お菓子くれなきゃ魔法をかけるぞ!
そろそろ冬の気配を肌で感じる、十月三十一日。街を歩けば一面のオレンジ。そして目の前には、黒。
「トリック・オア・トリート!」
黒の帽子に黒のキャミソール、スカートと靴下も黒。肌の白さがよく映える。
――と、いわゆる魔女のコスチュームで目の前に立つコイツは、保育園からの幼馴染。この時期になると毎年のように我が家に押しかける。といっても、コイツの家と俺の家は斜向かいだから、五歩もあればインターホンに手が届く。
というのに、コイツは相変わらずインターホンなんてスルーして、直接玄関から声を張り上げるのだ。近所迷惑というより、恥ずかしいからやめてほしい。
「あー、もうそんな時期か……」
俺が溜息混じりに呟けば、パァッと顔を輝かせて、
「やっと覚えてくれたわね! さ! お菓子ちょーだい!」
満面の笑み、子供のように無邪気な視線が俺を射抜いた。
いかにも面倒そうな素振りを見せながらも、しっかりスナック菓子を用意している俺は、コイツに甘いのだろう。はいはいと返事をしながら、踵を返してキッチンへ向かう。
机の上の袋に手を伸ばして、違和感。近所のスーパーの白いビニール袋。その中にはハロウィンのラッピングをされた期間限定のお菓子が入っているはずなのに。
スカッ、と空振った手に、開いた口が塞がらなかった。
「あー……その」
周りにめぼしい品もなく、手ぶらで玄関へ戻ると、冷たい視線が俺を射抜く。発信者は言うまでもない。
「すまん。用意してたんだけど誰かに食われたみたいで」
「ダウトっ!」
「ホントだよ!」
じとーと俺を睨みつけること数秒。コイツは家を訪ねてきたときのようにニコーッと爽やかな笑顔を浮かべた。正直ちょっと気持ち悪い。
そして大きく息を吸い込むと、ビシッと効果音がつきそうな勢いで、持っていた棒を俺に向ける。先端に星がついたそれは、魔法の杖のつもりだろうか。
「トリック・オア・トリート!」
「だから、お菓子は……」
俺が口を開きかけると、ハァ? という冷たい声とともに再び睨まれた。
「お菓子がないならどうするって言った?」
「トリート」
「トリートはお菓子のほうよ、ばか」
「じゃあ、トリック」
「そう!」
俺の答えに満足そうに微笑むと、今度は魔法の杖(仮)を俺の胸に突き立てた。星の角が痛い。
「お菓子くれないから、アンタに魔法をかける!」
「……はぁ?」
自信満々に宣言しているものの、心なしか頬が赤い。まぁ、いくらなんでもこの歳でその台詞は恥ずかしいのか。だったら、いいかげんハロウィンなんて卒業すればいいだろうに。
――などと口に出そうものなら胸の魔法の杖(仮)が貫通してきそうなので、言わない。
「何の魔法がいいかな」
「何でもいいから早くしろよ。お菓子でも何でも買ってきてやるから」
絶対、喜ぶと思ったのに。目の前のコイツはむすっと唇を尖らせる。
「……いらない。だって私はトリックのほうを選んだんだもん」
「そんなに悪戯したかったのかよ」
俺が苦笑しながら呟けば、いっそう頬の朱が濃くなる。なんなんだ、風邪でもひいてんのか。
そんな俺の心配とは裏腹に、コイツは数回深呼吸して、上目遣いで俺を睨みつける。玄関の段差のせいで、いつもより多い身長差。
「いい? この魔法は絶対解けないんだから! アンタか私が死ぬまで!」
「あぁ、何の魔法だ?」
* * *
十一月一日。
あと二日で祝日だったなーと思ったら、今年は土曜日と被っているらしい。ふざけるな、カレンダー……! やり場のないささやかな怒りを、玄関先に転がっていた小石にぶつける。カンと高い音を立てて門にぶつかって、どこかへ飛んでいった。
と思ったら、再び門前へ戻ってきた。驚いて見つめると、門の縁から小さい影が顔をのぞかせる。
「朝っぱらから遊んでんじゃないわよ。学校行くぞ、ばーか」
――一緒に学校なんて何年ぶりだろう。中学校のころにはもう別々だったなぁ。
ひらりとスカートを翻し俺の数歩先を歩く幼馴染の背中を見て、ふと考えた。結局、幼馴染なんて言っても時間の流れとともに他人になっていくものだと思っていたのに。
『いい? この魔法は絶対解けないんだから! アンタか私が死ぬまで!』
『あぁ、何の魔法だ?』
『恋の魔法よ!』
斜向かいの幼馴染は、いつのまにか隣の彼女になっていた。