第三章 凶刃と英雄狂(1)
心から楽しいと思える日々はいつ以来だろうか。
小さいときは無邪気に毎日を楽しめた。しかし、歳を重ねるごとに色々なしがらみが増えて、いつの間にか純粋な気持ちを置き去りにしていた気がする。
もちろん楽しいことばかりではない。痛い目にもあったし、不注意で死にかけたときもあった。でも、それも全部含めて楽しかった。なによりも充実していた。
いまが本当に楽しくて、それだけでこの世界にきた意味があったと実感できた。だから忘れていた。否、忘れていたかったのかもしれない。
永遠に続くモノなどない。そんなことは子供ですら知っているというのに、その瞬間まで彼は当たり前の事実から目を背けていた。
その日もヘキサはライラの店へと足を運んでいた。
白髪の少年と行動を共にするようになり、10界層をクリアしてから二週間が経過していた。千界迷宮の攻略も順調で、先日ついに15界層を単独で突破することに成功した。
それは驚異的な早さだった。むろん、単純に攻略速度でいうのならば、黒髪の少年よりも早く、攻略を進めている『四期生』は他にも多くいる。
しかし、それは先輩探索者の助力があった場合、もしくはソロではなくてパーティでの攻略によって、クリアした者がほとんどのはずだ。助力ならばヘキサもデュランに手を借りてはいるが、基本的に黒髪の少年は一人で攻略に望んでいた。
彼が協力したのは初期段階での装備資金の提供と、戦闘を横で見ていて感じたことを、助言していた程度である。
おそらくソロでの攻略を前提条件にするのならば、ヘキサ自身に自覚はないかもしれないが、『四期生』に限らず千界迷宮攻略の最速の一人ではなかろうか。
「ライラ喜んでくれるかな」
手元に視線を落として、ぽつりとつぶやく。彼の右手には二枚の細長い紙。ドゥナ・ファムにあるレストランの予約券である。
とはいえ、ただのレストランとはわけが違う。上層のプレイヤーがわざわざ訪ねるほどの、ドゥナ・ファムで一番の有名レストランなのだ。
以前にライラと交わした食事の約束のため、苦心の末にようやくゲットした代物である。迷宮攻略が進み金銭に多少の余裕がでてきたとはいえ、高い買い物であったのには変わらないが、これで彼女が喜んでくれるのならば安いモノだ。
なんて思ってしまう辺りが、デュランが言うところのハマっているということなのだろう。第三者がいれば確実にそう判断するはずだ。
そもそもいままでの人生はそれこそ、女の子のいない生活だった。本人の内向的な性格によるところも大きいが、異性との会話なんてまともにしたことがない。
そんなヘキサがライラとだけは対等に話せるのは、ここが現実ではないということと、彼女のあけすけな態度が彼にとっては好ましく感じているからだろう。まあ、逆にライラがヘキサの扱い方を心得ているとも言えるのだが。
驚くライラの様子を想像して、予約券を眺めながらにやにやとするヘキサ。前方の分かれ道を右に曲がり、見えてきた道具店を目前にし――彼は目を見開いた。
ライラだ。金髪の少女が店の前で地面に倒れていたのだ。うつ伏せに倒れているので表情はわからないが、只事でないのは一目瞭然である。
「ライラっ!?」
呆けていたのは一瞬だけだった。正気に返ったヘキサはライラに駆け寄ると、そっと彼女の華奢な身体を抱き起こした。
どうやら気を失っているだけのようだ。ぐったりとしているが外傷は見当たらなかった。呼吸も正常だった。
「ライラ……おい、ライラッ。しっかりしろよっ!」
「――う、んンっ」
肩を掴んで揺さぶると、彼女の唇からか細い吐息が洩れる。長いまつ毛が震えて、ゆっくりとライラは目蓋を開いた。眼前の少年をぼんやりと見やり、うわ言のように声を発した。
「っ。へきさ……?」
「ああ、そうだよ! 僕だよ。……はあっ、よかった」
この調子ならば大丈夫だろう。額を押さえるライラの両肩から手を放して安堵する。
「なにがあった。どうしてこんなところで倒れてたりしたんだよ」
「わ、たし……は、店を、そうしたら――ッ。逃げてッ!?」
黒髪の少年の背後に視線をやって叫ぶ。え? とライラの叫びに背後を振り返ろうとし、ガツンと後頭部に重たい衝撃を浴びて地面に叩きつけられた。
頭の中で火花が散り、視界が暗く明々する。遠くなる耳に、複数の声が聞こえた。水を通したかのように反響する声の一つはライラのモノだが、後の声は男のモノだとしか判断できなかった。
最後の力で頭上を見上げたヘキサが見たモノは、腕を掴まれ無理やり立たされている金髪の少女と、口元を歪めて笑う二人の男の姿だった。
カーソルの色は赤。プレイヤーである。それだけを確認して、ヘキサは一言を発することもできずに気を失ってしまった。
……………………。
…………。
……。
「――、サ」
声が聞こえた。がくがくと身体を揺さぶられる感覚と耳元での大声に、眠っていた意識が覚醒する。沈殿していたヘキサの五感が急速に明確化していく。
薄暗い視界にまず入ったのは、こちらを見下ろす白髪の少年だった。目を覚ましたヘキサに、強張っていた表情を緩めると嘆息した。
「ふうっ。ったく、心配させるなよ」
「でゅらん……? あれ……ここは――!?」
小首を捻った瞬間、意識を失う直前の光景を思い出したヘキサは、バネ仕掛けの人形のような動作で上半身を跳ね起こした。
勢いよく立ち上がろうとし、立ち眩みと鈍痛に襲われて地面に膝をつく。ズキズキと疼く後頭部に手をやり、額に浮かぶ脂汗を拭う。
「馬鹿。無理すんなって」
「ライラ!? ねえ、デュラン。ライラを見なかった!?」
「いや、見てない。俺がここにきたときにはお前しかいなかった。あの娘は店の中にもいないみたいだけど、彼女になにかあったのか」
半狂乱といっても差し支えない様子で、ライラの名前を連呼するヘキサ。拉致監禁。不吉な単語が脳裏を過ぎり、腕を掴まれたライラの姿に重なった。
自分はどれくらいの間気を失っていた。周りはまだ明るいので、一時間と経っていないだろうが、致命的な時間ロスには違いない。
「くそっ。くそくそくそ……! ライラ、どこにいるんだライラぁっ!」
「落ち着け! お前だって怪我してんだぞ」
「ライラ――ッ!!」
尋常ではない様相に訝しみながらも、デュランは腰のポーチから取り出したポーションを、無理やり彼の口に突っ込み、宥めるような調子で口を開いた。
「ちょっとは頭が冷えたか? なにを見た。順を追って説明してみろ」
ポーションに沈静効果でも含まれていたのか。多少の冷静さを取り戻したヘキサは、自分が見た光景をデュランに話した。じっと黙ってそれを聞いていた彼は、話が終わるのと同時に「そうか」と言葉を洩らして立ち上がった。
「ヘキサはここにいろ。そいつらは俺が追う」
「待って、僕も行く! ライラを助けるんだ!」
駆けようとして、くらりと眩暈を起こし崩れ落ちた。HP的には全回復していても、芯に響いた残留ダメージがまだ残っているのだ。
「ほれ見ろ。怪我人は大人しくしてろ。……心配するなって。あの娘は俺が必ず助けるから。ヘキサはここで待っててくれ」
ぎりっと奥歯を噛みしめる。爪が皮膚を破るほど強く手を握り、ふっと全身の力を抜くと地面に座り込んで俯いてしまった。
「わかった。ここで待ってる」
「悪いな。すぐに戻る」
「……デュラン。ライラを助けてくれ」
「ああ、もちろん。速攻で片付けてやるさ」
白いレザーコートの裾を翻して遠ざかる背中。黒髪の少年は白装束を纏う背中に手を伸ばし、その手はなにも掴むことなく空を切る。
「くそっ」
小さな罵り声が儚く消えた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
行き交う人々で賑わう通りを横目に、屋根の上を移動する人影があった。デュランである。彼は付近にある建物の中で、一番高い建物の屋根に到達すると足を止めて、ぐるりと首を巡らして周囲を見回した。
ドゥナ・ファムの街並みを映すデュランの視界には、二重写しに白い円形と緑色の矢印が表示されている。白い環は方角を表示し、矢印は検索対象までの位置と距離を示しているのだ。矢印の色が緑なのは、現在の検索対象であるライラがNPCだからである。
【追跡】スキルによる対象の探査。先程店の前で倒れていたヘキサを発見したのも、このスキルによるモノだ。待ち合わせの時間を過ぎても一向にこない彼を案じてのことだが、まさかこんな展開になるとは予想していなかった。
不幸中の幸いなのは、ライラを拉致した連中がまだこの界層に留まっていたことだ。流石に界層間を移動されていたらお手上げだった。
まあ、その可能性は低いとは踏んではいた。0界層――つまりドゥナ・ファムから界層間を移動するには、中央区画にあるポータルを利用するしかないのだが、流石にこんな真昼間から拉致した少女を連れて、人の目が集まるところに顔をだすとは考え辛いためだ。
となれば、犯人はどこかに身を潜めて、人がいなくなる深夜を待つと考えていたが、どうやらその可能性も低そうだった。
「遠いな」
目を細めてつぶやく。
矢印は街の外を指し示している。方角は西。確かこの方向には草原、その先には森林が広がっていたはずだ。
ドゥナ・ファムをぐるりと囲む石壁の四方には、都市の外に繋がる門が設置されている。
この世界における探索とは主に千界迷宮を指すのだが、この0界層の外にもフィールドが広がっているのである。もっとも、ほとんどのプレイヤーはすぐに1界層に行ってしまうので、この0界層のフィールドに赴くプレイヤーは皆無といってもいい。
逆にだからこそ隠れ場所としては最適だといえるかもしれないが、街からは距離が離れすぎている。対象までの距離を逆算すると二時間はかかる計算だ。
とすると、最初からポータルを使うつもりがないのか。ポータルを使わず他界層に移動する手段に心当たりがないワケではない。
今回は追跡対象がNPC――隠蔽スキルを持たない一般人のため、ここまで距離が遠くても追跡できたが、相手がプレイヤーだったらこうはいくまい。初心者が追跡対象だったとしても、追跡できずに強制終了しているところだ。
もっとも、例え対象がNPCだろうと、この距離間での追跡など本来ならば不可能な芸当なのだが。余程【追跡】スキルの熟練度を上げているのか、はたまた他の要因によるモノなのか。それを知る者はディランだけであった。
「チンタラしてる時間はない、か。……よし、久しぶりに使うか」
屋根から屋根へと移動をする。速度を落とすことなく目的地の傍まできたデュランは屋根から飛び降りた。突然空から降ってきた彼に周囲の人々が驚くが、それを無視して眼前にある建物の中に飛び込んだ。
「おうっ。いらっしゃい」
「おっちゃん。一番足が速いクゥを一騎貸してくれ。期間は一日。大至急だッ」
恰幅のいい店主のNPCの挨拶もそこそこに、デュランは開口一番にそう言うと、カウンターの上に必要なだけの金銭を叩きつけるようにおいた。そして、”本”を出現させてると銀色の板の上に翳した。
「わかった。すぐ用意する」
少年の表情にことの緊急性を把握した店主は、お金を受け取るとすぐさま一枚のカードを取りだして彼に手渡した。
「レンタルは二十四時間。それを過ぎると一時間ごとに遅延料金が発生するから注意しな。それと、もし――」
「わかってる。サンキュ、おっちゃん!」
店主の口にする注意事項をすでに知っているデュランは、話を中断させると一言言い残し、店を後にして西側の門を目指して駆けた。
西門が近づくと入手したカードを実体化。門を通過するのと同時に、実体化させた水晶のような球体を握り潰した。キラキラとした光が散る。光の欠片はデュランの目の前で収束すると、一つの形を成して顕現して草原に甲高い泣き声が響かせた
大きな嘴を持つ白い鳥の外見をしたそれは、クゥと呼ばれるファンシーではもっともポピュラーな騎乗動物で、現実でいうところ馬である。強靭な二本脚で地面を蹴り、徒歩とは比べモノにならない速度で移動することが可能で、クゥという名前は彼らの鳴き声からきている。
その愛くるしい外見に魅了され、【捕獲】スキルで野生のクゥを捕まえて、自分専用として乗っているプレイヤーも数多い。デュランも以前、自分のクゥを手に入れようかと考えた時期があったのだが、【捕獲】スキルの獲得には色々と面倒な前提条件があり、断念した過去を持っている。
主に長距離を移動する際に重宝されており、デュランもクゥを乗りこなせる程度には、【騎乗】スキルの熟練度を上げていた。
各都市には必ず一箇所はクゥの貸し出しをしている店があり、先程デュランが飛び込んだ店がそれである。クゥの特性とレンタル期間によって貸し出し金が違い、それを過ぎると期間超過による違約金が発生する。
また、なにかしらの理由でクゥを失ってしまうと、それ相応の賠償金を支払わなくてはならない。貸し出しの際には必ずシステムブックによる認証が必要なため、誤魔化すことは不可能である。もしもそれをしようモノなら、即座に犯罪者に転落してしまう。
そう、ライラを拉致した連中のように。
クゥの背中の鞍に跨り、掴んだ手綱を引っ張る。クゥは一鳴きすると猛烈な速度で走りだした。一番速いクゥだけあってかなりの速度だ。耳元で風鳴りがし、周囲の光景が凄い速度で後方に流れていく。
転落しないように手綱を操作しながら、表示されている矢印の先を睨む。
NPC狩り。忌々しい単語に怒りが沸騰する。真っ当なプレイヤーならばNPCを拉致しようなどとは考えない。その発想に至るのは度し難い屑だけだ。
一時期大問題になった事件があった。いまだにデュランには信じられない話なのだが、NPCを無理やり拉致し、金銭で売買していたプレイヤーたちがいたのだ。デュラン自身、過去に何度かその手の連中を壊滅させたことがある。
当時ほどではないが、現在もそれが続いている。害虫と同じだ。馬鹿なことを考える馬鹿は、どこにでもいるということなのだろう。
しかし、一つわからないことがある。何故、ドゥナ・ファムで拉致をしたのかだ。他の界層とは違い逃げ道が少ない。条件のいい場所など他にいくらでもある。新規参加者の参入による混乱に乗じたのか。いや、だとしてもリスクが割に合わない。ハイリスクローリターンの選択のワケが理解できないデュランだが、
「まあ、いいさ」
手綱を掴む手に力をこめ、亀裂のような笑みを浮かべる。
「駆逐するついでだ。力ずくで訊きだしてやる」
元よりただで済ます気など毛頭ない。奴らには知り合いを傷つけた代償を支払わせてやる。目前に迫った森を見据えて、デュランの独白が大気に解けた。