第十二章 路地裏の託宣(4)
「おっ。はいはーい。待ちかねたわよー」
テーブルにだらしなく肩肘をつき、ひらひらとこちらに手を振る占い師を見やり、リグレットは肩を怒らせながら歩み寄った。
バン! と大きな音が裏路地に響く。テーブルに両手を叩きつけて、リグレットは鋭い眼光で占い師の女性を睨みつけた。
「迂闊だったわ。ヘキサの居場所が11界層と言われた時点で気がつくべきだった。……珍しく連絡してきたと思えば、本当に余計なことをしてくれるわねっ」
「あら? 余計とは心外じゃない。これでもあんたを心配してのことよ? それに満更でもなさそうじゃない」
目元を晴らしたリグレットを一瞥し、顔を隠すヴェールの奥でにやにやと占い師は笑った。ヘキサと会話していたときは営業用だったのか。リグレットと話している彼女の喋り方はやたらと砕けていた。
「ホントに素直じゃないわね。嬉しいことは素直に嬉しいって言えばいいじゃない」
「だ、だれが嬉しいなんて……!」
「嬉しくなかったの?」
「――ッ!」
リグレットの奥歯が鳴った。自身を見下ろす彼女の視線に、占い師は「おお。怖い怖い」とおどけるように肩を竦めた。
「あんたちょっと生真面目すぎるのよ。一度きりの人生なんだし、もっと楽しんだほうがいいわよ。ほら、笑って笑って」
「よく言うっ。……そもそも、こんなことしてなにになるの。ヘキサは”なにひとつとして覚えてないのよ”。貴方に言われたから、この指輪を私に渡した。それだけのこと。それじゃあ、意味なんて……っ」
「ない? あたしはそう思わないけど。少なくともあんたを喜ばそうとしてたのは確かじゃない。ならきっと、それだけで意味はあると思うわ」
「……大きなお世話よ」
ぷいっと顔を背けるリグレットに苦笑する占い師。自分でも強引だと思わなかったワケではない。反省もしていないが。
「それで、メールにあった話ってなに? まさか今のがその話じゃないでしょうね」
「あー。それなんだけさ。うーん、どう切り出そうかしら」
途端に歯切れの悪くなった占い師の女性。さばさばとした彼女にしては珍しい態度だ。
「話し辛い内容なの?」
「割と。……でも、このままじゃ埒が明かないから言っちゃうけど」
吐息を吐き、占い師は言った。
「凶報が一つ。もうすぐAが戻ってくるわよ」
瞬間、リグレットの心臓が大きく跳ねた。先程までの倦怠感じみた感傷など跡形もなく消し飛んでしまった。
「なっ!? それは本当なの!?」
「この手の話題で嘘吐くほど嫌味じゃないわ。詳しい時期はわからないけど、もうそれほど時間は残されてないと思う。先日、リグレットが遭遇した『残骸』もその予兆の一つでしょう。あれは単体としての自我に薄い分、強い固体に惹きつけられるから」
「以前に訊いたときには、まだ当分先だって言ってなかったかしら」
現在の攻略ペースならば、千界迷宮の完全クリアまで凡そ一年。当初の予定ではAの復活より早く、ゲーム自体をクリアしてしまう算段だったというのに。
「そのはずだったんだけどねー。なんかさっき”視たら”大幅に未来線が変更されてたの。こっちだってもうびっくりよ」
「……まさか『黒翼』が?」
「それはないわ。確かに『黒翼』の力なら可能かもしれないけど、『天秤機構』を考えたらそんな迂闊なことはしないはず。それにA復活は『黒翼』にとってもデメリットが大きいもの。……原因は多分――いえ、確実にヘキサね。さっきヤバげなモンも視えたしさ。ま、あいつはこの世界で最大のイレギュラーだし、なにが起きても不思議じゃないけれども」
ヘキサと握手したときに視えた黒い獣。明らかにあれは不味い。
「私はどうすれば……?」
「いまはなんとも。とにかく気をつけて――としか言えない。ほかには……そうね……もう二つほど案がないワケじゃないわ。案その一、ヘキサを殺してしまえばいい」
空気が重たく凍る。黒髪の少女の変化に気がつかないはずはないのに、占い師は平然とした様子で話を続けた。
「彼が死ねばAについては先送りにできる。相応の猶予はできる。『候補生』はまだいるのだから、なにもヘキサに固執する必要性は――」
「却下よ」
言葉を断ち切る固い声色。黒い瞳に苛烈な光を宿し、リグレットは占い師の女性を静かに見下ろしている。
「許さない。認めない。本気で言ってるなら、私は貴女の敵に回るわ」
一触即発の空気が充満する中、先に口を開いたのは占い師のほうだった。
「でしょうね。ええ、そう言うと思った。安心しなさい。あたしだって本気じゃない。なによりヘキサの死は、『白翼』が絶対に許可しない。だからこれはもう一つの案。いっそのことヘキサに話してしまうってのはどう?」
「話す……? どこまでを?」
「全部を、よ。Aのこと。両翼のこと。この箱庭の存在理由。彼の身の回りで起きている異変。茶番じみた出来事の数々。一から十までなにもかも」
「駄目よ。そんな……早すぎる……」
「早すぎる? いいえ。遅すぎるくらい。ヘキサが事態の中心にいる以上、いつかは話さなければならないときがくる。リグレットの気持ちも十分にわかるけど、先延ばしが過ぎると手遅れになるわよ」
「それでも……私は……」
唇を噛みしめる。強く握りしめすぎて白くなった手を見やり、占い師の女性は吐息を吐くと大きく伸びをしてみせた。
「あたしからの話は以上よ。またなにかわかったら連絡する」
「ええ、お願いするわ」
当初の捲くし立てたときの威勢はなく、リグレットは渋面のままで頷いた。ふらふらと左右に揺れる背に声がかかる。
「アリアンロッド。ヴォルフガング。クルスニク。レオンハルト。かつてこの箱庭で誕生した成功例は四つ。そして、おそらくこれが最後の機会。どういう結末を迎えようと、管理者である女神があれでは次はない」
知っている。これで終わり。”やり直し”はない。
「ヘキサ――樋口友哉。彼は五番目の成功例、スカイウォーカーになりえるのかしら?」
「――必ず。それが私の存在理由であればこそ」
その決意に迷いはないが故に、言葉の力強さに翳りはなかった。