第六章 廻る歯車(3)
ありがとうございました。
そう言って、鍛冶屋の少女は再び頭を下げると、転移の発する光の中に消えていった。彼女を見送った白髪の少年――ヘキサは、平行線の彼方に消えそうな夕日に目を細めた。
彼らがダンジョンから出たとき、既に日は落ちかけていた。
あの後、アウラと一緒にダンジョンを脱出したヘキサは、彼女を鉱山から一番近いポータルまで護衛を兼ねて同行していた。
ヘキサは殺風景な岩場を見回し、ウーンと大きく伸びをした。身体をほぐしながら懐に手をやり、そこから一枚のメダルを取り出す。
鈍い光沢をした真鍮色のメダルだ。片面に額から角を生やした髑髏。もう片面には竜が刻印されたメダルを鋭い眼差しで見やる。
「これで六枚。後、四枚――いや、三枚か」
しばらくの間、ヘキサはそうしてじっとメダルを睨むように眺めていたが、ふと我に返るとメダルを懐に戻し、転移結晶のほうに手を伸ばした。
手の平に硬質な冷たい感触。と、ぐにゃりと視界が歪んだ。同時に独特の浮遊感が全身を包んだかと思う瞬間、視界が唐突に視界が切り変わった。
浮遊感から開放されブーツの底が草を踏みしめた。眼前には吹き抜ける風に揺れる花や草。遠くのほうには大きな湖があり、目を凝らせば夕日を反射し茜色に輝く湖の中央には、街があるのがわかるだろう。
湖面都市ブルミア。30界層の拠点となる街だ。ブルミアは湖面都市の名前の通り、巨大な湖の中央に建造された街で、美しい街並みで知られている。フィールドにも目を瞠るような景色が多く、観光スポットとして有名な界層である。
ヘキサが転移したのはブルミアにもっとも近いポータルだった。むろん、ブルミアにはポータルがあり、直接跳ぶことも可能だったが危険性を考慮して、街に行くときは近くのポータルを経由することにしているのだ。
それというのも、以前に些細なミスから街のど真ん中で正体が露見し、とんでもない騒ぎになったことがあるのだ。逃げ惑う民衆。すっ飛んでくる守衛。駆けつけてきたプレイヤーに追い掛け回されるわ、いま思い出しても頭を抱えるような事態になったのである。
当時は自分の置かれている立場を甘くみていた部分があり、訪れたのが低界層の街だったので軽く考えていたのだが、それが思わぬ騒動を生んでしまったというわけだ。流石にあれをもう一度はゴメンだった。
だからこそ、それから街に用事があるときは、細心の注意を払うようにしている。街に行く機会も最小に抑え、行く場合も相応の対策をしていた。
人目を気にしながらブルミアのすぐ傍まで行く。周囲を見回し人がいないことを確認すると、”本”から一枚のカードを引き抜きその場で実体化させた。
彼の手に現れたのは濃紺のフード付き外套だった。一見するとただの地味な外套だが、認識及び索敵系統のスキルや魔法を遮断する、強力な隠蔽効果つきの一品だ。防具としての性能は紙に等しいが、他者からカーソル色すら誤魔化せるため、街に出入りする際には欠かすことのできない装備である。
手にした外套を纏うとフードを被り、素早く街に続く門を潜った。
日はもう完全に落ちていた。金と銀。夜空には現実とは違う、二つの月。界層ごとに異なる世界で、唯一変わらないふたつの月が、冴え冴えとした光を放っている。
夜の帳が落ちたブルミアは、しかし街灯や店先から洩れる光によって、昼間と変わらぬ明るさと喧騒に包まれていた。
がやがやとした喧騒の中、ヘキサはを俯き加減に歩く。夜になっても絶えない人々の活気に、彼は外套のフードを目深に被り直すと、目立たぬように街路の隅っこを歩いて知り合いが経営する店に向かった。
店に向かう道中で横目に見れば、道の端には露天が立ち並び、様々な商品を並べるプレイヤーと、商品を物色するプレイヤーとでひしめき合っている。
それにしても今日は色々あったな、と独白する。一人になるときが多いせいか。こうして物思いに耽ることが増えた気がした。
六枚目のメダルを入手できたのもあるが、鍛冶屋の少女との一連の出来事もそうだ。短い時間ではあったが、ああして誰かと一緒にダンジョン潜ったのは――『例外』を除けば――本当に久しぶりで、顔に出さないようにしてはいたが緊張した。
ただ少々舞い上がってもいたのだろう。自分の剣を見せてしまった上に、フレンドリストの交換までしてしまったのは迂闊だった。
おそらくこちらからアウラに連絡を取ることはあるまい。下手に連絡を取って、それが第三者に発覚したら大変だ。彼女にも多大な負担をかけてしまう。自分の二つ名、”マンイータ”に対する世間の認識はそれだけ酷いのだ。
これからは十分に気をつけなければならない。などと考えごとをしていると、目的としていた店のすぐそこまできていた。白髪の少年の目的地はこの区画の奥。人の寄りつかなさそうな路地の端にある、こじんまりとした小さな店だ。
店の前に立ち窓越しに店内を見やり、客がいないのを確認すると、ヘキサは扉を開けて中に入った。後ろ手に扉を閉めると、呼び鈴の音に反応して、店の奥から銀縁眼鏡をかけた柔和な顔立ちの青年が出てきた。
「やあ、ヘキサ君。待っていたよ」
「どうも。戻ってくるのが遅くなってすみません。クライスさん」
フードを被ったまま軽く頭を下げる。失礼だとは思うがフードは脱がない。不測の事態に備えて、正体が露見しうる要素は極力排除しておきたいのだ。クライスも彼がなにを考えているのかわかっているため、あえて言及するようなことはしなかった。
「なーに。構わんよ。……それよりもなにかあったのかな。君にしては随分と、時間がかかったみたいだが。もしかして『メダルモンスター』を発見できなかったかね?」
「いえ。そっちのほうは情報通りでした。メダルも手に入れました」
「それはよかった。安心したよ」
クライスはヘキサにとって数少ない知人であり、腕のいい情報屋でもあった。彼の人当たりのいい性格から人望も厚く、そこら辺の情報屋など問題にならないほどの広い情報網を持っているのだ。ヘキサが頭の上がらない相手の一人でもある。
「帰りが遅かったから、また君に偽情報を与えたかと焦ってしまったよ」
心配げな表情をするクライスの問いにそう答え、懐から取り出したメダルを掲げて見せると、眼鏡に映る鈍い光沢のメダルに安堵の吐息が洩れた。
”また”というのは、前回の『砂塵の墓場』のことだろう。『砂塵の墓場』のオアシスダンジョンに『メダルモンスター』が現れたとの一報を聞き、意気揚々と狩りに向かったのだが結局、発見することができなかったのだ。
ただしそれは自分が出向く前に倒されてしまったのかもしれないし、情報が外れていたからといってクライスを責めるつもりはない。
それよりもその帰り道、≪聖堂騎士団≫の一団に鉢合わせし、一戦交える羽目になってしまったのが面倒だった。ヘキサとしては向こうが手出ししてこなかったら無視するつもりだったが、襲いかかってきた以上は見過ごすつもりはなかった。
一応、加減はしたので死者はでなかったはずである。勢い余って腕を切断してしまった奴もいたが、専用の施設に行けば再生可能なので問題ないだろう。
四肢を欠損してしまっても再生できるというのは、流石はファンタジーといったところか。ただし、再生には膨大な生命子を必要とするため、腕一本を再生しようとしたらレベルが5は下がってしまうはずなので、それはご愁傷様と言っておこう。
「でも、よく『メダルモンスター』の居場所がわかりましたね。いつも思うんですけど、一体どこから情報を仕入れているんですか?」
「おっと。いくら君でもそれは教えられないな。……と、言ってはみたものの、あのダンジョンで『メダルモンスター』を発見したプレイヤーが、私が『メダルモンスター』の情報を買っていると知っていたというだけの話なのだがね」
もっとも、情報が自分のところにきたのは単に運がよかっただけだ、と付け足すクライス。なるほど。そのプレイヤーから入手した情報を、こちらに流してくれたということか。助かる話ではあるが、なにかしっくりこないというか、なんというか。
「不思議なのかね? どうして自分で倒さず情報提供したのかが」
「……そう、ですね。『メダルモンスター』の居場所の情報よりも、倒して手に入れたメダルのほうが高く売れそうじゃないですか」
有名ギルド辺りならば喜んで買いそうだ。
例え目標である十枚を集めていたとしても、ライバルを減らす意味で買わないという選択は取らないだろう。手元のメダルを見下ろしそう判断するヘキサ。
アニバーサリークエスト。通称、アニクエはグランドクエスト『黄昏の秘蹟』に次ぐ大型クエストである。
グランドクエスト『黄昏の秘蹟』はすべてのプレイヤーが進行度を共有する唯一のクエスト。千界迷宮の最深層から黄昏の秘蹟を入手してくることを目的とした、このファンシーというゲームのクリア条件になっているクエストだ。
対してアニクエは一年間を通して行なわれるクエストのことである。開催期間も一年間。その期間にクリアしないとクエストそのモノが消滅してしまう最高難易度クエストであり、次の年にはまた違うアニクエが発生するという仕組みだ。
過去に行なわれた四回のアニクエでクリアされたのは一回だけというのが、アニクエの難易度の高さを物語っている。
そして今年のアニクエ『忘れな竜の聖杯』もまた、アニクエの名に違わず一筋縄ではいかなかった。クエスト開始時に開示されたは情報は、指定された期間内にメダルを十枚集めろというものだった。
メダルを持つモンスターは『メダルモンスター』と呼ばれ、開放されている界層のどこかにランダムで配置されている。しかも、同時に配置されるのではなく、一定の間ごとという嫌らしさだ。アニクエ開始から五ヶ月が経つ現在でも、新しい『メダルモンスター』が見つかるのはそういう事情からなのだ。
メダルは全部で百枚。『メダルモンスター』も百体。プレイヤー同士によるメダルの奪い合い。要は振るいなのだ。期限内にメダルを十枚獲得した者だけ――二人一組のため最大で二十人が参加できる――が、次の舞台に立てるという過酷な争奪戦である。
「ふむ。君ならそうだろうが、他のプレイヤーもそうかというと、それは別の話なのだよ。なにしろ『メダルモンスター』の強さは界層に準じないのだからね」
そもそも『メダルモンスター』はメダルに”寄生”されたモンスターの俗称である。どのタイプのモンスターに寄生しているかにもよるが、『メダルモンスター』の強さは最低でも70界層クラス。
ノンアクティブのためこちらから手を出さなければ無害だが、中堅クラスのプレイヤーには手の余る代物には変わらない。リスクとリターンを計算した結果、情報提供に落ち着いたといったところか。
「確かに界層から考えたら強かったですね」
合点がいった。同時に自分の感覚の一部が麻痺している気がして、内心で嘆息を吐いてしまった。これもソロの弊害かと悩んでしまう。
「なんにせよこうして六枚目は、クライスさんのおかげて無事に入手できました。……ちなみに遅くなったのは……その、ちょっと人助けをしていました」
「人助け? ふむ。そうか、それは――」
それを聞いて、俯く彼の姿にクライスは嬉しそうに破顔した。
「”君らしい”理由だね」
君らしい。その意味がわからずに訊ねようかと逡巡していると、ヘキサが問うよりもクライスが口を開くほうが早かった。そして、その内容を聞いた途端、意味を訊ねることなど彼の中から消し飛んでしまった。
「これでヘキサ君の下にあるメダルは六枚。残された時間は少ない。後、四体の『メダルモンスター』の居場所も、早く見つけないとならないね」
「三体です」
冷たい声が店内に響く。クライスの動きが止まった。
「四体じゃないです。三体です。……だって、後一枚は”あいつ”が持っているんですよ。だから四体ではなくて三体です。――最後の一枚はあのメダルじゃないと意味がないから」
目深に被ったフードの奥。らんらんと輝く赤い双眸を幻視し、蛇に睨まれた蛙の如くクライスは全身を硬直させた。
「っ。ヘキサ君。前提を違えてはいけない。メダルはメダル。違いなどないのだよ」
「それは違います。少なくとも俺にとっては」
搾り出すような声は即座に否定された。
条件を満たすために必要なメダルは十枚。逆にいえば十枚揃うのならば、どのメダルだろうが同じ。全百枚のメダルは同一であり差異などありはしない。
「それじゃあ駄目なんですよ。最後は……最後の一枚だけは、なにがなんでも――」
仄暗い思考を断ったのはクライスの言葉――ではなく、耳朶を打つ軽快な効果音だった。メールの着信音である。着信音は個人毎に設定が可能であり、現状この効果音を着信に設定している人物は一人だけだ。
「……どうやら『お姫様』からみたいだね」
「そうみたいです。ちょっと失礼します」
クライスからメールの内容が見えないように、断りを入れてから身体を反転させると、メール画面を眼前に展開させた。半透明のウインドに表示されたメールに視線を走らせ、一通り内容に目を通すと返信用の画面を新しく立ち上げた。
画面の下半分に表示された仮想キーボードで文章を打ち込み、送信ボタンをクリック。メール送信完了のメッセージを確認し、ウインドを閉じた。
「クライスさん。呼び出しくらったんで、今日はこれで失礼します」
「わかった。こちらでもなにか情報が入ったら連絡するよ」
振り返った白髪の少年からは、先程までの陰鬱した雰囲気は失せていた。代わりにバツが悪く気まずそうな表情をしている。
「ありがとうございます。……それと、頭に血が上りました。すみませんでした」
「謝る必要はない。私も迂闊だった。気にせずまたいつでもきなさい」
クライスの声に応えはなく、ヘキサは黙って頭を下げると、早足で店から出ていった。