第三章 凶刃と英雄狂(3)
眩しい陽光に目を細めて、デュランは欠伸をかみ殺し、ヘキサが滞在している宿屋に向かって歩いていた。
プレイヤーで溢れていたドゥナ・ファムも、いまは以前ほどの活気を感じられなかった。時間が経ち『四期生』が拠点をより上層に移したためである。
ライラがプレイヤーキラーに攫われてから一週間が経過していた。
一命を取り留めたプレイヤーキラーたちは全員、デュランの手によってマリーゴールドに突き出され、リーダー格の男が持っていた指輪も同時に回収された。
それにしても透明化できる指輪には驚かされた。なんとかに刃物とはよく言ったモノだ。否、むしろ所持していたのがあの程度のプレイヤーでよかったかもしれない。
なんにしろ、拉致されたNPCの少女たちも無事に元いた場所に帰された。事件も解決して一件落着――といけば万々歳だったのだが、そうは喜べない事情があった。
ヘキサだ。あの事件の翌日から彼は部屋から出てこなくなった。
一応、食事は取っているようだし、ドア越しになら会話も交わした。だが、この一週間、一度も顔を合わせていなかった。
間違いなくライラ――本人はすでに自宅に戻っている――を助けられなかったことを気に病んでいる。ここまで順調に進んでいただけに、ショックも大きかったのだろう。
しかし、それは仕方がないことなのだ。この世界にきてからまだ二ヶ月と経っていない彼には、どうすることもできなかったのは事実である。
それこそ理由などいくらでも挙げられる。レベルが違う。スキルが違う。人数が違う。相手が悪かったの一言に尽きる。
「――なんて、納得できないよなぁ」
できるはずがなかった。
初心者から半歩踏み出した程度。そんなことヘキサだって重々承知しているだろう。が、違うのだ。例えわかっていたとしても、納得できるかは別問題なのだ。
デュランも過去に経験があった。己の無力さに嘆いたことだってある。だからこそ、ヘキサの気持ちがよく理解できた。
が、いつまでも落ち込んでなどいられない。どうにかして立ち直させたいデュランだったが、これといった手段も思いつかないでいた。
ライラでも連れてくるか? と内心で思うものの、余計に悪化する可能性もあるため、それは最終手段に取っておいたほうがいいかもしれない。
はてさてどうしたモノかと首を捻ってしまう。面倒を見ると言ったのは自分だ。彼の気持ちがわかるだけに、途中で投げ出すことはしたくはない。それになんだかんでこちらも楽しませてもらっているというのもあった。
自分のときはどうだったっけ? と記憶を思い起こそうとし、額に脂汗を浮かばせて苦汁の表情で呻いてしまった。
過去の記憶を思い起こしているうちに、仲間たちの顔が脳裏を過ぎった。書き置き一つを残し黙って出てきてしまったが、現在はなにをしているのやら。
「ってか、絶対に怒ってるよなぁ」
間違いない。書き置きを見つけたときの激怒ぶりが、リアルに連想できる。しかもその対象は自分なのだ。
「と、とりあえずはいいか。もうしばらくは大丈夫――なはず。うん。多分。確証は全然ないけど」
背筋を走る寒気に頬から大粒の汗を流し、必死に自分に言い聞かせるデュランは、ぶんぶんと首を振って不吉な考えを吹き飛ばした。
ま、いいさ。早いトコあいつの尻を蹴っ飛ばして立ち直らせて、この瞬間をもう少しだけ楽しもう。いまはいまで充実しているのだから。
そんな柄でもないことを考えながら、デュランは大きく伸びをし――直後、都市を駆け抜ける劈くような轟音に表情を一変させた。
連続で炸裂する閃光と爆発音。甲高く響き渡る悲鳴と異形の咆哮が木霊する。
最初の衝撃から立ち直ったデュランが見たモノは、青空を汚す大量の黒煙と、街中に溢れかえるモンスターの軍勢だった。
目の前の光景に脳が追いつかない。どうしてこれだけモンスターが突如として、街中に出現したのかワケがわからなかった。
ただ一つだけ確かなことがあった。街中に安全地帯はない。千界迷宮の内部と同等の危険地帯と化したのだ。
「っく。ヘキサッ!」
悲鳴を上げて逃げ惑う人々の間を縫い、デュランはヘキサの宿泊している宿屋を目指し、迫りくるモンスターを蹴散らしながら魔窟と変貌した街の中を走った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
カーテンを閉め切り、陽光を遮った暗い室内。ヘキサはベットで膝を抱えて蹲っていた。この一週間というもの食事や睡眠など必要最低限の生理現象を除き、ずっとこうしてなにをするワケでもなく、部屋の中に閉じこもっていた。
情けない。恥かしい。結局、自分は助けられてばかりで、肝心なところではまるで駄目な役立たずではないか。
そんな考えばかりがぐるぐると頭の中を巡っていた。わかっている。まだこの世界にきて日の浅い自分にどうこうできることではないと。
自分は弱いなど百も承知だ。10界層をクリアしたばかりの探索者で、レベルだってまだまだ下から数えたほうが全然早い。
上を見上げれば数え切れないと理解しながらも、それでも抑えきれないモノが胸の奥からふつふつと溢れでるのを止められなかった。
そういえば、レストランの券ってどうしたっけ?
ふと脳裏に浮かんだことにしかし、ヘキサは再び項垂れてしまった。手元にないのだから、どこかに落としてしまったのだろう。それにいまさらどの面を下げて、ライラに会いに行けばいいというのだ。
正直にいってしまえば、もう少し自分はできると思っていたのだ。
だが、実際はどうだ。なすすべもなくあっさり気絶して、事件を解決したのもライラを救出したのも全部デュランではないか。
所詮、自分など脇役にすぎないのだと思い知らされたようで、それが堪らなく辛くて悲しかったのだ。端的に言ってしまえば、ヘキサはヒーローになりたかったのだ。
弱き者を助け、悪を打倒するヒーローのような存在に。むろん、ヘキサとて無邪気にサンタクロースを信じるような子供ではない。
ヒーローなんて空想の中だけの存在だと理解していた。しかし、この世界6ならば、物語の世界ならば空想の存在にもなれると思ったのだ。
否、実際にヘキサは己の理想像に対面していた。自分の危機に颯爽と駆けつけた白髪の少年。その背中こそ彼が目指すべきモノだった。
だから自分もああなりたいと思った。思ったからこそ、強くなろうと決心したのだ。なのに、空想の世界にも現実はあった。デュランがいなかったらライラを救出できなかったであろう事実が、ヘキサの心を重く縛りつけていた。
「僕は……」
――どうすればいいんだ? という独白は、突然の地響きと轟音に掻き消されてしまった。びっくりしたヘキサは咄嗟にカーテンの閉まった窓のほうに視線をやり、視界に出現した黒いカーソルに一瞬動きが停止してしまった。
黒いカーソルと自身の距離が縮まる。ヘキサがベットから飛び退くと、壁をブチ破ってモンスターが室内に侵入してきたのはほとんど同時だった。
ギチギチと強靭な顎が音を鳴らす。緩やか曲線を描く長い二本角。クワガタのような外見をした、それの名前はスタッグビートル。低界層に出現する昆虫型モンスターだ。
顎を鳴らすスタッグビートルがヘキサに襲いかかる。最大の武器である二本角が、防具を装備していない黒髪の少年を貫かんとする。
頭はいまだに空白。だが、一ヶ月間に培ってきた経験が彼の身体を動かした。際どいところで角を回避すると、壁に立て掛けてあったグロリアスの柄を掴む。
大剣を回転させて鞘を飛ばし、遠心力を加えた一撃がスタッグビートルの甲殻を砕いた。HPバーがガリガリと削られ、体液が壁や床に撒き散らされる。
ヘキサは追撃の手を緩めなかった。身のうちに巣食う苛立ちをぶつけるように、半ば無意識の状態で大剣を振り回した。
鈍い音が室内に幾度となく響き、気がついたときにはスタッグビートルはHPバーを失い、淡い光の粒子に変換されていた。
大して疲れていないのに息が荒い。ぜいぜいと息を吐きながら、肉厚の刀身にこびりついた体液を見やる。例え一ヶ月間しか戦っていなくても、その経験は彼の中に生きている。確実にヘキサは強くなっているのだ。
「だから……どうしたっていうんだ」
この程度のモンスターを倒せたところでなんになるんだ。肝心なときに役立たずでは、意味がないのではないのか。
粘りつくような感情が燻る。再び爆発音が響いた。スタッグビートルが開けた穴から人々の悲鳴と立ち昇る黒煙が見えた。
一瞬、ここに留まるべきかどうなのか、ヘキサは真剣に検討してしまった。逃げるという気にはなれず、かといってモンスターと戦おうという気にもなれなかった。
それこそまた、あの白髪の少年がすべてを解決してしまいそうで。自分なんているだけで邪魔になるのでは、とそんな感情に囚われて動けずにいた。
「でも……僕は……」
それ以上は言葉にできなかった。のろのろとした手つきで実体化させた防具を纏い、無人と貸した宿屋から外に飛び出し――白髪の少年と遭遇して身体が前につんのめった。
「デュラン!?」
「ヘキサ! 無事だったか、よかったっ」
「僕は大丈夫。それよりも、どうしてモンスターが街の中に。ねえ、デュ――」
「――”デュオ”じゃねぇか」
瓦解する街に声が響く。
大きな声ではなかったが、決して無視できない圧力のようなモノがあった。心臓を鷲掴みにされたような衝撃を感じ、一瞬、街の惨状も忘れてヘキサは声のした方角に視線をやった。
建物の屋根の上。
そこに一つの人影があった。茶色の髪のどこにでもいそうな普通の少年だがしかし、瞳に宿るギラついた光に理由もわからず身体が震えた。
そこに赤いカーソルを持つ、一つの人影があった。茶色の髪のどこにでもいそうな普通の少年だがしかし、瞳に宿るギラついた光に理由もわからず身体が震えた。
隣りで白髪の少年が見たことのない顔をしている。彼は腰の剣の柄に手を伸ばして、鋭い視線と声を飛ばした。
「レイヴンッ!!」
「久しぶりだな、英雄狂。元気にしてたか?」
悠然とヘキサたちを見下ろし、凶刃は獰猛な笑みを浮かべた。
沈黙が場を支配する。
人々の悲鳴もモンスターの奇声も、遥か遠くに感じられた。肌を刺すピリピリとした静電気のような感覚。嵐の前の静けさとは、こういうモノをいうのかもしれない。
急展開の過負荷からか、処理落ちた脳で、ヘキサはぼんやりとそんなことを思った。
デュオ。茶髪の少年は、デュランをそう呼んだ。それが彼の本当の名前なのだろう。
白髪の少年がなにかを隠していることには、薄々ではあったものの感づいてはいた。追求しなかったのは、いまの時間が壊れることを恐れたからだ。
楽しかった。女っ気のない二人行動だったが、それでも楽しかったのだ。いまのこの時間がこの先も続きますように、と願わずにはいられなかった。
だが、その願いが聞き届けられることはなく、崩落の使者はあちらのほうから破壊を引き連れてやってきた。
「なんでここにいるッ。この騒ぎの犯人はお前なのか!」
殺気が込められた声色だ。
鞘から半ばまで引き抜かれた剣の刀身が、陽光を反射して剣呑な輝きを放つ。
デュラン――否、デュオのこんな姿を目の辺りにするのははじめてで、なんと声をかけていいのか判断がつかず、唾を飲み込んでことのなりゆきに注視する。
「ハンッ、それはこっちの台詞だ」
凄まじい敵愾心を露にする白髪の少年に臆することなく、レイヴンと呼ばれた少年は鼻を鳴らすと、考えごとをするような仕草をした。
「姿が見えないって報告は受けてたが、まさかこんな低界層で鉢合わせするなんてな。『ゲーム』に参加していた連中を潰したのも手前だな。オレたちの計画に感づいた――って、わけじゃないか」
それならば、デュオだけがいる理由がわからない。彼の仲間たち。最低でも虹のお姫様と赤の道化師がいて然るべき状況だ。
「ホント、なんだってこんな低界層に……、ン?」
そこではじめて気がついたとばかりに、レイヴンはデュオの背後にいる黒髪の少年を見やると、場違いな存在に首を傾げた。
「誰だそいつ。見たトコ、新参みてぇだが――」
彼はそこで言葉を切った。口を閉じざるを得なかったのだ。
神速の一撃だった。
すぐ後ろにいたにも関わらず、ヘキサにはデュオがいつ剣を抜いたのか、見えなかったし理解ができなかった。
刀身から放たれたのは<衝波>。ヘキサもよく使用する方術だが、彼のそれはまったくの別物だとしか思えなかった。
速度が違った。威力が違った。錐のように鋭い形状をした青い衝撃波が、茶髪の少年に牙を剝く。<衝波>は屋根を粉砕しなおも威力を落とすことなく、直進すると背の高い建物に直撃して、大きな風穴を穿った。
とんでもない威力だ。あんなモノを喰えばただではすまない。一瞬で消し飛んでしまっても不思議ではない。”まとも”に喰らえばだが。
「おいおい。話くらいさせろ」
右から左に。音もなく別の建物に着地した、レイブンの声は緊張感に欠けていた。ヘキサでは反応すら不可能な攻撃も、彼にとっては容易い代物のようだ。
トントン、とつま先で屋根を蹴る。彼の右手には、指の間に挟まれた一枚の紙があった。どこにでもあるような正方形の白い紙だ。
「ヘキサ」
名前を呼ばれて、視線を上から下に戻す。ヘキサの瞳に黒い襟飾りを靡かす、白いレザーコートの背中が映った。
「マリーゴールドに行け。いまこの街で一番安全なのはあそこだ。他のプレイヤーも避難しているはずだ」
「でゅ、デュラ――デュオは?」
「俺はあいつをぶちのめす。この世界から叩きだしてやる」
「……わかった」
僕も一緒に残る、などと言えるわけがなかった。どう考えても足手まといにしかならない。自分にできるのは、彼の迷惑にならないように、この場所から遠くに離れることだけだった。
「悪かったな。別に騙すつもりはなかったんだ」
「別にいいよ。気にしてないって」
余裕のつもりなのか。二人の話に茶髪の少年は、割って入ろうとはしなかった。指で挟んだ紙で肩を叩き、こちらを睥睨するに収まっている。
「理由は後でちゃんと話す。全部な。だからいまは……行け、ヘキサッ!」
舗装された地面を踏み砕き、彼は高々と跳躍した。
一挙動でレイヴンの元に跳んだ彼は、青白い残光を纏った剣を振り下ろす。甲高い音が響き、余波で空気が激しく振動した。
「話し合いは終わったか」
「どういう風の吹き回しだ。お前がお行儀よくしてるなんてな」
デュオの剣はレイヴンの手前で止まっていた。
否、止められていた。紙だ。彼は右手の紙で、デュオの斬撃を防いだのだ。手を伸ばせば触れられる距離で、鍔迫り合う二人の少年。
「おいおい。オレだって空気くらい読むって。やればできる子なんだぜ? オレは」
「っざけろッ!」
剣を振り抜く。自ら後方に跳ぶレイブンとの間を刹那にして詰め、首元目掛けて剣先を跳ね上げる。しかし、その一撃はまたしても防がれた。
「あーあ。そもそも手前は、今回のパーティーに招いた覚えはねぇんだけどなぁ」
”紙の短剣”で片手剣を受け止めたまま、器用に肩を竦めて嘆息するレイヴン。
「まあ、いいさ。飛び入り参加は祭りの醍醐味。せいぜい楽しんでいってくれや!!」
短剣の刀身を滑らせ、返礼とばかりに切っ先を突きだす。頚動脈を掻っ切ろうとする刃を、首を捻ることでかわすと逆襲の一撃を見舞う。
そこからはヘキサの踏み込むことのできない領域の戦闘だった。
白髪の少年の本当の意味での戦いを見るのはこれが初だが、自分とは桁が違う戦いに棒立ちのまま見入ってしまう。
「早く行け! ヘキサ!!」
戦闘状態を維持したまま声を張り上げる。
ふとその声に我に返ったヘキサは、踵を返して一直線に駆け出した。その背中を茶髪の少年の声が打った。
「おい、そこの新参! 一ついいことを教えてやる。街にバラまいたモンスタは、ほとんどが10界層クラスの雑魚どもだ! が、それだけじゃあ面白くないんで、何体か『当たり』を混ぜておいた。遭遇しないことを祈るんだなッ!」
嘲笑するかのような言葉に奥歯を噛みしめる。
見慣れたはずの街並みが変貌していた。幸いにもモンスターの姿は見えないが、ときおり人間のモノではない叫びが耳に響いてくる。
走りながら周囲に視線を配ると、逃げ遅れたNPCたちが必死の形相で逃げ惑っている。申し訳ない話ではあるが、彼はその姿にほっと胸を撫で下ろした。
これならいまごろライラも、どこか安全なところに避難しているだろう。できれば合流したところではあるが、連絡手段がない以上は無理だ。
いまは自分の安全を優先しよう――そこまで考えて、ヘキサはなにか重要なことを忘れているような錯覚に襲われた。見落とせば致命打になる。胸に渦巻く不安に彼は考えを巡らした。なんだ。なにを忘れている。思い出せ。
ライラが逃げる。
そこに違和感を感じるが、それがなにかが判断できない。そもそもおかしいことなどあるようにも思えない。自分の勘違いではないのか。
自問自答するヘキサ。
冷静になって整理してみよう。
逃げるとしたらその手段はなんだ。もちろん、走ってに決まっている。他に手段はない。ここは現実世界ではないのだ。自転車も車も存在していない。
――走る?
その単語に総毛だった。
どうやって。だって、ライラは……右足が……ッ!
真っ白になる意識に反して、身体は半ば自動的に動いていた。中空にマップを展開させ、現在の位置とライラの店の座標をマーカーで表示させる。
黒髪の少年は急制動をかけると、横の裏路地に跳び込んだ。頭からはマリーゴールドのことなど消え失せていた。ただただライラの無事だけを願い、彼は全速力で混乱の坩堝と化した街の中を駆け抜けた。