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Re:Talk+  作者: 祐樹
第二部 【幻影の翼】
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第十一章  霧夜の怪異(3)




「うあぁぁぁ――――ッ!」


 硬直していた身体が動いた。外聞もなく悲鳴を上げた友哉は、握り締めていた缶を蜥蜴に投げつけると、脱兎の如く逃げだした。


 全身に巡る血流の流れが知覚できる。破裂しかねないほど速く心臓が鼓動を打っている。視覚が歪んでいるのは霧のせいだけではあるまい。


 どこでもいい。ここではないどこか。人がいるであろうところを目指して友哉は、半ば地面を這うようにして公園の外へと逃げようとした。


 霧云々などもはや言ってられない。あるかもしれない危機よりも、目先に突きつけられた脅威を回避することしか頭にはなかった。


 公園と道路を隔てる境界線まで後一歩に迫ったときだった。背後から高周波じみた叫びが聞こえて、次いで首筋に強い圧迫感を感じた。


 出口がすぐそこまで迫っているというのに、咄嗟に友哉はその場で身体に制動をかける。右足で地面を強く蹴り、左方向に跳んだ。考えてのことではない。仮想世界で得た経験が彼の身体を条件反射的に動かしたのだ。


 直前まで友哉がいた場所を剣が切り裂いた。蜥蜴男が逃げる少年を背後から手に持つ凶器で横薙ぎに斬ろうとしたのである。


 勢いが余り着地に失敗して、ごろごろと地面を転がる友哉。ジャングルジムにぶつかりようやく止まると、ふらふらとしながらも起き上がった。


 その右腕から鮮血が滴った。見るとジャケットの二の腕の部分が裂けている。リザードマンの剣の切っ先がかすっていたのだ。


「……痛い」


 額に脂汗を滲ませて友哉はつぶやいた。


 二の腕を押さえる左手の間からぬるぬるとした赤い液体が零れ落ちる。傷口が熱を持ち、ジクジクとした鋭利な痛みが脳を突き刺す。


 もしこれがファンシーだったのならば、彼はこの程度などかすり傷だと判断しただろう。痛みに不様な仕草も見せなかったはずだ。


 しかし、それは当然だった。これは現実。仮想世界ではないのだ。現実での友哉は凄腕の探索者などではなく、どこにでもいる一般人でしかないのだから。


「……くそ。……くそ、くそ、くそッ」


 理不尽な現実に悪態が口を吐く。右腕の疼く痛みに、なによりも目の前のモンスターに、涙の浮かぶ血走った目で睨みつける。


「ちくしょう。こんな雑魚なんかに……ッ」


 雑魚。そう確かに『ヘキサ』から見れば、レベル15のリザードマンは雑魚でしかない。それこそ素手で捻り潰せるだろう。


 ファンシーにおいてリザードマンは、初心者にとって最初の壁と言われている。何故ならばリザードマンはプレイヤーがファンシーで最初に遭遇する、”真っ当な戦い方”をしてくるモンスターだからである。


 それ以前に出現するモンスター――亜人系のゴブリンやコボルト。獣牙系のハウンドドックやホーンベアなどは武器の振り回しや牙の噛みつき、爪の切り裂きなど単調な攻撃しかしてこない。いうならばスキルやレベル差によるゴリ押しが通じる敵なのだ。


 対して、プレイヤーと同様の戦い方をしてくるリザードマンはそう簡単にはいかない。軽い気持ちで望むと痛い目を見ることになる。初見ではまず勝てないであろう強敵。


 ことによっては十分なレベル差があっても敗北してしまうかもしれない。勝つためにはスキルを使いこなすことが大事になるのだ。当時のヘキサもリザードマンには苦渋を飲まされた。どうにか倒した後も、蜥蜴男を練習台に腕を磨いたモノだ。


 とはいえ、それとて遠い昔の話。雑魚が束になったところでいまのヘキサの敵ではない。――だが、ここにいるのはヘキサではない。樋口友哉である。ただのゲーオタである友哉にとって、目の前の蜥蜴男は致死性の猛毒なのだ。


 リザードマンが身を丸めて、低い唸り声を発している。逃がす気はないということのようだ。じりじりと距離を詰める異形に友哉は覚悟を決めた。公園の出入り口はすぐそこだ。リザードマンの攻撃を避けて、その隙に一気に出入り口まで駆け抜ける。


 恐怖と痛みで感覚が麻痺しているのか。自分でも不思議なくらい冷静にそう判断して友哉は、痛みに散漫になる意識を束ねてリザードマンの動きに注視する。


 大丈夫。できる。幸いリザードマンの攻撃パターンは頭に入っている。攻撃の先読みは十分に可能なはずだ。ファンシーでの情報が目の前の蜥蜴男にどこまで通用するのかわからないが、他に案もない以上はやるしかなかった。


 意味も理由もわからない。現在自分が置かれている現状などそれこそ皆目検討もつかない。それでもそれしか生き残る方法はない。理屈など生き残った後に考えればいい。


 緑鱗の蜥蜴男がこっちに真っ直ぐ突っ込んでくる。右手の錆びた剣は大きく振りかぶられている。大上段の振り下ろしからの斬り上げ。相手の動きからそう目安をつけた友哉は、剣の軌道に全集中力を傾けた。


 瞬間、切っ先が真っ直ぐ振り下ろされる。同時に友哉は身体を左に傾けた。半身になった彼の脇を白刃が通り過ぎる――かに思えたその刹那、切っ先が翻り方向を変えた。剣の直進上にあるのは少年の首。


 その太刀筋も友哉の予想のうちだった。半身になった身体を地面に伏せる。際どいところで頭上を通過する刀身を横目に、そのまま友哉は蜥蜴男の横を駆け抜け――直後、腹部に鈍痛が発生した。見ると下腹に太い緑色の尻尾がめり込んでいた。


 身体が浮遊感に包まれる。上空に吹っ飛ばされた友哉はしかし、地面に叩きつけられた衝撃に地面をのた打ち回ることになった。


げほッ……がはッ、うげぇッ」


 堪らずに嘔吐した友哉は、胃の中のモノをすべて吐き出した。昼間食べたモノを吐き出しても嘔吐は止まらず、口元まで上がる胃液に喉が焼ける。


 油断した。以前にもそれで痛い目にあったというのに。剣の動きに注意が行きすぎ、尻尾による攻撃を失念していたなんて。


 後悔しても手遅れだった。遠心力が乗った尻尾による強打をまともにもらったにも関わらず、内臓が破裂しなかっただけ運がよかったともいえなくもないが、そんなモノはいまの友哉にはなんの救いにもならなかった。


 むしろ苦痛が長引く分だけ、不幸だとすら思えた。これなら一思いに――、


「ひと……おもい、に……なんだって……?」


 指先が地面を削る。口元の汚物をそのままに面を上げる。


「は、はは……冗談でしょ?」


 息も絶え絶えな友哉の霞む視界には、絶望的な光景が映っていた。増えているのだ。リザードマンの数が。二、三……四。残像が実体化する。薄っぺらい影でしかなかった異形の残像が、確かな実体を得て、この世界に確かな個として具現する。


 瀕死の草食動物に集るハイエナのように、五匹のリザードマンは倒れ伏す友哉を取り囲む。耳障りな唸り声が耳朶を叩く。


 友哉を見下ろす一匹が、切っ先を下に向けて剣を掲げた。


「――あっ」


 死ぬ。死んでしまう。


 アレが落ちてくれば友哉の頭を貫き、彼は絶命してしまうだろう。


 いや、だ……。力が欲しい。目の前の理不尽を一掃出来る力が。目の前の絶望を薙ぎ払う力を友哉は欲した。切っ先が落ちてくる。後は一瞬。瞬きすら必要ない。一秒後の未来に頭を貫かれた自分の姿を幻視する。


「嫌だ……」


 まだ死にたくない。


 やらなければならないことがあった。果たさなければならない約束がある。まだ色々と未練があるのだ。こんな不条理を許容などできやしない。


 目蓋の裏に残影がチラつく。不自然なほどゆっくりと落ちてくる刃を瞳に映し、友哉は心の底から願う。力を。力の象徴を。友哉にとっての力の象徴――例えば、例えば、例えば――白髪に赤い瞳。白いレザーコートを翻す――。


 ふと気がつくと、友哉の右手に硬いモノが握られている。どこにそんな力が残されていたのか。それの正体も確かめずに、友哉の胸に抱いた衝動のままに、身体を跳ね上げ右手を垂直に振り抜いた。


 直後、闇夜に火花が散り、鉄と鉄の噛み合う硬質な音が公園に木霊した。


「――、えっ?」


 錆びた剣を受け止める両刃の片手剣。


 街灯の光を反射し、鈍く輝く肉厚の刃。柄には茨を模した装飾。敵を斬ることのみ特化した優美な片手剣。見間違うはずもない。もうひとりの自分。ファンシーにおける自らの分身。マンイータ、ヘキサの愛剣。ローゼンネイヴェ。


 左方向から別のリザードマンが斬戟を見舞う。友哉は噛み合う剣を押し込み蜥蜴男を突き飛ばし、身体を独楽のように回転させた。


 遠心力を加えられた刀身がリザードマンの腕を斬り飛ばす。腕を切断されたリザードマンの絶叫が夜の公園に響き渡る。切断面から血が流れることはなかった。代わりに仄かに発光する燐光が傷口から溢れている。


 友哉は剣を手元に引き戻し下段に構えた。


 身体から傷みが引き、霞んでいた視界が正常に戻る。疲弊していた肉体に活力が戻り、得も知れぬ充実感に友哉は笑っていた。


「はは」


 不思議だった。先程まで恐ろしかった蜥蜴男を前にしても、いまは恐怖を感じなかった。むしろ少年の放つなにかに圧迫されたかのように、リザードマンの群れのほうが後退する。


「それもそうか」


 怖いワケがない。いくら頭数がいようとも、所詮はレベル15の雑魚敵なのだ。こんな雑魚に僕が――俺が、負けるワケがない!


「うおおおお――!」


 内から湧き上がる衝動のままに樋口友哉――否、”ヘキサ”は吼えた。




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