第六章 廻る歯車(2)
カンカンと甲高い音が坑内に木霊した。
鍛冶師の少女の二重写しにされた視界には、ツルハシをデフォルメしたようなアイコンが表示されている。【採掘】スキルによるアイコンであり、採掘ポイントを視覚情報として確認できるようになっているのだ。
鉱石を求めてダンジョンを進んでいたアウラたちは、最深部の手前の開けたフロアで、採掘作業に勤しんでいた。
【採掘】スキルの熟練度は、鉱石毎に設定された成功判定に影響を与える。例えば一般的な鉱石である鉄鉱石なら、熟練度が0でも一定の確率で成功するが、ワンランク上の鉱石になるとある程度の熟練度がないと成功判定が出難くなるといった具合だ。
視界に映されるアイコンの箇所目掛けて、アウラはツルハシを振り下ろした。カカンッと小気味いい音がして、岩に接触するツルハシの切っ先で火花が散った。
一言も発さずに黙々と採掘を続けるアウラだったが、疲れたのか動かしていた手を止めると、滴る汗を服の袖で拭った。
ちょい休憩と小さくつぶやき、ツルハシを振っていた岩壁に背中を預けると、新規に入手したアイテム一覧画面を展開した。
ウインドには採掘で入手した鉱石が記されている。格納ウインドには複数種類の鉱石が表示されていて、そのうちの一種類が彼女の求めていた鉱石だった。
「うーん。やっぱりもっと掘っておくべきかな」
画面と睨めっこしながら首を捻る。単純な量だけなら必要分だけ確保できていたが、これがそのまま使えるかというとそういうわけでもなかった。
武具の性質を左右する大きな要素は、鍛冶師の腕と金属の質である。そして、金属の質は製錬する際に使う鉱石の純度によって大きく変化するのだ。
そのため製錬する前に純度の低い鉱石を弾く必要性があり、弾くことが前提にあるため必要以上の鉱石を集めなければいけないのである。
とはいえ、採掘しながら選別するのは手間なので、とりあえず時間が許す限り採掘を続けて、選別は工房に戻ってからすることにしたのだ。
眺めていたウインドを閉じたアウラは採掘作業を再開しようとして、フロアに響く大音量にそちらのほうを見やり嘆息した。
ヘキサだ。白髪の少年がモンスターの群れを相手取り立ち回っていた。彼が相手しているのは黒蟻――キラーアントの集団である。
ダンジョンの最深部付近。しかも周囲を気にせず大きな音を立てながら採掘しているので、どこからともなく黒蟻が群がってきていた。だが黒蟻は一匹たりともアウラには近づけずにいる。ヘキサがそのすべてを片っ端から屠っているからだ。
赤蟻には及ばないものの高い攻撃力と防御力。激しい凶暴性に、なによりも圧倒的な数の暴力。中堅層のモンスターとしては間違いなく強敵である。それをモノともしない凄まじい攻撃速度だ。群がってくる黒蟻を瞬殺ともいえる勢いで殲滅している。
赤蟻のときもそうだったが、鉄にも優る強度の装甲をいとも容易く切断していく。刃毀れ一つしない剣も凄いが、なによりもヘキサ本人のプレイヤースキルが尋常ではなかった。いままで片手剣使いは多く見てきたが、ここまでの使い手ははじめてだった。
片手剣は汎用性があり癖もないため初心者から上級者まで幅広く愛用されている。また盾を装備することが可能なため生存率も高く、片手剣をメインにしているプレイヤーも多い。
しかしその反面、攻撃力は武器カテゴリーとしては平均的であり、大剣などの重量武器と比較すれば見劣りしてしまうのだが。白髪の少年はそんなこと関係ないとばかりに、黒蟻を一方的に殲滅していた。
圧倒的な戦いぶりに最初は背後の様子にびくびくとしながら採掘をしていたアウラも、平然とツルハシを振り下ろせるようになったくらいである。いまだってこうしてツルハシを振るいながら、戦うヘキサを観察する余裕だってある。
連続する金属音が黒蟻の断末魔を掻き消す。黒蟻はどす黒い体液を撒き散らし、地面に叩きつけられた骸が光に変わり中空に四散した。淡く輝く生命子は指にはめられた指輪に吸収され内部に蓄えられる。――通常の工程ならば。
白髪の少年の右手にも左手にも指輪はなかった。探索者にとって命の次に大事なはずの指輪を、彼は身につけていないのだ。理由は簡単。必要ないからである。ヘキサのほうに流れてきた生命子が身体に直接吸収されていく。
真面目にレベル上げをするのが馬鹿らしくなる非常識極まりない光景だがしかし、この異常性こそ彼がマンイータと呼ばれる所以でもあった。
ヘキサ。その名前が世間を騒がせたのは四ヶ月前の出来事がきっかけだった。当時の三大ギルドの一角。≪聖堂騎士団≫と≪天上神歌教会≫に次ぐ、第三勢力のギルド≪暁の旅団≫の解散が発端となった。
大型ギルドの突然の解散。しかもその原因がたった一人のプレイヤーによるモノだと云うのだ。単身で≪暁の旅団≫を襲撃し、壊滅にまで追い込んだプレイヤー。それがヘキサ。アウラの前で戦っている白髪の少年である。
当然その噂は彼女の耳にも入っていた。どんな極悪人かと思えば実際に対面した人物像は、ここまで見る限り噂とはかけ離れているとしか言いようがなかった。本人なのかと疑ってしまうほどだった。
そもそも、彼はどうして”ここ”にいるんだろう。
レベル上げではないだろう。自分には難易度の高いダンジョンでも、彼にとっては適性よりも遥かに低い界層だ。かといって、レアアイテムの話も聞かないし、なにが目的でこの場所にいるのか皆目検討もつかなかった。
「どうだ。鉱石は十分に集まった?」
岩壁にツルハシを突き刺しながらそんなことを考えていると、いつの間にか近寄ってきていたヘキサが声をかけてきた。
どうやらこのフロア近辺を徘徊していたモンスターは、あらかた倒してしまったようだ。あれだけ群がっていた黒蟻がフロアから姿を消していた。
言われて再度、入手した鉱石の個数を確認する。凡そ必要量の三倍といったところか。これだけあれば十分だろう。時間的にもそろそろ撤収時かもしれない。
「はい。大丈夫です。必要な量は確保できました」
「それじゃあ、そろっと戻るか」
「そうですね。……でも、その前に一ついいでしょうか」
ン? と首を傾げるヘキサに躊躇いがちな口調で言う。
「腰の剣、見せてもらってもいいですか? あ、嫌なら別に見せてくれなくてもいいですが、よければ見せてくれませんか」
知らず視線が彼の顔から腰の剣へとズレていた。図々しいとは感じていたが、やはり鍛冶師としての興味を抑え切れなかった。
あれほどの切れ味。ましてやマンイータ、ヘキサの愛剣ともなればさぞかしの業物に違いない。こんな機会が早々転がっているわけがなく、だからこそ今回の機会を逃さずに一度見てみたいと思ったのだ。
「別に構わないけど……ほいっ」
了承したヘキサは剣帯から鞘ごと外すと彼女の眼前に差し出した。白い鞘に納まった片手剣。柄には茨を模した装飾が施されている。
「重いから気をつけてな」
「わかりま――って、重ッ!?」
右手で受け取った途端、腕に予想以上の重さを感じ、慌てて片手から両手持ちに変えた。鞘の先端を地面に落とすことで、なんとか剣を引き抜ける体勢に持っていく。
柄を握りそっと半ばまで剣を引き抜くと、両刃の肉厚の刀身が鈍く輝きを弾いた。息を呑むような美しい剣だったが、その剣呑な輝きこそがこの剣が美術品ではなく、武器などと雄弁に語ってるようだった。
伸ばした指で刀身をそっと撫で、僅かに感じた違和感にアウラは眉を潜めた。典型的な片手剣。そのはずなのだがなんとも表現し難い違和感があった。
「詳細パラメーターを見ても構いませんか?」
ヘキサが頷くのを確認してから、指先で刀身を軽く叩いた。するとアウラの眼前に剣の詳細情報が記された画面が展開された。
武器の銘はローゼンネイヴェ。製作者の欄には見慣れない名前が記載されていた。クイナ。誰だろう。聞いたことの名前だ。これほど業物の打ち手ならば、世間に名前が知られてもおかしくないのに。単純に自分が知らないだけかもしれないが。
疑問を抱きながらも視線を武器種類の欄にやり、アウラは目を大きく見開くことになった。そこには当然、片手剣と記されているはずなのだが――。
「それは機密ってことで一つ。誰にも言わないでくれよ」
「もちろんです。誰にも内緒です」
違和感の正体も判明し、剣を鞘に納めなおすとヘキサに返す。彼は腰の後ろに剣を吊ると、出口のほうを見やりながら口を開いた。
「転移石は――使うには勿体無いか。まあ、そんなに時間はかからないだろうし、出口まで送っていくよ」
「おかげで凄く助かりました。改めてお礼を言わせてください」
「いいって。気にするな。俺も久しぶりに誰かと一緒に行動できた気がするしさ。割と気分転換になったよ」
「いつもは一人で行動してるんですね」
反射的にそう感想を洩らし、直後にしまったぁ! という表情で口を手で押さえたが無駄だった。がっくりと肩を落としたヘキサが沈んだ調子でつぶやいた。
「どうせ友達のいないぼっちさ。嫌われ者だし。いつでもどこでもソロオンリーだよ。……自業自得だから仕方ないけど」
いつもお一人ですね? 発言は堪えるらしく、露骨に気落ちする様子を見せるヘキサを前に、慌てたアウラは咄嗟に、
「じゃ、じゃあ、私とフレンド交換をしましょうよ!」
なんてことを口にしていた。
「フレンドリスト? 俺とか……?」
フレンド登録はプレイヤー同士の合意でお互いの名前を登録でき、フレンドリストで登録者のログインの有無やメールのやりとりなどが可能となる便利な機能である。
「いや、できればいいんです。できればいいんですが、私としては交換してくれたら嬉しいなぁと思ったりするワケで――」
嘘ではない。打算で彼に協力させた形になったことに申し訳なさを感じていたり、気まずさを誤魔化すための口実だったりというのもあるが、フレンドリストを交換したいという気持ちもアウラの中には確かにあった。
「あ、ごめんなさい。迷惑でしたか」
「まさか。ンなはずないだろ。それはこっちの台詞だ。フレンド登録だっけ? 悪いこと言わないから止めとけ。俺みたいな問題児とフレンド交換したところで、得することなんか一つもない。むしろ、トラブルの元になるのがせいぜいだ」
「問題ありませんっ。確かに噂では鬼畜だとか人間の屑だとか色々と云われてて、私も最初は死ねばいいのにとか、なにが楽しくて生きてるんだろうとか、ウザいからとっとと引退しないかとか、正直思ったりしてましたけど――って、ああ! 違います。ここからいいところなんです! 最大の見せ場なんです。だからそんな落ち込まないでくださいよぉッ」
どうせ俺は日陰者さ。道端の石ころ以下の存在なんだ。背中に暗い陰を背負い、額を壁に押しつけて「生まれてきてごめんなさい」と反芻するヘキサ。
見るも無残な姿に当のアウラは慌てて声を荒立てた。
「ええっと、ようするになにが言いたいかと言えば――他人の評価なんて当てにできないってことです」
その言葉にヘキサは伏せていた面を上げた。彼の顔を真っ直ぐと見つめながら、彼女は薄く微笑した。笑みを向けられた彼は無言でシステムブックを開くと、手元に展開した画面を操作した。ポンッと軽快な効果音と共に、彼女の眼前に新たな画面が表示された。フレンド登録の了承画面だ。
「フレンド登録。俺のほうからお願いしていいかな?」
「ええ。私はいつでも準備万端です」
言って、アウラは了承のボタンをクリックした。画面が切り替わり、お互いのフレンドリストが更新された旨を告げるメッセージが表示された。
「なんだ。困ったことがあったら連絡してよ。俺に手伝える範囲で手を貸すから」
白髪を掻きながら視線を逸らすヘキサ。照れたようにそっぽを向く少年に、アウラはおかしそうにくすりと笑った。