、胸のこと気にしてる?」

 横からいらん口を挟むイリスに、私は一瞥をくれてやった。たちまち彼はおとなしくなった。何か言いたげだったトトー君も視線をそらした。

 竜騎士団長と名乗ったアルタを、私はあらためて観察した。なるほど、見た目はその肩書にふさわしい立派な騎士ぶりだ。黙っていれば美丈夫と言ってさしつかえない。しかしこの性格、少々軽すぎやしないだろうか。

「うわあ……氷みたいな視線だ……ああ、なんかいけない悦びに目覚めそう」

 でかい図体をくねらせて一人で騒いでいる。私の目つきがさらに冷えていくのは許してほしい。こんなんが騎士団長って、この国大丈夫か。こんなのが上司でイリスたちオッケーなのか。

「いい加減にしなよアルタ。そういうしょうもないこと言うからフラれてばかりなんだよ」

「あっ、うるさいぞイリス! すぐフラれるのはお前も一緒じゃないか!」

「どっちも見た目を中身が裏切ってるからね……イリスはともかく、アルタはいい加減本気で嫁さん探さないとまずいんじゃない……」

「お、俺はハルト様より先には結婚しないんだ! 主君であるハルト様が先なんだよ!」

「そんな義理立てはいらぬ。さっさと嫁をもらえ」

「ああっ、ハルト様までえっ」

 ……やかましいことだ。

 私はため息をついて、騒ぐ男どもから数歩離れた。

 それにしても、今どさくさで結構重要なことを聞かされたな。ハルト様、独身だったのか。てっきり奥さんがいると思っていた。

 普通の男性なら晩婚だろうが生涯独身だろうがかまわないけれど、王様がそれではまずいだろう。それともこの国は世襲制ではないのだろうか。お世継ぎ問題、どうなっているのかな。

 ……ここで悔しくもカーメル公のことを思い出してしまったのは内緒だ。アラサーの彼はどっちなんだろう。奥さん、いるのかな。

 どっちでもいいけどね! 関係ないし!

「ハルト様」

 男同士のウザいじゃれ合いに、鈴の音が割って入った。

 ぴたりと騒ぎが止まる。私も声のした方に目を向けた。

 若い女性が進み出ていた。二十歳くらいの、とてもきれいな人だった。

「ユユ」

 ハルト様が優しい笑顔を向ける。

 呼ばれてうれしそうに微笑む彼女は、本当に美しかった。プラチナブロンドの髪は長く、光をまとうように背を流れている。色白で、折れそうなほどに華奢なのに、この上なく女性的なまろやかさを備えている。胸のふくらみも私とは大違いだ。

 お姫様だと思った。単純な感想がそのまま事実であることを、私はすぐ知ることになる。

 彼女はゆっくりと歩いてきた。柔らかそうな布がその身を包んでいる。コルセットやクリノリンを仕込んだ大仰なドレスではなかった。もっとすとんとしていて身体の線に沿っている。割と動きやすそうなデザインだと思うのに、それでも彼女はずいぶんと時間をかけて歩いてきた。

 ようやくハルト様の前までたどり着き、両手を交差させて胸に当てる。その姿勢のままひざまずいた。

「ご無事のお戻りを、うれしく思います」

「ああ」

 ハルト様が手を差し伸べる。その手を取り、ユユさんは立ち上がる。

「わざわざここまで登ってきたのか。後で出向いたものを」

「待ちきれませんでした。ようやくハルト様が帰っていらしたのに、ただ待ってなどいられませんわ」

「大げさな。いつものことではないか」

 ハルト様はユユさんの頭をなでる。慈愛に満ちたまなざしだ。傍目にも、ふたりがとても親しい間柄なのがよくわかった。

 ハルト様がこちらを見た。

「チトセ、こちらへ」

 呼ばれたものだから周囲の視線が集中する。ユユさんも私に目を向けてきた。

 やだなあ。変に注目されたくないから、ここは放っておいてほしいのに。

 などと文句も言えないから、私はおとなしく彼らの元へ歩いた。

「ユユ、チトセだ。詳しいことは後で説明するが、私が保護することになった娘だ。そなたと年も近いから、仲良くしてやってほしい」

「あら……おいくつですの?」

「十六です」

 私の答えにユユさんは、淡い青の目を丸くする。

「まあ、わたくしと二つしか違わないの? もっと小さい子かと……」

 ユユさんは十八か。彼女が大人っぽいのか、私が子供っぽいのか――人種的な違いだろう。胸の違いもきっとそのせいだ。

「ユユ、そなたに頼みがある。しばらくチトセを預かってはもらえまいか」

 ハルト様の言葉にユユさんは首をかしげた。

「わたくしが?」

「うむ。いきなり一の宮に住まわせるよりも、その方がよいと思ってな。同性で年も近いそなたの許にいる方が、チトセも落ち着くだろう」

 ……いや、それはどうかな。

「ええ、もちろん、ハルト様のご希望でしたら」

 ユユさんは笑顔でうなずく。

 ……本当にいいのかな。

「チトセ、ユユは私の親戚でな。ここより少し下にある、三の宮で暮らしている。そなたをユユに預けるが、心配はしなくてよい。私もできるだけ顔を出すから」

「はい」

 私にはただうなずくしかできなかった。それ以外に何ができるだろう。居候で生活全般面倒を見てもらっている身である。彼のどんな決定にも従うしかない。

 別に、どこで生活しようと同じだろう。そう自分に言い聞かせる。右も左も知らない人ばかり、初めてやってきた場所だ。どこへ行こうと同じこと。

 そう――

 どうせ、どこで何をしていても、私を待つ結末は同じなのだから。

 いかにも優しげに微笑むユユさんに、あの子の姿が重なって見え、私はため息をそっと押し隠した。

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