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「ふう、一段落したわね。一服しましょ」小柄な年配の女性が言う。
「はい、あ、お茶、入れますね」礼似がお茶の準備をする。
ここは市街地中心部にあるシティホテル。この街の観光拠点にはうってつけのホテルだ。このホテル、実はこてつ組が後ろ盾になって采配を振るっている。酒や食材の入手先、クリーニングや清掃、施設の管理業務先と、その分野は多岐にわたっていた。
しかし今は吸収した元の麗愛会組幹部と、こてつ組幹部との間に激しい競争が起こっている。このホテルの経営方針を巡っては、日々、小さな小競り合いが続いていた。双方それなりに言い分があり、どちらも理にかなった意見なのだから最後は結果の出た方に軍配が上がり、こてつ組の主権を握って行くのだろうが今はまだどちらとも言えない状況だ。
それはそれで仕方が無いのだが、こういう時にはそのすきに漬け込む者が出てくるのが相場で、その手の事は末端の者への影響になって表れる事が多い。今回はホテルの下請けの清掃会社の様子を調べるように、礼似は命を受けていた。期間は一週間。礼似が臨時のアルバイトとしてその清掃会社に雇われてから、三日立っていた。
「じゃあ、本当は今の人数では一人足りないんですね」礼似が女性に聞く。
「そうなの。それでも今はあんたがいてくれるから何とかなっているけど、来週ちゃんと雇ってくれるかどうか。まったくあの社長のケチさには付ける薬が無いんだから。始業時間三十分前にシーツを剥いだり、ゴミをまとめたり、細かい事をやっておいてるでしょ? 帰りは帰りで同じくらい雑用に追われているし」
一人就業前後に三十分。一日一時間。ここは常に八人いた従業員を今は七人で回しているという。事前に書類は調べつくしたが、そんな記述は何処にも無かったし、人件費分が浮いた事実もなさそうだ。
こりゃ、面接の時にあった、あのケチ社長のピンはねが濃厚だな。ギャンブル好きの噂もあったし、叩けばほこりが出てきそうだ。ばかねえ。こんなことで信用落としたらすぐ契約切られちゃうのに。従業員も気の毒だわ。下の者に言ってちょっときつく締めあげておこうかしら。
礼似はそんな事を考えていたのだが……。
「あら、沖君。今日はもう上がり?」女性が警備員姿の男性に声をかけた。
「はい、お先に失礼します」沖と呼ばれたその男性があいさつをする。
「待って、帰るなら宴会係の前田さんの所へ寄ってね。バイキングで残ったケーキがあるって。奥さんと食べなさいね」
「またですか? なんか悪いなあ。ここのパテシエのケーキですよね。前田さん、ちゃんとバイキングに出してるんでしょうね」沖は笑いながらも恐縮している。
「いいのよ、お偉いさん達のパーティーなんて食べ物はお飾りみたいなものなんでしょ。誰かが食べなきゃ捨てるだけなんだから」
「じゃあ、遠慮なく貰って帰りますよ。じゃ、また明日」
「お疲れ様。前田さんによろしくね」女性も会釈を返した。
沖が出て行くと「あの沖さんって人、私たちの仕事も時々手伝ってくれますよね」
と、礼似は女性に話しかけた。
「いい人なんだけどね。かわいそうに、先月中学生の娘さんを事故で亡くしたばかりなの」
「まあ、気の毒に」
「本当に気の毒。結婚後もなかなか授からなかった一粒種の娘さんだったの。そりゃあ可愛がっていてね。だから夫婦そろってひどい落ち込みようだったのよ。今はああしているけど、気持ちが立て直せるまでまだまだ時間がかかるでしょうね。だからみんな彼の事は気遣っているのよ」
礼似は御子が話していた美羽の事を思い出した。手中の珠のように育てられた少女が命を奪われ、野良猫の様に放り出された少女が感情を押し殺して生きているなんて。世の中うまくいかないものね。
礼似はいつになくしみじみとしてしまった。