第七章 過去の残影(4)
≪幻影の翼≫。
そのギルドの名前を直接的に知る者は少ない。
ハイレベルプレイヤーで構成された『王城派』ギルド。
少数精鋭のギルドで構成員は十人にも満たなかったものの、団長である『鮮血の魔女』に副団長の『疾風』をはじめてとして、『死霊騎士』や『謳姫』などの”二つ名持ち”ないしは、それに準ずる力量を保有したプレイヤーばかりが所属しているギルドであった。
このギルドを語る上で重要な要素が三点ある。
一点目は≪幻影の翼≫のギルドメンバー全員が、元は≪暁の旅団≫に所属していたプレイヤーであり、古巣から離脱する形で結成されたギルドであること。
次に二点目は結成から解散に至るまでが一ヶ月に満たない。活動期間が極端に短いことだ。詳しい理由を知る者はいない。ただ断片的な情報を繋ぎ合わせると、ギルドホームをPK集団に襲われて、主要メンバーが死亡してしまったのが原因らしい。
そして、最後に三点目。≪幻影の翼≫が後に世間を騒がす、”二人”のPKの所属してギルドだということである。これこそが≪幻影の翼≫を直接的に知らなくても、間接的に知るプレイヤーが大多数になった最大の理由に他ならない。
一人は『人喰い』。
”二代目”マンイータ、ヘキサ。
殺人鬼A。”初代”マンイータの遺志を継ぐ者。かつて箱庭世界を恐怖のどん底に叩き落した、最強最悪のプレイヤーキラーの後継者。
千界迷宮の攻略において一役買ったであろうギルドの解散にまつわる謎は多い。
いくら考察を重ねたところで答えがでることはなく、その謎の答えがでる日は果たして訪れるのであろうか。それを知る彼はいまでも口を噤んでいる。
そして、もう一人のPK。殺幻鬼。消息の掴めぬ彼の存在を、白髪の少年はいまでも追い続けている。
パチパチと火の粉が弾ける。
集めた木片を燃やした焚き火を囲い、三人は久方ぶりの再会を果たしていた。揺らめく炎が周囲を赤く照らし、地面に長い影を落としている。
「はい、ヘキサ様。どうぞ飲んでください」
「ありがと。――痛っ。いててて。うう……口に沁みる」
リンスから受け取ったコップに口をつけた途端、口内の切り傷に紅茶が沁みて、ヘキサは目に涙を浮かべて悶えた。
なにせ手甲をつけた状態でのビンタだ。張られた頬も腫れ上がっているが、むしろこの程度で済んでよかったと思うべきだろう。
「もうっ。カシスさん、やりすぎです! 頬っぺたが真っ赤に腫れてますよ!」
「わたしは悪くないっす。ヘキサの自業自得っすよ」
窘められたカシスは素知らぬ顔で紅茶を飲むと、焚き火に木片を放り込んだ。パチン、と一瞬だけ炎が大きくなり、立ち昇る煙が夜空に吸い込まれていった。
「本当にポーションを飲まなくてよろしいのですか。痛みが酷いようでしたら、我慢しないほうがいいですよ」
「んー、大丈夫。このくらいなんともないって」
安易に回復薬に頼らないのは自分への戒めでもあった。この傷は甘んじて受け入れるべきだろうと、なんとなくそう感じたのだ。
「……思っていたよりも元気そうっすね」
「ええ。お元気そうでなによりです。≪幻影の翼≫がなくなって、ヘキサ様と連絡が取れなくて……ずっと心配してたんですよ?」
「二人も元気そうでよかった。俺も心配だったから」
フレンドリストのプレイヤーの名前は黒いモノと白いモノの二色がある。黒はログアウト状態を示し、白はログイン状態を示している。また、リスト対象プレイヤーが死んでしまった場合は、名前が灰色になり横線が入るため、彼女たちが死んでいないことだけは、フレンドリストから確認できていた。
「その割には連絡一つ寄越さなかったっすよね。こっちからの着信設定も拒否って。もしてかしてわたしたちのことなんて、どうでもよくなったんじゃないっすか?」
「カシスさん! せっかくこうして再会できたのに、どうしてそう――」
「いや、いいんだ。カシスの言うとおりだから」
連絡すらしなかったのは事実。例え理由があろうとも、彼女たちを避けていたのはヘキサのほうなのだ。どのように罵られても仕方がない。
「すみません、ヘキサ様。カシスさんも天邪鬼だから……その、素直になれなくて。本当は凄くヘキサ様のことを心配しているのに」
「し、してねぇっす! わたしはヘキサのことなんて、心配なんてしてねっすよ! ……あ、なに笑ってるんすか!? いまヘキサは怒られてるんすよ!!」
「ごめん。つい懐かしくてさ」
頭上を見上げると暗闇に浮かぶ二つの月。寄り添う二つの月の周囲には無数の星の輝きが瞬いている。空気が澄んでいるからなのか。現実で見る夜空よりも星の輝きが強かった。
懐かしい光景だった。昔はギルドのメンバーとこうして夜空を眺めたモノだ。リンスの歌が懐かしかった。カシスの独特の口調が懐かしかった。まるでこのときだけは以前に戻れた気がして、自然に笑みが零れてしまうくらいだ。
「二人はずっと一緒にいたのか?」
「はい。≪幻影の翼≫が解散になってからは、カシスさんと行動していました」
意外だった。てっきりどこかのギルドに入っているものだとばかり。彼女たちの腕くらいならば、欲しがるギルドなど数多だと思うのだが。
「ギルドに誘われたことも何度かありましたが、私もカシスさんも入る気にはなれなかったんです。……どうしても≪幻影の翼≫の皆さんを思い出してしまって」
「そ、そうだ! 二人はどうしてここにきたんだ? なにか用事でもあるのか?」
しんみりとした空気が流れる。リンスとカシスの悲しげな横顔にヘキサは、空気を変えようと矢継ぎ早に言葉を発していた。しかし、質問の内容が悪かったらしい。
二人は揃って驚いた様子でヘキサの顔を見た。彼女たちの反応の意味がわからず、戸惑い視線を彷徨わせていると、カシスが呆れの混じった嘆息を吐き出して言った。
「それ本気で言ってるんすか? じゃあ、ヘキサはなにをしにきたんすか?」
「俺か? 俺は……偶然の積み重ねかな?」
「はあ。本当に気がついてないみたいっすね。……あれを見てくれっす」
彼女がちょいちょいと指差す先。≪幻影の翼≫のホーム――残骸となってしまった家の前には、花束が供えられていた。
「今日は何日っすか?」
「なんだよ、いきなり話が飛んだぞ」
「いいから早く言えっす」
「二十一日だろ? それがどうか、し……た……か……」
再び急かされてヘキサはそう返答し、自分の言葉に顔を青ざめさした。
≪幻影の翼≫。花束。二十一日。それらの単語が頭の中で一つになり、自分の愚かさにヘキサは二の句が告げなくなってしまった。口をぱくぱくとさせながら、それでも彼は搾り出すように答えを口にした。
「今日は……≪幻影の翼≫が解散した日だ」
どうして忘却していたのか。
『原点』を忘れるなど自分の行動を否定するようなものである。失態――なんてレベルではない。少なくともヘキサの中では、決してあってはならないことだ。
「わたしたちは毎月、二十一日には花束を供えにきてるっす。こんなことで皆の供養になるとは思えないっすけど、なにかしたかったから。……てっきりヘキサもそのつもりだと思ってたっす。でも、違ったみたいっすね」
カシスの落胆を含んだ言葉が胸に突き刺さった。
「悪い。ゴメン。俺、そんなつもりじゃ……ホント、なにしてんだ。こんなんだから……俺は……ごめん。謝って済む問題じゃないけど本当にごめん」
”手段”と”目的”を違えるな。誰かに昔、聞かされた言葉が脳裏を過ぎる。あれは誰に言われた言葉だったか。
自己嫌悪に襲われて両手で頭を抱えて俯いていると、横から伸びてきた手が丸まったヘキサの背中を優しく撫でた。
「落ち着いてください。私もカシスさんもヘキサ様を責めているわけではありません。そうですよね、カシスさん」
「こっちに振らないでくれっす。……そうっすね。後悔しているならこれから忘れなければいいんじゃないっすか」
「悪い。わかった。もう絶対に忘れない」
なんだか今日は謝ってばかりな気がした。謝ることばかりやらかしているのが、カシスの言うとおりせめてこれからは忘れないようにしようと決意する。
「そうしてください」
ふふっと微笑すると、リンスは続けて言った。
「それはそうと、ヘキサ様は普段なにをしているのですか?」
「わたしも気になるっす。掲示板からじゃ≪聖堂騎士団≫相手に、大暴れしているくらいしかわからないっすよ」
「言っとくけど暴れたくて暴れてるわけじゃないからな。……メダルを集めてる」
「メダル……? アニクエのことっすか?」
こくりと頷くとヘキサは彼女たちと別れてからの行動を話した。
『忘れな竜の聖杯』のクリアを目指していること。いまは一次選考を突破するためにパートナーと一緒になって、メダルを回収している最中であること。現時点までに八枚が手元にあること。等々を言葉足らずながら二人に聞かせた。
「そうなんですか。いまはそのパートナーの方と一緒にいられるんですね」
「パートナーって言っても、アニクエの間だけだぞ。……まあ、あいつのおかげで大分助かってるから無碍にはできないかな」
パートナー。一緒に行動している。その単語に一瞬だけ顔色を変えた二人に気がつくことなく、紅茶を飲みながらヘキサは言った。
「ふーん。そうすっか。パートナーすっか」
「なんだよ。言いたいことがあるなら言ってくれていいんだぞ」
心なし不機嫌さが増したように見え、訊ねてはみたものの彼女は唇を尖らせるばかりで、それ以上言及してはこなかった。
「別に。なにもねーっすよ。それよりこれを見てくれっす」
言ってカシスが取り出したのは一枚のメダルだった。ヘキサにとっては八枚目になるメダルである。彼は彼女の顔とメダルを交互に見た。
「レベル上げの最中に偶然『メダルモンスター』を見つけたっす。もっとも、わたしはアニクエに参加するつもりはないんで、無用の長物っすけどね。ちょうど欲しいプレイヤーに売っぱらおうかと考えてたところっす」
「本当か!? なら俺に売ってくれ。言い値で買うから」
「まさか。”元”ギルドメンバーから金銭トレードなんてできないっすよ。そこまでわたしは薄情者じゃねえっす。だからお金はいらないっす。代わりにわたしたちとクエストに付き合ってくれっすよ」
「クエスト? でも、俺はマリーゴールドには入れないぞ。正体がバレたら速攻で捕まっちまう。大混乱になるぞ」
クエストの受注にはマリーゴールドで手続きをする必要がある。その際には不正や事故に備えて参加者全員の”本”の提出が必要になるわけだが、当然ながらお尋ね者であるヘキサは”本”を人前に出すことはできない。
ヘキサができるクエストは、闇の支援組織グロキシニアを介したモノ――不本意ながら、犯罪者扱いで自動登録されてしまった――か、もしくはユニオンの仲介が不必要な特殊なクエストくらいである。
「その心配はないっすよ。おそらくまだ誰もクリアしたことのない、隠しクエストっすからね。わたしたちが一番乗りっす」
「私とカシスさんだけで挑もうか悩んでいたんですが、ヘキサ様が手伝ってくれるのならば百人力です!」
「……俺はPKだぞ」
「関係ねぇっす。それともそのパートナーの人とは組めても、わたしたちとはパーティを組めないっすか?」
なんてことを言われては、ヘキサの選べる回答は一つだけだった。
「その言い方はズルくないか。……ンなこと言われたら断れるわけないだろ。まずは詳細を訊かせてくれ。できるかできないかはそれから判断する」
ガリガリと白髪を掻く。例えメダルの件がなかったとしても、できるならば彼女たちの力になりたかった。いままで放っておいて我ながら都合の良すぎる話だと思うが、それが偽らないヘキサの気持ちだった。
後にこの判断がヘキサに地獄をもたらすわけだが、そのときの彼にそれがわかるはずもなく、喜ぶ二人を見て満更悪くなさそうに苦笑していた。