第八章 闇の胎動(5)
剣閃が走る。沈殿した空気を裂く一撃は影の片腕を跳ね飛ばし、翻った刀身が胴体を真っ二つに切断した。ずるりと身体が上下にズレ、そのまま大気に解けるように影は消滅した。
<閃断>から続けざまに<衝波>を放つ。赤光を帯びた剣戟が影を切り裂き、発生した赤い衝撃波が影の群れをまとめて薙ぎ払った。
吹っ飛ばされた影は天上や壁に衝突すると、身体の末端から輪郭を失っていく。その過程も通常のモノとは異なっていた。
生命子である。影は消滅する際に生命子を欠片も還元していなかった。RPG風にいうのならば、一切経験値を入手できないのだ。
透明なカーソル。認識不能。判別不可。プレイヤーでもNPCでもなく、モンスターでもない”なにか”。影は数こそ多いものの、さほど強くはなった。レベル換算で40もないだろう。現にヘキサたちは一撃で影を倒している。
しかし、その数が異常だった。倒しても倒しても際限なく沸いてくる。いくら弱かろうとこれではキリがない。
「ヘキサ! わたしは路を切り開くっすから、リグレットを抱えて一気に出口まで駆け抜けるっす。リンスはわたしが引き受けるっすよ!」
ハルバードを振るいながら声を張り上げるカシス。一振りで数匹の影を両断しているが、その数は一向に減る気配を見せない。
転移石による脱出が不可能な以上、残された脱出手段はダンジョンの出入り口まで引き返し、転移魔方陣を利用してアルツヘイク城に戻るしかなかった。
「で、でも、もしかしたら出入り口も封鎖されているかもしれませんよ!」
「かもしれないわね。……だけど他に方法はないわ。逃げ道があそこしかないのだから、避けては通れない問題よ」
「同感。駄目ならそのとき考えればいい」
方針は決まった。後は目の前の影を蹴散らすだけだ。
「ってなわけで、カシス。やっちまえ!」
「了解っす!」
故に、カシスは速やかに行動を開始した。
ボッと掲げられた左手に濁った光が点った。黒と紫が混じり合った淀んだ輝きが、ボボッと不規則な瞬きを繰り返している。
左手を床に叩きつける。手の平を中心にして広がる濃密な影が床を侵食。ぼこぼこと気味悪く粟立つ影を突き破り、無数の髑髏が出現した。
白骨を覆う黒い甲冑。黒一色の剣と盾で武装した髑髏の軍勢が、瞬く間にその規模を拡大していく。その数、二十体。
霊素と闇素の複合属性。死者を思うがままに蹂躙する屍霊魔法。デスナイト、リンスの本領が、ここに発揮される。
「進軍しろっす! わたしの軍勢ッ!!」
虚ろな眼孔に宿る鬼火。二十の髑髏は剣を振りかざし、麗しき主の号令に下、影に目掛けて、一斉に襲いかかった。
激突する髑髏の軍勢と正体不明の影の群れ。
数は影のほうが断然に優位。際限なく虚空より湧いてくる。単純に数で比較するのならばまるで勝負になるまい。
次から次へと継ぎ足されることを考えれば尚のこと悪い。だが、量は負けていても質は髑髏のほうが影よりも遥かに上だった。
無造作に振り下ろされた剣が、影を一刀の下に両断する。切り裂かれた影は形を失い、残滓すらなく散っていく。
それは対等な勝負ではなく、一方的な掃討戦だ。
攻撃は盾に阻まれて届かず、剣の一閃で一匹ずつ確実に潰されてる。一矢報いることすらできずに、なす術もなく殲滅されていく影の群れ。
ファンシーに保有者が十人しかいないとされるレアアビリティ『怨叉の慟哭』は、保有者に屍霊魔法に対しての適正を付与する。
屍霊魔法は複合属性と云われる、複数の元素を混合させた特殊魔法。屍霊魔法に限らず特殊魔法は、対応するアビリティがないと使えない魔法である。
カシスが召喚した髑髏の軍勢――眷属作成は、屍霊魔法の基本中の基本。術者の手足となる眷属を召喚する魔法であり、なかが召喚されるかは術者により異なる。
「突っ込むっす!」
二十の髑髏を巧みに操りながら、自身もハルバードを振るい、カシスが声を張り上げた。
デスナイトの眷属たる髑髏の軍勢は、文字通り単一ではなく複数で構成されている。彼女が現状で展開できる最大数は五十。髑髏の量と質は反比例し、展開する個数によって性能が増減するのである。
ヘキサはリグレット。カシスはリンスをそれぞれ抱きかかえると、影を蹂躙する髑髏の先導を受けてフロアから脱出した。
予想通り通路にも影が溢れていた。無数の影が犇めき合う光景は不気味で、小さな子供が目撃したらトラウマになるのは確実だった。髑髏の軍勢は二組に別れ、ヘキサたちを挟む位置につくと、前後から迫る影を迎撃する。
異形の影が闊歩する魔窟に、清らかな歌が木霊する。ヘキサに抱きかかえられたリンスの【呪歌】が、小波のように響いた。
『倦怠の哀歌』。敵性対象の動きを鈍らせる【呪歌】。対象が得体の知れない影だったので効くかは不明だったが、どうやら効果はあったようだ。
元から鈍かった動きがさらに遅くなるが、それでも普段に比べて効果の効きが鈍い。これが【呪奏】だったら、効かなかったかもしれない。
バードのメインとするスキルは二つ。楽器の演奏によって効果を発揮する【呪奏】と、歌によって効果を発揮する【呪歌】である。
【呪奏】と【呪歌】。共に極端に使い手の少ないスキルだが、その分使いこなせればパーティに与える恩恵は計り知れない。効果もさることながら、効果対象を使い手の意思で選択可能という点も大きい。
バードは初期にどちらかを選択するわけなのだが、この際、大半のプレイヤーは【呪奏】を選ぶことになる。割合としては、【呪奏】が九に対して【呪歌】は一といったところか。
というのも、【呪歌】の効果が使用者に依存――端的に言ってしまえば、歌が上手ければ効果が高く、下手だと効果が低下するという仕様のせいだ。
物好きのプレイヤーが以前に行なった検証では、同じくらいの熟練度のバードを集めて歌ってもらったところ、最大で効果が二倍以上も違ったそうだ。
しかも戦闘中もずっと歌っていなければならないため、余程の歌好きでもなければ【呪歌】スキルを選択しようと思うプレイヤーがいないのである
対して【呪奏】の効果は大半が楽器に依存するため、誰が使っても安定した効果が望める。効果にムラがないということだ。
ピーキーすぎる【呪歌】スキルと、平均的に扱える【呪奏】。
そもそもバード自体の数が少ないこともあり、【呪歌】スキルの熟練度を上げているプレイヤーの数は、全体数からすればあまりにも少ない。
ファンシーでは、その独特の特性から【呪歌】スキルはレアスキルとされている。とはいっても、スキル自体は初期の段階でスキル一覧に出現している。
スキルが稀少という意味ではない。その使い手がいないという意味での稀少。それが【呪歌】スキルに対する評価でもあった。
天上から上半身を突き出した影を剣で一閃し、ヘキサは視界の端に表示させたマップを見た。現在位置を表すマーカーが先には、大き目のフロアがあり、その中央には転移魔方陣を示す青い光点がある。
青い光点が明るく点滅しているのは、アクティブ状態であることを指している。マップを見る限り転移魔方陣は起動しているようだ。後は実際に辿りついたときに、使用できることを天に祈るだけである。
先陣をきる十体の髑髏が立ち塞がる影を駆逐し、最初のフロアに到達した。フロアに踏み入った髑髏は魔方陣までの路を確保すべく、室内の中央へと直進する。髑髏の背中越しに発光する転移魔方陣が見えた。
「よし。起動してるな。一気に飛び込む――な!?」
魔方陣まで到達した十体の髑髏が一斉に四散した。
バラバラに切り裂かれ消滅した髑髏を目前にして、ヘキサとカシスは急制動をかけた。目を見開く彼らの視線の先に、それは悠然と立ちはだかっていた。
それもまた影。しかし、群がる影とは明らかに別物だった。子供の落書きのような他の影とは違い、その影は真っ当な人の形をしていた。
薄っぺらい二次元ではなく、人としての厚みもある。輪郭から自分たちと同じくらいの少年だとも判別できた。それにカーソルこそ変わらず無色ではあったが、頭上に赤いゲージ――HPバーが存在している。
「ボスの登場ってか。笑えないな」
起動する魔方陣の前。ヘキサたちの直線上に立つ影。ここから出たければ自分を倒せとでも言いたげに、影は不敵にこちらを睥睨していた。