第十一章 霧夜の怪異(5)
剣戟が響き渡る。爬虫類特有の縦長の瞳に睨まれながらも、友哉は一歩も引きことなく眼前のモンスターと真っ向から剣を交える。
交差する剣が甲高く軋むが、今度は力負けすることはなかった。いつの間にか友哉はレッドリザードと互角に切り結べていた。不思議なことに長時間身体を酷使しても疲れることはなかった。むしろ酷使すれば酷使するだけ力が増す気さえした。
これならイケる。劣勢から拮抗状態に持っていけことに、友哉は口を端を歪めるようにして笑った瞬間、唐突にジジッと視界にノイズが混じった。突然の変調に歪んだ剣先が空を斬り、レッドリザードの一閃が首元に迫った。
「ッ!? ぐっ――な……めんなッ!」
手首を捻るようにして剣の腹で一撃を受け止める。剣を横にして相手の剣を滑らせると、間髪入れずに反撃を試み、再び明々する視界に呻き声を洩らした。
レッドリザードを切り裂くはずだった剣はまたしても空振りし、前方につんのめった体勢は致命的な隙を晒してしまう。
小馬鹿にしたようなくぐもった声をさせるレッドリザードが、剣を頭上に掲げているのに対して、剣を振り抜いてしまっている友哉は対処が遅れてしまった。咄嗟に身体を反転させようとするが、僅差で間に合わない。
哄笑じみた鳴き声に唸らせ、凶器が左肩に振り下ろされる。
剣が肩肉を喰い破らんとし――刹那、突如として友哉の左腕に出現した小型の円形の盾が、彼の身を相手の刀身から防いでいた。
円形の盾にも見覚えがあった。ヘキサが左腕に装備している盾である。それがいまはジャケットの上から彼の左腕に固定されているのだ。
異変はそれだけに留まらなかった。チカチカと瞬いていた視界がようやく正常に戻ったかと思うと、そこに表示されていたモノに目を大きく見開いて驚きを露にした。
まずは正面のレッドリザード。赤い蜥蜴男の頭上にバーがあるのが見えた。横に伸びたゲージの色は緑色でまだ八割以上が残っていた。さらにレッドリザードの名前と一緒に、諸々の詳細情報が明記されている。
視界の隅のほうには樋口友哉の名前が表示され、右のほうには七割ほどを残した緑のバーが存在していた。見間違うはずがない。それらがなんなのかを友哉が知らないワケがなかった。
バーはお互いのHPの残量を示した、【識別】スキルによる情報表示。レッドリザードの詳細情報が明かされてるのは、マテリアルである『アナライズ』の解析結果。共に自身のアバターたるヘキサに付随するモノなのは明白だった。
残りHPは友哉よりもレッドリザードのほうが多いが、多少の差など一撃でひっくり返ることを考慮すれば大差はない。
それに――。
剣を振り上げるレッドリザードの雄叫びが公園に響く。目の前に迫るモンスターの圧力を感じながらも友哉は不動。こちらに向かってくるレッドリザードを見据えて、緩やかな動作で片手剣を上段に構える。
これから友哉が行うとしていることは、成功するかどうか確証はなかった。だが、可能性はある。成功する勝算もある。なによりもそれが可能だと、本能が告げていた。
さっき迎撃が間に合わないと悟った友哉は、咄嗟に盾を脳裏に思い浮かべた。そして空想は現実へと転化した。愛剣に続き、愛用の盾も現実世界に出現した。
ならば出来る。出来ると信じるのだ。
深く、鋭く、呼吸する。ヘキサは地面を蹴るとレッドリザードに突っ込んだ。頭の奥で初期動作を叩き起こす。初期動作と身体動作を連動させてイメージを重ねる。
斜交いに振られる剣。その刀身が眩い真紅の閃光を纏った。真紅の刀身が赤い鱗を容易く切り裂く。跳ね上がった剣先がレッドリザードの左腕を半ばから跳ね飛ばし、地面に右足を打ち込みと真横に振られた剣が、赤い鱗に深い傷跡を刻んだ。
外力術式<瞬迅>。【片手剣】のスキル熟練度が100に到達する際に習得した方術。奇しくもそれはレッドリザードを倒したときに会得したモノであった。
ギィッ!? と短い悲鳴が洩れ、傷口から大量の燐光が湯水の如く溢れ出た。緑色を保っていたHPが急下降する。バーは五割を切るが減少が止まらない。ぐぐっと削られるバーが三割を切り、僅かに毛先ほどの幅を残して停止した。
反撃がくる。瀕死の重傷を負いながらも振るわれた剣が、脳天から砕かんと友哉に牙を剥く。受け止めた盾にヒビが入り、甲高い音と共に砕けた。
「――くあっ!? ……まだ、だぁぁぁぁっ!!」
肉に食い込む刃の怖気に、それでも友哉は止まらなかった。
刀身から赤い光が迸る。身体ごと叩きつける勢いで振り抜かれた剣が、レッドリザードの命を容赦なく奪い取った。
HPバーが消失する。最後の断末魔を木霊させ、鱗に覆われた体が崩れた。輪郭を失いキラキラとした光の粒子に変換されるレッドリザード。くるくると霧夜に舞う輝きを、地面に膝をついて友哉は見送った。
一際盛大に舞い散る燐光に友哉は目を閉じ――開くと、出現したときと同様の唐突さで、霧が晴れていた。世界より切り離されていた夜の公園は、通常の空間に復帰した。
”接続”が切れる。思考がヘキサから友哉に切り替わる。途端に蓄積していた疲労が一気に噴きだし彼の身に降りかかった。
痙攣する手から滑り落ちた片手剣が砕け、砂状の粒子になり闇夜に融ける。一瞬で刈り取られる意識に抗う余裕などなく、電池が切れるように友哉は地面に倒れ伏した。
……。
…………。
………………。
「おいっ!」
「うわわわわわわ――っ!?」
目を覚ました瞬間、友哉は叫んでいた。
地面に這い蹲ると肉食動物に襲われた小動物じみた動きで辺りを窺う。息が上手くできない。全力疾走の後のように、心臓が早鐘打っている。まだ近くにモンスターがいるかもしれない。友哉の緊張が極限にまで達し――。
「あ、あれ?」
瞳に映ったのは見慣れた光景だった。街頭に照らされた公園。濃霧など影も形もない。いつもと変わらぬ光景が広がっている。まるで先程の悪夢を忘れとばかりに、静まり返る公園からは異質なモノは残滓も残さずに消えていた。
崩れ落ちたはずの時計台が、何事もなかったかのように時間を刻んでいる。リザードマンによって破壊された遊具も元通りになっている。なにもかも霧が発生するよりも前の状態に復元されていた。
それは友哉にしても例外ではない。ふと彼が右腕に視線を落とすと、切り裂かれたはずのジャケットには解れすらなかった。
それどころか街頭に照らされる肌には、傷の痕跡すら残されていない。痛みもない。腹部の鈍痛も消えている。蜥蜴男との死闘が現実だったと示す物的証拠は一つもなく、彼の記憶以外にそれが実際に起こったことだと確かめる術はなかった。
「なあ、大丈夫か?」
「え?」
そこで自分以外の存在にようやく気づいた。黒い上下のツナギ。片膝を地面についたニット帽を被った青年が、心配そうにこちらを見ている。
「怪我はないか? どこか痛いトコは?」
「え、あ……な、ないです」
「そっか。それはよかった」
言われるがまま自分の身体をぺたぺたと触るが、特にどこもおかしな箇所はなかった。痛みを感じるところもない。
「倒れてたんだよ、お前は」
頭にハテナマークを浮かべる友哉に、青年は立ち上がりながら説明した。
「倒れてた……?」
「ああ。そこで大の字になってさ。まさかヒトが倒れてるなんて思わなかったから、なにか事件に巻き込まれたのかと焦ったよ」
冗談めいた口調で言う青年に、友哉は馬鹿みたいに大口を開いて固まっていた。
どうなってんの?
ぐわんぐわんと耳鳴りがする。地面を見つめたまま内心で自問した。自分は夢でも見ていたのだろうか。もし夢だったというなら一体どこまでが現実で、どこからが空想なのか。まるで化け狸に騙された心境だった。
ふいに脳裏に過ぎる、白く濁った視界に浮かぶ蜥蜴男の群。ぞくりといまさらながらに寒気がした。あのときの恐怖を思い出したからか、全身の震えが止まらない。
「――っか。おい」
耳元で青年の声がした。軽く肩を揺さぶられて、友哉は我に返った。どうやら思考の底に意識が沈んでいたらしい。
「本当に平気なのか? 外傷がなくて呼吸も正常だったから様子見してたけど。具合が悪いんなら救急車呼ぼうか?」
「い、いえ。ホントに大丈夫ですからっ」
青年の親切は嬉しかったが、事態を荒立てなくなかった友哉は慌てて首を横に振った。そしてふと疑問に思ったことを彼に尋ねてみることにした。
「あの……さっき、ここら辺に霧がでていませんでしたか?」
「さあ? 俺は見てないけど。霧なんてでてたっけ」
「えっと、じゃあ、変な人を見ませんでした? 手に大きな本を持って白いローブを被った人なんですけど」
「いや。それも見てない」
友哉の言葉の意味を図りかねているのか。ニット帽の青年は矢継ぎ早の質問に、小首を傾げると困惑した表情を浮かべている。
「あ、いいんです。僕の勘違いみたいですから。……あの迷惑をかけたみたいで本当にすみませんでした」
「ンなモンいいって。困ったときはお互い様だろう?」
人の良い笑みを浮かべる青年に申し訳なさで一杯になる。同時に倒れていたのを見られたかと思うと顔に血が上るのを感じた。羞恥で顔を赤くした友哉は、ニット帽の青年にもう一度礼を言うと、早足でその場を立ち去った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「――ふう。なんとか誤魔化せたか?」
公園から友哉の姿が消えたのを確認して、ニット帽の青年は安堵したようにつぶやいた。さっきとは違いやたらと砕けた口調だった。
「おーい。もう出てきてもいいぞ」
背後を振り返りそう言うと、暗闇の中から一人の少女が顔を覗かせた。スレンダーな肢体をブレザーに包んだ少女は、友哉が消え去った方角に視線をやると口を開いた。
「いいの? 無言で行かせてしまって。『反転現象』が起きた以上は、せめて最低限の説明くらいはすべきじゃない?」
「って、言ってもな。それは俺の役じゃない。……ま。遅かれ早かれ知ることになるんだし、それまでは真っ当な一般市民をさせておけばいいんじゃないか」
言って、彼はぐるりと首を巡らした。人気のない夜の公園を見回し、なにやら感心した様子で口笛を鳴らした。
「しっかし大した奴だ。恐らくは初戦――しかもぶっつけ本番であれだけ動けるなんて。『向こう』じゃさぞかし有名なんだろうな」
少なくとも自分には到底な無理な芸当だ。自身がそうであったときのことを思い起こし、彼は自嘲するような笑みを微かに浮かべた。
「なんにせよだ。……是が非でもウチで確保したい人材だ。<レッド>や<イエロー>――それと<ホワイト>には絶対に渡したくないな」
争奪戦を優位に進めるためにも、是非とも自分たちのところに招きたかった。あるいは現在の膠着状態を打破しうる一要因になるかもしれない。
「まだそうと決まったワケじゃないんでしょう?」
「そうでもない。あいつの話しぶりからすると、もうメッセンジャーとは接触してるみたいだし。争奪戦に参加するのは決定と見て間違いないだろう」
「だったらなおのことじゃない。それこそわたしたちにどうこうできる問題じゃないわね。どの陣営に属するかは、彼が決めることですもの」
「それもそうだな、と。……んじゃ、あいつがウチにくることを願いつつ、俺たちは戦に洒落込みますか。状況はどうなってるんだっけ?」
「変化なしよ。やはり人材不足が痛いわね。万が一を考慮して『城』に護衛も残さなければならないし。複数の事柄に手を伸ばすのは無理かも」
最優先が遺産の回収には変わらないが、同時に領地の防衛も固めなければならない。人数的な問題もあり、後手に回りがちなのが痛いところだ。
「ウチは他のトコよりも人数が少ないからなぁ。かといって、即戦力なんて期待できない。いまある戦力でどうにかこうにか、やり繰りしていくしかないか」
肩を竦めて青年は嘆息した。ニット帽を目深に被り直す。彼はポケットに手を突っ込むと、少女と一緒に公園から姿を消した。
とりあえず書きかけだった分を投稿しますが、相変わらず先は不定なのであんまり更新を期待しないでください。