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明日天気になったなら  作者: 桃 春花
第十部 時を越えて
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「お久しぶり……と、ご挨拶しておきましょうか。三年前は束の間の顔合わせでしかありませんでしたが、あなたのことはよく覚えておりますよ」

 現れた人は、誰もが目を奪われずにはいられない婉然たる笑みを浮かべ、しっとりとした声で挨拶した。

 迎える側も負けていない。対峙する者を居すくませる威圧感をともない、堂々と挨拶を受ける。

「相変わらず男にしておくのが惜しい美貌だな。女ならば確実に騒乱の種になっていたことだろう。もっとも世の中には、男でもかまわんという節操のない輩もいるらしいが」

 男性にとってはあまり称賛にならない、下手すると侮辱とも取れそうな言葉を、カームさんはやんわりと微笑むだけで流す。このくらいのやりとり、小手調べにも入らないのだろう。

 対照的なふたりだった。どちらも長身で、すぐれた容姿の持ち主だ。でもカームさんが明るい色彩をまとい、華やかで優艷な雰囲気なのに対し、ディオンは黒ずくめのそっけないいでたちと、氷の刃のような気配を漂わせている。とろけるような色気をしたたらせているカームさんとは違い、ディオンは口元だけ笑っていても脅しつけているかのような迫力だ。

 会談に使われている部屋とつながる隣室で、私はひそかにようすを見守っていた。ここまで正反対なふたりというのは、意外に気が合って仲良くなるか、犬猿の仲になるかのどっちかだろうけれど……この場合はたぶん後者だな。なんともいえない寒気を感じる。

 カームさんの姿を見るのはとても久しぶりだ。あれから何ヶ月経ったかな。美貌にいっそうの凄味が増したように思うのは、今彼が完全に臨戦態勢だからだろう。

 なんでもない時にはもっと安心して見ていられるのだけれど、今のカームさんは美しすぎて怖かった。容姿だけの話でなく、雰囲気、表情、物腰、なにもかもが人の視線を吸いよせて平常心を失わせる。ディオンとデュペック候はさすがに揺るぐようすを見せないが、周りは明らかに浮足立っていた。男性も女性も関係ない、みんなカームさんに意識をうばわれている。

 いつだったか、あの人こそ最強兵器じゃないかと思ったことがあるけれど、冗談じゃなくそう思う。カームさんが本気でかかれば、たらし込めない相手なんかいないんじゃないのかな。

 おそらくディオンもそれを感じているのだろう。カームさんのペースに乗せられないよう、警戒しているのがよくわかった。

 ふたつの部屋の間は格子で隔てられ、さらにこちら側には薄布の幕が引かれている。窓がなく暗いこちらからは向こうのようすがよく見え、カームさんの方からは私がここにいるとわからない仕組みだ。声を出せば聞こえるほど近くにいるのに、気付いてもらえないのがもどかしい。

 座る私の両横に立つ兵士が、おかしな動きをすれば即取り押さえるという目つきで監視していた。会談の行方を見届けるため、私は人形に徹するしかなかった。

「なんだ、それは?」

 カームさんのお供が運び込む品々に、ディオンが眉をひそめた。飾り気のない室内に、場違いにきらびやかな品が積み上げられていく。

「非公式とはいえ、他国の王を訪問するのに手土産もなしに来るほど不調法ではありませんよ。ロウシェンとアルギリからもよろしくと頼まれて、預かってきました。お受け取りください」

 シーリースの富を象徴する品ばかりだった。リヴェロの宝石細工にアルギリの工芸品、ロウシェンからはシャール産の織物。その他さまざまな宝物にくわえ、お酒や果物まである。エランド人たちが目をむいている。

 ディオンだけが不快そうに鼻を鳴らした。

「賄賂のつもりか? こんなものでこちらを動かせるとでも?」

「おや……」

 カームさんはくすりと笑いをこぼした。そんな、なにげないしぐさにも色香があふれていて、見慣れたはずの私までどぎまぎしてしまう。

「わたくしは、それほど俗物と思われているのですか。残念なこと……こちらの風習にはくわしくありませんが、シーリースではごく普通のことですよ。むしろ少ないくらいです。なんといっても、今回は非公式ですし、一応まだ交戦中という関係ですからね」

 最後にちょっぴりお茶目なまなざしを送るあたりも、さすがというかすごいというか、一歩間違えるとあざといとしか言えないのに、そう感じさせないのがやっぱりすごい。周りの人が頬を染めているのを見てしまった。いや、その気持ちはよくわかる。もう性別とか関係ないよね。これはもはや対人兵器だ。私よくあの人のプロポーズ断れたな。自分にびっくりだ。

 ただ、その色気もディオンにだけは通じないようだった。のぼせるどころか、ますます目つきが友好から遠のいていく。つまらないものを見る目で贈り物を一瞥し、ディオンはそっけなく顔をそむけた。そのままどさりと椅子に腰を落とす。公王への礼儀なんてまったく無視して、しぐさでカームさんにも座るよううながした。

 カームさんはしとやかに腰かけ、ディオンと向かい合った。

「まどろこしい話は省略してもらおう。社交辞令を交わすために貴公を迎え入れたわけではない」

「性急なこと。ですが、迅速に話が進められるのはこちらとしても歓迎です。ではさっそく本題ですが、エランドは和平条約を受け入れる、ということでよろしいでしょうか?」

 事前にある程度の話は詰められていたのだろう。カームさんは言葉どおり、ずばりと本題に切り込んだ。

(さき)の戦ではこちらからから攻め込んだ。侵攻を受け、なおかつ勝った側から和平を言い出されるとは、奇妙なことだ」

「もちろん、無条件ではありませんよ。こちらからの条件はすでに提示したとおりです。かつてエランドへ侵略を試み、現在統治下に置かれているジリオラ、ラシュエル、ゲイナの三国については今後もエランドの属領に。その他の国に対しては主権を回復させ、エランドの支配は受けぬものとする。自主的に現状維持を求める国があれば別ですが、離別を求める国に対してエランドは一切の権利を放棄すると誓約していただきます」

「…………」

「くわえて、戦後補償についての話し合いに応じること。エランドの民が生きていけなくなるほどの無茶を要求する気はありませんが、まったく何の補償もなしというわけにはいきませんよ。これは生産力などを調べたうえで決定することですが、無辜の民を多数殺戮した罪は償っていただきます」

 くっと喉の奥を鳴らしてディオンは笑った。

「回りくどい言い方はやめろ。貴様らが求めているのは、わが国の軍事力だろう。他国の手に渡ることを恐れ、その前に自分たちが手に入れようとしているのではないか」

「否定はしませんよ」

 内心を見せず、蠱惑的な笑顔のままカームさんはさらりとうなずいた。

「リヴェロは直接の交戦を避けられましたが、報告は受けています。常識を覆す兵器を生み出したようですね……それだけに、他国が手に入れたところで安易に利用できるとも思えません。エランド人以外には、まず何をどう扱うのかもわからぬでしょう。我々も同じこと。取り上げたとて、宝の持ち腐れになるだけでしょう」

 カームさんは戦闘機を見ていない。リヴェロは伝え聞く話でしかエランドの戦い方を知らない。これはおそらく、ハルト様やオリグさんから話を聞いたんだな。私が考えたことと一致する。

 私だって、あれがどういうものはわかるけれど、いざ動かせと目の前に出されたら困る。飛行機の操縦法なんて知らない。ましてこの世界の人が手に入れたところで何ができるだろう。仮にエランドが陥落したとしても、たちどころに戦勝国がシーリースの脅威になるわけではない。

 時間をかければエランド人から知識を得ることも可能だろうけれど、その前にこちらも手を打てる。やはり、いちばんの懸念はエランドそのものだった。

「渡せと言ったところで、あなた方も聞き入れられないでしょう? 交渉を決裂させるような愚を犯すつもりはありません。ですので、エランドの新兵器については、ひとまず保留です。かわりに、条約締結後エランドには監視団を置かせていただきます。リヴェロ、ロウシェン、アルギリの三国から派遣します。あなた方が条約を無視して、ふたたび軍事行動を起こすことのないようにね」

「…………」

「シーリースがエランドを占領するという意味ではありませんよ、念のため。エランドの主権は侵しません。我々は欲のために他国へ攻め入るような、道理にはずれた真似はしません」

 最後にさらりと皮肉を付け足して、カームさんは言葉を切る。ディオンは無言で彼をにらんでいたが、刺すような視線にカームさんはびくともしなかった。

 しばらく沈黙が下り、ディオンが小さく鼻を鳴らす。

「ずいぶんと親切な申し出だ。今の状況ならば、問答無用で攻め落とそうとしてきてもおかしくはないものを、なぜそうも譲歩する?」

「だからこそ、ですが?」

 カームさんは調子を変えず答える。

「今ならば、エランドもこちらの申し出に耳を傾けてくれるだろうと判断してのことですよ。どうも誤解があるようですが、わたくしたちはエランドを攻めたいわけでも、支配したいわけでもありません。もともとほとんど関わりを持たぬ、遠い間柄だったでしょう? 戦は国と民を疲弊させます。たとえ勝とうとね。我々がもっとも望むのは、早期の解決と、その後の平和です。安定した情勢こそが、国を発展させるのです。そしてそれは、あなた方も痛感しているであろうと思っているのですが」

 一旦言葉を切り、ディオンの反応をうかがう。無言で眼を光らせる相手に、ほんのわずか表情を引き締めた。

「これまで勝ち戦を重ね、属領とした国から搾取するようになって、エランドは多くのものを手に入れたことでしょう。しかし、それで国は発展しましたか? 民は穏やかな日々を過ごせるようになったでしょうか。ある面では潤いもしたでしょうが……相当に疲弊しているはずですよ。死者の数は生まれてくる子供の数を上回ったのではありませんか」

「…………」

 ディオンが歯ぎしりしたのがわかった。今のは、そうとうに痛いところを突かれたようだ。この二十年ほどの間戦を続けてきたエランドは、破竹の進撃の陰で疲弊を積み重ねてきたのか。

 戦争というものは、勝ったからといってまったくダメージが残らないわけではない。長く続けばそれだけマイナス面も増える。たぶん、そろそろ限界が近かったのだろう。シーリースの攻略に成功していればよかったけれど、失敗してさらに他国からも反撃を受けて、今のエランドはぎりぎりの状態なんだ。

 だから交渉ができると、公王たちは踏んだわけだ。今ならば、エランドは乗って来ざるを得ないと。

 カームさんが自ら乗り込んできたのも、危害をくわえられる恐れは少ないからだろう。それでもけっこう豪胆な行動だけど、見た目に反して度胸のある人だということは知っている。ついでに言うと、三公王の中で彼が交渉役に立ったことにも納得がいく。クラルス公では失礼ながらディオンに迫力負けしてしまうだろうし、ハルト様は腹芸に向いていない。こんなやりとりができるのはカームさんしかいない。

「戦を終わらせ、民が心穏やかに暮らせる日々を取り戻す。畑を耕し、商売を広げ、子を産み育てる……そうして国は豊かになっていくのです。我々にとっても、あなた方にとっても、必要であり有益な目的ではありませんか?」

「……よかろう」

 けっして納得したという顔ではなかったが、ディオンは吐息とともにうなずいた。

「そちらの申し出を受けよう。条件についても、大筋では合意する。ただし、ひとつだけこちらからも要求を出させてもらいたい」

「なんでしょう」

「我々が、祖王セトの末裔であることを、認めろ」

 真剣な眼がアメジストの瞳をとらえる。カームさんも笑みを消して受け止めた。

「我らは呪われた民でも、穢れた民でもない。外の連中が勝手に決めつけたいわれなき偏見を否定し、我らこそが始祖の正当なる末裔、本来ならばシーリースの主であったことを認めてもらおう。証拠ならばある。この地には始祖の廟があり、遺物が多く残されている。そもそも我らが使った兵器も、始祖の遺産を受け継ぎ再現したものだ。一般の民にはわからずとも、公王にはそれがわかるのではないか」

「…………」

 長いまつげを伏せて、しばしカームさんは思考する。ふたたびディオンに目を戻した時には、もう元通りの完璧な笑みが戻っていた。

「たしかに、公王とごく一部の者にのみ伝えられてきた話があります。それはあなた方の主張と一致する部分もありますが、彼がシーリースを追われたのはゆえあってのことと、語るものでもあります。公表することで、よい結果も悪い結果も生むでしょう。何百年も語り継がれてきた伝説を頭から否定する話が、すぐに受け入れられるとも思えません。場合によっては、かえってあなた方への風当たりが強くなるおそれもありますよ? それでも、望みますか」

「いまさらだ。我々は常に蔑まれ、憎まれてきた。何を言われたところで驚きもせん。だがこれ以上真実に蓋をして、偽りの罪を押しつけられるのは耐えがたい。なぜ我らが戦を始めるにいたったか、その経緯も含めて明らかにしたい。当然諸国はこぞって否定し、我々を罵倒してくるだろうがな、シーリースは責任を持って反論してもらおう」

「どういう責任があるのでしょうね……わたくしの知る話では、セトがシーリースを追われたのは自業自得と言えるものでしたが。この島には別の話が伝わっているのでしょうか? 何が真実で、何が偽りなのか、何百年もの時を経た今となってはたしかめるのも難しい。ですが、あなた方の地位を向上させるという話には協力しましょう。呪いだの穢れだのは、古い時代の迷信です。そろそろ、かびの生えた概念から解放されてもよい頃でしょう。ハルト殿はすぐに同意してくださるでしょうし、クラルス殿も否とは言われますまい。その要求、認めましょう。シーリースを代表して、わたくしが約します」

 カームさんの背後からシラギさんが進み出る。差し出された用紙とペンを受け取り、カームさんはディオンの前で書きつけた。たぶん、今の約束について一筆したためたのだろう。

 書き終えたものを受け取り、ディオンは無言で目を通す。そのままデュペック候に渡したので、内容に了承したということか。

「正式な調印式を行う前に、諸国にこの取り決めを知らせる必要があります。戦闘行為を停止し互いに兵力を差し向けないよう通達を出してから、日程を決めることになるでしょう。なるべく早く周知させるよう努力しますが、そちらもこれ以上の戦闘を行わないよう配下に徹底してくださいね」

「可能ならばな。攻めてこられたならば、戦うよりない」

「……真っ先に知らせるべきは、現在タイロン島に駐屯しているキサルス・セルシナ連合軍ですね。この後すぐに知らせを出しましょう」

 合意した後でさらにいくつかの確認を済ませると、カームさんは席を立った。この王宮には宿泊せず、すぐに龍船へ戻るようだ。私の方へは目を向けることもなく、出口へ向かう。離れていく背中に私は焦りと不安をおぼえた。

 気付いてくれない。私はここにいるのに。呼び止めることもできない。どうしたらいいの? 待って、行かないで。

 せめて、存在にだけでも気付いてもらえたら。私がここにいることをハルト様に知らせてもらえれば、助けが期待できるのに。

 とっさに合図の方法も思いつかず、出て行ってしまいそうな背中にあわてて椅子から立ち上がった。とたん、横から腕が伸びてくる。監視の兵が私を止めようと肩を押さえ込んだ。

 力に負けて椅子に尻餅をつき、さらに勢い余って転げ落ちてしまった。椅子がひっくり返り、派手な物音が響いた。ぶつけた痛みに声も漏れる。しまった、という顔で兵士たちが向こうの部屋へ目をやり、私も顔を上げたが、もうそこにカームさんの姿はなかった。

 ……行っちゃった。

 間に合わなかった。私のことには、気付いてもらえなかった……。

 床に倒れ伏したまま、落胆にうなだれる。足音が近づいてきて、格子戸が開かれた。幕を引いてディオンとデュペック候が現れた。

「おとなしくしていろと言わなかったか」

 降ってくる冷たい声に私は身体を起こし、ディオンを見上げた。

「立とうとしたのは悪かったけど、こうなったのは彼らが乱暴すぎたからよ。私に文句を言わないでほしいわ」

 椅子の直撃を受けた脚をさする。声を出したのはわざとじゃない、本当にものすごく痛かったのだ。それで気付いてもらえたらと期待もしたけれど、結局無駄だったのだから怒らないでほしい。

 にらまれた兵士たちは小さくなって謝っていた。私は差し出されたデュペック候の手を取らず、自力で立ち上がった。うう、まだ痛い。

「和平条約を受け入れてくれたことにはほっとしたわ。これで戦は終わるのね」

「…………」

 私の言葉をディオンは無視して、そのまま背中を向ける。ちょっとむっときて私は黒衣をつかまえた。

 いぶかしげな顔が振り返り、じろりと私を見下ろす。一瞬迫力負けしそうになったけれど、私はつかんだ手を離さなかった。

「返事くらいしてくれてもいいじゃないの。私にも訊く権利はあるはずよ」

「…………」

 ディオンは大きくため息をつく。その顔が、露骨に面倒だと語っていた。

 くそう、なんか無性に腹が立つな。私となんて、まともに話をする必要はないと思っているのか。たしかにただの小娘だけど。歳も離れていれば社会的立場もまったくちがうけれど。でもこの状況で、こうまでぞんざいにされると腹が立ってしかたがない。

「姫君のおっしゃるとおりですな。そのようにそっけない態度ばかり取られず、もう少しうちとける努力をなさいませ」

 デュペック候が苦笑気味に私たちの間に割って入った。

「それだから、相手に誤解を与えるのですよ。ただでさえ見た目が怖いのですから、もっと優しい言葉と行動で安心させてさしあげないと、姫君に嫌われてしまいますぞ」

「……とうに嫌われているだろう。問題ない」

「大問題ですよ。まったく、もう少し女性の扱い方を学んでください」

 他の誰もがディオンを恐れるようすなのに、デュペック候だけは気後れなく話している。従兄だから――というか、本当は他人なんだよね。でも親しい関係ではあるんだな。本物のユリアスとディオンは乳兄弟だったというから、デュペック候とも子供の頃からの付き合いなのだろうか。

 戻っていくディオンに続いて、私たちも隣室へ出た。積み上げられた贈り物の山を前に、デュペック候が私に話しかけてくる。

「よいものを持ってきてもらえましたね。食べ物では姫君に辛い思いをさせておりましたから、これはありがたい」

 大きな籠いっぱいに盛られた果物を見ている。たしか、シーリースより南にある島で栽培されている果物だっけ。主に贈答品として使われる、稀少で高級な果物だ。エンエンナ宮やカルブラン宮で食べたことがある。とろけるような甘みだった。

 私の説明にデュペック候はうなずいた。

「さっそく、姫君のお食事に供するよう申しつけましょう」

「せっかくのものを? それとも、毒でも入ってないか警戒しているの? そんな汚い真似をする人たちじゃないし、成立しかけた話をぶち壊すような馬鹿でもないわよ」

「もちろん、承知しておりますよ。毒だと思っていたら、あなたに食べさせようなどと考えません。大事にとっておいて腐らせては意味がありませんから、さっさと皆で分けていただきましょう」

 ディオンは私たちのやりとりに興味も見せず、つまらなそうに贈り物を見下ろしている。その手が、ふと何かを取り上げた。

「なんだ、これは」

 小さな箱を持っている。寄せ木細工の見事な工芸品だが、何が気になったのだろう。

「開かんぞ。鍵はついていないのか」

 そばの人に鍵をさがさせている。近づいて手元を覗き込んだ私は、あ、と声を出した。

「謎解き箱……」

「なに?」

 側面と同じく小さなピースを組み合わせて作られたふたは、しかし美しい模様を描き出してはいなかった。

「謎解き箱という工芸品よ。ふたの絵がぐちゃぐちゃでしょう? そのピースを並べ替えて絵を完成させると開く仕掛けになってるの。一種のおもちゃね」

 以前私もカームさんからもらったものだ。あの時の箱より小さくてピースの数も少ないが、開けようと思ったらそれなりに時間がかかるだろう。

「それ、リシャールにあげたらどうかしら? いい退屈しのぎになるし、頭がよさそうだからそういうの好きかも」

「何が入っているかわからぬものを渡すわけにはいかん。お前が先に開けろ」

 突き出された箱を思わず受け取り、私は眉を寄せた。

「今、この場で? たぶん三十分はかかると思うけど」

「開けろ。俺の目の前でだ」

「なにを疑ってるのよ……」

 ため息をつきながら、私は椅子に腰を下ろした。時間がかかるとちゃんと断ったのだから、根気よく待ってもらおうか。

 手元に意識を集中してピースを動かしていく。ディオンは贈り物を片づけさせ、その他いろいろ指示を出して仕事していたようだが、あまりそちらに意識を向けることはできなかった。どうせ、私に聞こえる場所でするような話、重要なものではないだろう。それよりもこの絵を完成させることに全力を傾けた。

 側面は寄せ木細工だが、ふたには絵の具で絵が描かれている。淡いピンクの割合が多い。ピースを動かしていけば、それが花だとわかる。どこかの庭園を描いた風景画らしい。さらにピースを動かせば、花の下に何頭もの飛竜が現れた。

 手元以外へ視線を向けることなく、私は黙々と作業に没頭する。ディオンが見ているのかいないのか、それもわからなかった。気配でまだそばにいることはわかっていたが、彼がどうしているのか気にする余裕はなかった。

 夢中で絵を完成させていく。やがて最後のピースがはまった時、そこにはほのぼのとした春の景色ができあがっていた。

 大きく息をつき、私はそっと箱のふたを開く。澄んだ音が流れ出した。

「……どういう仕掛けだ」

 オルゴールのことを知らなかったようで、またディオンが聞いてくる。私はようやく彼に目を戻した。

「ねじ巻き式で動かす部分に、音が出るよう細工がしてあるの。ふたを閉めるとここが押されて、動きを止めるようになってるのよ。開けたら動いて、音が鳴りだす。そのうちねじが切れて止まるから、また巻いて……ほら、ここにあるでしょう? 私の世界ではオルゴールと呼ばれていたわ。こっちでは歌仕掛けと言うらしいわね」

「ふたの仕掛けといい、道楽の塊というわけか」

「そんな感想しか出てこないなんて、心のさみしい人ね。遊び心というのよ、こういうのは」

「ふん」

 興味を失った顔で、ディオンはそっぽを向く。私は大事なことを確認した。

「で? このとおり中は空だけど。リシャールにあげていいのかしら?」

「……ああ。だが根を詰めさせるな」

 ディオンの言葉にうなずいて立ち上がる。デュペック候の視線を感じながら、私は知らん顔で部屋を出た。

 兵士がついてくる。彼らの監視を受けながらいったん自分の部屋へ戻ると、控えていたサラにお茶を頼んだ。

 彼女が出て行き、ひとりになって、ようやく私は身体から力を抜いた。わきあがる思いを表に出してしまわないように、誰にも気取られないように、ここまで必死にとりつくろってきた。でももう、抑えきれない。

「…………」

 私は箱を抱きしめて、その場にへたり込んだ。

 涙が出てくる。安堵と喜びで、胸がいっぱいになる。

 ふたを開ければまた音楽が鳴り出した。私のよく知っている曲……この世界へ来てから最初に歌い、それをあの人に聞かれ、のちにオルゴールにして贈られた。なつかしい、元の世界で流行った歌。私がこの箱を目にすることがなくても、音を聞きつけて気付かないかと期待したのだろうか。

 ふたに描かれた絵は、満開の花の下で竜たちに囲まれる少女の図だった。遠景で細部は描かれず、目鼻だちも省略されている。でもわかる。これはあの時の光景だ。あの人と初めて会った離宮で、竜たちのダンスに驚き楽しんだ、あの時の……。

 私は袖で涙をぬぐった。いつサラが戻ってくるかわからない。いつまでも泣いていられない。

 もう一度ふたに描かれたものをしっかりたしかめた。絵の周囲を、植物をモチーフにした飾り枠が囲んでいる。よくよく見れば、葉や実の間に小さくまぎれ込ませた文字がある。でもこの世界の人には読めない。私にだけ読める文字――ひらがなだ。

 手紙をやりとりする中で、あの人に日本語を教えてほしいと頼まれたことがあった。でもそれは無理で、せめて単語だけでもといろいろ書いて送った。遊び気分のやりとりだったのに、まさかこんなところで役に立つとは。

 なんとか私と連絡をとる手段を考えて、これを用意してくれたのだろう。謎解き箱なんてこの島の人にはなじみのないものだから、他の人には開けられない。私の手に渡る可能性が高いと考えて、仕込んでくれたんだ。

 こちらの文章は英語と同じで、左から右へと横書きにする。その順序に従って、私は文字を拾っていった。そうして見つかったのは、七つの言葉だった。

『千歳、げんき、すき、よる、まど、ひかり、うごく』

 千歳――と、そこだけは漢字で書かれていた。あの人だけが知っている、私の名前。まぎれもなく、私へ向けられたメッセージだ。

 私がここにいると、知っていたんだ。ハルト様から聞かされていた? 私が残したメッセージは、ちゃんと見つけてもらえたのだろうか。

 助けが、近くまで来ている――

 期待と喜びがこみ上げてくる。でものんびり感動にひたってはいられない。私は拾い上げた文字をたしかめ、考えた。

 元気、好き、夜、窓、光、動く……。

 どういう意味になるのだろう。この状況で好きというのは、ちょっと妙な気がする。もしかして、ちがう言葉を書きたいのにそれがわからず、近そうな意味の言葉を選んだのだろうか。

 少し考え、もしかしてこうだろうかという文章を組み立てた。

『千歳、元気でしょうか? 心配しています。夜になったら、窓辺で光を動かしてください』

 正しく読み取れているだろうか。いまひとつ自信が持てず不安だが、他には思いつかない。正しいか正しくないかは、今夜試してみればわかるだろう。

 私は深呼吸して気持ちを落ち着けた。優しい色彩で描かれた風景に、明るい季節の記憶がよみがえる。

 この絵も、あの人が描いたものだろう。知らないうちに見られていた、本当の最初の出会い。彼も記憶に残してくれていたのだ。

 その後のいくつもの季節が脳裏をめぐった。変わっていった関係、そして辛いできごと。最後は二度と会えないことも覚悟して、あの人を突き放した。応えられない私を許してもらえなくても、しかたがないと決心して。

 おさめたはずの涙が、またにじんできた。胸が苦しい。でも辛いからじゃない。うれしくて、たまらない。

「カームさん……」

 今度会ったら、なんて言おう。あの人に、どうやってこの気持ちを伝えよう。

 浮かんでくるのはひねりのない、平凡な言葉ばかりだ。でも伝えたい。早く、あの人に届けたい。

 私は優しさと思いやりが詰め込まれた箱を、深く抱きしめた。

「ありがとう……」

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