第二章 迷宮攻略のススメ(4)
マリーゴールドから出るといつもと同じように、壁に寄りかかっていたデュランが、ヘキサに向かって手を振ってきた。
「どうだった?」
「レベルが19から21になったよ」
「お、ホントか。ボスを単独撃破だしな。やったじゃんかっ」
「うん。あ、それとこれ見てよ」
と、彼が懐から取り出したのは、レッドアイから入手した大剣のカードだった。生命循環のついでに鑑定を済ませていたのだ。
ヘキサはカードの表面をなぞると、他人からは見えないようにして、表示された武器の詳細画面をデュランの前に翳した。
グロリアス。それが大剣の銘だ。
製作者の欄が空なのは、モンスタードロップだからである。固有能力こそないが、銘入りだけあり、中々の性能値だった。下層で入手した武器としては破格ともいってもいい。
「へえ。大当たりじゃないか。ひょっとしたらヘキサは、女神様に愛されてるのかもな」
ほうっと感嘆の吐息を吐くと、デュランはヘキサの肩をぽんぽんと叩いた。
「女神様……?」
「そっ。ナビゲーターや職員が言ってるだろう。貴方に女神様の加護をってさ」
言っていた。ナビゲーターも別れの瞬間に言っていたし、マリーゴールドの職員もよくその言葉をお別れ代わりに使っていた。
「え? あれって単なるあいさつじゃないの?」
「うーん。ヘキサも上の界層に行けばわかるけど、結構それっぽいこと口にするNPCがいるんだよ。この箱庭の管理人、親愛なる女神様ってな」
あくまで噂だけど、と付け足すと、デュランは頭上を仰いだ。
「さてと……これからどうする?」
「僕はちょっとライラのトコに行ってくるよ」
「ふうん。そっか」
「……な、なんだよ」
途端、なにやら意味ありげな目線を向けてくる白髪の少年に、若干どもりながら言葉を返す。すると彼は「別にー」と言って、身体を反転させた。
「それじゃあ、今日はこれでおしまい。あとは自由行動ってことで」
「わかった。じゃあ、また明日」
「おう。――あ、それと」
ひらひらと手を振り遠ざかる背中だったが、ふいに彼は立ち止まると冗談めかした口調で口を開いた。
「NPCにハマるのも大概にしとけよ。お前、そういうのに耐性なさそうだし」
「な、う……は、ハマるって、僕はそんなんじゃ――ああ、もう、さっさと行けよッ!」
「あはは、じゃあなー」
今度こそ人ごみに姿を紛れさせるデュランにムスっとし、ヘキサもまた馴染みの店に向かうべく、彼とは反対の方向に歩き出した。
最初の十万人が降り立つことを想定していたためか、はじまりの街ドゥナ・ファムは箱庭世界の数ある街の中でも最大の規模を誇り、その構造を完璧に把握しているプレイヤーはおそらく存在していないと言われているくらいである。
特に整備されている表通りは別として、一歩裏通りに足を踏み入れればそこは、蟻の巣のような様をなしているのだ。
立体的に入り組んだ道がどこまでも続き、不用意に見知らぬ裏路地に入ってしまえば、五分とかからず迷子になる自信がある。
だからこそ、その店を発見できたのは偶然でしかなかった。重なる建物で陽光すら届かない細い道を、ヘキサは一人黙々と歩いている。
視線は前ではなく手元のカードにやってはいるが、それでも足元に散乱するゴミを器用に避けながら足を前に進めている。
最初は目的地までの道順を記したマップを見ながらでも右往左往したものだが、流石に一ヶ月以上も通っていればこの程度は造作もなかった。
見るからに寂れた印象の店だった。建物と建物の隙間にあるような、こじんまりとした小さな店だ。玄関にぶら下がった『ライラ道具店』の小さなプラカードがなければ、そもそもここが道具屋だとは思わないかもしれない。
我ながらよく中に入る気分になったものだ、とはじめてこの店にきた日のことを考え、なんだか感慨深い気持ちになった。
まあ、当時は面白半分で街を探索しようとして迷子になり、誰でもいいから道を訊きたくて店に入ったので、純粋にモノが欲しかったわけではなかったのだが。
ヘキサはドアノブを掴み、たてつけが悪い扉を半ば強引に引っ張って開ける。ギィッと扉が軋み、括りつけられた古ぼけた鈴が乾いた音を響かせた。
寂れた外装とは異なり、内装は小奇麗にされていて、整頓された棚には様々な種類のアイテムが並んでいる。
回復アイテムなどの消耗品はもちろん、用途のわかるモノからわからないモノまで、幅広い商品が並んでいた。
「まったく」
きょろきょろと店内を見回していると、怜悧な声色が鼓膜を振るわせた。
「あれほど扉の開け閉めは、静かにと言っているのに」
店の奥から現れたのは、フリルがふんだんにあしらわれたゴシック調の服を着た、金髪の少女だった。出現するカーソルの色は緑。
緩やかにカーブを描く金髪に、エメラルドを連想させる澄んだ瞳。可愛らしい洋服と相まって、人形のように可憐な少女だったが、外見に騙されると痛い目を見る羽目になることを、この一ヵ月半の生活でヘキサは知っていた。
「躾のなっていない駄犬ですね。そんなに矯正して欲しいんですか……? 」
やれやれとばかりに首を振り、彼女は冷ややかな視線をこちらにやった。
「たてつけが悪いんだから、仕方がないじゃないか」
「そうやってすぐモノのせいにして。……本当に救いようがありませんね」
ふうっとこれ見よがしに、ため息を吐いて見せる。
金髪の少女の名前はライラ。
玄関のプラカードに記されていたように、彼女はこの道具屋の経営者であり、この世界の住人であるNPCだ。
頬にかかる髪を手の甲で払うと、いつもの平坦な口調で口を開く。
「10界層の攻略はどうでした。無事なところを見ると、命惜しさに尻尾を巻いて逃げ帰ってきましたか?」
「言うと思ったよ。……でも、残念だな」
毒舌少女の口にした想像通りの台詞に、ヘキサは不敵な笑みを浮かべると、彼女の驚く顔を期待して結果を報告した。
「10界層はクリアした。これで僕も一人前の探索者ってわけだ」
「それはよかったですね」
「……えっ?」
「なんです。馬鹿面晒して」
「誰が馬鹿だ――じゃなくて。ちょっと、反応薄すぎないか」
淡白な反応に彼のほうが驚いた仕草をした。
もっとこう大げさなリアクションを期待していただけに、しれっと流されてしまって、がっくりとするヘキサ。
「これだから駄犬は。たかだか10界層をクリアして騒がれましても、こちらのほうが困ります。調子に乗ってるといつか痛い目を見ますよ」
正論を叩きつけられてぐうの音もでない。
辛辣な物言いだが、的を得た発言なだけに始末が悪かった。
「それで? なにか言いたいことはありますか?」
「……ありません」
はしゃぐ子供を嗜めるような口調が、心に突き刺さるようだった。ショックでがっくりと項垂れていると、「……仕方がないですね」と彼女はつぶやいた。
「確かに10層程度では驚くに値しませんが、そうですね……貴方にしてはよくやったのではないですか」
「……本当に?」
「ええ。今回のところは褒めてあげてもいいですよ」
なんてことを言われてしまえば、いくら相手が無表情であろうと、嬉しさを隠せないヘキサだった。途端にやる気を取り戻す彼の耳に、
「飴と鞭の使い分けは重要ですからね」
といった小さな独り言が聞こえなかったのは、彼にとって幸福と不幸。はたしてどちらなのだろうか。
「なんでしたら、ご褒美に頭を撫でてあげましょうか?」
「……恥ずかしいからそれは止めてくれ」
「それは残念」
肩を竦めるとヘキサのほうに近づいてくるライラだったが、そのときヘキサは彼女の動きがぎこちない――より正確に言えば、右足を引き摺るようにしているのを見逃さなかった。
前々から気になってはいたのだが、そこを馬鹿正直に訊ねるほど、空気の読めない人間ではないと自負している。
自分勝手な好奇心で、相手を嫌な気分にさせるのはゴメンだ。
「気になりますか?」
ヤバいと思ったときは手遅れだった。
どうやら知らず彼女の右足に注視していたようだ。平坦な声に跳ねる心臓を強引に押さえて、努めて動揺が表にでないように注意する。
「なにが?」
「私の右足です。いつも気にしていますよね」
「ン? そうかな? 僕はそんなつもりなかったけど」
「嘘が下手ですね。……別にいいですよ。そんなに気を使わなくても」
言って彼女はなにを思ったのか。
いきなりその場でスカートを捲くった。白いニーソックスに覆われた両脚に、ヘキサは引き攣った声を洩らしたが、それも彼女が右のニーソックスを下ろすまでだった。
露になった華奢な右足には、抉られたような傷跡があった。明らかに深いであろう生々しい傷跡だった。
突然の展開になにを言っていいのかわからず、黒髪の少年は口を閉ざしてしまった。
しばしの沈黙の後、言葉を洩らしたのはライラのほうであった。彼女はニーソックスとスカートを元に戻すと、
「――イヤラしい」
なんてとんでもないことを口にした。
「いやいやいや……っ。なにがさ!?」
道端の石ころを見るかのような目つきに、たまらず待ったをかけるヘキサ。さきほどまでの重たい空気など一瞬で霧散していた。
「欲情した目で見ないでくれませんか? 正直、不快です」
「見てないよ!? いったいどこからそんな発想がでてくるの!?」
「そうですか。私はてっきり逃げられないのをいいことに、めちゃめちゃに犯されるのではと思いましたよ」
「しないよ! ってか、なんでそうなる!?」
自分は彼女にはどう見られているのだろうか。むしろ、どういう思考回路をしていれば、そうした結論に達するのか、割と本気で意味不明だった。
ジタバタと手足を振り回して抗議するヘキサの姿に、金髪の少女は目を細めてふっと冷ややかに笑った。
「冗談です。貴方にそんな度胸があるとは思いませんからね。童貞でしょうし。いまみたく動揺して、取り乱すのがせいぜいですか。……童貞でしょうし」
なんで二回繰り返したし。
顔を真っ赤にして、口をぱくぱくとさせるヘキサ。言葉に衣を着せぬ発言に、こちらのほうが恥ずかしくなる。
「だ、誰が……ど、どうて……ッ」
「あら? 違いましたか。それは失礼しました。ちなみに相手は誰です。どこかで商売女でも抱きましたか。貴方の趣味をどうこう言うつもりはありませんが、病気には注意したほうがいいですよ」
などと面と向かって言われてしまい、頭が沸騰寸前まで追い詰められる。
「そん、な……だれ、が、しょ、しょうばっ」
「でしたら、やはり童貞ですか」
「い、いや。だから……そ、その――うわぅ」
ああ言えばこう言う状態に、もはや言葉すらでてこない。
と、テンパるヘキサを一通り眺めて、ライラは満足がいった様子で含み笑いを洩らした。
「ふふっ。仕方がないですね。まあ、割りと楽しめたので、今日のところはこれくらいにしておいてあげます」
「……頼むから、そういう心臓に悪いのは遠慮してくれ」
心持ち機嫌がよさそうなライラに、げっそりとしながら口を開く。戦闘をしたわけでもないのに、どっと疲れた気がする。
ここは早く用事を済ませて、撤退するのが吉かもしれない。そう判断した彼は中空から”本を”取り出し、必要分の貨幣を実体化させると、それをライラの前に差し出した。
「これは……?」
「代金だよ。前は持ち合わせがなくて、渡せなかったからさ。ちょっと遅くなったけど、いま渡すよ」
それだけでは伝わらなかったらしく、小首を傾げる彼女に説明を補足した。
「ほら。属性付加の魔法薬だよ。僕が頼んだのは二本だったのに、ライラ四本入れてただろう? これはその二本分の代金だ」
ヘキサの手の平には銀色の細長い金属棒が一つ。この世界の貨幣単価であるリラは、このように必要に応じて実体化させることができる。
100リラで銅棒一つ。銅棒百個で銀棒一つ。銀棒百個で金棒ひとつの価値になる。そのうえにもいくつか貨幣の種類はあるのだが、ヘキサが実物を拝める機会は、まだ当分先の話であろう。
「ああ、そうでしたか。……でしたら、そのお金は受け取られません」
「なんで? ちなみに多かった分の魔法薬も全部使ったから、現物では返せないよ」
属性付加薬の価値は、ヘキサが日常で使用しているポーション十個に相当する。種類としてのランクは一番下なのだが、元々も価値が高いためである。
「元々は私の不手際です。原因が自分にある以上、代金を請求するのは、私の主義に反します。ですからそのお金はいりません」
「……不手際ね」
では、今回に限らずいつも注文したアイテムと、受け取ったアイテムの種類と数が違うのも、不手際の一言で片付けるつもりなのだろうか。
黒髪の少年が彼女に頭が上がらない要因の一つだ。デュランから資金の提供を受けてるとはいえ、それに甘えてはならないと、彼からの援助は必要最低限に抑えている。
なので、基本的に消耗品などは自分のお金であり、毎回この店で揃えているのだが、いつもプラス方向に数や種類がズレているのだ。
マイナス方向にズレていたことは一度もない。
ライラのサービス――なのだろうが、ヘキサはいつも申し訳なく感じていた。本当に彼女とデュランには足を向けて寝られない。
毒舌で辛辣ではあるが、決して悪い人物ではないのだ。
特に今回は彼女のサービスがなければ、レッドアイには勝てなかった。なにしろ手持ちを全部使ってギリギリだったのである。
そんなわけで、今回の攻略で得た資金で魔法薬代くらいは払いたかったのだが。結構強情なところがあるし、ごり押したところで受け取りはしないだろう。
結局、自分は誰かの手助けばかり借りていて、一人ではなにもできないのだと、つくづく思い知らされるようだった。
「じゃあさ、今度一緒に食事にでも行こうよ。奢るからさ」
「デートのお誘いですか。私はそんな言葉に釣られるほど安い女ではないですよ。――まあ、期待せずに待っています」
相変わらずの無表情。だが、本当に僅かだが彼女の口元が緩んだ気がして、ヘキサは「そうしてくれ」照れ隠しに黒髪を掻きながら言った。