第六章 廻る歯車(1)
「ううっ。……どうしましょう」
工房にアウラの呻き声が響いた。じりじりと肌を焼く熱気に彼女は、額に浮かんだ汗を拭うと、きょろきょろと困惑した眼差しで視線を彷徨わせた。
赤々と燃える炉から火の粉が飛び散っている。金床と研磨機、作業台といった必要最低限のモノしか置かれていない狭い工房。しかし、アウラにとっては苦心の末に手に入れた――正確にいえば、所属しているギルドから貸し与えられた物件だが――大切な工房だった。
その大切な工房内で棒立ちになったまま、呆然とした表情で立ち尽くすアウラ。長時間、熱気に包まれた工房で作業をし続けていたため、全身にぐっしょりと汗をかいていたが、まったく気にならないほど彼女は狼狽していた。
「……材料が足りたい」
ぽつりと苦渋に満ちた声が洩れた。作業の妨げにならないように短く切り揃えられた黒髪が、力のない首の動作で小さく左右に揺れた。
基本的かつ致命的なミスだった。もはや作業云々の話ではなかった。それ以前の問題だ。材料がなければ作業に入ることすらできない。
材料切れに気がついた彼女は慌てて、材料である金属を手に入れようと四方八方に手を伸ばしたのが、どこもかしこも在庫切れで結局、無駄に時間を浪費するだけの結果に終わってしまったのである。
確かに元々レア度が高く、比較的入手し辛い金属ではあるが、ここまで入手できないことは過去になかった。本当に運が悪いとしかいいようがない事態に、アウラは頭を抱えてしまった。
そして、なにが一番致命的かといえば、切らしてしまった材料で造らないといけない武器の納期が、明後日に迫っているということであった。
「あうっ。これは本気でマズいかもしれない」
元々、納期に余裕があった物件なので、いまさら納期を後ろにズラすことはできない。納期を破るのはアウラの、ひいてはギルドの汚点になってしまう。
たかだか武器の一本ということなかれ。これ実際に過去にあったことなのだが、納期を破られたプレイヤーがそのことを『@ch』に書き込み、面白がったプレイヤーたちが騒ぎ立ててスレが大炎上した事件があったのだ。
今回もそうなると決まったワケではないが、ならないとも限らない。最悪、ギルドからこの工房を取り上げられてしまうかもしれない。あわよくば、と機会を虎視眈々と狙っているライバルは多いのだ。
冗談ではない。せっかく手に入れた工房を追い出されてなるものか。アウラと唸りながら必死に打開策を模索した。
スキルの熟練度も関係しているが、現在アウラが一日に造れる武器は、せいぜい一本ないし二本が限界だった。残された時間は少ない。その中で取れ得る選択肢として妥当なのは、ギルドにお願いして材料をわけてもらうことだ。
ギルドの本部に行けば流石にストックがあるだろうし、限られた時間を考えるともっとも確実な方法なのだが、できればそれは極力避けたい選択ではあった。
親に泣きつく子供の心境に似ているかもしれない。ギルドに頼るというのは中堅層向きとはいえ、店舗の一つを任された身としてはできればしたくはなかった。
むろん、そんな悠長なことを言っていられる状況ではないのは承知しているが、それでも一介の鍛冶師として譲れないモノがあるのだ。
となれば、残された手段は一つだけだ。他人を頼れない以上、材料となる金属鉱石を自分で採ってくるしかない。
必要な鉱石が採掘できる場所は複数あるが、彼女が選んだのは48層の一角にある鉱山ダンジョンだった。選んだのはそこが難易度が低いということと、以前にもそのダンジョンには行ったことがあるので、採掘できるポイントは把握していたからだ。いまからすぐに行けば、なんとかギリギリ納期に間に合わせることができる。
生産プレイヤーには素材の調達を他のプレイヤーに任せる者も多いが、アウラは鍛冶関係のスキルだけではなく、【大槌】などの戦闘系スキルも上げていた。
ただし、一つ不安があるとすれば、そのときは四人組みのパーティで挑んでいたということである。そのときよりも自分のレベルは上がっているが、それを計算に入れたとしても正直、かなり厳しいモノがあった。
”やり直し”が存在しないこの箱庭世界では、ダンジョン攻略の際は推奨レベルに対して相応に”上乗せ”を取るのが通例である。
そう考えると彼女のレベルで単身挑むのは無謀ともいえた。ならば以前のようにパーティを組めばいいのだが、あいにくと知り合いは悉く都合がつかず、かといっていまさら掲示板でメンバーを探している時間はない。
「ふうっ。大丈夫。やればできる。頑張ろう」
覚悟を決める。なにもボスモンスターを倒せというワケではない。目的はあくまでも鉱石。積極的にモンスターと戦う必要はない。
よしっと気合を入れると、アウラは準備をはじめた。
システムブックを取り出すとウインドを開いて装備を整え、次に回復ポーションなどのアイテム欄に視線を走らせる。すべての支度が済むと、なにか忘れモノがないかを再確認してウインドを閉じて”本”を消す。
そして、壁に立て掛けていた愛用の大槌を手に取った。ずっしりとした重さが手に伝わる。薄い円形状の金属の塊を重ねたようなデザインのそれは、一見すると金属製のピコピコハンマーといったような形状をしていた。
この大槌は自分で造ったモノで、いまの店舗を任されるきっかけにもなった一品でもある。自分の手掛けた武器の中でも最高傑作だと自負していた。これが完成したときの喜びはいまでも忘れられない。
最後に一度だけ周囲を見回し、アウラは工房を後にした。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
――やっぱり、止めておけばよかった。
そんなことを思わずにはいられなかったが、既に状況は取り返しのつかない事態に陥っていた。慢心と過信と不運。それがすべてだった。
荒い息を吐きながら、薄暗い坑道を全力で駆け抜ける。後ろから聞こえてくる金属を擦るような音に、口からヒィッと乾いた声が洩れた。
なんでこんなことに。同じ言葉を口の中でうわ言のようにつぶやく。ともすれば崩れ落ちそうになる身体を支えて走る。目尻に浮かぶ涙を拭う余裕すらなく、速く走ろうと意識するほど縺れそうになる足を必死に前へと動かす。
鉱山の半ばまで行っていたのが災いし、出口はまだまだ遠い。それでも足を止めるワケにはいかなかった。止めてしまえば待っているのは一つ。死だった。
「なんで……なんで、こんなことにッ」
理由は単純明快。自分が浅はかだった。どうにかなる、なんて曖昧な考えが通じるほど甘くはないって知っていたのに。油断していたのだ。
現在、千界迷宮は79界層までが開放されている。そのため79界層までの各層の拠点となっている都市にならば、レベルに関係なく行けるようになっていた。
アウラはまず48界層の拠点都市ロンベルクに跳ぶと、すぐに転移結晶を利用して目的の鉱山ダンジョンに一番近いポータルに移動した。
そこからどうにか無事に鉱山に到着することができたアウラは、鉱石を求めて奥へと進みだした。道中、モンスターに見つからないように、ことさら慎重になり周囲を警戒する。
相手が複数でなければ彼女にも十分に対処は可能だったが、なるべくなら戦闘を行ないたくないのが本音だった。なにしろ先は長い。ただでさえ不安要素が多いのだ。レベル上げが目的ではないので、いらぬ消耗は極力避けるべきだろう。
それからしばらくして無事に最初の採掘ポイントにたどり着くと、アウラはさっそく鉱石の採掘をはじめた。反響する音にモンスターが反応しないように、気を配りながらツルハシを振り下ろし、目的の鉱石を手に入れることができたのだが、量が少なくて武器を造るには足りなかった。
より多くの鉱石を入手するためには、ダンジョンの奥に潜る必要がある。だが、ダンジョンとしての性質上、奥に行くほど危険性が高まってしまう。しばしの思考の末、アウラの決断は作業の続行だった。
思えばこの段階で既に気が緩んでいた。ここまで順調にきすぎていたのもあるが、無意識のうちに警戒心が薄れていたのだ。
慢心して注意を怠った結果がこれである。不注意から遭遇したモンスターに追い掛け回されることになったのだ。
角を曲がる瞬間、視界の端に映った背後の光景にアウラを背筋を総毛立たせた。零れ落ちそうになる悲鳴をかみ殺して、迫りくる死の気配から逃走する。
それは足が異様に長い巨大な蟻だった。顎をギシギシと鳴らし、無機質な緑色の複眼には逃げる少女の姿を捉えている。
しかし、問題なのはそこではない。このダンジョンに蟻のモンスターが出現するのはわかっていた。ならばなにが問題なのかといえば、それは色だ。彼女が知る蟻の色は黒。だが、目の前にいる蟻の色は、鈍い輝きをした赤銅色。サイズも通常のモノよりも一回り大きかった。
ブラッディアント――通称、赤蟻と呼ばれるこの昆虫型モンスターは、このダンジョンに棲息しているキラーアントの変異種とされているが、それ以上の情報は一切不明だった。
【識別】により判別したのはモンスターの名称のみ。アウラとブラッディアントの”差”から得られる詳細情報はなしだが、元よりキラーアントですら持て余す身なのだ。変異種などと到底やり合えるはずもなく、彼女が取れる選択肢は逃げの一手だったが、彼女の足では赤蟻を振り切ることができず、命がけの追いかけっこはする羽目になっていた。
大して広くない坑道は赤蟻の巨体には狭くらしく、壁に体を擦りながら移動している。そのためまだ追いつかれずに済んでいるが、それもそうそう長続きしないことはアウラ自身が一番理解していた。
元より生産職であるが故に、すでに彼女の体力を底を尽きかけ、死にたくないという気力だけ辛うじて走っているようなモノなのだ。加えて、左腕の二の腕の辺りの服が切り裂かれ、白い肌には横に裂傷があった。
出会い頭に硬直してしまった隙をつかれ、一撃をもらってしまったのだ。運よく直撃こそ免れたものの、決して浅くはない傷口から流れる血で服が赤く染まっていた。
そんな状態がいつまでも維持できるはずもなく、彼女は足元に転がっていた石ころを踏んづけて派手に転倒してしまった。受身も取る余裕などなく身体を地面に強打した。鈍い痛みに明々する視界一杯に顎を鳴らす赤蟻が映った。
赤蟻は少女の頭を噛み砕かんと顎を広げた。瞬間的に変化する事態に硬直するアウラだがしかし、彼女が両手に握る大槌が生命の危機に反応してその機能を発揮した。
大槌が”バラけた”。六個の円形の金属塊に分離した大槌は盾となり、少女と赤蟻の間に際どいタイミングで割り込んだ。
少女を守る盾になった金属塊に頭から突っ込んだ赤蟻は、ギィッと異音を発すると赤銅色の尖った前足を突き出した。
ガキン、ガキンッ。金属を穿つ音が坑道に響いた。盾一枚を挟んで繰り広げられる眼前の光景にアウラは、歯をがちがちと鳴らしながら柄をぎゅっと握りしめた。
何度も振り下ろされる前足が盾を削る。金属の表面には無数の引っ掻き傷が無数に刻まれ、中には盾を貫通しそうなほど深い傷もあった。
「いや」
絶体絶命の窮地に、か細い声を震わす。
戦闘など論外。盾も後どれくらい持つかわからない。緊急回避手段である転移石も、使うタイミングを完全に逃してしまっている。
転移石は使用の際に若干のタイムラグがあるため、いま使おうとしても無防備なところを攻撃されてしまうのがオチだ。
現状、できることといえば柄の部分だけになった大槌で赤蟻を殴るくらいだが、そんなことをして一体になんになるというのか。
セーブもロードもないこの世界で、死だけは絶対に避けねばならない。その事態は断じて避けねばならない。だが、現実は非情だった。いまの彼女にこの窮地を脱する手段は、なにひとつ残されていなかった。
「まさか、こんなとこで、終わるなんてなぁ」
殺すなら早く殺して。目を閉じる。気味の悪い赤蟻の声と金属を穿つ音だけが耳朶を打つ。痛いのやだなぁ、と左腕の熱を帯びた痛みに顔を顰める。
「……まあ、いいか」
死ねばこの世界での記憶を失うのだ。この恐怖も痛みもなくなる。ただ、残念にも思う。脳裏に過去の出来事を思い起こす。楽しかったその記憶もなくなることの悲しさに、閉じた目から一筋の涙が溢れた。
持ち主を守りボロボロになった盾。邪魔な金属塊をいよいよ排除しようと、緩やかな動作で前足を振り被り――刹那、暗闇の中に眩い銀閃が瞬いた。
眩い火花が散り、赤銅色の前足が宙に跳ね飛んだ。赤蟻は劈くようなかなきり声を発しながら体液を撒き散らした。
状況の変化に目を開いたアウラが見たモノは、白いレザーコートを翻す白髪の少年の姿だった。剣の一閃で赤蟻の前足を切断した少年は、地面に座り込んだ少女を庇うように、左腕に固定された小型の盾を構えた。
細められた赤い瞳が鋭く、敵を睨みつけている。白髪の少年を危険だと判断したのか。ターゲットをアウラから目の前の少年に移した赤蟻が、口から強酸性の液体を吐き出した。
白髪の少年は迫る濁った液体を左腕の盾で防ぎ、次の瞬間にはすべてが終わっていた。赤い幽鬼の如き揺らめき。翻った剣先が赤銅の装甲を紙のように切り裂く。赤蟻の懐に跳び込んだ白髪の少年の剣がブラッディアントを両断した。
断末魔の悲鳴を上げる間すらなかった。頭上に表示されたHPバーが一瞬でゼロになり、複眼の光が消えたかと思うとその巨体が地面に崩れ落ちた。
淡い粒子に変換される赤蟻と、腰の後ろの鞘に剣を収める白髪の少年を見やり、アウラは呆けた表情で固まっていた。
目まぐるしく変化する状況にいい加減処理が追いつかない。なんにせよ危険は去った。そう理解が及び、とりあえずは安堵の吐息を吐こうとして、白髪の少年に後ろ姿に重なる赤いカーソルにひっと息を呑んだ。
箱庭世界では重犯罪者の証である赤いカーソルを持つ白髪の少年が、ゆっくりとした動作で呆気に取られる少女のほうを振り返った。
赤い瞳にじっと見られ、アウラはびくんと身体を震わせた。地面に尻餅をついたまま後ずさる少女に、困った様子で頬を掻く少年からは、先程まで感じていた威圧感は綺麗さっぱり消えていた。
こういう事態に弱いのか。どう対応したらいいのか迷っているようだ。彼は少女と薄暗い坑道とを交互に視界に映していたが、ため息を吐くと意を決した様子でつかつかと少女に近づき、地面にぺたりと座り込んだ彼女に右手を差し出した。
「あーと、立てる……?」
多分の緊張を含んだ声色にアウラは、ゆるゆると差し出された右手と彼の顔とを見比べていたが、やがて恐る恐る少年の手をそっと掴んだ。
彼は少女の手を引き立たせ、ポーチから回復ポーションを取り出した。それをアウラに手渡すと、彼女は小さく頭を下げてコルクの蓋を外した。中身を一気に飲み干した。
効果の高いポーションらしく、左腕の傷の痛みが嘘のように引き、減少していたHPも程なくして全快まで回復した。
アウラが一息吐いたタイミングを見計らい、白髪の少年は口を開いた。
「随分と無茶するな。見たところ一人だけで、仲間はいないみたいだし。……それとも、あれか、あいつにやられたのか」
「ううん。はじめから私だけです。その……鉱石の採掘にきて……そしたら、あいつが……」
途切れ途切れの拙い言葉ではあったが、それだけで彼は事情を察したようだ。そっか、と言うと足元に転がっていた大槌を拾い彼女に手渡した。
ありがとう、言い受け取るアウラ。盾から通常時の大槌の形態に戻っているそれを抱きしめる。傷だらけの大槌は彼女を守った証であり、この武器がなかったら彼に助けられる前にやられていたのは明白だった。
帰ったらちゃんと新品のように修復しようと心に決めるアウラに、どこか興味ありげな様子で少年は言った。
「随分と珍しい武器使ってるんだな。それって合成武器だろ。さっき採掘って言ってたけど、それって君が造った武器なのか?」
こくんと無言で頷く少女に感嘆の吐息を洩らす。
合成武器――二重属性武器は二つの武具を合成させて造る、その名前の通り主属性と副属性を持つ武器である。
例えばアウラの大槌は主属性の『大槌』とは別に、『盾』の副属性を持つ『槌盾』であり、六個の盾になる機能を備えているユニークな武器なのだ。
副属性を持たせることで武器の汎用性や機能を強化し、より強力な武器へと昇華させることができる――と言えば聞こえはいいが、そう簡単にいけばなにも苦労はしない。むしろ、合成武器はメリットよりもデメリットのほうが多いというのが一般的な認識だったりする。
二つの属性を持つということは、スキルスロットを二つ使うということである。貴重なスロットを一つ余計に消費するというわけだ。
さらに合成武器の熟練度は二つのスキルの平均値になるため、熟練度を上げるのが非常に面倒で手間がかかるのである。
そもそも合成武器を扱える鍛冶師からしてほとんどいないのだ。武器を合成するには専用のスキルが必要になり、そのスキルを入手するための前提条件を満たせるプレイヤー自体が少ないためである。
他にも合成する武具の選択を誤ると、合成する前より武器の性能が落ちてしまうことや、高価な武器を二つ用意しないといけない上、合成に失敗すると武器そのモノが壊れて使い物にならなくなるなど、使う側に敬遠される要素が満載なのだ。
そんなこんなで合成武器が発見された当時は流行ったのだが、すぐに色々な問題点が発覚してあっさりと廃れてしまったのである。いまとなっては扱える鍛冶師の少なさもあり、ほとんど見かけることのない珍品と化していた。
ただし、選択を誤りさえしなければ、強力な武器になるのは間違いない。アウラのような面白い使い方もできるし、噛み合ったときの爆発力は侮れない。結局のところは使い手次第ということである。
「なんにせよ間に合ってよかった」
ひとしきり感心した後、彼はアウラを気づかうように言った。
「これからどうするんだ。そっちがよければ出口まで送っていくけど」
その言葉にアウラは沈黙してしまった。
レッドネームプレイヤーは確かに凶悪犯とされてはいるが、眼前の少年からは悪意の類は感じられない。もし、彼が本当に悪者ならば有無言わずに襲われているだろう。
ダンジョンから脱出するだけならば彼の手を借りずとも、転移石を使えば済む問題であるが転移石の稀少さを考慮すれば、白髪の少年に送ってもらうのも一つの手ではある。
しかし、自分はまだ必要な分の鉱石を集めていない。このままでは武器を期限までに造れない。かといって、いまさら奥に行く心境にはなれなかった。
少なくとも一人では絶対に嫌だ。などと煩悶してながら彼女は言葉を搾り出した。
「転移石があるから。一人で大丈夫です」
「そっか。ンじゃ、俺は行くから。君も気をつけ――」
アウラの言葉に彼は踵を返し、その体勢のまま硬直した。
どうしたんだろうと少女は首を捻り、あっ、と声を洩らす。見ると彼女の手が白いレザーコートの裾を掴んでいた。やはり未練があるのだ。一人で採掘は無理でも、赤蟻を容易く倒した彼がいるのならば話は別。咄嗟にそんなことを考えてしまったのだ。
「……ひょっとして鉱石が足りてないのか」
その問いかけに悩んだ末、アウラは小さく肯定の声を発した。
「わかった。俺も付き合う」
え? とこちらを見上げる少女を見やり、彼は肩を竦めながら言った。
「護衛がほしいんだろ。急ぎの用事があるワケでもないしな。鉱石を採掘す間の護衛を引き受けてもいいぞ」
白髪の少年からの提案の意図を測りかね、アウラはじっと彼の顔を見つめ返した。居心地が悪そうな少年からはやはり、不純な気配は感じられなかった。
「私、いまお金あんまり持っていませんから、護衛料求められても払えないかもしれませんよ」
「そんなケチなことは言わないって。ただでいいさ」
探るように言うと苦笑された。そこに至ってようやくアウラは、彼が根の良いお人よしだということに気がついた。この提案も純粋に彼女を案じてのモノなのだろう。ならば、ここで断るのは逆に失礼に思え、少年の好意に甘えることにした。
「ありがとうございます。ならお願いしてもいいですか。……あっ、私はアウラって言います。短い間ですけどよろしくです」
「ああ。俺の名前は――その……あの、な」
そこで言い淀む少年の姿にアウラは小首を傾げた。名前を言おうか迷っているようだが、レッドプレイヤーだから名乗り辛いのだろうか。そう思いながら彼の顔を眺めていると、不意に肩の力を抜いて、白髪の少年は押し殺した声で口を開いた。
「ヘキサ、だ。よろしく頼む」
「――へきさ?」
直後、背筋に電流が走り、ばらばらだった断片が一つになった。
白髪に赤い瞳。白装束に片手剣と盾を装備したレッドプレイヤー。少女の知る情報の中にぴったりと該当する人物がいた。
「ヘキサって、えっ? ”あの”ヘキサ?」
「なにがあのなのかはわからないけど、アウラの想像する通りで間違いないと思うぞ」
途端に目を白黒とさせるアウラに、白髪の少年――ヘキサは自嘲するように口の端を曲げた。彼女の反応がわかっていたかのような苦笑だった。
「それでどうする。やっぱり止めるか」
アウラは言葉に詰まった。少年の正体を知って怖くないといえば嘘になる。何故ならば彼の名前を知らないプレイヤーはいないと言い切れるほど、白髪の少年の悪名はこの世界の隅から隅まで轟いているのだから。
だが、自分の前にいる少年はそんな噂とは対照的で、世間で云われているような極悪人には見えなかった。だから彼女は決めた。
「止めません。それよりも早く行きましょう」
そこに鉱石を入手したいという打算がないとはいわないが、アウラは居場所がなさげに笑う彼を信用することにした。
「ホントにいいのか……?」
意外に訊き返すヘキサに今度は、アウラのほうが苦笑いをしてしまった。本来ならばこちらが気をつかわないといけないのに。これでは立場が逆ではないか。
「もちろんです。さあっ、時間が勿体無いから急ぎましょう」
くすりと笑うとアウラはいまだに戸惑っている白髪の少年を引き連れ、鉱石を掘るために再びダンジョンの奥へと進み出した。