10
出立の朝は雲も少なく、気持ちのいい青空が広がった。空を飛ぶなら、やはり晴れの日がいい。
カーメル公はわざわざ船着き場まで見送りに出てきた。出航準備の整った船の前でお別れをする。
「今回は色々と考えさせられましたね。知らず、油断があったようです。反省いたしました」
「こちらも同様です。少々、呑気に構えすぎていたかもしれません。見直すべきことが多そうですな」
「ええ、本当に」
船で待機していた騎士たちも勢揃いしているし、カーメル公にもお供の人がわんさかついてきている。さらに後ろの方では、街の人々が集まって王様の姿を一目見ようと首を伸ばしていた。野次馬はどこの世界でも同じだな。これが日本ならテレビカメラも来ていただろうし、群衆は携帯をかざして写メりまくっていただろう。
そんな光景をテレビ越しどころか、中心地から見る日が来るとは思わなかった。
私はイリスたちと一緒に、ハルト様の後ろで挨拶が終わるのを待っていた。
「今後の対応策については、次回の定例会談の場にてあらためて話し合いをいたしましょう。それまでに状況をよく調べ直しておきますよ」
「クラルス殿にも書簡を送り注意喚起しておきますか」
「よろしければ、それはわたくしから。あの方に話を聞いていただくには、少々こつがありますからね」
「たしかに。では、お願いいたします」
「ええ」
何やら含みのある笑いを交わした後、ふたりはお辞儀をし合う。こちらでは握手などはしないらしい。右手を左胸、心臓の上あたりに当ててお辞儀する。
それからふとこちらへ視線を向けて、カーメル公は私の前へ歩いてきた。
「君には失礼をしましたね、チトセ。許してくださいますか」
「許すだなんて、公王様相手にそんな不遜なこと。どうぞお構いなく、お捨て置きくださいませ」
私は笑顔で慇懃に答えてやった。別に怒ってはいない。最初は腹も立てたが、途中から状況が見えてくるとそんな気はなくなった。だから許すも許さないもない。単に嫌いなだけだ。
カーメル公は綺麗な顔を困ったように苦笑させた。
「これほど手ごわいお嬢さんだとは思いませんでしたよ。参考までに、どのあたりで気づかれてしまったのか、お聞きしても?」
そんなことを聞いてくる。全然反省なんかしていないじゃないか。
「最初からですよ」
呆れて答えれば、彼は意外そうに眉を上げた。
「最初から?」
「ええ、そうです。だって不自然にもほどがあるじゃないですか」
似たり寄ったりな反応をしている他の男どもも、なんでみんなだまされて当たり前と思うのだ。
「初対面から愛想ふりまくような人、絶対何かたくらんでいるに決まってます。これが一目で男を虜にしちゃうような絶世の美女とか高貴なお姫様ならわかりますけど、私に何の脈絡もなく好意的に接してくる人がいるわけないでしょう。私どれだけ自惚れ屋だと思われてるんですか。うぬぼれるどころか、いきなり愛想よく近づいてこられたら全力で警戒しますよ。悪意をはっきり表す人間より、いい人ぶって本心隠している人間の方がずっと怖いですから」
なぜかハルト様が深々とため息をついた。居並ぶ男性陣が、そろって複雑な顔をしている。なんですかね、皆さん身に覚えでもあるんですか。
ふん、だから男なんて嫌いなんだ。
面食らったようすでしばし沈黙していたカーメル公は、何を思ったかくすくすと笑いだした。
「おそろしいほどに頭が回るかと思えば、そのようなことを……やはり、まだ子供ですか」
意味はよくわからないが、ちょっとむっとした。とりあえず、上から目線で見られたことだけは伝わった。
そりゃあ、アラサーのおっさんから見れば子供でしょうけどね。ああ、そういえば。
「もう一つ、説明すべきことを忘れていましたね」
「おや、まだ何か? こわいですね」
などと余裕の顔で言うカーメル公に、最後の札を開いてやる。
「私、十六歳です」
「え?」
「十六歳です。どこぞのハルト様は十歳だと思ってたなんてのたまってくださいましたけど、実は十六歳です」
反応は別の場所から来た。
カーメル公の後ろでシラギさんが「十六っ!?」と目をむいている。お供のおじさんたちや騎士たちも目と口を丸くして、えっとかはっとか声を上げている。やはり誰もかれもに、小学生レベルに見られていたか。
「…………」
醜態はさらさずとも、カーメル公もそれなりに驚いているようだった。
小さい子供と思い、簡単にだませるとあなどっていたのだろう。しかし実は高校生。もう大人を無条件に信用しない、嘘も見抜く年頃なのだ。
ザマミロ。人は見かけによらないのだって勝ち誇っても、自虐満載な気がして逆にへこむが。
「十六、ですか……」
「ええ、十六です。あと少しで十七歳になりますけど」
私の誕生日は一月二十四日。日本ではあと三か月ほどだったが、こっちでは正確に数えるのが難しそうだ。
「そう、ですか……それはそれは」
――んん?
ショックを受けていたのかと思いきや、なぜかカーメル公はにっこりと微笑んだ。
何か切り返しが来るのかと身構えるより早く、あごをすくい上げられる。状況を理解する前に、唇に温かいものが押し当てられた。
花の香りがかすめて、離れていく。
さきほど以上に周囲がどよめいた。遠くで悲鳴も上がっている。あれは野次馬の女性陣だろう。
私は意地でも驚いたりしなかった。顔色ひとつ変えずにそっけなく挨拶してやったとも。
「それじゃ、これで失礼いたします」
「ええ、道中気を付けて。また会いましょう」
軽く頭を下げて、背を向ける。また会う機会なんてなくて結構、これっきりさようならだ。
私は動揺なんかしないぞ。あんなもん、ただの挨拶だ。欧米人はそういうスタイルだ。もちろんちゃんと知っているとも。私はシャイな日本人だがイマドキ現代人だ。この程度のことへっちゃらだ。ほんのちょっと、一瞬ふれたくらいが何だというのだ。ファーストキスだとかそんな風にも考えないぞ。挨拶なんだからノーカンだ!
私はそれきり、二度とカーメル公を振り返ることはなかった。
船が飛び立ってから、ハルト様が聞いてきた。
「チトセ……その、カーメル殿とは……」
「はい?」
階段へ向かおうとしていた私は足を止め、振り返る。飛び立った船の甲板には長居したくない。なんでみんな平気でいられるのだろう。
「なんですか」
言いづらそうに視線をさまよわせ、もごもごやっているハルト様に少しばかりイラっとする。他のみんなも変な視線を向けてくるのが気になる。なんなのだ、この雰囲気は。うっとうしい。男どもにこういう思わせぶりな態度を取られると、嫌でもクラスの馬鹿男子を思い出す。どうせろくでもないことを考えているのだろう。ウザいったら。
私の不機嫌を察したか、ハルト様は急いで続きを言った。
「いや、つまり、なんだ……カーメル殿とは、親しくなったのか?」
「はい?」
言葉の意味はわかるが意図がわからず、私はおもいきり顔をしかめてしまった。
「どこを見てたらそう思われるんです? あんな人と親しくするつもりはありませんよ」
「あんな人って……だからカーメル殿は立派な人物だと」
「立派だろうとなかろうと、ああいう男は嫌いです」
ちょっと語気が強くなりすぎて、私は咳払いした。気を落ち着けて言い直す。
「向こうだって私なんかと親しくする気はないと思いますよ。むしろにくたらしく思われているんじゃないでしょうか」
「それはないと思うが……」
ハルト様は周囲と視線を見かわす。イリスにトトー君、騎士のみなさん。男同士で意味ありげな顔し合うのはやめろ。
「どうしてそんなことを気になさるんですか」
「どうしてって……その、さっきの、アレが……」
ふん、それがどうした。あわてたりしないぞ。この流れなら言われるだろうと予想していたとも。
「アレがどうかしましたか」
「いや……どうかって、アレだぞ」
「アレですね」
「……本当に、なんでもないのか?」
私はため息をついた。
「あんなの、ただの挨拶でしょう? いちいち気にするようなことではないと思いますが」
「そなたの世界では、あのような挨拶をするのか?」
……ん?
本気で驚いているらしいハルト様の様子に、私は首をかしげた。信じがたいという顔だ。そこまで驚くようなことだろうか。
「そういう国もありますね」
「そなたの国もか?」
「いえ、日本にはそういった習慣はないです。でも外国との交流は盛んですから、理解はあります」
説明しながら、私は周囲の反応を観察していた。みんな驚いている。うそだろう、と呟いている人もいた。
――何か、妙だ。
「……こちらでは、違うんですか?」
てっきり欧米スタイルなのだと思っていた。呼び捨てが普通だし、生活様式もおおむね欧米風だ。だからアレもこちらでは標準だろうと思っていたのだが。
嫌な予感をおぼえる私に、ハルト様はゆっくりと首を振ってみせた。
「口づけというのは、きわめて特別な、神聖な行為だ。相手への深い信頼と愛情を示すものだ。ましてや唇へなど……夫婦や恋人でもない限り、しないものだ」
…………………………………………………………。
「……ふ」
思わず笑いが漏れた。
その瞬間、ずざっと音を立ててみんなが一斉に後ずさったのはなぜだろう。
どうでもいい。そんなことよりも、あの男だ。
「ふ……ふふふふふ……」
あの野郎、公衆の面前でしれっとセクハラかましやがったか。
てっきり、ただの挨拶だと思って知らん顔していたのに。驚いたら負けな気がして、平気な顔をしていたのに。
周りの人には私が彼を受け入れているように見られていたのか。
「ふふ……ふふふ……ふっふっふ」
「チ、チトセ……?」
ハルト様がたじろいでいる。みんなもおびえた顔で、遠巻きにしてこちらをうかがっている。どうしたのだろう。私は取り乱したりしていない。ちゃんと落ち着いて、笑っているではないか。
「ふふふ……」
あのセクハラ男。いいや痴漢だ、変態だ、犯罪者だ。色気垂れ流しの猥褻物陳列罪だ。青少年保護育成条例違反、淫行罪で警察行きだ。
――コンチクショウ!
「……今度会ったら、泣かす」
私の呟きに、さらにみんなが一歩さがった。
「あのカーメル公にそんな……でもティトならやりそうな」
無論だイリス、私はやると言ったら本気でやる。
「……まあ、できる範囲で協力してやるよ」
話がわかるじゃないかトトー君。今君が好きになった。
「協力してどうする! いや、待ちなさいチトセ、気持ちはわかるが……その、彼もきっと軽い戯れのつもりで……いやつまり、悪気はなかったのではないかと!」
悪気がなければ許されるというものではないんですよハルト様。さらに言えば、あの男が無邪気なわけがない。邪気まみれだろう。
「ハルト様」
「はいっ!?」
呼びかければ、引きつった声が返ってきた。
「私、この世界のことをよく知りたいです。文字も学びたい。生活する上で必要な常識や知識を得たいです。勉強させていただけませんか」
知らないから、恥をかく。知らないから、だまされる。
悔しい思いをしないためには、賢くならなければいけない。
己を守るため、私は知識という武器を得なければならない。
「あ、ああ……そうだな、それは必要だな。ロウシェンに着いたら、手配しよう」
「ありがとうございます。お願いいたします」
かつてない意欲に満ちながら、私は頭を下げた。
まかせろ、勉強は得意だ。帰宅部で友達もいないから、私の生活は萌えと勉強にほぼ二分されていた。成績は常にトップクラスだったとも。
最終的な目標は、この世界でちゃんと自立して一人で生きていくことだが、その前段階の目標ができた。社会常識をはじめあらゆる知識を身につけて、いつか奴に泣き入れさせてやる!
はや、遠くなった街を振り返り、私はかたく決心したのだった。
「うう……っ、怖かった、こわかったようっ」
「あんな可愛い子がなんであんなに迫力なんだ」
「うちの母ちゃんより怖いよ……」
船の中を移動中、騎士たちが集まっているのを目撃した。
ちょうど階段の陰になって、私に気付かず彼らは続ける。
「氷の島の幻影が見えた……」
「俺には雷光が見えたぞ」
「凍え死にそうだった……」
何かあったのだろうか。ただならぬ雰囲気だ。
「でもなんか……よかった」
「ああ、ゾクゾクした。あの冷たいまなざしが癖になりそう」
「お前、何変な方向に開眼してるんだ」
「いや実は俺もちょっとときめいた」
「そうだろ、そうだろ? いいよな?」
……深刻な事態ではなさそうだ。
よくわからないが、盛り上がっているらしい。
「見た目と中身の差がまたイイ! 可愛いのに怖い! コワいけどカワイイ!」
「冴えた頭脳と氷のまなざし、女王様とお呼びしたい!」
「惚れそうだ、つか惚れたぁっ!」
――わけがわからん。
私はそっとその場を離れた。男同士のアツくキモい会話など、聞いていたくはない。何があったのかは不明だが、まあいい。どうせ私には関係ない。
***** 第一部・終 *****