第十二章 路地裏の託宣(1)
目を開くと木製の天井が見えた。
「あ――痛ぅっ。身体中がギシギシ言ってやがる」
限界まで方術を使った反動で、全身が筋肉痛にように引き攣っていた。肉体の酷使は方術特化の宿命ではあるが、ここまで酷いのは久しぶりだった。
ここはヘキサが普段から拠点として利用している施設の一つ。ドゥナ・ファムの裏路地にひっそりとある宿屋の一室だった。
ベットとタンス、それに椅子があるだけの簡素な部屋だ。宿屋にもランクがあり、宿泊費用が高い宿屋ほど内装も豪華で機能も充実している。現在宿泊している宿屋はごく一般的なランクであり、機能としては二つ。
一つはファンシーからのログアウト機能。ファンシーからログアウトするには、専用の装置が必要になる。ベットの横に置かれた地球儀に似たモノがそれだ。
金細工で装飾された枠の中心に透明な水晶球が固定されている。リザーブストーンと呼ばれるこの水晶球――街中やフィールドにも配置されている――に触れることで、箱庭世界からログアウトができるのである。
もう一つはタンスのアイテム収納機能。”本”の収納スペースをオーバーしてしまい格納できない場合や、普段は使わないアイテムや稀少アイテムなど、持ち歩く必要のないアイテムを収めておくことができるのだ。戦闘時のアイテム操作を円滑にする意味もある。収納できるアイテム数は宿屋によって違う。
ヘキサの部屋の場合、格納スペースは百。同一の消費アイテムや素材アイテムなら一つの収納スペースに五十個まで格納できる。装備品は一つのアイテムに対して、一つの格納スペースを必要とする。多いように思えるかもしれないが、計画的に収納しないとすぐ一杯になってしまう。
ちなみにヘキサが泊まったこの宿屋は、他の同設備の宿屋と比較して、宿泊料金が実に三倍とボッタクリ価格になっていた。何故ならばヘキサのような”ワケありのプレイヤー”を扱っている宿だからである。
真っ当な宿屋は宿泊する際に、身分照明として”本”の提出を求められるため、ヘキサのようなレッドプレイヤーは泊まることができないのだ。そのため宿屋を利用しようと考えれば、割高だとわかっていても場所が限定されてしまうワケである。
「……はあ。なにがどうなってるのやら」
知らずため息が洩れる。
ファンシーへの接続。最早、習慣になってしまった日常行動であるが、ヘキサはなにもする気になれず、ベットで横になったままぼんやりと天井を見ていた。
原因など言うに及ばず。昨夜、自分の身に起きた異変が頭から離れないのだ。なにがなんだがわからない。彼の心境を言葉にするならその一言に尽きる。
ヘキサは昨日の夜に見た幻を未だに引きずっていた。そう幻だ。冷静なって考えれば現実に起こりうるはずがないのだ。第三者に昨日の夜に体験した一連の出来事を、現実と妄想のどちらだろうかと尋ねれば、十人中の十人が後者だと答えるだろう。
それが一般的なのだ。他にどんな答えがあるというのか。アレを現実だと認めるのがイレギュラーなのだ。そんなことを他人に公言しようモノなら、即黄色い救急車で病院に連行されてしまうだろう。
大体、自分を介護してくれたニット帽の青年も言っていたではない。そもそも霧自体でていなかったと。彼が嘘をついたとは思わない。メリットがないからだ。
ならばそれが真実なのだ。アレはぶっ倒れた際に見た、ただの幻だったのだ。しかし、本当にそうなのかという想いもあった。
左手で右腕を掴む。いまはもう傷跡すら残されてはいないが、あのときは確かに痛みを感じたのだ。それを幻の一言で片付けてしまってのいいのか。
現実世界への仮想世界の侵食。漫画や小説で使い古いされた陳腐な設定――だが、異常体験をした張本人であるヘキサは笑い飛ばすことなど出来るはずもなかった。
ベットを軋ませて身体を起こすと、腰の後ろの鞘から剣を抜き放ち、眼前に掲げる。使い込まれた刀身に、白髪の少年の顔が映し出されている。
「……本当に使ったのか? これを現実で……俺は……」
熱に浮かされたような感覚の中で、ヘキサをこの剣を無我夢中で振るっていた。蜥蜴男を切り裂く感触が手に残っている。
「気味が悪い」
夢なのか現実なのか。なにも不確かで証拠となるモノはない。すべては彼の記憶の中にこびりつく残影でしかない。
「まあ、いまはいいか。どうせ答えなんてわからないんだし」
頭を左右に振って思考を切り替えた。
システムブックから一枚のカードを取り出し、長方形の形状をした黒い石を実体化させると、携帯砥石であるそれでヘキサは剣を研いだ。
無茶な使い方をしたからだろう。刀身からは本来の輝きが失せ、曇った鏡のように鈍っている。詳細パラメータで確認してみたところ、ローゼンネイヴェの耐久力は三割を切っていた。内部に機構を組み込んだ連結剣故に、耐久力の減少が他の武器種よりも早いというのもあるが、剣に相当の負荷をかけた証拠だ。
「はーあ。こんな使い方してたら、ハーリーに怒られるよな」
常日頃から剣の扱いが雑だと、小言を洩らされる立場としては、身につまされる気持ちだった。それは愚痴られるのも当然だというモノだ。
ハーリーはヘキサが武器のメンテを頼んでいる鍛冶師だ。元々はクイナとの縁から知り合った人物で、いまでも自分に協力してくれているのである。
本当なら携帯砥石で応急処置するのではなく、彼のところに剣を持っていくべきなのだろうが、気分的に会いに行くのを逡巡していた。
「あーそういや、そろっとネイトのトコにも行かないと駄目だな。……うう。嫌だな。絶対に大目玉くらうだろうなぁ」
携帯砥石で刀身を研磨しながら、脳裏に浮かぶ確信に近い光景に身震いする。デザイナーとして妥協を知らない彼女のことだ。自分が<畏吹>を体力の限界まで使ったとわかったら、さぞかし立腹することだろう。
デザイナーというのは、スキル全般の改造及び作成を専門に扱うプレイヤーの総称。探索者として迷宮を攻略していく上で、いまや欠かすことのできない存在である。
定められたルールの範囲内でならば、誰でも自由にスキルをカスタマイズできるというのが、ファンシーの大きな特徴の一つだ。
故に、同じスキル一つとっても、使用者に応じて効果が違うことがよくある。使用者の癖がスキルに反映されるためである。
とはいっても、やはり得意不得意はあるわけで。”誰でもカスタマイズできる”というのと、”誰でもカスタマイズが成功する”かどうかは、まったくの別問題である。
ファンシーが開始された当時、三日三晩スキルの改造に挑んだ挙句、性能が通常時よりも低下したなんてのが多々あったらしい。
そこで登場したのが、スキルの扱いに特化したデザイナーというわけだ。彼らは顧客の要望に合わせたスキル改造を行うことで生計を立てている。中にはスキルの『特許料』のみで生活している者もいたりするのだ。
「<畏吹>は使うなって言われてたのに、思いっきり使っちゃったしな。どうにかネイトを誤魔化せ……ないか」
はあっと剣を磨きながら肩を落とす。どんな方術を使ったかなど、戦闘ログを見られれば一発でバレる。説教は確定したようなモノだ。
そもそも<畏吹>はネイトが<息吹>を元に作成した方術であり、一度は破棄された失敗作。それをヘキサが頼み込んで使用させてもらったのだが、そのときにHPが半分を切ったら使わないと約束させられていたのだ。
それを今回は完全に破ったことになる。完全に自業自得ではあるが、憤慨するであろう彼女を考えると億劫になってしまう。
と、手の中で役目を果たした砥石が消滅した。剣は元の輝きを取り戻し、耐久値も八割近くにまで回復している。
「ま、携帯品じゃこんなモンか」
安物ではないが所詮は応急手段。例え携帯砥石を何個使おうが、完璧な状態にすることはできない。性能を十全に発揮するには、やはり鍛冶師のフルメンテが必要になるのだ。
嘆息を吐きながら剣を鞘に収める。そして、よしっと気合を入れなおすと、神妙な面持ちでシステムブックを開き、中空にメニューウインドを展開した。
渋面のまま半透明の画面を操作し、『@ch』への接続画面に切り替える。一瞬だけ実行ボタンに触れるのを躊躇い、指先でボタンを押し込んだ。
瞬時に画面が反転して、『@ch』のスレ一覧が表示される。上部の検索ワードに『マンイータ』と打ち込みお目当てのスレを探す。
目的のスレはすぐに見つかった。【マンイータ】ヘキサについて語るスレ124人目【人喰い】。ヘキサのアンチスレだ。
勘弁してくださいって心境だった。≪幻影の翼≫解散当時、このスレッドを見つけたときの気持ちは、筆舌し難いものがあった。ていうか、個人スレッドが立っているってどういうこと? しかも前に見たときよりもレスが異常に伸びているし。
うわぁ。見たくねー、とは心底思うモノの、自分のしでかした結果を確認しないワケにはいかない。ええい。男は度胸とスレッドをクリックした彼は、次の瞬間、呻き声と共に机に突っ伏してしまった。
案の定、スレッドは祭りになっていた。憶測やら考察やら入り乱れ、そこに釣りやら煽りのレスが加わり混沌とした様相を呈している。
できるだけ余計な文章を見ないようにして、あの後どうなったか情報を集める。呻きながら情報を収集すること十分弱。胸を撫で下ろすと安堵の吐息を吐いた。
街への被害は大きかったモノの、どうやらNPCにもプレイヤーにも、奇跡的に死者はでなかったようだ。重傷者もいない。軽い怪我をした人が少しいた程度で済んだらしい。
「……ホント……よかったぁ……っ」
”本”を閉じてベットに倒れこむ。
まずは良かった。もしもこれで被害者多数とかいう結果だったら、どうしていいのやらわからずに、立ち往生してしまうところだった。
とはいえ、安心ばかりもしていられない。今回は”たまたま”被害者がでなかったが、次に同じことをすれば、今度こそ大惨事になる可能性だってある。それに街には被害が出ているのだ。手放しで喜んでいいような状況ではない。
「……リグレットたちからメールきて――うわぁ」
思わず声が洩れてしまった。
ついでに確認した新着メールの件数がえらいことになっている。びっしりと羅列されたメール一覧から目を背けると、そっとヘキサは画面を閉じた。
彼女たちの気持ちは素直に嬉しい。自分を心配してくれていることに感謝もしているが、いまは返信する気分にはなれなかった。
今日はどうしよう。ベットに横になりながら窓の外に視線をやる。彼の心境とは裏腹の晴天に、どうしたものかと思案する。
「そうだな……適当にブラついてみるか」
本来ならとらない選択肢だが、気分転換にはいいかもしれない。そう結論をだしたヘキサは、ベットから起き上がると白髪を掻き乱した。