第七章 過去の残影(2)
茹だるような暑さに呻きが漏れる。
ヘキサは実体化させた水筒に口をつけると、中身の水を一気に飲んだ。喉を通る水の冷たさが身に沁みるが、涼しさを感じる間もなく押し寄せる熱波に、汗が全然止まらなかった。
暑いというよりも熱い。このままでは干乾びてミイラになってしまいそうだった。肌をじりじりと炙る陽光に、仏頂面になると、顎から滴る汗を手の甲で拭う。
「あっつー。いくらなんでも暑すぎるだろ」
まったく。リアル過ぎるのも考えモノである。眼前の白い砂の大地を見回し、ヘキサはうんざりとした様子で愚痴った。
砂と岩。目に映るのはそれだけだった。ときおり見かけるモンスター以外は、代わり映えのしない砂漠がどこまでも広がっている。
頭上には晴天の空に輝く太陽。降り注ぐ太陽光が、容赦なく体力を削り取っていく。
別の界層で砂漠や火山などの暑い場所に行ったことがあったので、暑さへの耐性ができていると思っていたのだが、どうやら考えが甘かったようだ。前回きたときとは違い、一箇所に留まり続けなければいけないのも大きい。
千界迷宮70界層『砂塵の墓場』。
フィールのすべてが砂で構成された荒原の世界。例外はオアシスを模ったダンジョンくらいである。後はなにもない。せいぜい岩と枯れたような植物だけだ。
日の沈まない灼熱の世界でヘキサは、岩の陰に隠れるようにして、目の前の砂原とじっと睨みつけるように凝視していた。
「うるさいわよ。耳障りだから静かにしてくれないかしら」
心なしいつもよりも強めの語調。隣で待機しているリグレットの顔を見て、ヘキサは投げやり気味に口を開いた。
「仕方ないだろ。暑いモンは暑いんだから。ってか、お前は暑くないのかよ」
「暑いわよ。当たり前でしょ」
「あー……そうですか。ならその服脱げばいいんじゃね」
上から下まで黒で統一された彼女の服装に、ヘキサは小さく言葉を洩らした。ただでさえ暑いというのに、さぞかし熱がこもることだろう。
「外で服を脱げなんて……イヤラしい」
「何故そうなる」
自分の身体を抱きしめるリグレットに半眼になるヘキサ。こんなやりとりもさっきから何度していることか。いい加減、反論する気力も湧かないヘキサだった。
結局、ファンシーに再ログインしたヘキサは、黒髪の少女の言葉に従い、イブル・カトラスの出現ポイントから離れたところで待機することになっていた。
少し前から遠くのほうで炸裂音が響いている。どうやらもう戦闘が開始されているようだ。後はタイミングを見計らい、戦果を掠め取るだけである。
相変わらず気は乗らないが仕方がない。戦闘しているプレイヤーたちには悪いが、これも果たさなくてはならない目的のためだ。
「もうちょい近づくぞ。ここからじゃ乱入する前に戦闘が終わっちまう」
「いいえ、その必要はないみたいよ」
どうして、とヘキサは訊き返そうとして、足元から伝わってくる振動に目を細めた。振動はその揺れ幅を増し、それに伴って耳朶を叩く音が大きくなっている。
「都合がいいわね。どうやらあちらからきてくれたみたい」
その言葉を合図にしたかのように、二人の視線に映る砂原が爆発した。激しく砂が飛び散り、砂の中から現れた影が空中に跳ねた。
とてつもなく巨大なモンスターだ。尾ヒレに背ヒレ。ヒレの形をした手足。ヘキサたちが隠れている岩くらいならば丸呑みできそうな口。岩のように角ばった黒い肌。その巨大さといい、砂の中を自在に泳ぐサマといい、まるで鯨のようなモンスターである。
巨大な鯨型のモンスター――イブル・カトラスは、巨体をくねらすと頭から砂原に突っ込み、轟音と大量の砂を舞い上がらせた。
砂漠の悪魔の異名を持つイブル・カトラスはしかし、その巨体に深手を負っていた。その巨体には斜めに貫通した大穴が穿たれ、全身に刻まれた傷口から溢れる体液が、砂原に吸い込まれて白い砂を黒く汚す。
片目も潰され、見るも無残な有様だった。頭上に表示されているHPバーも三割を切り、危険域に突入している。
「ヘキサ。あれを見て」
黒髪の少女が指差す先、イブル・カトラスのぼろぼろの背ビレには、一角の髑髏の烙印が刻まれている。『メダルモンスター』を示す証である。
そして、瀕死のイブル・カトラスの周囲を高速で跳び回る複数の影。陽光を反射する剣の一閃が外殻を砕き、降り注ぐ魔法の閃光が、容赦なく砂漠の悪魔の命を削り取る。
ヘキサの【索敵】に反応するプレイヤーの数は全部で八つ。魔法による索敵は逆探知される恐れがあるので使えないが、彼らのパーティは八人と見て間違いないだろう。
間違いないのだが――。
「マジかよ。……最悪すぎるだろ」
リーダー格とおぼしきプレイヤーを視認した瞬間、ヘキサは顔をしかめて呻いていた。
名門ギルドに所属しているだけはあり、八人とも並のプレイヤーには到底真似できない動きを見せているが、その中でもリーダー格の少年は群を抜いていた。
明らかに一人だけ存在感が違う。かと思ったら、今度はイブル・カトラスに撃ち込まれた紅蓮の炎に額を押さえてしまった。
砂漠を縄張りとするイブル・カトラスは火と土の属性に高い耐性を持っている。だが、炎を操る少女の魔法がイブル・カトラスのHPをガリガリと削っている。耐性の有無を無視するかのような馬鹿げた火力だ。
あの中に飛び込まなくちゃならないの、俺? うう……やだなぁ。
思念剣と赤箒。いま自分が遭遇したくないプレイヤートップスリーのうち、二人が揃っている状況に撤退を本気で検討していると、横手から冷やかな眼差しが突き刺さった。
「まさかと思うけど逃げるつもりじゃないでしょうね。もうすぐ出番なのよ。タイミングを誤らないように、心の準備をしておきなさい」
「……リグレットは嫌じゃないのか。俺と一緒にいるところを見られたら、色々と誤解されるかもしれないぞ」
彼女とパーティを組むときは、常に周囲に他のプレイヤーがいないかに気を配るようにしていた。リグレットとのパートナーを解消した際、彼女に悪評が及ばないようにという配慮なのだが、流石にこの状況で隠し通すのは無理である。
「問題ないわ。いざというときには貴方に脅されていたとでも言うから」
「あーそうですか。……別にいいけどさ」
元より『@ch』では専用の叩きスレがある身だ。いまさら悪い噂の一つや二つ増えたところで、それがなんだというのか。それに気になることがもう一つあった。
「認識妨害の結界は切れてないよな」
「ええ。もちろんよ。効果時間には注意しているもの。それがどうかしたのかしら?」
「いや、それならいいんだ。多分、俺の気のせいだから」
彼らの周りには他者に存在がバレないための結界魔法が展開されている。故に彼らに自分たちの所在が割れるはずがないのだが。
「あいつならそれくらいのこと、素でやりかねないからなぁ」
「さっきからなにを小声でぶつぶつと。気になることでもあるの?」
「なにもないよ。それよりもそろそろだ。援護は頼むぞ」
執拗な波状攻撃に晒されてイブル・カトラスのHP残量は僅かしかない。思考を切り替え、剣の柄を右手で掴む。刀身を半分ほど引き抜き、一回きりの好機を見逃さないように戦闘に意識を集中させる。
そのとき激しく暴れ回るイブル・カトラスが、ヒレで砂を叩き宙高く跳んだ。一瞬だけ滞空し、砂原に激突する。水飛沫ならぬ砂飛沫が大量に弾け飛び、視界を覆う砂煙でプレイヤーたちの攻撃の手が一時的に止まった。――今だ。
剣を抜き放つと砂を蹴り、岩陰から跳び出した。最初の一歩で加速して、一直線にイブル・カトラス目掛けて突撃する。
結界の範囲の外に出たことで、自分の存在が探知に引っかかったのだろう。プレイヤーたちは突然現れたカーソルに目を見開き、次いでカーソルの色が赤なことに一瞬だけ身体を硬直させたが、そこは並み居る強敵を跳ね除けてきた歴戦の勇士。
すぐさま白髪の少年の目的を察すると、数人がこちらの防御に回ってきた。その背後で攻撃を再開しようとするプレイヤーの姿が見える。
位置の関係からあちらのほうがイブル・カトラスに近く、攻撃が届くのが早い。襲撃者が彼一人だけならば。
中空で眩い閃光が弾けた。四散した魔力の塊が散弾の如く、頭上からプレイヤーたちに降り注いだ。リグレットの魔法である。本来の射程の範囲外からの攻撃のため、命中の精度は極端に低く、また攻撃力もほとんどなかった。
当たったとしても爪楊枝で皮膚を突っつかれた程度でしかないがそれで十分だった。目的は牽制。彼らの動きが止まればそれでいい。
砂を思いっきり蹴って高く跳躍する。
イルブ・カトラスの巨体を眼下におさめ、頭上に掲げた剣から生命子の輝きが迸った。猛烈な勢いで迸る赤い閃光が、天を衝く架空の剣を形成する。
対大型モンスター用、外力術式<天輪>。振り下ろされた赤光がイルブ・カトラスの背ヒレを砕き、岩の肌を削ぎ落としていく。迸る赤光に砂漠の悪魔の断末魔が重なった。
体液を蒸発させながら背中の部分を大きく抉り、赤光が途絶えたと同時に、HPバーの残量がゼロになり砕け散った。
地響きを上げて崩れ落ちる巨体を見やり、砂原に着地するやいなやヘキサは剣を鞘に収めると踵を返し、黒髪の少女の元まで脇目も振らずに駆け寄った。
そのまま勢いを落とさず掬い上げるようにリグレットを抱かかえると、その場から撤退すべく全力で走りだした。
「上手くいったわね。後はポータルまで頑張ってちょうだい」
「転移石は!? あれ使えばわざわざポータルまで行く必要なんてないだろ!」
「いやよ。勿体無いじゃない。もっとも――」
ちらりと背後を見やり一言。
「そうも言ってられないかしら。ヘキサ。気づいてる」
「後ろから追いかけてきてる奴だろ。くそっ。ピッタリくっついてやがる。振り切るのは……ちょっとキツいかもな」
互いの移動速度は同じ――否、あちらのほうが僅かに速い。こちらはリグレットを抱えながら走っているためだ。いまは彼女が牽制の魔法を追跡者に向かって撃ちこんでいるため、間合いを保てているがそれもそう長くはもたない。
じりじりと近づいてくる気配を背後に感じ、ヘキサは舌打ちすると先程見たプレイヤーの姿を脳裏に浮かべた。結論はすぐにでた。追跡者は十中八九、あいつに違いない。だとすればだ。自分の考えが正しければ、あいつは――
「どうするの。いまならまだ転移石で逃げられるけど」
「転移石はなし。逃げるのも止めだ。迎え撃つ」
「支援は?」
「いらない。リグレットは離れてて。危ないと思ったら、俺に構わず逃げてくれ」
抱えていたリグレットをその場に降ろす。剣を抜き放つと同時に身体を反転させて、正面から追跡者との間合いを詰めた。
金属の接触する甲高い音が熱砂に響き渡る。ギリギリと鍔迫り合いの状態を維持しつつ、交わる剣越しに対面した追跡者に口の端を歪めた。
それはヘキサが八人パーティのリーダー格と判断したプレイヤーであり、彼にとって旧知の間柄である少年でもあった。
「やあ、久しぶりだね。ヘキサ」
「アレク……ッ!!」
温和そうな笑みを浮かべる整った顔立ちの少年だった。青い長髪に碧眼。純白の鎧に目に焼きつくような真紅のマント。
噛み合った剣が軋む。押し切るつもりで強く剣に力を込めているのにも関わらず、顔色一つ変えずにアレクはにこやかに微笑んだ。
「そう怖い顔をしないでくれ。久しぶりの再会なんだ。嘘でも少しは嬉しそうにしてくれてもいいと僕は思うよ」
「って、言われてもな。生憎と男に会って喜ぶような趣味はないんで、なっ!」
強引に剣を振り抜く。首元に迫る切っ先をアレクは軽い仕草でかわすと、返礼とばかりに鋭い突きが襲いかかってきた。手元に引き戻した刀身の腹で剣先を滑らすように受け止め、先程よりも更に一歩踏み込んだ間合いで拮抗する。
「それは残念。……最後に会ったのはいつくらいだったかな?」
「さあ? 大体、半年ぶりくらいじゃないか」
「あはは。懐かしく思うわけだ。君の噂はよく耳にしているけどね。掲示板では大人気じゃないか。ウチのギルドも君も話題で持ちきりだよ」
「なんだそりゃ。嫌味のつもりか」
「獲物を横取りされたんだ。これくらい言う権利はあると思うけど?」
ぞくりと背筋に寒気が走った。後頭部を庇うように左腕を上げた瞬間、盾に高速で衝突する”なにか”があった。
盾を貫通する衝撃に歯を食いしばるヘキサの手元の重さが消えた。眼前でアレクが身を翻す。横殴りの一撃を跳ね上げた刀身で弾く。上空から尚も食い下がる気配を感じ、堪らずヘキサは体勢が崩れたままで後方に跳んだ。
直上から振ってきた”なにか”が際どいところで目の前を通過し、砂原に突き刺さると余波で砂煙を巻き上げた。
着地するともう一度後ろに跳び、アレクとの間合いを離す。もうもうとした砂煙がおさまると、突っ込んできた”なにか”の正体が判明した。
剣である。ヘキサを強襲したのは両刃の片手剣だった。アレクが小さく手招きするような仕草をした。すると、砂に刀身の根元まで埋もれていた剣が勝手に浮かび上がり、纏わりつく砂を払うとアレクの傍まで滑空した。
「よしよし。よくやった。帰ったら綺麗にしてあげるからね」
自身の周囲を旋回する剣に声をかけるアレク。まるで剣と会話しているかのような奇妙な光景だが、それこそ彼が思念剣の異名を持つ由縁だった。
レアアビリティ『心話』。特定の無機物と心を交わすとされる稀少なアビリティであり、アレクの場合は”剣”がそれに該当する。彼に操られた剣はときに本来の性能を超過し、まるで意志があるかの如く自ら行動すらすると云われている。
「さてさて。大人しくメダルを返す気は――あるわけないか。まあ、元々”そのつもり”だったから構わないけどね」
含みのある言い回しにしかし、ヘキサは合点がいったとばかりに息を吐いた。
「やっぱりこっちに感づいてたのかよ。……ってことは、最後の一撃を俺に譲ったのはわざとだな」
「なんだ気づいてたのか。上手く誤魔化せたと思ったのに」
「露骨なんだよ。目くらまし程度でどうこうなる奴じゃないだろ。お前はな」
何度か結界を通してアレクが自分たちを見ていたように思えたのだが、案の定こちらの存在を見破っていたらしい。認識妨害は正常に効果を発揮していたはずだが。
「結界は張ったのは、あっちにいる娘かな? 中々に見事な結界だったよ。戦闘中だったとはいえ、誰も気がつかなかったなんてね」
「その割にはどうしてわかったんだ?」
「僕も正確に見破っていたわけではない。ただ視線を感じたんでね。一応、用心していたまでのことさ」
「……どういうつもりだ? なんでこっちにメダルを渡す。立場上、それは不味いんじゃないか? なあ、≪聖堂騎士団≫の幹部さん?」
アレクの纏う純白の鎧の右胸に刻まれたシンボル。交差した剣と盾のシンボルを睨みながら問うと、彼はあっさりとした口調で言った。
「気紛れさ。彼女たちとメダルの所有権で揉めるのも手間だし。それに、ほら……そっちのほうが面白そうじゃないか」
なんてことを平然と口にするアレクに、毒気を抜かれた様子でヘキサは肩を竦めた。元々向こうもここで本気でやり合うつもりなどなかったのだろう。アレクからは戦闘を続行させようという意志は感じられなかった。
「はあっ。じゃあ、なにしにきたんだよ」
「ヘキサが心配だったから話がしたかった。……と言ったら、どうする?」
一転して真剣な口調に息を呑む。
「そろそろ話してくれないか。四ヶ月前、君たちの身になにがあったのかを。≪幻影の翼≫とも無関係ではないんだろ?」
懐かしい名前を聞いた。≪幻影の翼≫。かつて自分が所属していたギルドの名前だ。いまはもうこの世界に存在しないギルドの名前だった。
「……再開の会話にしては重いって。そこは察しろよ」
「僕もそうしたいところだがね。メールの送信をことごとく拒否されたとあっては、もう直接話すしかないだろう?」
その通りだった。メールの着信設定はフレンド毎に設定でき、ヘキサは極一部のプレイヤーを除いたフレンドからの着信をすべて拒否にしていた。
「四ヶ月前、君の所属していた≪幻影の翼≫がPK集団に壊滅され、それから大した間もなく今度は≪暁の旅団≫が君に潰された。偶然にしては不可解だ。≪幻影の翼≫の立ち上げ経緯を知る身としては勘ぐりたくもなる。……それに君は理由もなくPKするような大馬鹿者ではない。僕はいまもそう思っているよ」
「あはは……どうかな。ただ馬鹿が馬鹿して馬鹿やったってだけの話かもしれないぜ。自業自得なんだよ。だからこそ、こんなことになっちまった」
喉の奥から搾り出せた言葉はそれだけだった。言いたこと。言うべきこと。諸々とたくさんあるはずなのに、結局出てきたのはそんなありふれた言葉のみだ。
「つまり、話すつもりはない、と?」
「言っただろ? 察してくれ。こう見えても硝子のハートなんだぞ、俺は」
くつくつと哂う。酷く程度の低い自虐だった。我ながら呆れてしまうが、本当にそれしか言えなかったのだ。
「……わかった。残念ではあるが、今日のところは退こう。また今度、時間があるときにでもゆっくり話そうか」
「悪い。それとメダル、サンキュな。助かった」
「そう思っているならメールの着信拒否止めてくれないかな。――ああ、それとこっちからも一つだけ言っておく。メダルだけど……確かに僕は譲ると言ったが、どうやら彼女は譲る気がないみたいだね。それどころか相当ご立腹のようだよ」
「はっ? 彼女? なに言って――」
――るんだ、と最後まで言葉にすることなく、赤光を帯びた刀身が飛来した炎の弾丸を切り裂いた。渦巻く炎の残滓が消えるよりも早く跳躍。刹那まで自分がいた場所に、赤い弾丸が連続で撃ち込まれる。
穿たれ飛び散る砂を横目に、着地したヘキサは襲撃者を確認するため、弾丸が飛来してきたほうを見やり、「げっ」と呻いた。
「は――ふぅ、見つけた……わよ、ヘキサ」
ヘキサの視線の先には、砂原から突き出す岩の上に立つ一人の少女。
肩口で切りそろえられた髪は燃えるような赤。黒のインナーに赤いジャケット。ホットパンツという格好で、白髪の少年をねめつけている。
彼の方向に突きつけられた左手には、鋭角な形状をした金属製の手甲。手の甲に象眼された赤い宝石が、持ち主の意思を反映するかのように強く輝いている。
「今日こそ逃がさない。決着をつけるわよ! ってか、メダル返せ、泥棒ッ!!」
高らかに言い放つ赤毛の少女――ハズミは、頬を紅潮させると左手を翻す。指先の軌跡を沿い、火の粉の残滓が空中に弾けた。
ンな、馬鹿な。顔を引き攣らせるヘキサ。
いくらアレクと会話していて足を止めていたとはいえ、十分に距離を引き離したはずだ。敏捷に劣る魔法職が追いつけるはずがない。
と、そこでヘキサはハズミの両足が青白い燐光を纏っていることに気づいた。おそらく速度上昇のバフ。それでもよくもまあ追いついたものだ。ここまで全力で走ってきたのだろう。よくよく観察すると汗だくで息も荒い。
「頑張りすぎだって。脱水症状で倒れるぞっ」
「うっさいッ。いまから黒焦げにしてあげるから覚悟しなさいッ」
げんなりとした物言いに対する返答は、殺気を滲ませた炎だった。
紅蓮の尾を引く三本の炎が、ヘキサ目掛けて放たれる。直線ではなく曲線。緩やかな弧を描く炎に舌打ちしつつ剣先を跳ね上げる。
二本は剣で打ち消し、三本目は後方に飛び退くと同時に盾で防ぐ。着弾の衝撃で揺れる身体を押し込め、続けざまの火炎弾を迎撃する。
詠唱もなしに撃たれる炎弾。しかも微妙に速度を変えているので対処がし辛い。おまけにメチャクチャ暑い。ただでさえ暑いというのに、炎の熱風でさらに暑くなっていた。
「こうなったら――リグレット、パスッ! 魔法使いの出番だぞ!」
「お断りよ」
切実な要請はあっさりと却下された。放置されていた彼女は不機嫌そうに唇を尖らせると、ぷいっとソッポを向いてしまう。
「援護がいらないって言ったのは貴方じゃない。……別に無視されていたから拗ねているわけじゃないわよ?」
「拗ねてるだろ、それ!?」
「あたしを無視するなぁ!」
どうやら自分以外の存在に意識を向けているのが気に入らなかったようだ。
岩を蹴り宙に身を躍らせると、頭上に掲げた左手に炎を収束。剣の形状にした炎を振り上げて、ヘキサに猛然と襲い掛かった。
だが、近接戦闘に関してはヘキサのほうに一日の長がある。頭上からの一撃を半身になってかわすと、火の粉を散らす炎剣に肉厚の刀身を叩きつけた。直後、炎の剣はその形を失い、内側から弾けるように消えた。
「ああ、もう! 相変わらずムカつくわねッ」
自分から距離をとる白髪の少年に悪態を吐く。忌々しそうに彼を睨みつけ、周りに旋回させた火球を解き放つ。
「見てないで止めろよ!」
通常では考えられない密度と速度の炎を剣で切り裂き、敵であるはずのアレクに助けを求めるヘキサ。割と必死な白髪の少年とは対照的に、傍観に徹している彼はのんびりとした口調で口を開いた。
「とは言われてもねぇ。立ち位置的に僕は彼女側だし。流石に君の味方はできないよ。それに、ほら……楽しそうだし。僕が邪魔しちゃ悪いでしょ?」
「ふざけるなぁぁぁ――ッ! お前の目は節穴かぁ!?」
さきほどまでのシリアスな雰囲気は完全に粉砕された。明後日の方向を向いているリグレット。にやにやするアレクと躍起になるハズミに挟まれて、剣を振るうヘキサの哀れな悲鳴が砂原に響き渡った。