第五章 踊るように戯れろ(1)
自身を囲むように浮遊する紙の風船に、デュオは小さく舌打ちした。
あらかじめ仕掛けておいたのか。後退するレイヴンを追いかける彼を待ち受けていたのは、青空に浮かぶたくさんの紙風船だった。
ふわふわと空中を漂う紙風船だが、触れた瞬間に内部に蓄えられた魔力が反応して、爆発する一種の機雷であることをデュオは知っていた。
逃げ道を塞ぐように展開する無数の紙風船の向こう側には、茶髪の少年の背中が見える。露骨なまでの誘いだったが、奴を逃がすわけにはいかない以上、真っ直ぐ突っ切る以外に選択肢はなかった。
壁を蹴り空中に身を晒すと、こしだめに構えた剣を水平に振り抜いた。
刀身から放たれた錐のような形状をしたそれは、一見すると<衝波>に思えたが、練り込まれている生命子の量が桁違いだった。
青い衝撃波は直進すると、浮遊する紙風船の手前で弾けて、無数の弾丸と化した。まるで散弾のようだ。四散した弾丸が紙風船をまとめて撃ち貫き、貫通の衝撃で着火した風船が爆発した。
連鎖して次々と爆発する風船機雷が、青い空に紅蓮の大輪を咲かせる。外力術式≪雹雨≫。前面に大量の生命子の弾をバラまく方術で、一つ一つの弾自体の貫通力も高い。
大気中で燻る紅蓮の残滓を突き破り、黒煙から飛びだしたデュオは、身体を反転させて飛来した紙の短剣を弾いた。効果を失いただの紙に戻った短剣を切り裂き、前方の建物の屋根に着地する。面を上げれば、強烈な光を孕んだ双眸と視線があった。
屋根を挟んで対峙するデュオとレイブン。
「まいったね、こりゃあ。……あんだけやって無傷かよ」
口ではそう言いつつも、彼の口調に陰りはなかった。むしろ、白髪の少年ならそれが当然といわんばかりの口振りである。
「ホントにデタラメなヤロ――ギィッ!?」
自身の胸に食い込んだ切っ先に、レイヴンの口から奇怪な音が漏れた。
瞬きひとつの間に間合いを詰めたデュオの剣が、半ばまで彼の胸を貫き、背中からは赤い液体に塗れた切っ先が覗いている。
白髪の少年は鮮血に顔色ひとつ変えずに剣を引き抜くと、身体を駒のように反転させて剣先を翻す。下から鋭角に跳ねた刀身が、レイヴンの首を不気味なほどあっさりと切断した。
手毬のように飛んだ頭部が、青い空に朱の線を引く。首から上を失った身体がゆっくりと倒れ――無数の紙片になり、風に煽られて宙に舞った。
螺旋を描く紙片がデュオを取り囲み、その身を切り裂かんと殺到した。触れるモノすべてを両断する鋭利な紙が、彼の周囲にあるモノを微塵にする。
鋼鉄すら断つ紙吹雪を目前にし、デュオは目を細めると、軽く腕を振った。
それは方術ですらなかった。体内で練った生命子を、指向性を持たさずに放出する。彼がやったのはそれだけだ。
それだけで紙吹雪は、膨張する生命子の圧力に耐えかねて、木っ端微塵に弾け散った。細切れになった紙の切れ端が、風に運ばれて空に吸い込まれていく。
不意に視界が暗くなった。見るとデュオの周囲には、歪な形状をした影が射している。頭上の違和感に空を仰げば、そこには巨大な手があった。
肘から先までの巨大な『左腕』が宙に浮いている。四本指の手は白く、目を凝らせばそれが、何万枚もの紙で形作られていることがわかるだろう。
頭上から落下した巨大な紙の腕が、建物ごとデュオを押し潰した。丈夫な構造のはずの建築物が飴細工のように拉げ、メキメキと轟音を響かせて崩壊する。
周り建物を巻き添えにし、地響きを伴う紙の腕が地面を砕き――迸る閃光が手の甲を貫いた。天を衝く青い光の奔流が、紙の腕を遥か上空に押し上げる。
もうもうと砂埃が舞い上がる中、ゆらりと人影が立ち上がった。デュオだ。青い光は彼の右手の剣から迸っていた。激しい濁流に晒されたが如く、『左腕』を構成している紙が一瞬にして蒸発していく。
外力術式≪天輪≫。対大型モンスター用の大技。絶大な威力を誇るが消費する生命子の関係で、ほとんど使い手のいない術式だ。
右手を一閃。それだけで『左腕』は一片すら残さず消滅した。噴出する生命子の残滓が、大気中でキラキラと輝く。デュオは何事もなかったかのように襟飾りを翻し跳躍すると、余波で半壊した建物の屋根に着地した。
「やれやれ。これでも駄目か」
横から耳朶を打つ声に、驚いた様子もなく、そちらを見やった。そこには壁に寄りかかるようにして立つ、茶髪の少年の姿があった。
「並の自称『王城派』なら、いまので七割殺しくらいにはできるんだけどなぁ」
「……なにが目的だ」
「あぁ? なんだって?」
「この馬鹿騒ぎの目的だ。なにがしたくて、街にモンスターをブチまけた」
ぐるりと首を巡らして、変わり果てた街並みを見回す。遠くのあちらこちらで黒煙が立ち上っている。耳を澄ませば風に混じって、獣の唸り声が聞こえてくるようだった。
いま立っている場所が郊外なためか、この辺りの被害は比較的軽微だが、街の中心部は騒乱は相当に逼迫しているはずだ。
特にいまは人数の補充期間が終了し、多くのプレイヤーが上層に移動している時期である。戦えるプレイヤーが少なくなれば、それだけ被害も拡大してしまう。
「理由ねぇ。そうだな……」
問われたレイヴンは一拍の間を空けると、
「暇つぶしだな」
飄々とした態度で、そんなことを口にした。ふざけているとしか思えない答えだが、それがレイヴンという少年なのだ。
≪悪夢症候群≫。
一角の髑髏をシンボルに掲げる、プレイヤーキラーのみで構成された闇ギルド。数ある闇ギルドの中でもっとも、危険視されている集団である。
所属しているプレイヤーも頭の螺子が外れたイカレた連中ばかりで、全員がなにかしらの罪で、多額の賞金が賭けられている。あるいは、それこそが≪ナイトメアシンドローム≫への入団条件だと揶揄されているくらいだ。
そして、眼前の人物こそが≪ナイトメアシンドローム≫の幹部の一人にして、ファンシーにおける最重要危険人物に他ならない。
凶刃、レイヴン。
デュオに言わせれば典型的な愉快犯だ。モンスターを街中に持ち込む方法はあるにはあるが、過程で膨大な時間と資金を必要とするモノだ。
それだけ準備に手間をかけておきながら見返りはなにもない。普通ならば実行しないであろうことを、自ら進んで平然とやってのける。
利益もコストも手間すら度外視にして、やるといったら必ず実行する。自分の一時の悦楽のためならば、仲間を巻き添えにすることすら厭わない。結果よりも過程を楽しむと言えば聞こえはいいが、ようは身勝手で他人の都合を無視しているということの裏返しである。
自分本位の愉快犯。その捻じ曲がった本質こそが、凶刃の凶刃たる所以である。
「そうかよ。……じゃあ、もういいや」
情報を得るために生け捕りにしようなんて考えは甘かった。白髪の少年の雰囲気の変化に、レイヴンの顔から笑みが消えた。
デュオの右手の刃が鳴る。所有者の意思を反映するかのように、刀身から仄暗い鬼火のような青い光が揺らめく。
一触即発の空気が充満する。息すらできぬほどの苦しい重圧の中、沈黙を破ったのは濡れるような熱を帯びた声だった。
「楽しそうねぇ。わたしも混ぜてくれないかしら?」
屋根が炸裂した。足元から伸びる厚みを持たない複数の黒い手が、白髪の少年に狙いを定めて襲いかかる。予期せぬ不意打ちもしかし、デュオを害するには至らなかった。剣先が霞む。群がる黒い手をほぼ同時に切り裂き、レイヴンの傍らに立つ女性を睨みつける。
紫のドレスを纏った女性だった。露出の高いドレスから均整のとれた褐色の肌を晒し、大きな瞳を微熱に潤ませている。
「はぁい。元気にしてたぁ?」
甘ったるい調子で言うと、パメラは口元を歪めた。
パメラはドレスと同じ紫色の瞳を細めると、隣りに立つレイヴンにその褐色の肢体を押し付けるように纏わりつかせた。
「遅かったじゃない。待ちくたびれちゃったわ」
「悪い悪い。途中で怖い正義の味方様に遭遇しちまってな。いまもこうして、追い掛け回されていたところだ」
「それは大変だったわね。だったら……」
パメラの足元の影がざわめいた。
影の表面がぼこぼこと泡立ち、そこから再び黒い手が飛びだしてきた。紙のように厚みのない黒手は、瞬く間にその数を増やしていく。
実に百を超える異形の手が、妖艶な女性に群がるさまは、見る者に吐き気を催させるには十分だった。
「二人で退治しちゃいましょう」
直後、鎌首を擡げた黒手の群れが、白髪の少年目掛けて放たれた。
屋根を蹴って、後方に跳ぶ。一瞬前までデュオがいた地点の屋根を砕き、黒手は細長い指を気味悪く震わせて、猛然とデュオを追跡する。
デュオは空中で身体を捻り黒手をかわす。すかさず別方向から迫る黒手が、宙で身動きのとられない彼に腕を振るう。
だが、その黒手の一撃も白髪の少年には届かなかった。彼は脇を通過する黒手に剣を突きたてた。ゴムのような弾力が柄から伝わってくる。
ぐんっと身体が横に引っ張られて、目前まで迫っていた黒い腕が空を切る。剣を引き抜き黒い手の側面を蹴りつけて、右側に見える黒腕に飛び移った。
黒手の動きは決して遅くない。高速で動き回るそれらを、視界に捉え続けるのは至難の技といってもいい。一度その手に捕まれば、抵抗する間もなく蹂躙されるだろう。
だというのに、それを百以上も行使し、それでも白髪の少年を捕らえるには力不足だった。当たらない。かすりすらしない。魔法の産物故の常識を無視した軌道も、先読みしたかのような動作によって捌かれてしまう。
と、そのとき視界の端に映る影があった。モンスターである。背中から蝙蝠の羽を生やした醜悪なモンスターだ。
バットデビル。10界層クラスのモンスターである。血の臭いに酔っているのか。普段ならば生存本能で絶対に近づかないであろう、デュオに上空から奇襲を決行する。
結果はわかりきっている。バットデビルはすれ違いざまに一蹴されてしまうが、それによってデュオに僅かな隙が生じた。
百を超える黒手がデュオを取り囲む。上下左右。逃げ場はない。一斉に襲い掛かってくる黒手に、彼は胸の前で剣を構えた。
キィン、と剣から高周波めいた甲高い音が響く。刀身に蓄積された生命子が輝き、周囲に青い光を放射する。眼前の魔手を見据え、デュオは青く輝く剣を振り抜いた。
刀身から放たれた斬撃が、拡散して無数の刃と化す。外力系方術≪蓮華≫。虚空に刻まれた斬線が、すべての黒手を一瞬にして切り刻む。
バラバラになった黒手が大気に解ける――かに思えたが、瞬時に復元するとまたしても彼に向かって歪な手を伸ばす。
一方、デュオにも動揺はなかった。元を断たなければ意味がないのは承知していたことだ。白いレザーコートの裾を翻し、迫る黒手の群れをかわす。黒手への魔力の供給源。つまりはパメラだ。彼女をどうにかしない限り、この鬼ごっこには終わりがない。
この箱庭世界の大気には、特性の異なる七色七種類の粒子が含まれている。
赤は火素。青は水素。緑は風素。茶は土素。白は光素。黒は闇素。紫は霊素。この粒子こそが元素であり、魔法使いの力の源でもあるのだ。
魔法使いたちは自身の魔力と大気中の元素を干渉させることで、あらゆる超常的な現象を発動させる。
これが魔法だ。そして、魔法使いが使用可能な魔法は、自身が視認できる元素の属性に限定されているのである。
そのため誰しもが自由に魔法を使えるわけではない。
単一の元素しか視えないプレイヤーはその属性の魔法しか使えないし、複数の元素が視えたとしても、それ以外の元素を行使する魔法は使用不可能なのである。
視認可能な元素は基本、アバター作成時に決定されて、それ以降は変化しない。後天的に開花するケースもあるが、それは本当に稀なことなので除外してもいいだろう。
魔法は素質の世界、と云われる所以である。
デュオの知るところでは、パメラは闇属性の扱いに長けた、単一特化型の魔法使いだ。闇は扱いの難しい属性で、使い手の数も少ない。彼女ほど闇素の扱いを心得た魔法使いはいない、とは彼の仲間が洩らした言葉だ。
剣が閃く。放たれた斬撃が、前方の黒手をまとめて薙ぎ払う。斬撃はそのまま明後日の方向に飛んでいくと、直角に軌道を変化させ、褐色の女性へと牙を剝いた。
≪飛燕≫。外力に系統される方術。軌道を途中で変化させることができるが、事前入力式なので、扱いには相当の練度を要求される方術だ。
「闇よ、溢れろ」
眼前に出現した闇の障壁が、青い斬撃を受け止めた。予想外の事態でも、咄嗟に障壁を展開するのは流石というべきか。
しかし、パメラにとって想定外だったのは、≪飛燕≫に練り込まれた生命子の量だった。通常では考えられない量の生命子に、ガリガリと障壁が削られて悲鳴を上げる。
パンッ! と障壁が弾けた。パメラを貫こうとする≪飛燕≫に、紙の刃が食い込んだ。さらに紙による盾を形成。青い斬撃は紙盾の表面に穴を穿ったところで力を失い消滅した。
「あっぶねぇー」
デュオから視線を外さずにつぶやくレイヴン。
あわよくばデュオに強襲をしかけようとしながらも、黒手を避けながらこちらへの警戒を怠らなかった彼に、隙を覗っていたがそれどころではなさそうだ。
外力は生命子を放出する特性上、内力よりも消耗が早い。加えて、白髪の少年がこれまでに使用した方術を考えるに、並のプレイヤーならばすでに生命子が枯渇してしまっている。
にも関わらず、デュオには枯渇するどころか、消耗している素振りすらない。痩せ我慢――ではない。本当にまだまだ余力があるのだ。
「化け物め。やっぱ普通じゃねぇな」
二人がかりでこれだ。本当に呆れるような化け物ぶりだ。なんてことを考えていたときだ。またしても状況が変化した。
空中で炸裂した閃光が、黒手を焼き払う。パメラが魔力を供給させている限りは、自動的に対象を追尾するはずの黒手が、跡形もなく消滅した。
光属性による闇属性の相殺。
突然の事態に顔色を変えたのは、パメラだけではなかった。
「……ヤバい」
”慣れ親しんだ”反応にデュオは、青ざめた表情でそちらを見やり、白いクロークを靡かせる少女を発見して絶句した。
「ふふ。やっと見つけたぁ」
満面の笑みに蕩けるような声色。
なのに何故か怖気が止まらなかった。少女の後ろに鬼の姿が見えるのは、はたして自分の目の錯覚なのだろうか。
「ど、どうしてここに……?」
「それはこっちの台詞よ。どうしてデュオがここにいるのかしら?」
「さ……さあ、なんででしょう」
先ほどまでの冷静さが嘘のような動揺ぶりである。
「ふうん。……いいわ。その話はまた後で。いまは――」
視線を白髪の少年から、二人組みのプレイヤーキラーに移す。茶髪の少年はどこか愉快げに、褐色の女性は嫌悪の眼差しでこちらを見ている。
「あいつらを捕まえるのが先。この惨事の代償を払わせてやるわ」
先端に白い宝石が嵌められた金属の短杖を翳す。
「行くわよ、デュオ」
「了解。さっさと片付けよう」
「それから……これが終わったら、デュオにはお仕置きフルコースだから。――覚悟しときなさい」
「……うぃ」
絶望的な表情で相槌を打つと、デュオは剣に生命子を走らせた。白い光と黒い光が入り乱れ、噛み合う金属音が周囲に木霊した。