第九章 兆しと翳り(2)
「それはまた奇怪な話だね」
ヘキサの話を聞き終え、天井を見上げながらつぶやいた。眼鏡の奥の瞳は細められ、顎に片手を当てた体勢で思案する。
「モンスターのいないダンジョン。死体が消えないボス。無色カーソルでHPバーのない影。無色カーソルだがHPバーのあるリーダー格の影」
「最後のは別格でした。まともにやり合っていたら、結果はどうあれ無事では済まなかったはずです」
後、妙に人間臭かった、と言いかけてヘキサは口を噤んだ。ただでさえワケがわからないのだ。確証のない意見は慎むべきと思ったのである。
「なるほど。なにもかもが異例すぎる。一つならばシステムトラブルとも考えられるが、それだけ重なると事故とは思えん」
それに、と言葉を繋ぐ。
「やはり無色のカーソルが気にかかる。話を聞く限りは”彼”との関係性は薄そうではある。しかし、まったくの無関係とも言い難い。両者にはなんらかの共通点があるかもしれんが、情報が少なすぎていまはそれ以上は考察できない、か」
「次はこっちの番です。クライスさんが知っていることを教えてください」
「もちろんだとも。……さて、まずはなにから話そうかね」
「じゃあ、最初はアンノウンについてお願いします」
紆余曲折があったものの元はそれを訊ねにきたのだ。色々と聞く前にアンノウンについてはっきりとさておくべきだろう。
「そうだね。順番的にもそれがいいか」
ズレた眼鏡を人差し指で直す。あまり思い出したくないことなのか、口を開く彼の表情は苦虫を噛み潰したようであった。
「もう三年の前の話になる。当時この世界に無色のカーソルを持った、とあるプレイヤーがいてね。アンノウンとはそのプレイヤーを指し示す呼称なのだよ」
突如として人々の前に姿を現した謎のプレイヤー。識別不可。正体不明。システムでは認識できないが故のアンノウン。
だが、ヘキサたちはアンノウンという単語を知らなかった。三年前といえばファンシーの二年目。『三期生』である自分は別として、『二期生』のリンスとカシスならば知っていてもおかしくなさそうなのだが。
「君たちが知らないのも無理はない。これを知っているのは極限られた一部分だけ。プレイヤーがアンノウンと呼ばれていたのは、登場した最初期の一瞬だったからね」
疑問がそのまま顔にでたのだろう。白髪の少年の顔を見たクライスは、言葉を付け足すとカウンターに背中を預けた。
「何故ならばそのプレイヤーは直後、別の異名で呼ばれるようになったからだ。そちらの異名が余りにも有名になったために、アンノウンという呼称はあっという間に廃れてしまったというワケさ」
「それは俺も知ってるんですか?」
「ああ。知っているとも。そして、そのプレイヤーこそ私が言うところの”彼”であり、リグレット君が口にした”あいつ”なのだよ。つまり、君たちの疑問の答えはすべて、一人のプレイヤーに行き着くことになる」
「……そいつはまだいるんですか?」
「いや、もうこの世界を”去ったとされている”」
なにやら歯にモノが挟まったような含みのある言い回しだ。ワザと話を曖昧にしているような印象を感じるのは、自分の穿ちすぎだろうか。
「出し惜しみはなしっす。そいつの名前はなんっすか?」
一拍の間があった。眼鏡の青年は横目でちらりとヘキサを一瞥し、重苦しい口調でその名前を言葉として吐きだした。
「――殺人鬼A。それが”彼”の名前だ」
誰でもない誰か。度を越して多くの人を殺しすぎたために、便宜上の名前を与えるしかなかった存在。故の殺人鬼。故のA。
”初代”マンイータ。最高額の懸賞首。ファンシー史上、最強最悪のプレイヤーキラー。彼の者が表舞台に姿を現していたのは、二年目から三年目までの約一年。
行動は神出鬼没。界層を問わず現れては、目につくプレイヤーを片っ端から殺していき、プレイヤーたちを恐怖のどん底に叩き落としたという。
その間に殺したプレイヤーの数は、確認できるだけで優に千人を超えると云われ、潜在的な数はその倍にもなるとされている。
二次的被害。模倣犯による犯罪。風評に悪評。などの諸々の要素を加味すると、A一人のために迷宮攻略が半年は遅延させられたことになる。
「本当に酷かった。二年の半ばにして末期感が漂い、街中が死んだように静かだった。有名なプレイヤーは悉く返り討ち。Aに挑む気概のある者はいなくなり、本当にこのままゲームそのモノが続行不可能になっても、おかしくはない空気を誰もが感じていた」
『三期生』のヘキサはいまいち共感できなかったが、『二期生』であり当事の雰囲気を知るカシスたちは思うところがあるようで、彼の言葉に沈んだ様子で沈黙している。
「けど、最終的には倒されたんでしょう」
箱庭世界に災厄を撒き散らしたAは、三年目の補充日を目前にし、プレイヤーたちの手によって討たれた。それが有力な見解であり、事実それ以降、Aの目撃報告は一度もない。
「一般的にはそうなっているね。しかし、それが真実かと問われれば、首を傾げざるを得ない。さっき”去ったとされている”と言ったのはそのためだ」
一体誰がAを倒したのか。いまになってもはっきりとしない。自分たちが倒した。そう公言するプレイヤーは多くいたが、あの程度の腕で倒せたとは到底思えない。
「結末がわからない。むろん、それだけではないが、本当にAが倒されたのか私は疑問なのだよ。いまでもこの世界のどこかに身を潜め、逆襲の機会を窺っているのではないか。どうしてもそんな考えが脳裏を過ぎってしまう」
私のかってな憶測でしかないがね、と笑う。
「話は少々ズレるが、Aが恐れられた最大の理由がなんだかわかるかね?」
「……わからないはずないでしょ」
白髪の少年の声は固かった。
わかって当然だ。プレイヤーなら誰でも知っているし、ヘキサなど現在進行形で”体感”している最中なのだから。
「生命子を喰らう『捕食』アビリティ。Aが誰の手にも負えなくなった最大の理由」
「そのとおり。仕方がなかったとはいえ、Aの『捕食』に初動で気がつけなかったのが痛恨だった。解析アビリティ持ちのプレイヤーが、『捕食』を明らかにしたときには手遅れ。文字通りやりたい放題さ。事実上、Aを止めることなど何人も不可能なのだから」
『捕食』の効果を知らずAに立ち向かうプレイヤー。そのプレイヤーをPKして、生命子を喰らい自己を強化するA。それによって力を増大させていくA。その悪循環だ。
「だからこそ≪聖堂騎士団≫をはじめとして、Aを知るプレイヤーは君を恐れるのだよ。Aに続く二番目の『捕食』アビリティ持ちである君をね」
故の”二代目”マンイータ。ユニークアビリティ『捕食』こそヘキサが、殺人鬼Aの後継者と評される所以である。
彼らは真剣に恐怖しているのだ。ヘキサが真の意味でAの後継者になることを。再びあの惨劇は自分たちの身に降りかかるのを嫌い、執拗なまでに白髪の少年を目の前から排除しようとしているのである。
だが、ヘキサに言わせれば身から出た錆。完全に自業自得なのだ。思念剣に自嘲したように馬鹿をやらかした結果である。
「……すまない。自重すべきだったね。こんな話を持ち出すべきではなかった。私の悪い癖だ。つい口を滑らせてしまった」
倦怠感じみた空気を纏うヘキサに気がついたクライスが、申し訳なさそうに額を押さえた。話題の選択を誤ったと詫びる。
「そうだ。謝罪の代わりといってはなんだが、一つ君たちに見せたいモノがある。面白く――はないだろうが、一度見ておいて損はないはずだ」
言ってクライスは虚空から取り出した”本”を開き、抜き取った一枚のカードをその場で実体化させ、緑色の結晶体を出現させた。
「グリーン・ジェム。記録石ね」
リグレットの言葉に相槌を打つクライス。
「これはオリジナルからのコピー品でね。手に入れるのには大分苦労させられたよ」
『ジェムシリーズ』の一つであるグリーン・ジェムは、記録石の名の通り結晶体に映像を保存することができる。記録された映像は他の記録石にコピーすることも可能。コピーはオリジナルからしかできず、映像再生に条件を設定できる機能も備えている。
「つい最近になって入手したのだが、勿体なくて実は私も中身はまだ見ていなくてね。いい機会だから一緒に見ようじゃないか」
「勿体ないってのは?」
「再生回数が一回きりなのだよ。一度見ると映像が自動で消去される仕組みになっている。数も少なく出回らないから、つい”本”の中にしまいっぱなしにしていたのさ」
つまり表には出したくない映像だということだ。一回だけというのも不用意に映像が流出しないための措置なのだろう。
「中身の映像はなんでしょうか?」
「それは実際に見てくれたまえ。……では、再生するよ」
トリガーボイスに反応して、記録石が内側から激しく明々する。周囲に瞬くような残影が走り、結晶体に焼き付けられていた情報が、部屋の中に立体映像として展開された。