第八章 闇の胎動(3)
どうしてこうなった。どうしてこうなった! どうしてこうなった!?
なにがなんだかわからない。ヘキサのいまの荒れに荒れた内心を一言で表すのならば、まさにその一言につきた。
意味が不明すぎる。なんでこんな災難が自分の身に降りかかっているのか、誰でもいいから胸ぐらを掴んで問い詰めたかった。
石壁の通路に複数の足音が木霊する。他には物音一つしないため、彼らの足音だけが迷宮内に甲高く反響していた。
ヘキサたちが転移した先は、無機質な石で構成されたダンジョンだった。
石壁で造られたダンジョンは暗くて冷たかった。代わり映えのしない灰色のダンジョンが延々と続いているため、おどろおどろしい雰囲気もあり、内部にいる者は言い知れぬ圧迫感を受けることになるだろう。
だが、生憎とヘキサには関係なかった。より正確にいうならば、ダンジョンの雰囲気などに気を割く余裕など微塵もなかった。
何故ならばダンジョンなどよりも遥かに怖いモノが、自分の背後にあるのだから。具体的にいえば女子三人組みである。
背後から無言でついてくる三人が怖くて、気軽に振り返ることができない。気のせいか変なオーラが飛んできているようにすら思えた。
「マジで勘弁」
胃の辺りを手で押さえながら顔をしかめる。息が詰まりそうな空気に酔って、なんだか吐き気がしてきた。
どうしてこうなった、と今日一日だけで何度言ったかも覚えていない。馬鹿みたいに連呼していたことは記憶しているが。
それというのも全部このダンジョンが悪いのだ。ふらふらと周囲に視線を彷徨わせながら、心中で強くダンジョンへの苛立ちを募らせる。
いままで様々な種類のダンジョンに潜ってきた。
形式も様式も多彩。異様にモンスターが強いダンジョン。かと思えば、肩透かしを食らったこともあった。トラップが満載で死にかけたことや、宝箱に一喜一憂したこともあったし、事前情報なしで突っ込んで返り討ちにあったときもある。
とにかくそんなヘキサをして、このダンジョンの仕様には大いに驚愕させられた。
完全に想定の範囲外だった。誰が予定できよう。”モンスターが一匹もでないダンジョン”なんて代物、事前に想定しろというほうが無茶だ。
エンカウントするしないという話ではない。本当に文字通りモンスターがいないのだ。地下迷宮に入って三十分くらいが経過するが、いまだに一度もエンカウントしていないのは一体全体どうしたことなのか。
老人の話では外に出れない怨霊で溢れかえっているという話だったが。ふざけんな。怨霊どころかモンスターが一匹もいないじゃないか。
「……モンスターのいないダンジョンとか誰が得するんだ」
愚痴る気力もなく、弱々しい声色がダンジョンの湿った空気を震わせた。
否、普段だったら歓迎するかもしれない。レベル上げが目的ではない以上、余計な戦闘を省くという意味では最高のシチュエーションである。
”普段”だったのならば。そして、いまが普段かと問われれば、ヘキサはもげんばかりに首を横に振り続けるだろう。
ぶっちゃけ気まずかった。
アルツヘイク城のときは定期的にモンスターと戦っていたのが、ある種のガス抜きになっていた。しかし、ここにきてモンスターが姿を消したことで、彼女たちのほうからのプレッシャーが一気に増したように思えた。
自分の誇大妄想かもしれないが、会話一つなく黙々と歩き続けるだけの作業は、中々精神にくるモノがあった。
どうしてこうなった――と暗澹たる気持ちなりながら、思考をからからと空回りさせるヘキサ。首を捻りながら考えを巡らせる。
おそらくだが、カシスとリンスは自分と合わせて”三人”で、クエストをクリアするつもりだったのではなかろうか。そこに自分が突然リグレットを連れてきたら、そのことに腹を立てているのではヘキサは理解した。
多分、外れてはいないと思う。
――また昔みたいに。それは常日頃から白髪の少年が考えていることでもあるから。そうなればどんなにいいだろう、と夢を見ずにはいられない。
≪幻影の翼≫は僅か八名のギルドだった。そのためパーティも毎回固定で、パーティメンバーがそのままギルドのメンバーでもあった。
ギルドメンバー間の仲は良好。少数故に他のギルドよりも仲間の絆は強かった。ヘキサはそう自負していたし、それが密かな自慢であった。
『鮮血の魔女』なんて物騒な名前で呼ばれていた団長アイリ。団長の恋人だった――本人たちはわかりやすく否定していたが――『疾風』と呼ばれていた副団長カイト。
それから『死霊騎士』カシスと『謳姫』リンス。恋人同士の――当然のように否定――クイナとリコ。二つ名未満だったが二人とも優秀なプレイヤーだった。
残りの二人。一人は自分。そして、もう一人。名前を口にすることすら憎悪を抱く、後に『殺幻鬼』と呼ばれるようになる”あいつ”。
あの裏切り者をヘキサは――”俺:ぼく”は絶対に許さない。
どろりと濁った思考が流れ込んでくる。生と死の狭間。怒りに狂った狂人の思考。乖離する自己領域。それは自分ではない自分に他ならない。
報いをくれてやる。ほうふくしよう。許してなるものか。はかいしよう。絶対に見つけだす。ちをささげよう。見つけだして殺す。まっかなまっかなあかいちを。かみさまきどりの”あばずれ”を。ころしてちにくをささげよう。殺して殺して殺して殺して殺してコロシテコロシテころしてころ――
「――ヘキサッ!!」
黒髪の少女の一喝でヘキサは、汚泥のような思考から我に返った。キョトンとして目を瞬かせ、眼前にあるリグレットを凝視する。
顔を青ざめさせて焦りを露にしている。彼女と行動するようになってから、一度も見たことのない表情だった。
「”なに”を見たの?」
「ン? あれ……俺は……なにをして……?」
「いま貴方は”なに”を認識したの!?」
”なに”をとはなんだ? がくがくと両手で肩を揺さぶられ、曖昧模糊の意識と記憶を手繰り寄せる。手の届かない過去を振り返った。そこまでは覚えている。
問題はその先だ。覚えてない。まるでその部分だけ削り取られたかのように、我に返る直前に考えていたことが思い出せなかった。
耳鳴りがして、頭が鈍く痛んだ。
「そんなまさか。早すぎる」
リグレットが洩らした一言。それは耳鳴りと頭痛に頭を押さえるヘキサの耳には届いていなかった。幸い症状はすぐに治まった。面を上げたときには、いつもどおりの澄まし顔がそこにはあった。
「リグレット? 俺はなにを……?」
「……体調が悪そうだけど、どこか具合が悪いのかしら?」
「え? ……いや、もう大丈夫。なんともないよ」
「そう。ならいいわ。ほら、もっとしっかりしなさい。彼女たちも心配してるわよ」
言われるまま視線を横にズラせば、カイスとリンスが困惑と心配がない交ぜになった様子で、こちらを不安げに見ている。
「調子がよくないんすか。突然立ち止まってびっくりしたっす」
「ヘキサ様。体調がよろしくないのであれば、今日は一端引き帰して、また日を改めませんか? 無理をするのはよくないです」
「いやいや、大丈夫だって! ちょっとぼんやりしてただけだからさ」
答えながらヘキサは強烈な違和感に襲われた。
本当にそうか、と自問自答する。なにかがあった。だが、なにがあったかが記憶にない。無理に思い出そうとすると頭が酷く痛んだ。
それにリグレットにも別のことを訊かれていたような……。などとぼんやりしていると、申し訳なさそうな調子でカシスが言った。
「ごめんっす、ヘキサ。大人げなかったっすね」
「すみませんでした」
どうやら二人はヘキサの変調の原因が、自分たちだと思ったようだ。確かに精神的に参ってはいたが、それとこれとは別問題である。
「リグレットも悪かったっすね。せっかくきてくれたのに……すまなかったっす」
「私もです。ごめんなさい」
「謝る必要はないわ。私も意地悪してごめんなさい。貴方たちの仲が良さそうで、ちょっと妬いていたの。反省しているから許してくれないかしら」
「許してくれなんて、そんな……こちらこそ不快な思いをさせてしまって――」
訂正しまいかヘキサが逡巡していると、彼女たちはお互いの態度を謝罪し合っていた。改善された雰囲気を感じて、とりあえず彼は口を閉じることにした。
合点がいかない部分こそあるものの、これで戦闘に集中できそうだった。色々とあったが結果オーライだな、と一人納得する。
――その耳元で、”なにか”が嗤っている気配がした。