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明日天気になったなら  作者: 桃 春花
第九部 かよいあう心
102/130



「詐欺だ……」

 イリスの第一声は、ずいぶんと失礼なものだった。

 非難と落胆を顔中に浮かべ、じっとりと私をにらんでいる。

「その胸、どうやって作ったんだよ」

「うるさい」

 やっぱりそこか! 言うと思ったけどね!

 怒りをこらえる私にイリスは歩み寄り、肩に手を置いた。

「あのな、チトセ。自然なままの君で、ちゃんと可愛いよ。だから自分を偽るな。堂々と生きよう」

 真顔で訴えるイリスの頭を、私は心を込めてどついてやった。悪かったな偽りで!

「いやー、眼福眼福、目の保養だねー。美人がいるっていいなあ。片方半分以上ニセモノだけど」

 誉めるふりして落とすホーンさんにもクッションを投げつけた。当たっても痛くないものを選んだんだから誉めてほしい。一瞬テーブルの果物ナイフが目に入ったけれど、さすがにそれはまずいと思い止まったよ。

 無礼きわまる男どもと私のやりとりを、メイは呆れた目で眺めていた。私のコーディネートとメイクによって、彼女は大変身を遂げている。今のメイは人目を引く南国美人だ。はっきりした目鼻だちに、あざやかな染めの衣装や大振りのアクセサリーがよく似合っていた。これで実は騎士だなんて、誰にもわからないだろう。

 そして私も、普段とはまったく違う姿になっていた。

 巻き髪を華やかに垂らし、濃い目のメイクで大人っぽく仕上げている。いつもはスッピンに近いナチュラルメイクだけれど、今日はシャドウもチークもしっかり入れた。ルージュはローズピンク、アイラインはくっきりと。目指せ見た目年齢プラス五歳――は、無理で、せいぜい年相応らしいが、まあいい。小学生に見えないならいい。

「化粧でこんなに変わるなんて……これ、もう完全に別人だろ。ここまで顔を作れるなんて……女の子が信じられなくなってきた」

 まだぐちぐち言っているイリスは無視。そうとも、女は化けるのだ。そのようすだと過去の彼女たちにもだまされていたな。

 持てる技を駆使して盛った顔は、そこそこの美人になっていた。ニセモノだけど。

 そして最大のポイントは胸。しっかり存在を主張している胸。ニセモノですけどね、こんちくしょう!

 しょうがないだろう! この世界じゃ65Dはお子様サイズなんだから! これが日本なら、ここまで盛らないよ。ちょっと寄せ上げブラを使うくらいだ。私だってそんなに見栄を張る気はない。巨乳に憧れてなんか――いるけど、詰め物で大きく見せたってむなしいだけだ。

 けれど今は、別人になる必要がある。万一私を知る人に見られても、そうと気付かれないように。そして、子供になんか興味を持たない連中も引き寄せるために。

 任務のため。これは、任務のためなんだから。

 仲間たちの白い目に耐えながら、私はスカートをひるがえした。いつもよりずっと裾の長い、フリルもリボンもついていないワンピースで町へ出かける。向かったのは、中央広場だ。

 簡単に準備を済ませると、メイが鈴を鳴らして人々の注目を集めた。観光客も多い町だから、面白そうな見せ物があれば足を止める人が多い。ギターに似た楽器をホーンさんが適当にかきならし、私はスカートを広げて観衆におじぎした。

「さあさあ皆様、お急ぎでない方はどうぞお集まりを。お急ぎの方も、お時間の許すかぎりお付き合い願います。これなるは異国の歌姫。どなたも聞いたことのない珍しき歌をお聞かせいたしましょう」

 ノリノリでホーンさんが口上を述べる。四方から注目を浴びる中、私はひそかに深呼吸して声を張り上げた。

 まずは明るく楽しい歌から。聞いた人がつい足を止めてしまうように。歌いながら軽くステップを踏み、時々くるりと回ってスカートをひるがえす。

 尻込みしていたメイも、頑張って踊ってくれた。こういうのは照れたら負けだ。堂々とやっちゃうんだ。大道芸なんて珍しくもない。昨日だって見かけたし。要はストリートミュージャンってことで、夕方になれば駅前に出没したじゃないか。あれと同じだ。恥ずかしくない、恥ずかしくない。

 ――本当はめちゃくちゃ恥ずかしいけれど、必死にその気持ちを隠して歌った。できるだけ人が集まるように、耳に心地よいノリのいい歌を選ぶ。

 反応はまずまずだった。けっこうな人垣ができてきた。みんな楽しそうに見ている。手拍子や足踏みで調子を取っている人もいた。よしよし、いい感じ。

 ちゃんとした伴奏がないので少しやりづらかったけれど、ホーンさんが上手く合わせてくれたので、どうにか形にはなった。なんだかんだ言ってメイも乗ってきたようだ。歌に合わせて鈴で盛り上げる。ふたりで踊ると観客も乗ってくれた。

 しばらく陽気な歌を続け、最後はしっとりとしたバラードを歌った。精一杯情感を込めて歌い終えると、カモフラージュに置いた籠にお金がたくさん放り込まれた。おお、すごい。これで生活できちゃうかも。

「いい声してるね、あんた。どこから来たんだい」

「本当に聞いたことのない歌ばかりだね。いやでも、悪くなかったよ。特に最後のはいいね」

「もっと色っぽい歌を聞かせてくんねえか? ふたりっきりで、俺だけにさ」

 町の人が声をかけてくる。助平面で肩を抱こうとする男はメイが追い払ってくれた。そうしたら今度はメイに言い寄って、しまいには蹴飛ばされていた。周りはウケて大笑いだ。あ、またふざけて飛びかかった馬鹿が殴られた。美人に痛めつけられたい男が多いんだろうか。

「お前、名前はなんて言うんだ?」

 そう聞いてきたのは、兵士姿の男だった。私はにっこり笑って答えた。

「ミカよ。この町には着いたばかりなの。よろしくね」

 頑張って愛想をふりまけば、わかりやすく男の鼻の下が伸びた。さらに話しかけてこようとするのを、同僚らしい兵士が押し退け顔を突き出す。

「ここで商売続けるのか? 明日も来るか?」

「ええ、しばらくはレーネにとどまるつもり。お兄さんたちはこの町の警備兵? 明日も会えるのかしら」

「お、おう! 来るぞ! 今くらいの時間でいいか?」

「なんだよ、お前。俺が先に声かけてたんだぞ」

「うるさいな、後も先もあるかよ」

 メイが心配そうにこちらを見ているが、大丈夫とそっと合図しておく。ホーンさんも町の人と楽しそうに話しつつ、ちゃんとこっちを見ているはずだ。そして人込みにまぎれて、イリスが離れた場所から見守ってくれている。だから大丈夫。知らない男に近寄られても話しかけられても、嫌がったりしない。愛想の大サービスでしっかり売り込んでおく。

 二時間ばかりその場でねばり、何曲か歌っては休憩して近寄ってくる人と話をする。三日もそんなことを続けると、常連客ができた。初日に声をかけてきた兵士たちは、毎日通っては休憩のたびに話しかけてきた。私は彼らに、できるだけ愛想よく接した。

「なあ、この後一緒に飯でも食わねえか? まだこの町のこと、よく知らないだろ。美味い店に連れてってやるよ」

「歌ももちろんいいけど、もっとゆっくり話がしたいな。時間をくれよ、なあ」

「あら、ここでお話するんじゃだめなの? なんなら今日はもう商売は切り上げて、この後ずっとおしゃべりしててもかまわないわよ」

 話はしたい。でものこのこついて行ったら何をされるかわからない。このへんのかけひきは、私には難しい。ボロを出さないよう内心必死になりつつも、上辺は精一杯楽しそうな笑顔をとりつくろった。

 イジャンとコーシーという若いふたりが、毎日通っては熱心に話しかけてきた。イジャンは男前とは言えないものの、精悍な印象でそれなりにもてそうだ。反対にコーシーはちょっと頼りない雰囲気がある。話もたいていはイジャンが主導権をにぎっていて、コーシーは常に押され気味だった。

 この数日のやりとりで、彼らがエランド兵であるとの確信は得ていた。話の端々から拾った情報をつなぎ合わせると、離宮を拠点として昼夜交代で町を見回っているらしい。もちろん目的は警備などではなく、アルギリ側の動きを見張り反撃を阻止するためだろう。離宮だけでなく何ヶ所か町中にも詰め所があり、兵士が常駐している。そこももちろん、別の時間に見に行った。

 離宮には偉い人がいる、とだけ聞いていた。彼らの指揮官のことだろうが、おそらくクラルス公の存在も含んでいるはずだ。

 救出作戦を立てるためには、もっと詳しい情報が必要だ。下っ端の兵士からどれだけ引き出せるかわからないが、聞けるだけは聞いておかないと。

「堅ぇなあ。なんだよ、警戒してるのか? 心配しなくても、悪さなんてしねえからよ。お前ともっと仲良くなりたいだけだよ」

「やぁね、もうとっくに仲良しだと思ってたのに、そっちは違ったの?」

 お寒い大根芝居にならないよう、ひそかに大汗だ。男と仲良く付き合って気のあるふりをする、なんて私の引き出しにはない難しい技だけれど、過去に見たドラマやアニメや漫画を参考に、せいぜい軽薄そうにふるまってみる。うまくできているかな? こんな感じでいいんだろうか。

「いや、違わねえけどさ。もっと……だよ」

 イジャンがなれなれしく肩を抱いてきて、ぞっとなった。でも我慢だ。ここで嫌がったらだいなしだ。笑顔をキープし、されるがままでいる。

「俺と仲良くなっておけば、いいことあるぜ。損はさせねえよ」

「いいことって、なぁに? あなた、偉い人なの?」

「ち、そうじゃねえけどよ。悪かったな、どうせ下っ端の平兵士だよ。けど、いざって時には守ってやるぜ。ここだけの話、近いうちにこの町でも騒ぎが起きるからさ」

「おい!」

 ぽろっとこぼしてくれた瞬間、コーシーがあわててイジャンを小突いた。いや、今のくわしく! と、食いつきたいのをぐっとこらえる。

 わかってる、大丈夫というように、イジャンは目配せで答えた。彼らのこそこそしたやりとりには気付かないふりで、私はおびえてみせた。

「やだ、騒ぎってなによ。面倒事はごめんよ。なんか戦争とか始まっちゃって、やばそうだから逃げてきたのに、この町も安全じゃないっていうの? やあねえ」

「大丈夫だって。だから言ってるだろ、俺が守ってやるよ」

「おい、なにお前だけいい顔してんだよ。ひとりで調子に乗るなよな」

「うるせーよ、そっちこそ邪魔なんだよ。横から口出すな」

 仲間内での口論は後にしてほしい。話がそれそうなので、軌道修正を試みる。

「騒ぎって、なんなの? 何が起きるのよ。やばそうならさっさとよそへ移らなきゃ。ここはあったかくて町の人も気前がいいから、気に入ってたんだけどなあ」

「待てよ。そう急いで逃げなくていいってば」

 イジャンはあわてて私をなだめる。

「心配いらねえって。上の人間が変わるだけだから。まあそん時に、ちょっとごたごたするだろうけど、ちゃんと守ってやるって言ったろ。ことが済めば俺らの待遇もずっとよくなるはずだ。そうしたら、お前にうんといい思いをさせてやるぜ」

 上が変わる、ね。それはつまり、アルギリをエランドが完全に征服するという意味だろうか。首都ディンベルはそう簡単に陥落しないと思うけど……ただ、なんといっても、ここにはクラルス公がいるからなあ。

「ふーん、偉い人もなんかいろいろ大変なのね。そうだ、偉い人って言えばさ、私離宮で歌いたいんだけど、口利きとかしてもらえない?」

「は?」

 私のお願いに、ふたりはいぶかしげな顔になった。

「なんでそんなこと……」

「あら当然じゃない? こんな道端で歌ってたって稼ぎは知れてるもの。偉い人の前で歌って気に入ってもらえば、ご褒美はずんでもらえそうじゃない」

 彼らは顔を見合わせた。さすがに、二つ返事でオーケーとはいかないようだ。

「いや、でもなあ」

「口利きって言われてもなあ」

 そんなお願い無理って雰囲気で流されそうになる。たしかに、下っ端兵士への頼みごととしては、かなり難題ではあるだろう。でもここで簡単に断られてしまっては困る。その気にさせないと。

「なんだ、いい思いさせるとか調子のいいこと言っといて、やっぱりだめなんじゃない。他を頼った方がいいかしらねえ」

 メリットのない男になんか用はないわ。そんな顔で身を引いてみせれば、強引に止められた。

「待てよ。ったく女はこれだから……そう簡単にお目通りできるもんじゃねえんだよ。それに、気に入ってもらえるとはかぎらんぞ」

「ふーん、私じゃダメって言いたいんだ」

「いや、お前は可愛いけどさ、あのお方は女なんぞよりどりみどりだからなあ」

 誰だ、あのお方って。エランドの将軍か何かか?

「なにそれ、お妾にしてもらいたいとか言ってるんじゃないわよ。そんなの狙ってるとか思ったわけ? 失礼しちゃうわね」

「ああ、悪い、拗ねるなよ」

 にやにや笑いが間近に迫る。顔をしかめそうになるのを、なんとかこらえた。というか、臭いんですけど! お風呂ちゃんと入ってるの?

「そのお偉いさん、どういう人なの? お妾になんてなりたくないけど、商売はさせてもらいたいわ。ねえ、なんとかならない?」

「そうだなあ……」

「私のお願い聞いてくれたら、そっちのお願いも聞いてあげるわよ。ねえ、お偉いさんに頼んでよ」

 不快感をこらえ、イジャンにしなだれかかってやる。お互い下心ありなのは承知のこと。知った上で取引する関係だってあるだろう。

 イジャンは笑みを深くし、さらに顔を近寄せた。

「そうだな、じゃあ場所を変えて相談するか」

「なんでわざわざ? ここでいいじゃない」

「こんなとこじゃできねえ話なんだよ。言ったろ、ちょっとごたごたしてるって。町の連中にゃ聞かれたくねえ。本当はお前にも聞かせちゃいけねえ話なんだけど、特別に教えてやるよ。だからほれ、行こうぜ」

 イジャンは私の肩を抱いたまま立ち上がった。引っ張られてしかたなく私も立ち上がる。そのまま強引に歩き出そうとするので焦った。

 まずいな。これ、どこかに連れ込んで押し倒そうって腹だ。こういう男の考えることなんて決まりきっている。どうしたものかとひきつりそうな顔の下で考えた。ここでついて行ったらおしまいだ。さりとてまともに抵抗するわけにはいかないし……うわあ、どうしよう。

 メイがこちらへ来ようとしているのが見えた。でも彼女が割って入っても助けになるだろうか。あやしまれるか、それともふたり一緒に連れて行かれてしまうかじゃないだろうか。ホーンさんに期待するわけにはいかないし。下手に彼が止めに入ったら殴られそうだ。どうしよう。

「歌はもう終わりかい?」

 焦りまくっていると、通りのいい声が横合いからかけられた。私ははっと顔を上げて声の主を見た。私を抱くイジャンもそちらへ顔を向ける。いつ来たのか、イリスが立っていた。

「店じまいには早すぎないか。もっと聞かせてほしいよ。歌ってくれないか」

 高額貨幣を出してイリスは言う。私は一も二もなく飛びついた。

「まあ! こんなに! いいの? お兄さん太っ腹ね!」

 かなり強引にイジャンの腕から逃れて貨幣を受け取る。おい、と後ろから不機嫌そうな声をかけられたが、ここは無視だ。とびきりのいい男が大金を出してくれるんだから、計算高い女としては飛びつくのが当然だろう。

「ありがとう、サービスしちゃうわ。どんな歌をお望みかしら?」

「そうだな、じゃあ英雄の歌を頼むよ」

 英雄ですか。まさかイリス、某アニメソングのことを言っている?

「英雄ねえ……いいのがあったかしら」

 考えながら私はホーンさんたちの方へ戻った。引き止めようとするイジャンのことは当然無視した。歌の準備に取りかかれば町の人々も注目する。こうなれば彼らも強引な真似はできない。距離を取れてほっとした。助かった。ありがとうイリス、ナイスフォロー。

 その場はどうにかやりすごし、無事宿へ戻った私は、その後、イリスから思いがけない叱責を受けたのだった。




 イリスはいつも、私たちより後に帰ってくる。一緒に行動しているところをなるべく見られないようにするためと、万一にもあとをつけてくる者がいないかを確認するためだ。

「お帰りなさい」

 借りている部屋はけっこう贅沢な造りで、三部屋が中でつながっている。中央の居間に帰ってくる音がしたので、私は寝室から飛び出した。髪はまだくるくるのままだけれど、化粧を落とし着替えも済ませていた。

 イリスは上着を脱いで、剣をソファに立てかけたところだった。

「さっきはありがとう。助かったわ」

 まずなによりもお礼が言いたかったので、急いでそばへ行く。いつもの明るい笑顔が向けられると思ったのに、イリスは妙に厳しい目で私を見下ろした。

「……なに?」

 うきうきしていた気持ちが一気に冷えて、私はたじろいだ。イリスは一呼吸置いて、あきらかに怒りを抑えた声で言った。

「チトセ、街頭に立つのはもう終わりにしよう。歌姫ミカは廃業だ。あの変装は二度としないように。いいな」

「なに言ってるの?」

 突然の命令に、当然承服なんかできず私は言い返した。

「まだろくに情報収集できてないわ。それに、離宮に入り込めるかもしれないのに、今やめちゃってどうするのよ。意味ないじゃない」

「これまでに聞き出した情報だけでじゅうぶんだ。下手に深入りするのは危険だ」

「全然十分じゃないわよ。離宮内部がどんな状況なのか、クラルス公はどこにいるのか、肝心なことは何もわかってない。これじゃ救出作戦も立てようがないじゃない」

「ハルト様との約束を忘れたか。絶対に危険な真似はしないって言っただろう。今日だって、危なかった。あのまま連中について行ったらどうなってたか、わかってなかったって言うんじゃないだろうな」

 私が望んでついて行こうとしていたと思われたのだろうか。そんな誤解をされては我慢ならないので、もちろん抗議する。

「ついて行く気なんかなかったわよ。当たり前じゃない」

「でも僕が行かなければ危なかった」

「それは感謝してるわ。けど……」

「君はわかってない」

 怒りを抑えきれない声でイリスは言った。

「遊び慣れたふりで男を手玉に取っているつもりなんだろうが、全然そんなふうには見えない。慣れない娘が懸命にそう装っているのが丸わかりだ。だからあいつらだってつけ込んでくるんだ。乗せられているのは君の方だよ。連中は君が男に不慣れなことを見抜いて、わざと乗せられたふりで君をだまそうとしているんだ。情報収集どころか、気付いた時にはとんでもない目にあってるぞ」

 強い口調で言われたことに、私はショックを受けて口ごもった。全然だめだった? 私の演技なんて、誰の目にもばればれだったの?

「……でも……いざって時のために、イリスやメイがいてくれるんじゃない……」

 言った直後に、情けなさがこみ上げた。自分で身を守ることはできず彼らに頼りきっているのだと、堂々と公言するなんてみっともない。それでえらそうな口を利けるはずがないと、言われなくてもわかっていた。

「いつでも助けられるとはかぎらない。間に合わなかったらどうする。とにかく、もうやめだ。いいな」

 イリスの言うことは間違っていない。それはわかる。けれど聞く耳を持たず一方的に決めつけられて、おとなしく引き下がることができなかった。

「やめられないわ。ただ町を歩き回るだけで得られる情報なんて、たかが知れてるもの。ある程度は敵の懐に入り込む必要があるじゃない。今日みたいなことにはならないよう、気をつけるから……」

「いいかげんにしろ!」

 怒鳴られて、びくりと身が跳ねた。イリスが私を怒鳴ることなんて、滅多にないのに。叱る時だっていつも冷静だったのに、怒りを前面に押し出している今の彼が怖かった。

 青い瞳が激しさを隠すことなく私をにらむ。

「男にさわられるどころか、近寄られるのすら嫌がるくせに! ついこの間襲われて、怖い思いをしたばかりだろう。カーメル公が相手の時ですら、おびえて泣いていたくせに。強がりもたいがいにしろ!」

「……っ」

 言い返せない。彼の言うことはいちいちもっともで、そしてなにより激しい怒りが怖くて。以前のように頭に血が上っているならこちらも怒鳴り返せるが、今は気押されてすくみ上がるばかりだった。

 怖くて――でも、くやしい。

 私の言うことを聞いてもらえない、頑張ろうとしているのにだめだと決めつけられる。それがくやしくて、素直にうなずくことができなかった。

 涙をこらえて唇をかむ。返事をしないままイリスに背を向けて、私は寝室へ戻った。

 当然声は聞こえていただろう。メイが難しい顔でこちらを見てきた。

 メイの目にも、私に対する非難の色がある。私は無言で顔をそむけ、ベッドにもぐり込んだ。

「……イリス様の言うとおりだ。チィは、危なっかしすぎる」

 追い討ちの言葉が布団越しに降ってきた。

「いつも、気持ちだけで能力が追いついてない。それを自覚もしてないのがよけいにまずい。チィは頭を使うだけにして、自分で動くべきじゃない」

 静かな声の、とてもきつい指摘だった。私は布団の中でシーツをにぎりしめた。

 そうよ。私はメイみたいに強くない。イリスに信頼してもらえるだけの力がない。わかっている。でも、だから自分では何もしないなんて、それは違わない? 何かできることをさがして精一杯頑張ろうとしているのに、はなから無理と決めつけられるのか。おとなしく引っ込んでいろって、そう言うのか。

「それに、イリス様の気持ちも考えてあげて。今日みたいなのを見ていて、穏やかでいられるわけがない。芝居だって言い張ったところで、そこらの男とベタベタしてたら気を悪くするに決まってる」

「私だって、好きでやってるんじゃないわ!」

 我慢できずに布団をはねのけて、私は言い返した。泣きべそ顔を見られるのはくやしいけれど、それ以上に腹立たしかった。

 半分以上八つ当たりだ。わかっていても、止められない。

「どれだけ気持ち悪かったと思ってるのよ! 男にくっつかれて、鳥肌が立つ思いを必死に我慢してたのに! 好きでやってたみたいに言わないでよ!」

「そんなにいやだったなら、よけいやめるべきだろう」

「やめてどうするのよ」

 どうして。どうしてわかってくれないの。

 イリスもメイも、私を認めてくれない。無理だからやめろと、頭ごなしに言う。頑張りたいって気持ちを、どうしてわかってくれないの。

「遊びに来てるんじゃないのよ。クラルス公の状況を調べないといけないのに。まだ何もわかってないのに、ここでやめてどうなるのよ」

「……それは、あたしたちがなんとかする。いざとなったら離宮に忍び込んで調べるから」

「その間私は市内見物でもしながらのんびり待っていろって言うの?」

 涙に笑いが混じる。どれだけ私は役立たずと思われているのだろう。ひとりで頑張っているのが馬鹿みたいで、笑えてくる。

 くやしすぎて、笑えてくる。

 メイはそれ以上何も言わずに、ただじっと私を見つめた。力を持つ者の、上にいる者の余裕がたまらなく癪に障る。

 私は彼女から顔をそむけ、もう一度布団の中に引きこもった。

 涙と憤りをかみしめる。なかなか鎮まらない気持ちを持て余しているうち、ふとこれが初めて知るものではないことに気付いた。

 彼らの言い分が正しいことはわかっている。でも素直に認められない。私の気持ちをわかってほしいと思うのは甘えやわがままであると知りながら、願わずにはいられない。

 これは、あの時と同じじゃないのか。

 ハルト様が信じられなくなってひとりふさぎ込んでいた、あの時の想いがよみがえる。

 ……私は、また間違っているのだろうか……。

 そこに気付くと、激しい憤りは遠ざかった。

 かわりに違う涙がこぼれ落ちた。

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