第十二章 路地裏の託宣(2)
「――もし。そこの方?」
それが自分を呼び止める声だとヘキサが知ったのは、三度声をかけられたときだった。きょろきょろと視線を左右にやると、裏路地の隅にひっそりと佇む姿があった。
「こんにちわ。よろしければ占いなどいかがでしょうか?」
言って、路地裏で露天を構えた人物が、こちらに気がついたヘキサを手招きした。
露天といってもあるのは椅子が二つと水晶球が置かれたテーブルだけという、最低限のモノしかない簡素な露天だった。
注視することで現れたカーソルの色は青。顔をヴェールで隠しているため性別はわからないが、声から判断するに女性だろう。
いずれにしろ、厄介事には極力近づかない――その割には自分から度々突っ込んでいる気もするが――を、お題目に掲げている彼としては、見るからに怪しげな露天などさっさと素通りしているところだ。
「……たまにはいいか」
しかし、いまのヘキサは色々なことが重なった結果、お世辞にも真っ当な精神状態とはいえなかった。あるいは占いに頼るのもいいかもしれない。
普段ならば取らない選択をした彼は、声に誘われるがままに露天の前に立つと、用意されている椅子に腰を下ろした。
「いらっしゃいませ。お客様。見てのとおりここはしがない占い屋。さて、本日はなにについて占いましょうか? 明日の天気から迷宮攻略のヒントまで幅広く、一回1000リラで占いしますわ」
「占いの内容は問わずってこと?」
「ええ。どんな難解な悩みもお任せください」
ヴェールの向こうでふんわりと微笑んでいる気配を感じながら、どうしたモノかとヘキサはテーブルを指先で叩きながら首を捻った。
「……うーん……そうだな……うん、じゃあ、まずは俺が”なに”に悩んでいるか……当ててもらえるかな」
「あら。私の占い力を疑っています? ええ、いいでしょう。わかりました。お客様の悩みを言い当てて見せましょう」
言って、占い師は水晶に両手を翳した。
「――はい。わかりました」
おそらく一分も経っていまい。女性は不意に水晶から視線を外して、白髪の少年のほうを見ると口を開いた。
「ズバリ、お客様の悩みは女性関係ですね?」
正解。
「普段から世話になっている”彼女たち”に酷いことをした。きっと怒ってる。だから謝りたい。謝って仲直りしたい」
それも正解。
「でも、どうやって謝ったらいいのかわからない。謝りたいのに謝れない。本当はこんなにも”彼女たち”に感謝――」
「わ、わかった! 信じる。あんたの占いを信じるから、これ以上は勘弁してくれ!」
堪らずヘキサは声を荒げて占い師を制止した。
顔から火が出そうだった。なんでこいつはこんな正確に、こっちの内心を言い当ててるんだ。ってか、これは占いなのか? 読心術の間違いではないのか。
もしくは、単なる話術の類で、知らず思考の先を誘導されていた可能性もあるし、表情の変化からカマをかけられたのかもしれない。
ただ、理由はどうあれ彼女が自分の悩みを的中させたのは事実。あるいはこの女性ならば、問題解決の糸口になってくれるのでは。
元々、藁にも縋りたい心境のヘキサはそう決めると、テーブルに乗り出した上半身を引いて椅子に座り直し、ふうっと吐息を吐いて気持ちを落ち着かせる。
「占い師さんの言うとおりだよ。いつもの調子で馬鹿やらかしてこのザマだ。俺はどうやって謝ればいいと思う?」
「ええっと……普通に謝ればよろしいのでは?」
一言で両断されたが、まったくもって正論だった。
見知らぬ他人に人生相談している暇があるのならば、さっさと謝りに行ってしまえばいいのだが、それができる性格なら苦労はしないし、そもそもこんな事態に陥ったりはしない。人間には誰しも不向きがあるのだ。
「でしたら、そうですね。日頃の感謝の意味も含めて、プレゼントなどは如何でしょう? 相手の方々もきっと喜ばれると思いますよ」
プレゼント。まあ、ありきたりといえばありきたりだが、もっともベターな選択でもある。うん。悪くない。少なくてもきっかけにはなりそうだ。
ただし、そうなると今度は別の問題が、ぽろりと零れ落ちてくることになった。
「あー。それでだけど……なにをプレゼントすればいいのかな?」
「それこそ、お客様がご自分で考えなければいけないことでは?」
ですよね。至極真っ当な返答に、はははっ、とヘキサは微苦笑した。
最初から最後まで他人に頼りっぱなしでは本末転倒だ。しかし、彼のこの手の事柄に対する処理能力など、たかだか知れているワケで。
しばしの間、黙考した末にヘキサは躊躇いがちに口を開く。
「……は、花、とか……?」
これである。まったく駄目というワケではなかろうが、正直、他にもっと適したモノがあるのではなかろうか。自分の引き出しの少なさに思わず頭を抱えてしまう。そんな彼の様子に嘆息すると、やれやれとばかりに被りを振った。
「では、占い師は占い師らしく、迷える子に助言を与えましょう。……追加料金を頂くことになりますが構いませんか?」
「全然構いません」
むしろ三倍出してもいい、と言わんばかりの調子にくすりと笑うと、占い師の女性は澄ましたか口調で言った。
「おほんっ。では、11界層にある都市クレントに行って、とあるクエストを受けてみてください。場所は西側の門の傍。行けばすぐにわかりますが、枯れた一本の木の前にNPCがいますので話しかけてください。それでクエストを受けられます。簡単なクエストですから、大して時間もかからないと思いますよ。そして、そのクエスト報酬の指輪をプレゼントしてみてはいかがでしょうか?」
「……指輪? っつか、11層って……実はとんでもないレアアイテムなのか?」
「そのクエストでしか入手できないという意味ではレアですが、代用品が幾らでもあるという意味ではプチレアですね。あればあれで序盤では多少便利。けれどもないならないで構わない。その程度の認識でよいかと」
わざわざ低界層の指輪をプレゼントする理屈がわからない。占い師の意図が読み取れず眉根を寄せるヘキサ。
「もっとも助言は助言。最終的な判断はお客様にお任せしますわ。ですが、”きっと喜ばれますわ。ええ、間違いなく”」
「……わかった。気が向いたら行ってみるよ」
断定とも言える女性の口調にヘキサは、”本”経由で占いの代金を渡して立ち上がった。そのまま踵を返して立ち去ろうとして、
「お客様。少々、お待ちを」
占い師の制止に振り返った。
「……なに、それ?」
握手、なのか。見れば女性がヘキサのほうへと右手を差し出している。掲げられた右手を見下ろし、小首を傾げていると彼女は言った。
「ふふ、ちょっとしたサービスです。私の手を掴んでみてください」
「……わかった」
促されるままにヘキサは右腕を伸ばすと、彼女の小さな手をやんわりと掴み――
――バチンッ、と視界が反転した。
ぐるぐる。ぐるぐる。ぐるぐる、とまるで万華鏡を覗いているかのように、目の前が明々しながらゆっくりと回転している。
目蓋が閉じない。声がでない。顔を背けられない。視線が前方の光景に固定されて逸らせない。気持ちが悪い。吐き気がする。
チカチカと瞬く視界。白いキャンバスに絵の具を塗りたくったように、複雑怪奇で意味を持たない光景がしかし、やがて一つの”可能性”に収束していった。
『ガアアアアアアアアアアアア――ッ!!!』
魔獣の咆哮が轟く。
”ソレ”は異形だった。ヒトの形をした黒い影。全身に黒い霧を纏った”ソレ”が、ガチガチと闇色の牙を甲高く鳴らした。四つん這いに近い前傾姿勢で、腰の後ろから伸びる鋭い刃を尾のように揺らす。仕草も挙動もまさしく獣そのモノだった。
見れば”ソレ”がいるのはすり鉢状になった大地の中央で、抉れた地面の縁に”ソレ”を見下ろす複数の人影があった。
自身の周囲に剣を滞空させる剣士。気だるげそうに大鎌を肩に担ぐ道化。炎を渦巻かせる魔女。可憐な唇を震わせる歌姫。巨大なハルバードを眼前に構える騎士。艶やかな着物に彩られた侍。緑色の衣を羽織る射手。厳しい視線を”ソレ”に向ける七色の魔法使い。
映像は淡くぼやけていて、人影の輪郭も霞んでいた。おまけになんでか頭が上手く働いていないため、大半の顔を知っているはずなのに名前がでてこなかった。
グルルルゥ――、と低く唸り声を発しながら、”ソレ”は禍々しく歪めた赤い双眸で、自身を見下ろす人物たちを睨んだ。
”ソレ”と彼らの戦いは熾烈を極めていた。おそらく元は森であったであろう一画は、戦闘の余波で更地のような有様に変わり果てていた。
黒い獣と相対する八人の実力が一級だと一目でわかった。ならば真に異常なのは、彼らをたった一匹で圧倒する黒獣の方だろう。
圧倒。それは文字通り圧倒であり、拮抗にすらなっていなかった。俯瞰視点のせいもあり、ヘキサにはこの戦いの結末が把握できた気がした。
戦いは黒獣の勝ちだ。疲弊していく八人に対して、その黒い獣からは力の衰えは感じられなかった。それどころか時間経過によって、力を増しているようにも見える。
膝をつく剣士と侍の前に、七色の魔法使いが飛び出した。それは誰が見ても自殺行為だった。防御が紙であろう魔法使いなど、獣の鉤爪の一閃で終了だ。
普通ならば。
変化は直後に起きた。いつの間に持ち替えたのか。魔法使いの手には長大な杖。太陽と月と星の装飾を組み合わせた美麗な杖を振るった刹那、魔法使いの背後の空間が破砕した。
空間の破片を硝子のように撒き散らし、顕現したのは鋼を纏った天使だった。圧倒的な白い炎の塊を金属の鎧で封じた天使。背中に生えた三対六枚の翼を羽ばたかせ、魔法使いを守護するように黒い獣の前に立ちはだかった。
そこからの光景にはノイズが混じってしまいよく見えなかったが、結果として魔法使いは黒い獣を単騎で討伐する寸前まで追い詰めていた。
後、一撃で終わる――と思われたのだが、突如として魔法使いが使役していた鋼の天使の姿が消失した。解けるように掻き消えた天使。
そして、魔法使いは口から血を吐くと、その場に崩れ落ちてしまった。なんらかのアクシデントに見舞われたのだろうか。
いずれにせよ、それを見逃すほど黒い獣は生易しくはなかった。身体中からどす黒い瘴気を噴出させながら、獣は一直線に魔法使いへと襲いかかった。
血のような赤。赤い瞳。
その瞬間、ヘキサは理解した。”ソレ”は自分なのだ、と。この黒い獣が他ならぬ自分自身だと、何故か彼にははっきりとわかった。
わかったが故に、ヘキサは声にならない悲鳴を上げた。
獣が唸る。すべては一瞬。裂けるような歪んだ嘲笑。刹那の出来事。闇色に輝く鉤爪が、魔法使いの華奢な身体を切り裂いて――
――占い師の手を振り解き、ヘキサは地面を蹴った。刹那にして七メートルほど後方に跳躍した白髪の少年は、鋭い視線を占い師の女性に向けた。
心臓が早鐘のように打っている。じんわりと汗をかく左手を地面につけて、知らず右腕は腰の後ろへと伸ばされていた。
「なんだ……いま、光景が、見え……?」
「ただの占いですよ。あるかも知れない未来の光景。当たるも当たらないもお客様の行動次第。……ふふっ。謎めいた言い回しって、占い師っぽくはありませんか?」
「……占いってか予知じゃないか、それ」
敵意を向けられても変わらない占い師の様子に、剣を鞘に収めながら立ち上がる。訊きたいことはあるが、おそらく彼女は答えないだろう。かといって、無理やり聞きだすほどの気力もなく、ヘキサは占い師に背を向けて歩きだした。
「最後に一つだけ。もっと周りに視線を配ってみてはいかがです? どれだけ強くても一人でできることなんて限られているものですよ」
返答をすることはなく、今度こそ彼は裏路地を後にした。