第二章 迷宮攻略のススメ(1)
目を開くと見知らぬ天井――ではなく、借りている宿部屋の木製の天井が見えた。
いくら借り部屋とはいえ住みはじめて三週間近く経つ。それだけ暮らしていれば、それなりに愛着が湧いてくるというものだ。
当初よりも雑貨品の増えた室内を見回し、ヘキサは大きく欠伸をして伸びをした。
昨日、白髪の少年との出逢いの後、ヘキサは狩りを切り上げて彼と共にドゥナ・ファムに帰還した。デュランはすでに別の宿屋に宿泊していたらしく、ここにはいない。
ヘキサはベットから飛び起き、寝間着を脱ぎ捨てると、木張りの床に視線を落とした。
床には布がひいてあり、その上に皮の防具が置いてあった。皮の防具は左肩の部分に穴が開き、こびりついた血で黒く変色している。
変色は鎧の左半分に及び、その範囲の広さが、いかに重症だったかを物語っているようである。知らずヘキサは身を震わせ、買っておいた洋服に着替えた。
手早く着替えると、壁に立て掛けてある大剣に触れ、小さく「シール」と言葉を発する。瞬くような光が失せると、指先から硬質が感触が消え、代わりに紙のような滑らかな手触りを感じた。
実体化を解きカードに変えた大剣を懐にしまい、ふと彼は床に放置してある鎧に近づくと、大剣のときと同じように触れて口を開いた。
「シール」
合言葉に反応して、皮の鎧はカードに――ならなかった。さっきまでと変わらない鎧にヘキサは、やっぱり駄目かという風に肩を落とす。
皮の鎧がカード化しない理由は明白だった。この皮の鎧が防具としては死んでいる。使い物にならないからである。
ファンシーのアイテムの大半はカード化できるが、モノによってはカード化できないモノもあるのだ。武具でいえば損傷の激しいモノや壊れているモノは、”基本的”にカード化できないとされている。
防具修理の専門家に頼めば修繕することも可能であるが、このランクの防具なら買い換えたほうが早いし、なにより安上がりだ。
そんなわけで今日は、デュランと一緒に露天を巡る予定だった。いまの時期は初心者を対象とした、掘り出し物が多くあるらしい。
と、そのとき部屋のドアが軽くノックされて、これから色々世話になるであろう少年の声が聞こえてきた。
「おーい。起きてるかー?」
「起きてるよ。いま鍵、開けるから」
ドアを開けると、そこには白髪の少年がいた。彼はヘキサを見やるとニカっと笑い、片手を上げてみせた。
「おっす。迎えにきてやったぞ」
「おはよ。僕も準備ができたトコだから、早く行こう――ぐぇ」
「まあまあ、そう慌てんなって」
そのまま宿屋を後にしようとして、部屋の外で待機していたデュランに首の後ろを掴まれて前につんのめった。
「その前にやることがあるだろうが」
「げほっ……やることってなにさ」
咳き込みながら言葉を返す。
すると白髪の少年は大げさにため息を吐き、ヘキサのほうを指差した。
「お前だよ、お前。どこまで把握してるのか知らんと、今後の予定が立てられないだろ。それにどうせ装備揃えるなら、他にも必要なモンはまとめて買っちまおうぜ。……そうだな。ヘキサ、ちょっと”本”を見せてくれ」
わかったと頷き、中空からシステムブックを取り出す。
システムブックの情報はプレイヤーの生命線であり、本来なら秘匿すべき情報なのだが、初心者のヘキサは他人に見られて不利になる情報などないから、あっさりと”本”をデュランに手渡した。
どれどれ、と言いながら”本”を開き、中空に展開された半透明のウインドの内容を見やるデュラン。彼が「ほう」とか「へえ」と相槌を打つ度に、何故かヘキサはテストを返却される生徒の気分になってしまっていた。
「アビリティはなしか」
うん、と頷くヘキサ。
アビリティはスキルではなく、プレイヤーに由来する固有の能力である。
スキルとは違い、必ず持っているわけでもなければ、自由に選択することもできないが、中には非常に強力なアビリティも存在しているらしい。
「そう気を落とすなって。アビリティは後天的に入手できることもあるし、きっと迷宮探索しているうち手に入るさ」
心なし肩を落とすヘキサに苦笑する。
デュランが言うには、アビリティには先天的なモノと後天的なモノがあり、後者の場合は精神に強い刺激や衝撃を受けたときに発現することが多いとのことだ。
「ステ振りが筋力と敏捷の二極ね。武器は大剣だったな。……ひょっとしてヘキサは、フォスブレ型を目指しているのか?」
「え……? う、うん。そうだけど、よくわかったね」
「俺も部類上はフォスブレ型だからな。スキルやマテリアルの選択が似たり寄ったりなんだよ。まあ、俺は自分なりに能力構成イジッてるから、そのモノってワケじゃないけど。ってか、なんだ。テンプレ知ってるってことは一応、『@ch』に目を通してはいるんだな」
デュランの言う『@ch』とは”本”を使ってアクセスできる、ファンシー内部の情報交換掲示板のことである。正式名称は別にあるのだが、プレイヤーたちからはいつの間にか『@ch』と呼ばれるようになっていたらしい。
最初のアクセス時に『@ch』用のハンドルネーム――途中での変更は不可――を決め、自由に意見を交換し合える唯一の場である。
初心者が集うこの時期は様々なレスで盛り上がりを見せているのだが、その分煽りやら誹謗中傷なども多い。それにうんざりしたヘキサは必要な情報だけ集めて、それ以降は時間があるときに当たりをつけた関連スレしか覗いていなかった。
「最初のうちは面倒でも、マメに見ていたほうがいいぞ。嘘情報も多いけど、役立つ情報も意外に転がってるからな」
事実、それをヘキサは身を持って味わっていた。昨日のうちにレスをざっと見たところ、初心者用スレの一つに『クルシスの巣駆除依頼』には注意という記述があったのである。
「それにしてもフォスブレ型とはな。これなら俺も色々とアドバイスできそうだ」
ファンシーにはいわゆる職業はない。プレイヤーは各々考えのもと、ステータスの合計値と把握しきれない膨大な数のスキルとマテリアルを組み合わせることで、自分だけのアバターを構成していくのだ。
とはいえ、無秩序に組み合わせを行なったところで強いアバターを作れるわけがなく、プレイヤーたちの長年の経験と実績から組み上げられた、成長方向別のテンプレビルドに従うのが序盤の定石とされている。
ヘキサが参考にしたテンプレビルドは、剣などの近接斬撃武器を主軸にして扱う『ウォーリア』の派生。方術特化の近接斬撃職『フォースブレイド』である。
フォースブレイドは【武器】スキルと【体術】スキルをメインとし、筋力と敏捷の二極特化にしつつ、適度に体力を上げていくのが基本となる。筋力と敏捷のどちらを優先するかはプレイヤーの好みで、大剣を使うヘキサは筋力を優先的に上げることにしていた。
初期のスキルスロットは合計で四つ。ヘキサが選択したスキルは、【大剣】【体術】【索敵】【識別】である。
適性があると判断された【大剣】は当然として、近接武器スキルと相性のいい【体術】は方術技能を習得するための前提条件でもあった。
方術は生命子を対価として発動する技であり、魔法と並ぶ重要な戦闘技能だ。
一般的なRPGに例えるならば、魔法はMPを消費して使用するのに対して、方術はHPを消費して使用する術式である。
魔法と方術。互いに一長一短であり、どちらが優れているというのはない。ようはそのときの環境と状況次第ということだ。
しいて挙げるならば、方術は前衛が、魔法は後衛が好んで使用するといったところか。中にはヘキサのように選択する余地のないプレイヤーもいるが。
系統としては身体能力や感覚機能の強化する内力術式と、生命子を物理的な波動に変換して放出する外力術式の二種類。外力術式は武器スキルの熟練度の上昇で習得し、内力術式は【体術】スキルの熟練度を上げることで習得していく。
事実上、方術を戦闘の主軸にしようとすると、武器スキルと【体術】は必須である。フォースブレイドの鉄板スキルといっても過言ではない。
残りの二つ、【索敵】・【識別】は方向性に関係なく――特にソロで行動しようと思えば、必ずスロットに組み込まなければならないスキルである。
【索敵】は有効範囲内の動的オブジェクトを看破でき、隠蔽状態の敵も発見できる。【識別】は対象の属性を判別することができるのだ。この二つのスキルなしでソロなど、自殺行為でしかないとすらいえる。目隠しの状態で敵のど真ん中に飛び出すようなモノだ。
「マテリアルは『自動回収+0』と『オートマッピング+0』に『アナライズ+0』か。基本的といえば基本的だな。次はどうするつもりなんだ?」
「『錬気』か『知覚領域』で迷っているところ。どっちのほうがいいのかな?」
「俺なら『センシティブ』だな。『オーラ』も必要だけど、『センシティブ』があるかなないかで、近接戦での感覚がかなり変わるぞ。一番最初に選んでもいいくらいだ」
マテリアルはアバターの拡張機能のことである。
新機能の追加と既存機能の強化があり、この世界で生きていくうえで有利になる機能が充実しているが、レベル毎に拡張制限及び拡張限界があるので、無差別に追加・強化することはできない。
貴重な機能ほどコストがかかり、また強化するほどコストが跳ね上がり――機能名の後ろの+表記がそれである――プレイヤーに習得判断を要求されることになる。
オートコレクションはドロップアイテムを自動回収し、オートマッピングは自動でマップを作成してくれる機能。アナライズは【識別】スキルの補助的なモノであり、対象の詳細情報を解析してくれる。
ヘキサがどちらを選ぼうか迷っていた『オーラ』と『センシティブ』は、前者は方術の効果を増幅する効果で、後者はプレイヤーが知覚できる範囲と精度を強化してくれるのだ。
「ちなみにヘキサはマリーゴールドの初心者講義は受けたのか? 確かあそこで序盤での要注意モンスターに関する注意勧告があったと思うけど……さてはお前、途中でボイコットしたな」
「……はい、そうです」
半目になるデュランに、ヘキサは目を逸らして肯定した。
実ははじめてマリーゴールドを訪れた際、初心者のための講習が行なわれたのである。
諸々の施設やシステムブックの使い方。迷宮の探索方法。モンスターの戦い方に基本的な注意事項などを親切に教えてくれていたのだが、逸る気持ちを抑えきれず本当に初歩的なことの説明を受けた段階で、マリーゴールドを飛び出してしまったのだ。
「いや、ほら、僕、実戦派だから。ゲームもマニュアル読まずにはじめるタイプだし。だから……その、イケるかなーって思ったんだけど」
「そう上手くはいかなかったと。いるんだよなー。毎年必ず、それで墓穴掘る奴が」
よくこんなんでソロしてたな、とジト目が暗に語っているようで、ヘキサは気まずそうに視線を横にズラした。
「いいさ。これから俺が教えてやるよ」
「……よろしくお願いします」
やれやれと肩を竦める白髪の少年に、ヘキサはそう言うと深々と頭を下げた。