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明日天気になったなら  作者: 桃 春花
第九部 かよいあう心
109/130



 夢のような時間は、残念ながらあっという間に終わってしまった。

「……どこさわってるの」

 余韻を味わう暇もなく現実に引き戻される。私は怒りをこめて、イリスの耳を引っ張った。

 身を離したイリスが、驚いた顔で文句を言った。

「なんだよ、いきなり」

 耳から手を振り払われたので、かわりに鼻先をペしっと叩く。

「変なとこさわるからでしょ、このスケベ」

「はぁ? 変なとこって、別になにも」

 私はお尻をカバーしながら距離を取る。イリスは自分の手を見、あわてて言い訳した。

「ちがう! 遠くてやりにくいから、引き寄せようと……そういうつもりじゃなくて!」

「それでなんでわざわざお尻をさわるのよ」

「だからそんなつもりじゃなかったってば! 腰を抱いたつもりだったんだよ!」

 腰とお尻を間違えるか? 寝台の上からじゃ、かなり遠くて意図しなければさわれない場所だと思うのに。

「なんだよ、その疑いの目は……もう、だから遠すぎるんだってば。こっち乗ってくれよ」

 イリスはぽんぽんと布団を叩く。別に、わざわざ寝台に乗り上げてまで続きをしなくてもいいと思うんだけど。

 私がだまって動かずにいると、イリスは拗ねた顔になり、かと思うといきなり腕をつかんで引っ張った。

「ちょ……」

 怪我人のくせに無理を慎もうとか思わないのだろうか。ほとんど吊り上げられるような形で私はイリスの膝に乗せられ、と思った次の瞬間にはくるりと反転して寝台に押し倒された。

「イリス!」

「別に変なことはしないよ。それとも、してほしい?」

 のしかかってくるイリスが、意地悪い笑顔を見せる。これはからかっているんだろうか。私があわてるのを見て面白がっているのか? これだから、男ってのは!

「……そんな、本気でにらんでくるなよ。傷つくだろうが」

 怒りのまま見返していると、イリスはがっくりとうなだれた。力を抜いて私の上に重なり、肩に顔を伏せる。重い。めちゃくちゃ重たいんですけど。

「まだまだ前途多難だな……今は口づけだけで精一杯か」

「のいてよ、重たいってば。さっきの今で即そっちに思考が行くなんてどうかしてるわよ」

「好きな子とくっついてたら、そういう気分になるのが男ってもんなんです。今初めてそういう気分になったわけじゃないよ」

「な……」

「無理強いする気はないけどな。それで嫌われたんじゃ元も子もないから、我慢するのが理性ってものだ。けどそういう気持ちを持つこと自体は普通だよ。そこは否定しないでほしいな。好きだからこそだよ」

 上げた顔はとても真面目な表情をしていて、間近で見つめられると何も言えなくなってしまう。こういうのは、ずるい。こんな体勢で、こんな至近距離で言われて、冷静に聞けるはずないじゃないか。

 何も言えずに固まっていると、イリスはふっと苦笑した。

「そういう顔されると、我慢しようって決心が揺らぐよ。あんまり刺激しないでくれ」

「……どういう顔よ」

「んー? まあ、可愛いってこと」

 なにをしらっと気障なこと言ってるんだ!

 もうだめ、我慢できない。恥ずかしくてむず痒くてたまらない。

 押し退けて逃げてしまいたいのに、イリスがまた口づけてきて文句をふさがれる。優しいやわらかな口づけが心地よくて、ものすごく恥ずかしくて、なんかもう許容範囲超えそうなんだけど! 頭と心臓が破裂しそうだよ!

 耳元にくすくすと笑いながら吐息がかかる。

「まずいな、ちょっと抑えきれなくなってきたよ。どうしよう?」

「ほう……?」

 からかいと艶を含んだ声に答えたのは、私ではなかった。

 低い声にイリスは笑うのをやめ、私も意識が引き戻される。ふたりして同時に振り向いた先に、見知った姿があった。

「瀕死の重症と聞いて案じていたのだが、どうやら伝達に齟齬があったようだな。元気そうでなによりだ」

 笑顔を浮かべて立つ人の周囲が、黒い。どす黒い。怒りのオーラがわきあがっている。地鳴りすら聞こえてくるような気がした。

「あ……」

 イリスがそろりと私の上からのく。私は彼を突き飛ばし、寝台から飛び下りた。

「え、ちょっと……」

「ハルト様!」

 駆け寄って胸に飛びつく。再会がうれしくて、ついはしゃいでしまった。後ろでイリスが何か言いかけたのは無視だ。放置だ。今はお父様の方が大事だよ。

「ご無事でなによりです」

「それはこちらの台詞だ」

 優しく私を抱きとめて、ハルト様は苦笑した。

「危ないことはせぬと約束したのに、しようのない娘だ。報告を受けて肝が冷えたぞ」

「ごめんなさい。読みが甘くて、思いがけないところで正体を見抜かれてしまって」

「そなたは怪我をしていないか? 熱は出しておらぬか?」

「だいじょうぶです」

 大きくてあたたかな胸に、すりすりと頬をすり寄せる。具足はつけていなかったので、思う存分にお父様を堪能できた。ああ、このあたたかさと匂い、優しい手、間違いなくハルト様だ。それほど長期間離れていたわけでもないのに、なつかしくてたまらない。

 ナハラに攻めてきた軍は撤退したと聞いた。ハルト様は無事だと、情報では知っていた。でも戦場では何が起こるかわからない。情報が常に正しく、迅速に伝わるとも限らない。また危険な状況になっていないか、暗殺者などに狙われていないか、心配せずにはいられなかった。

 こうして無事な姿を見られて、ようやく心から安堵する。多分ハルト様の方も似たような気分なのだろう。私達は長い間抱きしめ合って、お互いの無事を確認していた。

「あのー……」

「あっちはほっといていいですから」

「うむ、元気があり余っているようだからな。かまう必要はあるまい」

 後ろの声は無視。調子に乗りすぎたのを、しっかり反省するといい。

 私の肩を抱いてハルト様が移動をうながす。「えええ? そんな、ちょっと待って!」という声を背に、私たちは隣の居間へ移った。

 そこにはアルタもトトー君もザックスさんもいた。全員集合だ。みんなの元気そうな顔に、ますますうれしくなった。

「祝福は後回しにして、まずトトー、一発殴ってきていいぞ」

 アルタがそんなことを言ってトトー君の肩を叩く。トトー君はいつものポーカーフェイスで、ぺいっと払いのけた。

「怪我人殴っても面白くない……回復してからにするよ」

「なんなら協力するぞ」

「必要ない。どうせボクが勝つから」

 ザックスさんがわざとらしく咳払いした。

「元気そうでなによりだ。捕らわれたと聞いて色々と心配したのだが、そのようすだと問題なかったようだな」

「はい?」

 問題ない――と言えばない、かな? エランド軍は撤退し、私たちは自由を取り戻した。途中経過はともかく、今はたしかに問題ない。イリスが本当は絶対安静なくらい?

「うん、まあ嬢ちゃんがさっさと立ち直って平然としていられるとは思えんから、本当に何もなかったんだろう。よかったよ、ほっとした」

「……?」

 なんだろう。含みを感じる。

 私が見回すと、みんな気まずげに目をそらす。アルタだけがにこにこしていた。

「なんですか?」

 ハルト様の袖を引いて尋ねると、すごく困った顔をされた。

「いや、気にしなくてよい。そなたら、よけいなことを言うでない」

「ハルト様だって心配してらしたでしょうが。意外に向こうも紳士的だったというべきか、それとも他に何か理由でもあったんでしょうかな」

「…………」

「チトセ、聞かなくてよい」

 聞くなと言われても無理な話だ。そしてわかってしまった。さっきのイリスとのやりとりもあったから、アルタがなにを言いたいのかわかってしまった。

「――うおっ、久々の氷のまなざし! なんだよー、無事でよかったって言ってるのに」

「ご心配なく。私に手を出そうとする男なんていませんから。皇帝にもそこまで不自由していないと言われましたよ」

 おもいっきり冷たく言ってやったつもりなのに、その瞬間なぜか全員にため息をつかれた。

「……嬢ちゃん、それじゃそっちの部屋にいるやつは男に含まれないのか?」

 アルタが真面目な顔して言ってくるので、思わず蹴りを入れてしまった。見てたのか! そうだよね、絶対この場の全員に見られたよね!

 ああもう、全部イリスが悪い!

「てっ。こら、その足癖はいかんぞ! 真面目な話、もうちょっと危機感を持て。クルスクへ向かう途中でも襲われかけただろうが。世の中にはいろんな男がいるし、まして戦となると幼児だろうが老婆だろうが襲われるんだ。敵国の王女や王妃が捕らえられたら、まず寝所へ連れて行かれる。これは本気で言うが、嬢ちゃんがきれいなままでいられたのは奇跡だぞ」

「ふーん、じゃあもしエランドの皇女を捕らえたら、ハルト様の寝所へ連れ込むんですか」

「なっ! いや、そ、そのようなこと、断じて!」

 ハルト様がたちまち動揺する。アラフォーなのに可愛い反応だ。こういう人を見ていたから、私も忘れかけていた。なんだかんだ言ってアルタも他のみんなも紳士だから、怖いと思ったことはない。彼らのせいで、前ほど男を敵視できなくなっていた。

 いやな男ばかりじゃない、優しい人もたくさんいるって、理屈じゃなく経験で言えるようになった。

 でも日本じゃさんざんいやな思いをしてきたし、こちらでもそう、つい最近危ない目に遇ったばかりだ。だからアルタの言うことがわからないわけじゃない。たしかに今回は、ものすごく幸運だったのかも。そしてハルト様たちには、生命の安全だけでなく、そういう方面でも心配させていたのだと理解した。

「……もう、そこまでにしなさい。なにごともなかったのなら、よい」

 こういう話題の苦手なハルト様が止め、話はそこまでになった。めいめいソファに腰を落ち着ける。イリスもこそこそとやってきた。私はあえて目を合わせず、ハルト様にくっついていた。アルタにはこれ以上冷やかすなと視線で釘を刺しておく。ふたりだけでいても恥ずかしいのに、みんなに見られた上あれこれ言われたら耐えられない。

 なんとなく生暖かい、居心地の悪い空気がうっとうしいったら。

「起き出して大丈夫なのか」

 いちばん真面目なのはザックスさんだ。怪我を気づかう彼に、イリスは軽く「ああ」と答え、少しだけ距離を開けて私の隣に座った。

 速攻立ち上がり、私は寝室へ逆戻りする。別に照れたわけではない。ちがうから。イリスの馬鹿が、上着も着ずに出てきたからだ。

 ガウンを取ってきて無言で彼に着せかける。その際またなんともいえない生暖かさがただよって、もう本当にいたたまれない。両想いになれてうれしいとか、喜んでいられないんだけど! この恥ずかしさ、勘弁してほしい。

「いつもと逆だよな。寝込む者と世話する者が入れ代わっとる」

 アルタが笑った。イリスは苦笑してガウンに袖を通す。私はハルト様を押してイリス側に寄ってもらい、反対側の隣に座った。

「そんな露骨に避けなくても……」

 何も聞こえない。聞こえません。

「で、状況はどうなっているんですか」

 イリスは無視して、私は現状を尋ねた。別に無理やり話題をそらしたわけではない。聞きたかっただけだ。本当に。だからみんな、にやにやするな。

「まあ、エランド軍も撤退したからな。こちらもひとまずは、引き上げだ」

 なだめるような顔で、なぜか私の頭をなでながら、ハルト様は答えてくれた。

「領主軍はそれぞれの本拠へ戻った。竜騎士団も帰還させた。ナハラ騎士団だけは、砦があんな状態だからな、カルナ方面へ向かわせた。復興支援と沿岸警備の任を負ってもらう」

「団長と隊長残して、竜騎士たちも帰しちゃったんですか?」

 ならば、ここまでハルト様に同行したのはこの三人と近衛だけということになる。いくらエランド軍が撤退したとはいえ、まだ完全に安心できるものでもないのにと思ったら、近衛まで先に帰したと言われて驚いてしまった。

「案じる必要はない、ここまでは龍船で来た。オリグが寄越してくれたのだ」

 ……ああ、そういうことか。

「私がすみやかに帰還できるように手配してくれたのだが、そなたたちのことが気になったのでな、寄り道することにした。アルタたちは便乗組だ。イリスが負傷したと聞いてみな来たがったのだ」

「死に水くらいは取ってやりませんとな」

「遺言も聞いとこうと思って……」

 アルタとトトー君がふざけて後を引き継ぐ。

「勝手に殺すな!」

「現実に死にかけたんだろうが。無理せず寝てきたらどうだ」

 真面目なザックスさんの忠告も、このタイミングだと追い討ちにしかならないな。

 ようするにみんなイリスが心配だったってことだけど、そうと素直に言わないのはなぜなんだろうね。いつもどおりのやりとりは、日常に戻れた気がしてとてもうれしかった。

「クラルス公とは?」

「いちおうご挨拶はした。あちらも今はばたばたしていて、あまり長居するのはご迷惑だろうと思うのだが……」

「龍船があるならすぐにでも帰れますよ」

 まだ顔色が悪いくせに、イリスは元気ぶって言う。絶対に無理をしていると思う。でもじっさい、あまりのんびりしてもいられない。ロウシェン本国や竜騎士団を放り出していられないので、みんなで話し合って、結局明日には出発することになった。今夜、ハルト様はクラルス公と晩餐を共にする。その場であらためてお礼と予定を伝えるとのことだった。

 騎士たちがいるとふざけ合いが続いてちっとも休めないので、私はアルタたちを追い出し、イリスをベッドへ追い立てた。普段は私に無理するなちゃんと寝てろとうるさいくせに、自分の番となると正反対のことをするんだから。渋るイリスを強引に寝かせる。

「調子に乗ってると傷口が開くわよ。そうでなくても、まだちゃんとくっついてないのに」

「本当に、いつもと立場が逆だな」

 苦笑しながらイリスは横になる。布団をかけてあげると、こぼれ落ちた髪を引っ張られた。

「なに」

「よく眠れるように、特効薬がほしいな」

 髪に指をからめて意味ありげに口づける。なにを求められているのかわかってしまい、私は視線をさまよわせた。

 なんだろうな、告白し合ったとたんにこの甘さは。むずがゆくてたまらない。いやじゃないんだけど。そりゃ、本音を言うとうれしい。いやじゃないんだけど、恥ずかしい。今までとのギャップが激しすぎて、ちょっとついていけないよ。

「チトセ」

 甘い声でイリスがねだる。うもー……怪我人じゃなきゃどついてるのに。

 しかたなく私は身をかがめて、軽くキスをした。イリスがあまりにうれしそうに笑うものだから、おまけで額にもキスしてあげる。もっとって目が訴えているけれど、どうしようかな。

 これで終わりともう一度だけキスした時、背後で小さな物音がした。

 なにげなく振り向くと、戸口に立つメイと目が合った。

「あ……」

 メイはぱっと視線をそらし、薬や包帯の乗った盆を、そばの台に置いた。

「失礼しました」

 口早に言ってこちらの返事も待たずに背を向け、部屋を出て行く。私は全身に冷水を浴びせられた気分だった。

 ――どうしよう。私、浮かれてメイのことを忘れていた。メイもイリスが好きだって、知っていたのに。なんで今まで忘れていたの、馬鹿すぎる!

 あわててメイの後を追い、部屋を飛び出す。彼女に追いつくのに、それほど走る必要はなかった。メイは普通の歩調で廊下を歩いていた。

「…………」

 追いかけてきた私に気づき、足を止めて振り返る。何か言おうとし、でもなんて言えばいいのかと私は口ごもった。

 ごめんなさいって、謝るの? もちろんそう思っている。でもなんだか、かえって厭味じゃないだろうか。あなたの好きな人を取ってごめんなさいって、そう言うの? それって私の勝ちよと誇るみたいで、ものすごくいやらしい。でも、じゃあ何を言えばいいのだろう。

 かけるべき言葉を見つけられず、私は馬鹿みたいに立ち尽くす。しばらく無言で見つめ合い、ふいとメイが視線をはずした。

「……何も言わないで」

 静かに彼女は言う。

「別に、あたしに気をつかう必要はない。イリス様がチィを好きなのは、知ってたから」

「え……」

 私と目を合わせないまま、メイは息を吐いた。

「見てればわかる。みんな知ってるよ。以前は、それを知りながらイリス様を振り回してるのかと思って、チィに腹を立ててた」

「…………」

「今じゃもう、ばかばかしいって気分だけどな」

 ふたたびこちらを向いた顔は、言葉どおりに苦笑していた。

「変に気をつかわれる方がいやだ。チィもイリス様も、何か悪いことをしているわけじゃないんだし。あたしも憐れまれるなんてまっぴら」

「そんなつもりは……」

 言いかけて、本当にそうだろうかと自信がなくなった。何を言っても優越感の裏返しになるんじゃないかという気がして、怖くて口を開けない。

 そんな私を、しかたなさそうにメイは笑った。

「チィはもっと堂々としてたらいい。そんな顔されたら、かえってあたしがみじめだ」

「ご、ごめんなさい」

「最初からわかってたことだし。それに、あたしはイリス様の恋人になりたかったわけじゃない。惚れてたのは事実だけど……いちばん望んだのは、認められて、頼りにされることだよ」

 腰の剣に軽く手をふれる。私と同じ女の子でありながら、私とはちがう騎士の顔ものぞかせる。

「他の誰より信頼されて頼られる部下になりたかった。自分が馬鹿だったせいで、百歩も二百歩も後退してしまったけど……死ぬ気でもう一度這い上がれって、イリス様にも言われた。いつか、かならず追いついてみせるよ」

 そう言ったメイの顔は静かな決意にあふれていて、とてもきれいだった。申しわけないなんて思うのは、かえって彼女に対する侮辱だと感じる。メイはけっしてみじめなんかじゃない。苦しんでいた以前の彼女はもういない。ここにいるのは、毅然と胸を張る凛々しい騎士だった。

「……私ね、ずっとメイがうらやましかった」

 私の言葉にメイは首をかしげた。

「戦うことを認められている。それだけの力を持っている。私はだめだって言われてばかりなのに、メイにはイリスもそんなこと言わなくて、危ない任務でも任されているのがうらやましかった」

「…………」

「当たり前なんだけど。そのために鍛えてきたんだもんね。メイの努力が生んだ結果だってわかってる。なにもしていない私が、同じことを求められるはずがないって、いやというほどわかってて――だから、うらやましかった」

 騎士になりたかったわけじゃない。運動はあまり好きではないし、暴力は怖い。私は騎士にはなれない人間だ。うらやむ資格なんてないのだけれど、私にできないことをしている人を見ると、胸が痛んだ。

「イリスは私を頼ってなんかくれないわ。頼れる相手じゃないから。たぶん、この先もずっと変わらない。いつかイリスの隣に並んで活躍するメイを、またうらやましく眺めるだけなんでしょうね」

 容易に想像できる未来を思い、笑うしかない。メイも笑った。

「ああ、それは譲らないよ」

 私と同じ女の子で、おなじ人を好きになって。でも私にはできないことをしているメイ。そして彼女が得られなかったものを手に入れた私。

 きっと、お互いにおたがいをうらやましく思いながらも、それぞれの目指す道を歩いて行くのだろう。

 しっかりと目標を持って、もう一度必死に努力しようとしているメイの前で、私も恥ずかしくない姿を見せられるだろうか。いつまでも失敗ばかりしていないで、もっと立派な人間になりたい。ならなくては。

 私の目指す道って、何だろう。

 あらためて考えれば、ずっと前に決心したことを思い出した。そうだよね、私もハルト様の役に立ちたいって思ったんだ。たくさん勉強して、もっとこの世界のことを知って。でも具体的に何をするかまでは考えられなくて、いろいろ迷走して迷惑もたくさんかけてしまった。

 私が役に立てることって、何だろう。

 無理して結局失敗して。そんなことばかりしている気がする。後退したってメイは言うけれど、私よりはずっと前を歩いている。私こそ必死に頑張らなければいけない。

 ……けれど、考えるほどにエランドのことが、ユリアスのことが頭をよぎった。

 龍の加護と、祖王セト。そこについてもっと知らないと、私がこの先どうあるべきかも決められない気がする。

 翌日、予定どおり私たちは出立した。お世話になった人たちにお礼を言い、疲れつつもどこかすっきりした顔のクラルス公とお別れして帰路につく。船の中で、私はハルト様にユリアスとのことを語った。

「竜だけでなく、あらゆる生き物を従えることができる――そう、ユリアスは言いました。人すら従えられる可能性があると。祖王もそうだったんでしょうか。だから建国の英雄なのに、最後は罪人として追われたのでしょうか。一般には残されていない真実が、王家には伝えられているとクラルス公が言ってらっしゃいました。ハルト様がご存じのことを、教えてください」

 私の話を難しい顔で聞いていたハルト様は、息をついて首を振った。

「遠い昔のことだ。今となっては、何が真実なのかわからぬ」

「真実は、これからさがします。だから王家に伝えられている話を、聞かせてほしいんです」

 お願いしてもハルト様は口を開いてくれない。私は切り札を出すことにした。

「今までのことを考え、そしてユリアスと話して、確信を持てたことがあります。祖王セトは、きっと私と同じ世界の……おなじ国の人です」

 グレーの目が瞠られる。その可能性は考えていなかったようで、ハルト様はひどく驚いていた。

「龍の加護なんてそうそう得られるものじゃないって、いちばん最初に教えてくださいましたよね。私の他には祖王くらいしかいなかったって――はじめから答は目の前にぶらさがっていたんです。なんらかの原因で、祖王も龍によってこの世界へ運ばれた異世界人だったんですよ。そして私と同じように、加護を得た。生まれた国まで同じだったのには、驚きましたけど」

「……なぜ、そうとわかる?」

「私が子供の頃に習った歌を、ユリアスが知っていましたから。この世界の誰も知らないはずの、私の国の歌を。祖王から聞いた人が子孫に教え、ずっと受け継がれてきたんでしょうね」

「…………」

 そこから正体を見抜かれ、捕らえられたのだといきさつを説明すると、ハルト様はうなった。

「なんと数奇な……」

 本当に。世界を越えて同じ日本人の痕跡に出会うなんて、驚くしかないできごとだ。

「戦闘機も祖王の遺産なんじゃないかと……軍人か、技術者か、そういう人だったんでしょうね」

 残された技術をこの世界で再現するのは、さぞ大変な作業だっただろう。長い歴史の中現れなかった戦闘機が、今この時代になって現れたのは、祖王の子孫たちがずっと努力し続けてきた成果が、ようやく実を結んだということだろう。

「エランドは、祖王の末裔です。そのことをハルト様は知ってらしたんですか?」

 眉間に深くしわを寄せて、ハルト様は黙り込む。長い沈黙の後、ハルト様は私を抱き寄せた。

「くわしいことがわからぬと言ったのは、嘘ではない。あえて文書に残さず、口伝だけで伝えられてきた話は、おそらくいくつも変化を経てきただろう。だからこれは、かならずしも真実とはかぎらぬと前置きしておく」

 何かから守るように、深く私を抱きしめ、頭をなでながら言う。そうしてハルト様は、隠されたもうひとつの祖王伝説を聞かせてくれたのだった。

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