第八章 闇の胎動(2)
視界の端を見やれば、カシス・リンス・リグレットの順に名前が羅列され、その横にそれぞれのHPバーとMPバーが記されている。パーティ機能によって、パーティメンバーのステータス情報が表示されているのだ。
パーティの上限は十人。レベル差によってパーティが組めないということはないが、配分される経験値にはレベル差補正が入るようになっている。
ドロップアイテムの分配方法も設定でき、現在の設定はパーティ共通の格納スペースにまとめて放り込まれるようにしてある。入手したアイテムについては、ダンジョン帰還後に山分けすることになっていた。
彼女たちにヘキサを含めた四人パーティ。それが今回のクエスト『虚ろなる飢魂の水晶球』に挑むパーティメンバーである。
『虚ろなる飢魂の水晶球』は昨夜、カシスとリンスがメダルの交換条件にしたクエストである。元々、そのクエストを発見したのは偶然だったそうだ。
カシスたちが『虚ろなる飢魂の水晶球』を見つけたのは、千界迷宮76層『災禍の夜空』。フィールドの端にある寂れた村の老人からだった。
老人曰く、いまはもう亡霊の住処となってしまった古城アルツヘイクの地下には、隠された秘密の迷宮がある。迷宮の最深部のフロアには飢魂の水晶球なる秘宝が存在し、それが原因でアルツヘイク城は滅びてしまった。
玉座の間の亡霊騎士は地下迷宮の番人でもあり、彼らを倒した者のみが地下迷宮に挑む権利が与えられる。頼む、飢魂の水晶球を破壊してくれ。本来ならばアルツヘイク城最後の生き残りである自分がすべきことだが、もはや老いてそれは叶わぬ。
だから自分の代わりに飢魂の水晶球を破壊してくれ。アルツヘイク城の呪いを解いてくれと、それが老人からの依頼だった。
今回のようにマリーゴールドからではなく、NPCから受けられるクエストは一回限定のモノが大半を占め、報酬なども通常クエストよりも格段に良いのだ。
千界迷宮にはこうしたクエストが数多くあり、未だに手付かずのまま放置されているのである。情報屋の中にはこうした未発見クエストを専門に扱う者もいるくらいだ。
迷宮が広大なため手が回らなかったり、不人気の界層故に最短で攻略されていたり、新しく追加されたクエストだったりと放置されている理由は様々だ。
また『虚ろなる飢魂の水晶球』のようにプレイヤーが”特定のアビリティやスキル”を保有していることが発生条件だったりするケースもある。
そうした意味でカシスたちが『虚ろなる飢魂の水晶球』を発見できたのは本当に偶然だった。運も実力のうちだということなのだろう。当初は三人で攻略しようという話だったのだが、それに待ったをかけたのはヘキサだった。
その界層における適正レベルは、長年の経験則に基づき、該当界層から+5したレベルだと云われている。
ヘキサのレベルは93。カシスは88。リンスは85。いずれも現在の界層の適正レベルよりも十分に上なのだが、気になるのは隠しダンジョンの難易度である。
マップが切り替わった途端、モンスターの種類と強さが変わるなんてよくある話だ。そうなった場合、三人だけでクリアできるかわからない。
未知のダンジョンであるため構造も把握できない。文字通り命がかかっているわけで、最悪危ないと思ったら撤退する選択肢もあるが、できることならば万全を配したかった。
ヘキサの型は方術特化のフォースブレイド。カシスは方術・魔法混同型のウォーリア。どちらも単騎での突破力に秀でた、攻撃重視のスタイルだ。
また後衛であるリンスのスタイルは吟遊詩人。味方の強化から敵の弱体化までこなす、後方支援のスペシャリストといったところか。
反面、支援型の宿命として単体での攻撃力は皆無な上、防御力も紙である。格下の攻撃でも当たればただではすまない。
前衛二人に後衛一人の構成。できるならばもう一人魔法職、回復魔法を使えるプレイヤーがほしかった。
もちろんヘキサたちはポーションによる自力回復の手段もあるし、【呪歌】には仲間を回復させる歌もあるが、ヒーラーがいるかいないかで生存確率が大きく変わるのは確かだ。
そうした思惑もあり、ヘキサはリグレットに助っ人を頼み、今回のクエストに彼女も参加する流れになったのだが、どこをどう誤ったのかご覧の有様である。
流石に戦闘中まで諍いを持ち込むような愚行こそないが、戦闘の合間に何度もこんなやりとりが飛び交い、ヘキサはすっかりグロッキー状態だった。
「それにしても、ヘキサも随分と面白い人たちと友人なのね。貴方の友好関係って、狭いようで広いわよね」
「わたしたちのことを知ってるっすか?」
「ええ、もちろん。『死霊騎士』カシスと『謳姫』リンスといえば、知らぬ人はいない有名人じゃない」
片や箱庭世界に十人しかいないレアアビリティ『怨叉の慟哭』持ちのウォーリア。片や絶滅種に近い【呪歌】型のバード。共に二つ名持ちのプレイヤーとして、箱庭世界にはその名前を馳せている。
「無名の身としては羨ましいかぎりだわ」
「……よく言うっすよ」
黒髪の少女は自分を無名と言う。確かにリグレットという名前は聞いたことがない。だが、彼女はそれが不可思議でならなかった。
「光に霊属性。それに風系統の魔法も使ってたっすよね。どうしてそれだけの魔法が使えて、いまだに無名なんすか」
自己申告によるリグレットのレベルは86。スタイルは状況に応じて複数の属性を使い分ける複合魔法使い。
一般的に三元素を操れるとなれば、間違いなく魔法使いとして大成する器だといっていいはず。これほどの使い手。ましてや希少な霊属性――回復魔法――を使えるのならば、引く手数多なのは想像に難くない。風の噂くらい聞こえてもよさそうなものである。
「さあ? どうしてかしらね。普段は一人で行動することが多いからかも。こう見えて人前にでるのは苦手なの」
魔法使いでソロ。真っ当な言い分とは言えなく、怪しいことこのうえない。どうしてヘキサはこんな身分の怪しい女と一緒にいるのだろうか。
≪幻影の翼≫でパーティを組んでいた自分たちを差し置いて。自分たちはそれ程、彼から信頼されていないというのか。
それが悔しかった。大体、このクエストだって本当は”三人”で受けたかったのだ。人数は減ってしまったが、また昔みたいにパーティを組みたかったのである。
むろん、彼が自分たちの身を案じて彼女を呼んだことはわかっている。それでもやはり納得できない蟠りが二人にはあった。
恩人。パートナー。ヘキサは彼女を相当信用しているようだが、もしかして色香に誑かされているのではと邪推してしまう。
なにしろこの美貌だ。シミ一つない真っ白な肌。人形のように整った容姿。ヘキサが惑わされたとしても不思議ではない。
「なんて……それはないっすね」
周りに聞こえないような小声でつぶやく。
自分の思考を否定する。ヘキサに限ってはそれはない。彼はそんなことでは動かない。彼が動くとしたら、それは心情的なモノに違いない。
それが判別できないほど、自分たちと彼の繋がりは浅くないと信じている。
「カシス?」
「……なにしてるっすか。ここからが本番っすよ」
「えーと、リンス?」
「そうですね。……ヘキサ様、早く行きましょう」
明らかになにかしらの含みのある語調だったが、ヘキサはなんと声をかけていいのか迷った挙句、結局は口をもごもごとさせて閉じてしまった。
吐息を一つ。ヘキサはポーチに手を突っ込むと、中から拳大の硝子球を取り出した。一見するとただの硝子球のようだが、目を凝らせば内部に魔方陣が刻まれているのがわかる。
クエストをするにあたり、ヘキサたちは二つのアイテムを老人から受け取っていた。
一つは飢魂の水晶球を破壊するための短剣。もう一つは玉座の間から地下ダンジョンへの鍵である硝子球。つまりいまヘキサが手にしているモノである。
ヘキサはおもむろに硝子球を頭上に掲げると、思いっきり床に叩きつけた。小気味いい音を立てて硝子球が砕け散り、内部に刻まれていた魔方陣が発動した。
一瞬だけ玉座の間に眩い閃光が走った。光が消えたとき、床には白く発光する魔方陣が展開されていた。地下迷宮へ転移するための魔方陣である。
ちなみにこれは守護者である亡霊騎士がいない間にしか使えないらしく、発動させれば後は上に乗るだけで、対象者を転移させる仕組みだそうだ。
四人が魔方陣の上に乗ると、刻まれた紋様が激しく瞬き、次の瞬間にはヘキサたちの姿は玉座の間から掻き消えていた。