断章Ⅰ 在りしときの陽だまり(3)
「――ひょっとぉ。きいへんのぉ」
呂律の回らない物言いにヘキサは、嫌々ながらもそちらのほうに視線をやった。
するとそこにはテーブルにぺたりと横頬をくっつけて、いまにも眠りそうな胡乱な目つきをしたアイリの姿があった。
「しょこになおりなはい。きょうこそはきっちひとしてはげる」
顔を真っ赤にしたアイリの言葉は、なにを言ってるのか解読不能な域に達しかけている。上半身をぐったりとさせている様はだらしないの一言だ。
先程からぶつぶつと小言を洩らす彼女の右手には、琥珀色の液体が満たされたグラス。お酒である。アイリは誰の目から見てもべろべろに酔っ払っていた。
「ねぇ、きぃてんのー。ひょっとはわたひぃのはなひぃを……」
「はいはい。しっかり聞いてます。聞いてるってば」
酒臭い息を吐きかけられ、ヘキサはうんざりした様子で、手をひらひらと振った。
これだから酔っ払いは性質が悪い。最初こそ律儀に対応していた彼だったが、こうも続くと流石に辟易としてくる。
「ひゃあ、わはしのさけほめー!」
いきなり話の矛先が明後日の方向に吹っ飛んだ。ぐいぐいと自分の持っているグラスを、ヘキサに押し付けようとするアイリ。
どうしてそうなる、とヘキサは仕方なく受け取ったグラスの中身を口に含んだ。一瞬だけ脳裏に『間接キス』の四文字が過ぎったが、こんな状況でドキドキするはずがなく、口の中に広がる苦味に顔を渋めた。
酒に弱くはないのだが、ヘキサはどうにも酒の苦味――ここは現実ではないので、未成年は関係ない――が苦手だった。
どうして大人は好んで酒を飲むのか理解できず、彼は一気に琥珀色の液体を飲み干した。隣でアイリがパンパンと手を叩く音がやけに大きく聞こえた。
そもそもおかしいのだ。今日は仮にも自分が”主賓”のはず。なのにどうして単身で酔っ払いの相手をさせられているのか。
やはり選択を誤ったかもしれない、と嘆いていたときだった。自分の対面側に座っていた人物が苦笑しながら口を開いた。
「おい。それくらいにしとけって。ヘキサも困ってるじゃないか」
「なによぉ。もんきゅでもはるのぉ?」
絡むターゲットをヘキサから向かい側の少年――カイトに変更したアイリは、じろりと据わった半眼で彼をねめつけた。
「ってか、大して酒に強くないくせに飲みすぎだ。ヘキサにリーダーらしいところ見てようとして、自爆してたんじゃ世話ないぜ」
「うるひゃーい! わたしはまだじぇんじぇんよふうですよーだぁ」
「こりゃ駄目だ。……ヘキサ。この酔っ払いの相手は俺がするから、あっちのほうでのんびりしててくれ。まだ、ロクに飯食ってないんだろ」
「わかった。後は頼む」
ふらふらと頭を左右に揺らすアイリにため息を吐くカイト。彼の言葉にヘキサはそっと立ち上がると、彼女とは離れた場所に席を移した。
壁に背中を預けて、ふうっと大きく息を吐く。慣れない環境に身を置いているためか、肉体的よりも精神的に疲れていた。
「お疲れ様です。大変でしたね」
テーブルの上の食べ物に手をつけることもなく、アイリとカイトのやりとりを眺めていると、不意に響いた声に視線をズラした。
綺麗な碧眼と目が合った。鼻先にある美貌に息を呑み、咄嗟に仰け反るようにして顔を離そうとするヘキサ。奇妙な彼の動作にくすりと微笑み、桃色の髪をした少女が手に持っていた水のグラスを彼に渡した。
「はい。どうぞ飲んでください」
「あ、うん。ありがと。リンス、さん」
「呼び捨てで構いません。ヘキサ様」
だったらこっちも呼び捨てにしてよ、と内心で思わずにいられなかったが、それは初対面の際に「性分ですので」の一言でやんわりと拒否されていた。
背筋を走るむず痒さを誤魔化すように、グラスの水で口内の苦味を流し落とした。と、今後はまた別の声がヘキサの頭上から降ってきた。
「災難でしたっすね。でも、リーダーを悪く思わないでくれっす」
独特の話し方をする栗色髪の少女――カシスはそう苦笑いをした。失礼するっす、とヘキサの横に座った彼女は、果実酒が注がれたグラスを傾けながら言った。
「あれでリーダーも緊張してるっす。こういうのは最初の印象が大事だって、朝から張り切ってたっすから」
いまここにいる面子は全員≪暁の旅団≫に所属しているプレイヤーであり、普段からアイリがリーダーを務めているパーティのメンバーでもある。
今日はヘキサが≪暁の旅団≫に入り、はじめて彼女たちと一緒に狩りに行った日だった。
ギルドに所属している以上、必ずとまではいかないが、大抵はこの室内にいるメンバーでパーティを組んでいて、だからこのメンツで歓迎会の流れになったのだった。
そう言われてみれば確かに、いつもよりも気合が入っていた気もする。もっとも、いまは見る影もなくただの酔っ払いであるが。
何故かカイトの髪の毛を毟ろうとしているアイリに生暖かい目線を送る。地味に彼が可哀想ではあるが、巻き込まれるのは嫌なので傍観を決め込んでいると、視界の端に柔和に微笑してこちらを見やる少年の姿が映った。
「どうも。楽しんでいますか?」
「……まあ、それなりに」
嘘だ。本当はなんだかんだいって――気疲れはしているが――相応に楽しんでいた。こうした歓迎会を開かれるのは初の体験で嬉しかった。ただそれを顔を出すのは恥ずかしかったのである。ぶっきら棒なのも要は照れ隠しの一種だ。
「それはよかった。今日は十分に楽しんでいってください」
白髪の少年になにを感じたのか。自己紹介でクイナと名乗った鍛冶師はそう笑うと、一人でちびちびとグラスに口をつける少女に話を振った。
「ほら。せっかくの機会です。リコもなにか言ったらどうですか?」
「――よろしく」
それだけだった。室内でも白いフードを被ったままの少女は、一瞬だけ顔を上げて眼鏡に映ったヘキサに一言つぶやくと、我関せずで顔を伏せてしまった。
「すみません。彼女も悪気があるワケではないので、どうか気を悪くしないでください」
リコと呼ばれる少女は初対面からこんな感じで、もしかして自分は快く思われてないのかとビクビクしていた。基本的にヘキサは小心者なのだ。
「ああ、うん。なんとなくわかってるから。別に気にしてない」
クイナの謝罪に曖昧な苦笑を返す。結果的にいえば嫌われている云々は彼の考えすぎで、どうやら彼女は誰にでもこうらしい。
それにしても、とヘキサは改めて室内にいるメンバーをぐるりと見回した。パーティの立ち位置としては、前衛がカイトとカシスの二人。後衛がアイリにリコ、リンスの三人という役割分担になっている。
カイトは大剣を獲物にする基本に忠実なウォーリア。カシスも同じくウォーリアだが、こちらは方術・魔法混合型である。リコが稀少な治療師で、リンスは支援に特化したバード。アイリもファンシーでは数少ない精霊使いと、これまたバラエティーに富んだ構成になっている。
ちなみにクイナは鍛冶師なのでパーティには同行していないが、普段からアイリたちの武器メンテなどを引き受けているためこの場にいた。
流石に大手の『王城派』ギルドに所属しているだけあり、単体での錬度は非常に高い。しかし、前衛二人に後衛三人と偏ったパーティ構成故に、どうしても前衛がもう一人欲しいということになり、白羽の矢が立ったのがヘキサというワケである。
否、正確には違う。
「そういえばさ。もう一人パーティ組んでる奴がいるって話じゃなかったっけ? そいつはどこにいるんだ。……確か、名前はナハトだったかな? いままで一度も見てないんだけど、なにか事情でも――」
「ひょう! なはときゅん! あのばかはひょうしてこうなのはしら!!」
その言葉を切っ掛けにして、何故かツインテールの少女がキレた。
「ひっしゅも、いっちゅも、もんにゃいぱっかおこひて! ひょうもこにゃいし!」
「ちょ、暴れんな。落ち着け。痛い萌えキャラみたくなってっぞ! 明日、正気になって後悔するのアイリなんだぜ!」
テーブルをバンバンッと両手で叩きながら憤りを吐き出すアイリを、慌ててカイトがどうにか宥めようとあわあわしている。
「酔ったリーダーの前でそれは禁句っすよ」
「ナハト様も悪い方ではないのですが……。なんと言いますか……協調性に欠けていまして、アイリさんの招集指示を無視されることがあるのです」
自由奔放。自分勝手。快楽主義者。アイリもナハトにはほとほと手を焼いているらしい。固定の前衛を欲しがった理由の一つだ。
なにやらこれまた厄介事の匂いがするが、本当に大丈夫なのだろうか。これからのことを考えて不安になるヘキサだった。
「とはいえ、ミフィルさんほどではありませんがね」
ぽつりとクイナが言葉を零した。だが、大騒ぎするアイリの言動に掻き消されて、ヘキサの耳に届くことはなかった。
「……クイナ」
「ええ、わかってます。わざわざ宴会の席を白けさせる気はありませんよ。どうせこの先、嫌でも知ることになるでしょうし」
リコに咎められて嘆息するクイナ。
「ま、いまは新しい仲間を歓迎しましょうか」
「……うん」
ジタバタと少女らしくない挙動を見せるアイリを落ち着かせようと、奮闘する仲間を見やり、リコは小さく頷くのだった。