第十章 歪む日常(6)
前髪から水滴が滴り落ちる。
全身がずぶ濡れで気持ち悪いが、代わりに沸騰して茹っていた頭が急速に冷やされ、怒りに染まりナハトしか捉えていなかった視野も、正常な認識状態を取り戻していた。
こちらをじっと見やる三人の少女を視界に納め、ヘキサはなんと言っていいのかわからずに、彼女たちを見つめ返しながら口を噤んでしまう。
「ひゅうっ。こりゃまた可愛娘ちゃん揃いのお出迎えなこって。いやはや……ヘキサもなんだかんだ言って隅におけないな」
「そこまでっす。これ以上やるなら私たちが相手になるっすよ」
口笛を吹くナハトにカシスが噛み付く。軽く屋根を蹴るとヘキサの前に出て、風斬り音を鳴らしてハルバードを構えた。足元で不気味に影が蠢いている。
「私たち、ね。……そっちのお二人さんも同意見?」
返答はなかった。だが、無言で短杖を眼前に掲げる黒髪の少女と、普段は柔和な表情を厳しくしている桃色髪の少女の態度が、質問の是非を如実に物語っている。
「訊くまでもないってか。モテモテじゃないか、ヘキサ」
ナハトの両手から大鎌が掻き消えた。懐から煙草を取り出すと、高そうなジッポーライターで火を点けた。ジジッと煙草から紫煙を燻らせる。
「へいへい了解。邪魔者は退散しますよっと」
元から撤退を考えていたからだろうが、彼は不満もなく首肯すると、赤から黒に染まる空に煙を吐き出した。
殺気立っていた空気が弛緩する。戦闘はここまでだ、と。両者の引き分けで妥協しようと緩む雰囲気にしかし、尚も剣呑な響きを含んだ声がした。
「……待てよ」
殺意を帯びた赤い瞳に苛烈な光を宿し、熱に立ち昇る水蒸気を纏わりつかせ、身体を引き摺るようにして白髪の少年が追い縋る。
「何度言わせるつもりだ。終わりになんてさせない。認めない。ナハト……お前はここで消えろ。俺がこの世界から退場させてやる!」
頭は冷えても胸の奥の炎は消えない。際限なく湧き上がる黒い衝動に激しく燃える炎。怒りの感情に突き動かされて、力の入らない身体に鞭を打つ。
「しつこい男は女に嫌われるぜ?」
「うるさい。構えろ。行く――ゾッ!?」
剣を鳴らして身を屈めた直後、ごんっと鈍い音がした。リグレットが金属の短杖でぶっ叩いたのだ。脳天に激痛が走り、目蓋の裏で散った火花に言葉が途切れた。
無防備での不意打ちにヘキサは剣を落とすと、両手で頭を押さえて蹲ってしまう。悶絶する彼の頭上から、リグレットの冷やかな声が降ってくる。
「頭を冷やせ。私はそう言ったはずだけど? それともまだ足りないかしら。だったら好きなだけ水を引っ被らせてあげるわ」
「リグレット。なんの真似だ。邪魔するな!」
胸ぐらを掴む勢いでリグレットに詰め寄るヘキサ。普段の彼ならば絶対にしない行動に、彼女は目を細めると指先で街のほうを指した。
「その台詞――アレを見ても言えるの?」
「はあっ!? 見ても……て……なに、を……?」
リグレットの指差す方向に視線をやった瞬間、言葉が尻すぼみに消えた。ふらりと頼りない足取りでよろけると、信じられないモノを見るように目を大きく見開いた。
「……なんだ、これ?」
呆然とした様子でつぶやく。
白髪の少年の視界に映ったモノ。あちらこちらを破壊され、無残な様相を晒している街の光景だった。平和の象徴であるはずの街からは白煙が上がり、遠くのほうからは人々の怒号や悲鳴が聞こえてくる。
酷い光景である。なによりもそれを生み出したのが自分である事実に、ヘキサは言葉を失い絶句してしまった。
「俺がやったのか……?」
「なにを他人事みたいに言ってるの。……ええ、そうよ。全部、貴方がやったの。ヘキサが後先考えずに暴れた結果がこれじゃない。大暴れできて満足かしら?」
糾弾が刃となり胸に突き刺さる。今更ながらに我を忘れて行動した結果を見せつけられて、顔面を蒼白にして立ち尽くすしかなかった。
「あーと、なんだ。お取り込み中のところ申し訳ないが、オレはそろそろ撤収してもいいか。そろそろ帰って寝ちまいたいんだが」
「ご勝手に。早く消えなさい」
空気を読まない発言を一蹴され、ナハトは咥えた煙草を揺らした。そのまま踵を返してこの場から立ち去ろうとし、
「おお、そうだった」
芝居がかった仕草で手を叩いた。
「いけない。いけない。オレとしたことが、当初の目的をすっかり忘れちまってたわ。危ねぇ。これじゃあ、なんのためにきたんだかわかりゃしない。――なあ、ヘキサ」
半身になって振り返り、項垂れる少年に彼は言った。
「お前さ。『ライラ』って名前に聞き覚えはないか?」
頭痛。頭痛。頭痛。まるで頭蓋骨の内側で爆弾が炸裂したかのような、それこそ先程のリグレットの痛打などとは比べ物にならない激痛に、ヘキサは顔を歪めると屋根の上に倒れ込んでしまった。
「ヘキサ様!?」
リンスの悲鳴が脳内で反響する。過去最大の頭痛にそれでも上半身を起こし、やはり立ち上がることができず、座り込んだままの姿勢で面を上げた。
涙に屈折する視界に赤い影を補足。くぐもった苦痛の声を噛み殺すと、たどたどしい口調で静かに言った。
「”誰だ、そいつは”? ”知らないな”。”俺の知り合いにライラなんて奴はいない”。”初耳だ”。”一体誰のことを言ってるんだ”」
「さて、な。俺も知らない。……あんたはどうだ?」
本当に不思議そうに言うと、何故かナハトは視線を横にズラし、黒髪の少女を見ながら同じ質問を投げかけた。
「――生憎と記憶にないわ。私もはじめて聞く名前よ」
「へえ……そいつは残念だ」
光線じみた眼光が笑う道化を貫く。口調こそ普段のそれだが、双眸はかつてないほど鋭かった。理由は不明だがこの瞬間、リグレットはナハトを『敵』として認識していた。それこそ殺さなくてはと思うほど強く。
「オレの用件はそれだけだ。……じゃあな。次はもっと楽しく遊ぼうぜ」
それだけを言い残し、ナハトの姿が夜の帳の中に消えた。
リグレットは数瞬、彼が消えた方角をじっと見つめていたが、ふいに視線を切るとヘキサのほうへと手を差し伸べた。
「立てるかしら?」
「ああ。……大丈夫だ。一人で立てる」
掠れた声で言い、彼女の手を取らず自力で立ち上がった。
頭の痛みは大分治まってきたが、余韻がこびりついている。ふらつく身体を傍に立つリンスがそっと手を添えて支えた。
「それにしても派手に暴れたっすね。街中、パニックっすよ」
屋根に落ちている剣を拾うと、歩み寄ってきたカシスがぽろりと零す。
別に彼女には他意はないのだろうが、まるで責められているように感じ、ヘキサは俯くと手を強く握りしめた。
「……これを受け取るっす」
ヘキサの様子に気づかず――あるいは気づかない振りなのか――カシスは、何気ない調子で彼の前に一枚のカードを差し出した。表面に服の絵が描かれたカードの中身は、ナハトとの交戦時に脱ぎ捨てた外套だった。
「これがないとヘキサは街中を歩けないんすから、ちゃんと大切に扱うんすよ」
「そうだな。ゴメン。ありがとう」
手前勝手に暴走して迷惑をかけて、挙句がこのザマだ。最後は彼女たちに助けられた。申し開きできる要素など欠片もなく、すべては自分の招いた結末だ。
それに禁じ手だった『裏技』を使用してしまった。そう使用だ。リグレットが制止していなければ、自分は間違いなく『裏技』を使っていた。
「ヘキサ。貴方、『裏技』を使用するつもりだったわね」
正にドンピシャのタイミングだった。母親に叱られるのを嫌がる子供のように、彼の身体が小さく震えた。
「ゴメン」
咄嗟に口からでた言葉はそんなモノだった。その程度の謝罪しか吐けない自分に、より一層のこと嫌気が差した。罪悪感から少女たちの顔を見れなかった。
「まあ、いまはいいわ。まずは安全な場所まで行きましょう。いつ衛兵やらなんやらがくるかわからないもの」
「本当に――ゴメン!!」
消えてしまい衝動に襲われた彼は、軋む身体を酷使して、その場から脱兎の如く駆け出した。一瞬のことに少女たちは反応することができなかった。
一体、どこにそれだけの力が残されてたのか。あっという間に背中が小さくなる。自分を呼ぶ声がしたが、ヘキサが振り返ることはなかった。
どうも、祐樹です。
予定のところまで行ってませんが、長くなったのでここで一端切ります。
それにしてもあれですね。うん。戦闘シーンが下手すぎて笑った。自分で読み返していて、思わず失笑してしまうレベルです。しかも無駄に長いし。
もう戦闘シーンいらないんじゃないかな? 今後はもう『激しい戦いだった』とか『苛烈にして熾烈だった』とか一文で済ませましょうかね。
感想のほうで指摘があったので一言。
一部と二部で明らかな矛盾がありますけど、あれは間違いではなく意図的にやっています。僕のいつもの誤字じゃないですよ!
っていうか、本来ならこういうのって番外で言っちゃ駄目なんですけどね。あくまで本編で語らないといけないんですが、作者の力量不足でこの有様ですよ。
長々と言ってもあれなんで今回はこれで。
意見や感想があったら気軽にどうぞ。割と本気で。
では、また。