第十章 歪む日常(1)
それで、とリグレットは眼鏡の青年のほうに目線をやった。ヘキサたちはすでにこの場にはいなく、室内にいるのは彼女と彼だけだった。
「わざわざ人払いをしてまで、私になんの用があるのかしら?」
”例の件”の報告――とクライスは言ったが、そもそも彼とはこれが初対面。当然、眼鏡の青年に依頼したことなどあるはずがない。
ヘキサにさも知り合いであるかのように振舞ったのは、クライスが自分と一対一で話したがっているのを言葉端から悟り、彼の演技に付き合ったからである。
「単刀直入に訊こう。君は一体何者だね」
問いかけに対しての返答は同じく問いだった。
クライスの言葉の真意を知ってか知らずか。リグレットは目を瞬かせると、困ったような調子で首を傾げる仕草をした。
「何者……と言われても。この場合、私はなんて答えればいいの? ……いえ、貴方はどう答えてほしいのかしら」
「ヘキサ君から聞いた。なんでも君はすべての属性魔法を使用できるらしいね。全特化型魔法使い、とでも呼べばいいのか。いずれにせよ、大層な話ではないか。……私のような凡人には羨ましい限りだよ」
「……なにが言いたいのかしら。ハッキリ言ってちょうだい」
「君は露骨に怪しいということだよ」
直球な物言いだった。黒髪の少女に対しての不信感を隠そうとすらしていない。これにはリグレットも苦笑するしかなかった。
「初対面の相手に随分な言い草ね。これでも清く正しく生きているつもりなのだけれども……。私のどこか怪しいっていうのかしら」
「徹頭徹尾。一から十まで。なにもかもが胡散くさすぎて、どこから手をつけていいやら迷ってしまうほどに」
ヘキサから黒髪の少女について聞いた後、密かにクライスはリグレットについての情報を、四方八方に手を伸ばして収集していた。
「悪いとは思ったが私のほうで、君の経歴を調べさせてもらった。いやはや……かなり苦労させられた。っで、肝心の調査結果のほうだが――」
言って、一呼吸。
「”なにもわからなかった”。”ただの一つも”。情報屋として多少は優秀だと自負していたつもりだったが、どうやらそれは私の驕りだったらしい」
お手上げだった。過去の経歴云々どころの話ではない。知り合いの情報屋に手伝ってもらったというのに、情報を一切入手することができなかったのだ。そして、クライスは黒髪の少女への疑惑を、情報収集の前よりもなおも深くしていた。
「だからこそおかしい。痕跡をまったく残さずにプレイしていくなど、例えどんなプレイヤーでも不可能な芸当だ」
これは一人プレイ専用のコンシュマーではない。
レベル上げ。ボス討伐。素材集め。武器に防具製作。アイテムの売買。プレイヤー間のコミュニティ。多人数参加型のMMORPGとして形式を採用している以上、接触を最低限にしても誰の目にも晒されずに行動するのは無理である。
極端に情報が少ないということはあるだろうが、リグレットのように名前を知っているプレイヤーすらいないのは異常だった。ましてやこの美貌で一級の魔法使いでありながら、掲示板の噂話にすらならないなど、本当に有り得るのだろうか。
まるでこの世界に突然現れたかのような違和感が拭えない。ヘキサには申し訳ないが現状、クライスは彼女を信じる気にはなれなかった。
「最初はヘキサ君ではないが、君のことをNPCではないかと疑いもした」
白髪の少年が外套によって、カーソル色を赤から青に偽装しているように、システム上の認識を騙すことは可能である。
ならば特殊な仕様のNPCのカーソルを、緑ではなくプレイヤーと同じ青に識別させることもできるはずだ。もっとも、この考えは極論すぎて穴もたくさんあるため、すぐに放棄することになったわけだが。
「いずれにしろ君は明らかに普通ではない。正体が不明という一点においては、それこそAと大差あるまい」
「侵害ね。いくらなんでもあんなの一緒にしないでくれない。不愉快だわ」
「失敬。いまのは言いすぎだ。撤回しよう」
自身を睨む視線にクライスは両手を上げた。むろん、彼女への認識を改めるつもりは毛頭ない。認識を改めるには要素が足りなすぎる。
「ヘキサ君に近づいたのもなにか思惑があるのではないのかね? アニクエの攻略パートナーというのは建前上で、本当の目的は”彼に近づくことそのモノ”ではないのか?」
さて、どうでる? 眼力を強めながら彼女の次の動きに注視する。
自分の戦闘能力はお世辞にもよくはない。今後の展開次第でどうなるかはわからないが、ここで攻撃される可能性はないだろう。そんなことをすればヘキサとの間に亀裂が生じる。目的はどうあれ彼女もそれは避けたいに違いない。
「あら、バレちゃった? 思っていたよりも露見するのが早かったわ」
ぺろりと小さく舌をだして微苦笑するリグレット。故にそれはクライスにとっては、想定していた中ではもっとも予想外の返答だった。
「それは……つまり、何かしらの魂胆があったと認めるのかね?」
「ええ、認めましょう。確かに私はある目的の下、ヘキサと行動するようになった。アニクエ攻略はそのための手段にすぎないわ」
特に悪びれた様子もなくあっさりと肯定する。誤魔化そうという素振りすらないリグレットに、クライスは戸惑いながら問い返した。
「どういうつもりだね。こうも素直に答えるなど、君はなにを企んでいる?」
クライスが用意したのは、あくまでも予想と考察。物的証拠は一切ないのだから、はぐらかすことも十分できる。クライスもそうなると踏んでいたし、今回のカマかけは牽制と彼女の反応を確かめるためのモノにすぎなかったのだ。
「企んでいるなんてとんでもない。いずれ貴方には協力をお願いする機会があると思うから。いまのうちに友好関係を結んでおきたいのよ」
「協力……? なんのために?」
「いまはまだ秘密よ。そのときになればわかるわ。私はそんな事態にするつもりはないけど、保険は必要ですものね。……それから信用してくれるかわからないけど。少なくとも私はヘキサに害意を持って接しているわけではないわ」
真意はどうあれ彼女の言動が、白髪の少年をいい方向に導いているのは事実だ。クライスもその点を否定するつもりはない。
「……その言葉をいまは信じよう」
今回はここまで。リグレットもこれ以上の情報を渡すつもりはないのだろう。彼女がこちらに敵意を持っていないことを、確認できただけ良しとするべきか。
「それはよかった。……それにしても、貴方も随分とヘキサに肩入れしているのね。意外といえば意外だわ」
「ヘキサ君がああなってしまった一端は私にもあるからね。ならば、相応の対処はするべきではないかな。特に彼は一人にしておくと、どこまでも沈みこんでしまいかねない」
酷い言い方だが同感だった。彼は”昔からそうなのだ”。一人で暴走して後で後悔する。学習能力がないのかと思うほど繰り返す。
「まったくそのとおりです。あの”駄犬”は昔から私といないと、駄目でどうしようもないですから。本当にどれだけ飼い主に手間をかけさせる気でしょうか」
駄犬。飼い主。侮蔑じみた言葉とは正反対に、リグレットの口調はやんわりと柔らかだった。親愛と友愛に満ちて、なによりも懐かしげな響きをさせている。
「まあ、これも乗りかかった船。文句を言ってもはじまりません。関わってしまった以上は、最後まで付き合ってあげるのが、飼い主としての義務です」
「……ひょっとしてそっちが素なのかね?」
問われた意味がわからずに、きょとんとするリグレット。演技ではなくて本当に理解できずにいるようだ。
「言葉遣い。普段と違うようだが?」
「――迂闊でした。私もまだまだ甘いですね」
こほん、とワザとらしい咳払いを一つ。自分の両頬をぴしゃんと叩くと、彼女は多少の気まずさを混ぜた調子で言った。
「忘れてちょうだい。これは……そう、ちょっとしたミスよ。やり直しを要求するわ」
まだ動揺から完全には立ち直れていないようだ。ギクシャクとした彼女の挙動に、クライスは緊張感が抜けるのを感じながら肩を竦める。
「それは構わないが、何故口調を変えるような真似を?」
「ただの願掛けよ。これ以上は聞かないで」
黒髪の少女からしたら痛恨だったらしく、いつもの気勢がナリを潜めている。やれやれとクライスがフォーローしようとした――そのときだった。
ズンッ、という重たい音を伴った破壊音が、店の窓をビリビリと震わせた。遠くのほうからは、悲鳴のようなモノが聞こえてくる。
リグレットの行動は早かった。緩んでいた表情を引き締めると、壁から背中を離して出入り口に向かう。ドアノブに手をかけたまま、背中越しに首だけで振り返る。
「貴方はここにいて。私はヘキサのところに行くわ。……慎重に行動しろって言っておいたのに。本当に学習しないんだから」
「この爆発音の原因がヘキサ君だと?」
「十中八九、間違いないわ。他に街中で暴れるような馬鹿なんて早々いないでしょう」
言って、店内を飛び出す。首を巡らして周囲の状況を確認する。連続する爆発音を目印に、リグレットは混乱する街を駆け出した。