第八章 闇の胎動(1)
どうしてこうなった。
さっきからずっと同じ言葉ばかりが、頭の中をぐるぐると巡っている。いくら考えてみても理由がわからない。一体、どこで間違ったのやらだ。
空回りする思考にしかし、身体のほうは半ば自動的に反応した。
大上段から振り下ろされた大剣をヘキサは半身になってかわす。すれ違いざまに一撃入れると、ついでに蹴りを叩き込んで体勢を崩した。
ヘキサと立ち位置を入れ替えるように、ハルバードの柄を握りしめたカシスが、亡霊騎士の懐に飛び込んだ。唸りを上げるハルバードが、亡霊騎士の甲冑を砕いた。金属の破片が床を叩き、砕けた甲冑の隙間から黒い靄が噴出する。
身悶える亡霊の鳩尾を回転させた柄が抉り、全身甲冑を纏った体が、不気味なほどあっさりと宙を舞う。空中で身動きのとれない亡霊騎士に光の刃が突き刺さる。
光属性の刃が内部から亡霊の身を浄化し清め、頭上から降ってきたヘキサの剣が、止めの一撃を見舞った。赤い色のバーがぐぐっと減少し、止まることなくHPを削り切る。
床に叩きつけられた亡霊騎士は腕を頭上に伸ばすが、そのまま一矢報いることもなく、力を使い果たして消滅してしまった。
後二つ。乱れ舞う光の粒子を横目に、突き出させる槍を盾で弾く。横殴りの一撃は槍の側面を叩き、翻った刀身が赤い輝きを帯びた。
外力術式<鏃>。返礼とばかりに鏃の形状に圧縮された閃光が、亡霊騎士の胸に叩き込まれた。鋭い突きの直撃に亡霊騎士は後方に吹き跳び、轟音を立てて壁に衝突。半分にまで削られていたHPがさらに減少して、黄色から赤に変化した。
アルツヘイク城の最奥。王の間の守護者。現在、ヘキサたちが挑んでいる古城型ダンジョンのボスモンスターである、三体の亡霊騎士との戦闘も佳境を迎えていた。
大剣使いクレイモア。槍使いランス。大槌使いハンマー。
三体の亡霊騎士の内、もっともトータルバランスに優れていたクレイモアは先程撃破した。ランスのHPは三割を切っている。最後の一体であるハンマーのHPは八割以上残っているが、カシス一人で相手にするには十分だろう。
ラ――ラ――ラ――。玉座の間に透明な歌声が響く。
『悲嘆の挽歌』。敵性対象の防御力を低下させる【呪歌】スキル。桃色髪の少女が紡ぐ歌が枷となり、亡霊騎士に絡みつき力を阻害する。
他にも、敵性対象の攻撃力を低下させる『倦怠の哀悼歌』。敵性対象の敏捷を低下させる『怠惰の悲歌』などの重ね掛けにより、亡霊騎士の能力は三割ほど低下していた。反対にヘキサたちは、【呪歌】により戦闘能力が強化されている。
仮にも70後半界層のボスクラスの一撃。それも高威力が売りである槍の一撃を簡単に弾けたのも、彼女の【呪歌】の効果によるものでもあった。
よろよろと起き上がるランスに肉薄する。ランスもそれを察知して槍を振るうが、蓄積ダメージと弱体化により呆れるほど遅かった。
構わず強振して切っ先を逸らす。目標を失った槍は空を切り、ヘキサは難なくランスの懐に潜り込んだ。外力術式<閃断>。高速の四連撃がランスに吸い込まれ、四撃目の上段からの斬り下ろしがランスの甲冑ごとHPを断った。
黒い靄を破損箇所から垂れ流しながら、HPバーがゼロになった瞬間、ランスの体が消滅した。背後の戦闘音に振り返ると、ハンマーと至近距離でやり合うカシスの姿が見えた。
すぐさまカシスの援護に回ろうとし、半分にまで削られたハンマーのHPに動きを止めた。どうやら自分が加勢する必要はなさそうだ。
「――ハアッ!」
劈くような大音響。大槌と戦斧が激突し、発生した衝撃波に栗色の髪がなぶられ靡いた。カシスとハンマーの拮抗は一瞬だけ。競り合いに勝ったのは少女だった。大槌が大きく後方に弾かれる。
ハンマーの武器である大槌は、隙こそ大きいものの単純な攻撃力ならば、全武器の中でもトップクラス。正面からやり合うのは本来ならば分が悪いはずなのだが、カシスはまるで問題にせず、平然と真っ向からぶつかっていた。
カシスは一歩踏み込むと、振り抜いたハルバードを再び翻した。
ハンマーは際どいところで上体を引き起こし、大槌でハルバードを受け止めるが、体勢を立て直しきれずに、今度は拮抗すらしなかった。
三度、振るわれたハルバードが、ハンマーの甲冑を切り裂いた。裂け目から黒い靄が溢れ、頭上のHPバーが、がくんっと削られる。
内力術式<金剛>。<息吹>からの派生型方術である<金剛>は、主に使用者の筋力を飛躍的に高めるが、それだけでは説明できないほど強化されていた。【呪歌】を考慮したとしてもあまりに一方的である。
それというのも彼女の特異体質故だった。稀に特定の方術とのみ、異常に相性のいいプレイヤーが存在し、彼らは通常ではありえない効率で方術を発動するという。
その一人がカシスであり、彼女の場合は<金剛>がそれに該当するのである。細腕からは想像できない怪力の正体がそれだ。加えて、彼女は真骨頂というべき能力をまだ見せていない。見せるまでもないということなのだろう。
ヒュンヒュンと音が鳴り響く。カシスの頭上に掲げられたハルバードが高速で回転し、周囲に山吹色の閃光が散っている。
「これで終わりっす!」
山吹色の光を帯びた刃が、ハンマー目掛けて振り下ろされた。
最後の亡霊騎士は大槌での迎撃を試みるが無駄だった。まるで暴風に巻き込まれたかの如く、ハンマーの両腕から大槌が吹っ飛んだ。
武器を失ったハンマーを直撃するハルバード。火花を散らせる刃が甲冑に食い込み、威力を落とすことなく甲冑を真っ二つに両断した。
外力術式<螺旋撃>。武器を回せば回すほど威力が上がる高火力の技。発動が遅く事前準備に時間はかかるが、その威力は凄まじく金属を紙のように引き裂く。
下半身がその場に崩れ落ちる。宙に舞った上半身は石の床を何度かバウンドすると、転がりながら輪郭を失い消滅した。下半身もまた同じく消え失せた。
周囲に他のモンスターがいないかを確認し、ヘキサは剣を左右に払って鞘に収めた。ボスモンスターを倒したことだし、本当ならここで一息吐きたいところだが、むしろ本番はこれからだった。――二重の意味で。
「やったわね、ヘキサ」
「うぇ!? ……あ、リグレット?」
不意に背後からかかった声に、驚きながらも振り返る。なにやら怯えた雰囲気を見せるヘキサに、リグレットは小首を傾げた。
「なにをビクビクしてるの? 戦闘はもう終わったのよ。……ああ、でもちょっと物足りなかったかしら。結局、私はほとんどなにもしてないもの」
白い宝石が象嵌された短杖を手持ちぶたそうにしながら唇を尖らせる。先程のボスモンスター戦、彼女は始終支援に徹して、ほとんど戦闘に参加していなかった。攻撃に回ったのはクレイモアに止めを刺したときくらいである。
「それなら大丈夫。これから大活躍してもらう予定だからさ」
「そう? ふふ。期待しているわ」
「あ、ああ……えっと……それで……リグレット?」
「なにかしら?」
「その……なんか、近くないか?」
息がかかるくらいの距離にある美貌に、ヘキサは上半身を引き気味に言った。会話する距離は異様に近かった。まるで”誰かに見せつける”かのように。
「……離れるっす。ヘキサが困ってるっすよ」
平坦が声が耳朶を打つ。ごくりと唾を飲み込み、錆びた動きでそちらを見やれば、カシスとリンスが並んで立っていた。
ただ立っているだけ。にも関わらずなんだろうか? この背筋が凍るような圧迫感は。意味不明なプレッシャーに冷や汗が止まらない。
「あら、そうなの? ヘキサ。私って迷惑かしら?」
「え? ……いや、そんなことはないけど……でも、できれば離れ――」
「迷惑じゃないそうよ。これで問題ないわね」
語尾が尻すぼみに消える。言葉を最後まで言わせてももらえなかった。
「困ってるっすよ。ヘキサは小心者だから言えないだけっす。ヘタレっすから」
「そうです。間違いなくヘキサ様は困っています。ただそれを口にだせないだけです。ヘタレですから」
そして、連呼されるヘタレコール。カシスとはともかくとして、リンスにまでヘタレ扱いされて本気で落ち込むヘキサだった。
「ふうん。随分とヘキサに詳しいのね」
「当然っす。リグレットとは年季が違うっすよ。なんたってわたしたちとヘキサは、ずっと同じギルドにいた仲っすよ」
「そうなの。でも、私も負けてはないわよ。なにしろ彼とは、同じベットに横になって、胸を揉まれた仲ですもの」
爆弾発言に玉座の間の空気が凍った。ひゅっと自分の喉から空気の抜けるような音がしたのを、ヘキサは寒気を感じながら聞いた。
「ヘキ、サ……様……? いまのお話は? まさか、本当に――」
「いやいやいや!? 事故! 事故、不可抗力だから……ッ!」
「――揉まれたことは否定なさらないんですね」
「う……あ……っ」
いまだかつてリンスから耳にしたことのないような声色に、二の句が告げずに口をぱくぱくとさせてしまう。というか、リンスさん? 目に光がないですよ? そうは思いながらも、怖くて言葉にはできなかった。
どうしてこうなった。どうしてこうなった! 自分はみんなのことを考えたつもりなのに。なにがどう捻じ曲がって、いまのような状況に陥っているのか。なんだってこいつらは、初対面の癖にこんなに仲が悪いんだ。
カシスはリグレットに敵対的だし。礼儀正しく心が優しい――≪幻影の翼≫の清涼剤とまで言われていたリンスまで、リグレットに対して敵意を滲ませている。
かと思えば、リグレットはリグレットで妙に挑発的だし。一体ここでなにが起こっているのか。誰か俺に教えてくれ、と心の中で声を大にして白髪の少年は叫んだ。