断章Ⅰ 在りしときの陽だまり(4)
こいつとは関わりたくない。
それがナハトに対するヘキサの第一印象だった。
ヘキサが彼と対面したのは、アイリたちとパーティを組むようになって、一週間ほど経ったときであった。なんら悪びれた様子もなく、ひょっこりと姿を現したナハトに、ヘキサは人知れず顔をしかめていた。
話を聞くかぎり自分とナハトは完全に水と油だと感じていたし、はじめて顔を合わせたときも変わらなかった。どころか、より明確に苦手なタイプだと確信した。
典型的な快楽主義者。面白いことが大好きで、他人の迷惑なんてなんのその。自分とは違う意味でソロ向けのプレイヤーであり、頭の回転の早い悪党――それがヘキサの拭え切れない初期の印象だ。
自分とは正反対の人物。これが赤の他人なら素通りするのが常であり、当然ながら馬が合うわけもなく、ヘキサは彼との接触は最低限にしようと決めたのだが。
「――なあ、ナハト」
右手の釣り竿をしならせて、餌をつけた釣り針を投擲する。ぽちゃんと湖面に小さな波紋を広がせて、ぷかぷかと漂う浮きをぼんやりと眺めながら口を開いた。
「いま何時だっけ?」
「あん? ……三時回ったとこだな。それがどうかしたのか?」
三時。午後ではない。午前である。
なるほど。それは眠いはずである。普段だったら寝ている時間。というよりも、寝ているところを叩き起こされたのだから、それは眠いに決まっていた。
天井に穿たれた大穴から覗く二つの月を見上げて、眠気でしょぼしょぼとする目元を擦りながらふわっと大欠伸をする。
「なあ、ナハト」
自分の隣で釣り竿を片手に、煙草を咥える金髪の少年。そもそもの元凶と言える彼を半目で見やり、ヘキサはぼそりと愚痴を零す。
「なんで俺たち、こんな真夜中に釣りなんてしてんだっけ?」
「おいおい。しっかりしろよ、なに言ってんだ。そりゃ釣りなんだから魚釣るためだろ。……寝ぼけてんのか?」
うん。寝ぼけてるのかと訊かれれば、間違いなく寝ぼけている。この時間帯。ましてや、釣りなんかまったくしない身なのだ。正直、眠くて仕方がなかった。
「……なあ、ナハト」
「お前はオウムか。さっきからそれしか言ってねぇぞ」
「もう帰っていい?」
「冗談。まだ五匹しか釣れてないんだぞ。これじゃあ腹は膨れねぇよ。――ってワケだから、ヘキサも口よりも手を動かせ」
ちらりと二人の間に置かれたバケツに視線をやる。
水の張られたバケツの中には、五匹の魚が入れられていた。銀色をした細身の魚は一見すると秋刀魚に似ているが、サイズは半分もない。二人で食べることを考えると、確かにこれだけでは腹は膨れそうになかった。
この魚の名前はフランフラミー。たっぷりと脂の乗った身は透き通るように白く、有名な飲食店で取り扱われている高級食材である。
ヘキサたちがいるのは、とある洞窟の奥にある地底湖で、フランフラミーの生息している数少ない場所の一つ。彼らはここにフランフラミーを釣りにやってきていた。
真夜中にきたのはフランフラミーが姿を現すのが、月の出ている間だけだからだ。周囲を見回せば自分たちと同じように、釣り針を垂らすプレイヤーがチラホラといる。
「深夜なのに元気だな。その元気はどこからくるんだ」
「悪いがオレは夜行型でね。昼間よりも夜のほうが調子がいいんだよ」
そうですか。あははは。……眠ぃ。
眠気のあまり思考が明後日のほうにぶっ飛んでいた。
そもそものコトの起こりは二時間ほど前に遡る。そのときヘキサは拠点にしている宿屋の一室で、アイテムの整理をしている最中で寝てしまったところだった。
ゲームの中で寝落ちというのも変な話だが、とにかくヘキサはアイテムカードをベットの上に散乱させたまま、ぐーぐーと寝息を立てていて――突然、室内に侵入してきたナハトに叩き起こされていた。
どうやら自分の知らないところで、部屋の合鍵を作られていたらしい。ベットから転げ落ちるヘキサを一瞥すると、ナハトは彼を宿屋から意気揚々と引っ張り出した。ナハト曰く、急に新鮮な魚が食いたくなったから二人に釣りに行こう、とのことだった。
この時点ですでに頭がおかしいのではと思い、実際にそう本人に言ったモノの、その程度で引き下がるナハトではない。
眠い。帰りたい。何度となく喚きながらも、気がつけばナハトと二人でこうして、真夜中に地底湖で釣りをする羽目になっていたのだ。
ナハトの気紛れはいまにはじまったことではない。ことあるごとにハプニングを巻き起こす彼に、いつも当たり前のように巻き込まれるヘキサ。
どうしてそうなったのかは、いまだに不明なところではあるが、気がつけば苦手意識もなく素で会話できるようになっていた。今回みたいに二人で行動する――一方的に引きずり回されているという――ことも度々ある。
まさか【釣り】スキルを使う日がくるとは思わなかった。視界に表示されたマーカー、【釣り】スキルのガイドラインに従いながら欠伸をする。
普段から使わないスキルの熟練度などないに等しいが、そこそこ品質のいい竿と適切な餌さえ用意できていれば、時間は掛かるだろうが魚は釣れる。後は魚が掛かるまで、根気よく我慢強く待機するのみだ。
スキルは強力ではあるが、それがすべてではない。【片手剣】のスキルがなくても剣は振れる。要はそういうことである。
「そういや、ヘキサ。お前はどうして≪暁の旅団≫に入団したんだ」
魚に餌だけ持っていかれたのか。竿を引き手元に戻した釣り針に餌をつけ直しながら、唐突にナハトが口を開いた。
「はあ? ……なんだよ。藪から棒に」
「ヘキサが眠そうだからな。こっちから話題を提供してやってんだろ。それにお前、集団行動苦手そうだし。ネトゲでもソロるタイプじゃねぇか」
断言する口調がムカついたが、言っていること自体は正しいから否定できない。事実、アイリから勧誘されなかったら、きっといまでも独りで行動していたに違いない。
「……別に。理由なんかない。アイリに誘われて、たまにはパーティー組むのもいいかなぁって思ったから。要は気紛れだ」
「へぇ……気紛れ、ねぇ」
なにやら含みのある言い方に半眼になる。煙草から紫煙を燻らせてニヤニヤするナハトを横目に、竿を乱雑に振りながら言う。
「そういうナハトはどうなんだ。そっちこそ集団行動なんて似合ってない。パーティ組んでみんなで楽しく遊ぼうってキャラじゃないだろう。この際だから言うけど、俺はお前がPKだったとしても、不思議じゃないと思ってるくらいなんだぞ」
「これはまた辛口なことで。……まあ、否定はしないけど、なっ」
浮きが沈んだ瞬間を見逃さずに釣り竿を上げた。ピチピチと勢いよく跳ねるフランフラミーを釣り針から外してバケツの中に入れる。
「っても、ヘキサと似たようなモンだ。気紛れっていうか、なんだ……オレもたまには清く正しくしてみようかなって。肉ばっか食ってると野菜食いたくなるときがあるだろ? あんな感じでな。毎日だと肩が凝るが、稀にはいいんじゃないか」
「その割にはサボってるじゃないか。昨日もすっぽかしたし、アイリがストレスで倒れたら間違いなくナハトのせいだぞ。この不良」
「言ってろ優等生。どうせオレは不良さ」
口の端を歪めて揶揄するナハト。本音――かはわからないが、少なくとも嘘を言っているようには見えなかった。こいつも色々と考えてるんだと不躾なことを考える。
「ついでにもう一つ。ヘキサは”これ”のこと、どう思ってるんだ?」
「”これ”ってのは?」
「ファンシーのことだ。どいつもおかしなゲームの一言で済ませてるが、どう考えたって普通じゃない。精神だけ移動させるなんて、完全にオカルトの領域じゃねぇか」
それはヘキサもときどき考えることがある。ファンシーがMMORPGの皮を被った別物であり、得体の知れないなにかであることは薄々ながらも感づいていた。ただ考えても答えはでないと、目を逸らしているだけなのだ。
運営――プレイヤーがかってに呼んでいるだけ――の思惑も不明なら、この世界の存在理由も皆目検討もつかないのが現状だった。
第一、ヘキサたちプレイヤーは対価を支払っていない。お金を払っているワケでも、なにかを求められているワケでもない。
無料でゲームを提供している――と云うのは、あまりに楽観視した意見だろう。提供されいる以上は必ずなにかしらの目的が存在しているはずである。ただプレイヤー側がそれを理解できないだけなのだ。
「……わからない。これの正体なんて誰にも。もし、わかるチャンスがあるとしたら」
「ゲームをクリアしたときか」
後半部分を引き継いだナハトの言葉に頷く。世界のすべてが明かされる可能性があるとすれば、そのときをおいて他にはない。
しかし、同時にこうも思う。もしもゲームがクリアされたら、その後はどうなるのだろうか。具体的にはファンシーの行く末である。継続されていくのか、あるいは――。
「ま、考えるだけ無駄だけどな」
「おい。ふざけんな。自分から話を振っておいて結論はそれかよ」
「憶測に憶測を重ねたって、答えがでるワケねーだろ。ヘキサの言うとおり。クリアしてからのお楽しみにとっておくさ」
あっけらかんと言い放つとナハトは、再び餌をつけた釣り針を湖面に投擲した。いい加減というか適当というか。相変わらずな姿にヘキサはため息を吐いた。
「ちなみにいまの会話に意味はあるのか?」
「ない。しいて言えば、ヘキサの眠気覚ましだな。ちょっとは目が覚めたか」
「おかげさまでね。少しはマシになった、よっ」
竿から伝わってくる手応えに引っ張る。水面から飛び出してきた銀魚を素手でキャッチし、慣れない手つきで釣り針を外すとバケツの中に落とした。
結局、釣りは朝日が昇るまで続いた。釣り上げた魚はナハトが調理し食べたが、脂の乗った身はとても美味しかった。