第八章 闇の胎動(6)
抱きかかえていたリグレットを降ろす。影の親玉から視線を外すことなく、剣を構えるとヘキサは口を開いた。
「カシス、周りの奴らと護衛を任せてもいいか」
「余裕っす。リンスとリグレットのことは気にしなくていいっすよ」
新たに十体の髑髏を召喚し、ハルバードを旋回させる。孤を描く軌跡が頭上から降ってきた影をまとめて切り裂いた。
「そっちこそわたし抜きで大丈夫なんすか。……強敵っすよ」
「そうみたいだな」
余裕のつもりなのか。それともヘキサたちを侮っているのか。影絵の少年は彼らの殺気に反応することなく、呑気にも欠伸をすると首をぐるぐると回している。
ヘキサとて伊達に修羅場を潜ってきたわけではない。スキルが働かなかったとしても、雰囲気から大体の力量の判別はできる。
影絵の少年は明らかに別格だ。周囲に群がる影とは比べものにもならない。ボスクラスにも匹敵する圧力に、目を細めると刃を鳴らした。
「リンスは片っ端からバフくれ。リグレットは援護を」
「はい。お任せを!」
「さっさと片付けるわよ」
「ああ――ンじゃ、行くか!」
頼もしい声援を背に受けて、ヘキサは床を蹴った。小細工はなし。真っ向勝負だ。クエストの報告もしなければならない。速攻で終わらせる。
殺意を乗せた全力の一撃はしかし、不意に彼の手元に現れた黒塗りの短剣に受け止められた。刀身の接触点で眩い火花が散る。
衝撃の余波で足元の石が砕けるがそれだけだった。影絵の少年の身体は微塵も揺らがない。どころか、逆襲がきた。彼の姿が霞んだかと思うと、首元に黒い刃が迫っていた。
下から跳ね上げた剣先で刃を弾き、逸れた刃は頬を浅く切り裂いた。視界の端。自身のHPバーが僅かに減少した。
「――こ……のぉッ!」
翻った切っ先が二の腕を浅く掠った。黒い粒子の残滓が散り、相手のHPバーががりっと削り取られた。
至近距離での剣戟。お互いに一歩も譲ることなく、互角の切り結びが続く。高速で迫る剣を悉く短剣で防いでいる。とんでもない技量だった。
加えて、こちらはリンスからのバフで通常時よりも強化されているのだ。実際にヘキサは普段よりも強く打ち込んでいる。それでも押し切ることができずにいた。
甲高い音が響き渡る。切り結んでいるうちに、ヘキサはおかしなことに気がついた。影絵の少年は振るう短剣に違和感を覚えた。
なにかがおかしい。ヘキサは高速で霞む短剣に注視し、違和感の正体に感づいた。厚みがないのだ。平べったくてしかも、”折れ目”のようなモノが入っている。
折れ目? ――”折り紙”? そう折り紙だ。影絵の少年が振るう短剣は、黒い紙で折られた紙製の短剣だった。二人の周囲に無数の火花が散る。紙で金属とやりあいながらも、彼の持つ紙製の短剣は僅かの綻びもなかった。
むろん、ただの紙ではないのだろうが、紙であることには変わらない。おそらく”無属性の魔法”によるモノなのだろう。
この世界に満ちる未知の粒子――元素に魔力で干渉する技術を魔法という。魔法は全七属性。火・水・土・風・光・闇・霊に分別される。
行使される魔法はこの七種類のどれかに属するわけだが、極稀に何れの元素にも干渉せずに、魔力単体で魔法に類する技能を持つ者がいる。
それが無属性の魔法である。目の前の影絵の紙もその類に違いない。
「ヘキサッ!」
背後からの声にヘキサは決断した。切り結びあう短剣の切っ先に神経を手中させる。右。左。右――いま。
振り下ろしのタイミングを狙いすました一撃に、影絵の少年の身体が横に揺らいだ。強振で無理やり相手の体勢を崩すと、ヘキサは斜め後ろに跳んだ。
跳んだヘキサの背後。影絵の少年の直線上には、短杖を前方に突き出す黒髪の少女の姿があった。短杖の先端に嵌められた赤い宝石が真っ赤に輝き、集束する火素が放つ燐光を撒き散らしている。
「サラマンダーブレスッ!!」
視界が白熱する。紅蓮の炎が大気を焦がし、使用者の意思を宿したかのように荒ぶる炎が影絵の少年を呑み込んだ。
サラマンダーブレス。上位になるほど有効範囲が大規模になる火属性にあって、あえて範囲を複数から単体に絞ることで、威力を増幅させた上位魔法。
火蜥蜴の吐息が容赦なく敵対者を蹂躙する。熱風の余波が肌を炙り、余波だけで影が次々に消滅していく。
「今度は火属性!? いくつの属性を使えるんっす!」
魔法の威力よりも、リグレットが火の魔法を行使したことに、驚きを露にするカシス。光・霊・水に続き火。これで四属性だ。
四属性を操れる魔法使いなど、それこそ数えるほどしかいない。一体、彼女はどれほどのポテンシャルを、その身に秘めているというのか。
死霊騎士の問いかけに、黒髪の魔法使いは艶やかに笑い、
「”全部”よ。私は七属性を全部使えるの」
なんて、とんでもないことを口にした。
「全――そんな馬鹿なことがありえるんすっか!?」
「実際に使えるのだからあるんでしょう」
「そこまでだ。話は後にしろ! くるぞっ!」
視界を覆う黒煙を突き破り、黒い影が解き放たれた矢のように突っ込んできた。影絵の少年を包み込むように舞う黒い紙が焦げ落ちる。
何重にも張られた紙の障壁で、サラマンダーブレスの直撃を防いだらしい。HPバーは一割ほどしか減少していない。剥げ落ちる紙の隙間から現れた彼はいまだに健在だった。
「……リグレット」
「なにかしら?」
ぼそりとヘキサがなにかをつぶやくと、彼女は「わかったわ」と小さく頷いた。
「頼んだぞ!」
言って、直進してくる影絵の少年の進路に割り込む。短剣の切っ先を盾で逸らし、カウンターの突きをお見舞いした。脇腹の辺りを掠める刃に、HPバーが一ドットほど削れる。
間合いを詰めてさらに追撃するが、斜め上への振り上げはバックステップでかわされてしまう。間髪入れず懐に飛び込もうとして、半歩足を踏み出したところで、自身を囲むように展開された無数の短剣に気がついた。
左右に上方。視界を覆う短剣の群。空中で静止する短剣の刃は、すべて中央にいるヘキサのほうに切っ先を向けている。
まったく前兆を感じなかった。逃げ道はない。影絵の少年の腕を振り下ろす動作にあわせて、短剣の群が牙を剝く。
殺到する刃にヘキサは一回だけ大きく息を吸い込むと、軽く手首を捻るようにして剣を回転させた。くるんと手の平で剣が円を描き、カチンと乾いた音がして――そこから同時に目まぐるしく状況が入れ替わった。
まずヘキサを取り囲む無数の短剣が一斉に弾け散った。甲高い音が連続で響き、ある短剣は砕かれ、ある短剣は壁に突き刺さる。
次いで影絵の少年の身体がふわりと宙に浮いたかと思うと、もの凄い勢いで天井に叩きつけられた。身体が半ばまで天井に埋まる。破砕した石の破片が床に落ちるよりも早く、今度は見えない腕で振り回されたかのように、彼の身体が床に頭から落下した。
影を巻き込み床をごろごろと転がる。がくんっと頭上のHPが減少した。彼が起き上がろうとしたそのとき、朗々とした呪文の詠唱がフロアの空気を震わせた。
「フリージングチェーン」
周囲の空気が急激に下がった。宙にはキラキラとした氷の結晶が浮遊している。
瞬間、空間を切り裂き十数本の氷の鎖が出現した。鎖が生き物の如くうねる。縦横無尽に疾駆する氷の鎖が影絵の少年を串刺しにした。
鎖に絡め取られる彼のHPがじりじりと減少していく。相手の動きを封じ、その間HPが減らし続ける水系統の拘束魔法だ。
戒めを解かんと影絵の少年が身を捩る。突っ張る氷の鎖が軋み、微細なヒビが生じた。そう長くはもたないだろうがそれで十分だった。
「いまのうちだ。カシス、リンスを頼む!」
「わかったっす。行くっすよ、リンス」
「はい。お願いします」
影の相手を眷属に任せて、カシスはリンスを連れて魔方陣に入った。ヘキサもリグレットの手を掴むと、彼女たちの後に続いた。
元よりヘキサたちにとって影共は目的ではなく障害でしかない。ましてや経験値の入手できない強敵など、相手にするだけ無駄である。
「じゃあな」
氷の鎖が砕けるが既に遅い。魔方陣が明々して、転移が開始された。ぐにゃりと捻じ曲がる視界。黒一色の少年がこちらを見やり肩を竦める。
やたらと人間くさい仕草を最後に、転移によって目の前が白く染まった。
どうも祐樹です。
てなわけで更新再開です。
意見を参考にして、雰囲気を前作に近づけてみましたがどうでしょうか。
修正前よりはネトゲっぽい感じがでてるかなぁとか思っています。
なにか意見や苦情がありましたら気軽にください。
ではまた。