第四章 誰がための剣(1)
「――酷い」
モンスターが徘徊する魔都と化した街並みを見下ろし、少女は目を伏せると悲しげな吐息を洩らした。
「派手にやらかしてるな」
「そうね。間に合わなかったわ」
彼女は目の前の惨状に唇を噛みしめた。胸元の両手は固く握られ、血の気が失せて白くなっている。
「知らせがきたタイミングがタイミングだし、仕方がないって。むしろ、襲撃に間に合っただけ、運がよかったと思うんだな」
まさに紙一重だった。報の届く時間が前後にズレていたら、自分たちはここにはいなかった。結果的に被害もさらに拡大していたはずである。
「それにまだ終わったわけじゃない。これから挽回すればいいだけだろ。モンスターを一掃して、犯人をぶちのめす。それで解決だ」
「……ええ。そうね」
違うか? と問いかける少年に、彼女は身に纏っているクロークを靡かせた。白いクロークの裏には、合計で七本の杖が格納されている。
鈍い光沢をした金属製の短杖で、先端にはそれぞれ違う色の宝石が嵌められていた。彼女はその中から、緑色の宝石が象嵌された短杖を引き抜く。
くるくるとバトンのように短杖を回転させると、眼前で構えて目を閉じた。可憐な唇が空気を震わせ、短杖の先端の宝石が明々する。
ざわりと大気が揺れた。金属杖から色のない透明な波動が放射状に広がり、街全体をすっぽりと包み込んだ。
「どんな感じよ?」
「やっぱりモンスターは街の全体に展開してるみたい。数は多いけど単体の強さはさほどでもないわ。ただそのうち何体か、生命子が極端に高いのが混じってる。生命子の量から判断するに、おそらく30界層クラスだわ」
まるでドゥナ・ファムを俯瞰しているかのように、淀みない口調でモンスターの位置座標を口にする。流石に現在の場所からだと固体情報までは把握できないが、位置を特定するくらいならば朝飯前だ。
「ふうん。ここら辺の連中が相手するにはキツいな」
「それから――この反応。あいつら……!」
舌打ちする。露骨に顔をしかめる少女に、少年は口に咥えた煙草を揺らした。
「やっぱりいたか?」
「いる。レイヴンにパルマ。カイリもいるわ」
「こりゃまた、豪勢なことで。問題児が勢ぞろいってか」
常日頃から彼女から問題児扱いされている自分のことを棚上げすると、煙草から紫煙を燻らせて、楽しげに口の端を歪めた。
「……不謹慎」
「失礼。性分なんでね。勘弁してくれ」
ジト目に肩を竦める。
戦力としては申し分ないのだが、この性格をなんとかしてくれないかと思うのは、こちらの求めすぎなのだろうか。
もっとお仕置き――物理的な意味で――すれば矯正できるかしら、と怖いことを考えながら、張り巡らした網に意識を集中させる。
魔法の効果範囲を維持しつつ、索敵対象を前述の三人に変更する。
いま彼女の脳裏には、ドゥナ・ファムの立体的な画像が浮かんでいる。細部までは再現されていない大雑把なモノだが、対象の行動を把握する分にはこれ十分だ。
指紋や声紋が人によって異なるように、生命子の波長にも個人差が存在しており、それは生命子が膨大になるほど顕著になる。
あらかじめ生命子の固有反応を記憶しておくことで、広範囲の索敵でも個人の識別が可能になるのだ。どうやらレイブンとパルマは合流しようとしているようだ。二人の座標を示すマーカーの距離が縮まっている。
カイリは――わからない。一見すると闇雲に彷徨っているように思えるが、なにか目的があるのだろうか。
それと気になることがもう一つある。どうもレイヴンの動きが変だ。パルマと合流しようとしているのだろうが、その移動ルートが一直線ではないのだ。
法則性のないジグザクのルートに小首を捻る。加えて、彼と併走する反応が一つ。二つの反応は近づいたり離れたりを繰り返している。
「ひょっとして誰かと戦っている?」
しかし、誰と? 少女の知る限り、レイヴンと互角に戦える人物は少ない。そんな人物が用もなく、こんな低層にいるとは思えないのだが。
気になった彼女は、そちらの反応に索敵対象を切り替え、
「え? うそ……なんで、ここに……?」
膨大な生命子の反応に瞠目した。
現在、この街から感じる固体としては最大の生命子だが、彼女が驚いたのはそこではなかった。その生命子の波長が、彼女の知る人物と一致したのだ。
「勘違い? ……ううん。やっぱり、そうだわ」
「どうした? なにか問題でも発生したか?」
切れ長の目を瞬かせる少女は、顔を少年のほうに向けると端的に言った。
「デュオがいる。レイヴンと戦ってるみたいだわ」
「……はあ? なにやってんだアイツ」
書き置き一枚だけを残して、突如として自分たちの前から姿をくらました白髪の少年。今頃、なにをしているかと思えば、ここでその名前を聞くとは。
これも主人公体質のなせる技なのか。
「私たちよりも先に感づいた? ……いえ、だとするとこっちに連絡がないのおかしいし。いくらなんでも一人で突っ込んだりはしないはずだわ」
過程がわからない仲間の行動に、少女は爪を噛むと反応のする方向を睨んだ。
白髪の少年には言いたいことがたくさんあった。相談もなく突然姿を消した理由もそうだし、いままでどこで油を売っていたのか問い質したい気持ちもある。
だが、いまはそれどころでないのも十分理解していた。
「私はデュオのところに行くわ」
モンスターの駆除も大切だが、なによりも主犯であるレイヴンたちを捕まえることが第一優先だ。こんな惨状を二度と作らせるわけにはいかない。
「愛しの王子様との再会か。胸が高鳴るな」
「ウン? ゴメン。聞こえなかった。なにか言ったかしら?」
「いや。空耳じゃないか」
にっこりとした笑顔に真顔で返す。
機嫌の悪いいまの少女に、迂闊な発言は命取りとはわかっているのだが、それでも茶化さずにいられないのは自分の性分なのだろう。
「ンで? オレはどうすればいい?」
「カイリをお願い。それとモンスターも片付けて」
「おいおい……オレ一人で潰せってか。流石に無茶だろ。日が暮れちまうぞ」
単純に強さでいうのならば、彼だけでモンスターを全滅させることは可能だ。とはいえ、モンスターが散らばっている以上、一人では時間がかかりすぎる。
速やかに殲滅するには頭数が必要不可欠である。
「増援は呼んでるわ。しばらくしたらくるから、それまではよろしくね!」
そう言い残して、少女はふわりと宙に舞った。
「それと、データーはそっちに転送しといたから。有効に活用して!」
制止する余裕もあればこそ。あっという間に霞んでしまった小柄な姿に、やれやれと肩を竦める。
「あらら。行っちまいやがった。なんだかんだ言って、アイツが心配ってか。そのうち胸焼けするっての」
咥えた煙草を下に落とす。足で煙草の火を消しながら、データーマップを表示させる。画面は無数の黒いアイコンで点滅している。
「バラまきすぎだろ。処理するほうの身にもなってほしいぜ」
黒いアイコンの多さに帰りたくなったが、そんなことをすれば待っているのは、お仕置きという名の惨劇である。
これというのもすべては白髪の少年のせいだ。戻ってきたら一晩中愚痴ってやる、と心決めて、どこからともなく出現させた大鎌を旋回させた。
鋭利な曲線を描く刃が、獲物を求めて妖しく輝く。
「さて、と。そんじゃあ、お姫様に文句言われないていどには働きますか」
言って、赤い衣を纏った少年は、モンスターが犇めき合う街に身を投じた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
これは選択を誤りましたか、とライラは自分が置かれた現状を再確認し、目の前の光景にそう内心でつぶやいた。
小奇麗だった店内に、モンスターの唸り声が木霊する。
床には棚から落下して割れてしまった薬の瓶や、アイテムの類が散乱していた。
落下による破損を免れたアイテムも、モンスターに踏まれてしまい、大半のモノが壊れて使用不可能な状態になっている。
中身を床にブチまけた高価な回復薬をぼんやりと目つきで眺め、頭上から響いてくる獰猛な唸りにそちらを見やると、興奮に血走る異形の瞳と目があった。
店内に侵入した額から角を生やした熊のモンスターが、振り上げた腕をライラ目掛けて振り下ろした。
鋭い爪が金髪の少女の身体を引き裂く――直前、彼女を中心に展開された不可視の障壁が、角熊の攻撃を弾き返した。
グルル……ッ。苛立ちに喉を鳴らし、ホーンベアは両腕を振り回すが、その悉くが障壁に遮られ、ライラには届かない。
彼女の右手には、細長い金属板が握られている。錆色の金属板は仄かに発光し、金髪の少女の周りに防壁を発生させている。
モンスターを退ける障壁を発生させる結界アイテムである。
ホーンベアが店の壁をブチ破り、店内に入ってきた際に、衝撃で足元に金属板が転がってきたのは幸運だった。
こちらに突進してくる角熊の攻撃を障壁で防ぎ、後は見てとおりの膠着状態である。
ホーンベアの攻撃は金属板の効果で防げるが、自分のほうも目の前のモンスターを撃退する方法がないのだ。
店内には攻撃アイテムもあるが、それには結界の外にでなければならない。そんな悠長な動作をモンスターが許すはずがない。
加えて、この膠着状態がそう長くは続かないことを、ライラは理解していた。
視線を手元の金属板に落とす。効果を発動させた当初よりも、発光が鈍くなっている。それに耳を澄ませば、キシキシと小さな軋み音が聞こえてくる。
耐久力が限界にきているのだ。元々、低界層用の緊急回避アイテムで、長時間の使用は考慮されてはいない。
そうしたアイテムもあるにはあるが、店内に散らばったアイテムに混じって、どこにあるのかわからなくなってしまっている。
すべては判断ミスをした自分の責任だ。外の異変に気がついたときには、すでにモンスターが街に解き放たれたあとだった。
その時点でライラに残されていた選択肢は、このまま店に立て篭もるか、安全地帯まで歩いて逃げるかの二択だけだ。
結果として彼女は前者を選択したわけだが、篭城のための準備をしようとした矢先に、ホーンベアの襲撃にあってしまったのである。
もし、あそこで店を跳びだしていれば――と考えて、ライラは静かに被りを振って自身の思考を否定した。走れない自分の足で街に逃げたとしても、一度もモンスターと遭遇せずに、人のいるところまで辿りつけるとは思えない。
モンスターに見つかり抵抗する暇すらなく、殺されてしまうのがオチだろう。所詮、自分は奪われる側の存在なのだ。
哀れな一般市民でしかない自分に、戦う術などあるわけがない。こういった事態に巻き込まれた段階で、自分の運命は決まっていたのだ。後は遅いか早いかの違いでしかない。
しかも、その時間もすでに尽きかけている。アイテムの効果が切れた瞬間、角熊の爪が自分の身を切り裂くだろう。
自分の生命が終わるその瞬間を予期し、そのうえで尚、彼女の表情が変わることはなかった。目前に死の恐怖が迫っているというのに、まるで動揺した気配が感じられない。いつもと同じ無表情がそこにはあった。
ピシリ、と金属板に亀裂が生じた。同時に展開されている不可視の障壁が揺らぎ、相殺できなかった一撃の余波が、緩やかにカーブする金髪を乱した。
「……限界ですか」
空気を震わせる声は、やはり醒めた音を響かせる。
それにしても本当についていない。一週間前に拉致されたばかりだというのに。その直後で早くもこれである。
障壁は持って後、二発三発といったところだろう。それ以上は持つまい。これで終わりか。そう判断する思考も冷静で、心には小波一つ立たない。
ふと代わりに思ったのは、昔に読んだことのある絵本の内容だった。色褪せた記憶の中で、色彩を保つ数少ない想い出のひとつ。
悪い魔物に襲われたお姫様を助ける王子様。
それだけの話だ。どこにでもあるような作り話故の幸せな物語。物語だからこその結末であることを彼女は知っていた。
知っているからこそ、助けがくる――なんて考えなど、ライラには微塵もなかった。
奇跡はあるかもしれない。だが、それが自分とは関係のない世界の話だと、彼女は過去の出来事から痛感していた。
無意識のうちに右足を細い指先でなぞりながら、金属板を強く握りしめる。
助けはこない。自分を助けてくれる存在など元からいない。いないのだが、何故か脳裏に過ぎるのは誘拐犯から自分を救った白髪の少年――ではなく、気の弱そうな顔であった。
「ふふ。まさかですね」
期待しているのか。彼が自分を救ってくれることを。度し難い。それこそ夢物語だというのに。……ただ、無事を願うくらいならいいだろう。
その程度には交流があったと思うから。
バキンッ、と金属板が割れた。目には見えなくても、障壁が消えていくのが気配でわかった。なによりも、眼前のモンスターの圧力が、増したように感じられた。
自身を守る唯一の手段が失われ、死に抗う力も方法もない。
――だからだろうか。
我ながら本当に度がし難いとは思うのだが、
「ライラ――――――ッ!!」
金属板が砕けた刹那、玄関をぶち抜き跳び込んできた黒髪の少年に、まったくもって不覚なことではあるが、一瞬だけ物語の主人公の姿を重ねてしまった。
玄関を蹴り破り、店内に踏み入ったヘキサは、勢いを殺さずに跳躍すると、ホーンベアに大剣を振り下ろした。怒りが込められた刀身はギロチンの如く、角熊の野太い首を一太刀で両断する。
ゴトンと重たい音を立てて首が落ち、頭部を失った胴体が血を吐きだしながら、ゆっくりと床に崩れた。その光景をライラは、信じられない想いで見つめていた。あるいはその一瞬だけ、心臓が止まっていたかもしれない。
それほどの衝撃を彼女は受けていた。死を確信しても顔色一つ変えなかった少女が、目を見開き呆けた表情をしている。
淡い粒子に変換されるモンスターの遺骸を傍らに、黒髪の少年は軽やかに着地した。鋭い視線で店内を見回し、他にモンスターの姿がないかを確認する。
そして、警戒態勢を維持したまま、ライラに駆け寄り――床に転がっていた硝子球を踏みつけて、勢いよくカウンターに顔面を打ちつけた。
「――はぁ」
ライラの口から吐息が漏れたのも仕方がないことだった。なんというか……流石に、これは酷い。物語が空想の特権だったとしても、やり方があるのではなかろうか。
顔面を強打し、鼻から血を滴らせ、痛みから床をのた打ち回るヘキサを横目に、ライラは思わず頭を押さえてしまった。
「まあ、彼らしいといえば、らしいかもしれませんが」
コンコンと頭を叩いてさっきの妄想を追いだすと、口元に微苦笑を湛えて、金髪の少女は右足を引き摺りながら、ヘキサに歩み寄った。