第三章 凶刃と英雄狂(2)
「リーダー。これでようやくノルマは達成ですね」
「そうだな。おい、撤収準備だ。痕跡を消したらすぐにズラかるぞ」
了解、と言って遠ざかる部下の背中を見やり、バンダナを巻いた少年――ガゼルは深く息を吐くと頭上を仰いだ。
重なる葉の隙間から差し込む陽光が、森の内部を薄暗く照らしている。0界層の辺境に位置する名前もない森の中で、彼らはギルドから指示された『ゲーム』の最中であった。
今回の『ゲーム』内容自体は単純だった。ドゥナ・ファムからNPCを五十人拉致してくる。期間は一日。たったそれだけ。簡単だろ? ――なんて言葉を思い出し、ガゼルは髪を掻いて嘆息した。
ホント気軽に言ってくれる。五十人。なるほど。ドゥナ・ファムの総人口からすれば、確かに大した人数ではないかもしれない。
だが、たったの一日で五十人を拉致するのは並大抵のことではない。しかもこちらは七人しかいないのだ。この森の拠点に運ぶまでにどれだけ神経を消耗したことやらだ。
横目でちらりと自分の部下を見回す。カーソルの色はどれも紫。そして、視線を自分にやればそこには、赤い色のカーソルが表示されている。
紫と赤。そのカーソル色を持つプレイヤーは、一般的に『荒城派』――プレイヤーキラーと呼ばれている。紫は軽犯罪者。赤は重犯罪者を示し、マリーゴールドに指名手配をされている身なのだ。この箱庭世界ではマリーゴールドに指名手配をされると、カーソルの色が青から変化してしまう。それが紫と赤のカーソルというワケである。
むろん、そうなってしまえば罪を償わない限りはもはや、真っ当な道を歩むことができなくなってしまう。当然、マリーゴールドにも出入りできるはずもなく、彼らの所属するギルドが登録しているのも、グロキシニアという名の別組織である。
逆さ天秤をシンボルとするグロキシニアは、ガゼルのような犯罪者プレイヤーのための支援組織。闇のユニオンである。
そして、彼らの所属するギルドはグロキシニア、ひいては箱庭世界ではかなり有名なギルドだった。もちろん悪い意味での有名である。
彼らのギルドは『ゲーム』という少々おかしな内部システムを採用していた。『ゲーム』には難易度によって異なる点数が割り振られていて、その点数を貯めることでギルド内の立場が変わってくるのである。
他人の迷惑を顧みない、自分たちが楽しむためだけの文字通りのお遊びだ。『ゲーム』は基本的に志願制だが、今回のようにギルドのほうから指示されることもある。
とんだ貧乏くじを引かされたモノだが、指名されてしまってどうしようもなかった。拒否する権利はあるにはあるが、暗黙了解で拒否する者など皆無なのである。
「リーダー。撤収準備完了です」
と、そのとき部下の一人の報告がガゼルの耳朶を打った。思考から現実に引き戻された彼は「わかった」と頷き、森の一角に視線をやった。そこには部下に囲まれ一箇所に集められた少女たちの姿があった。彼らに拉致されてきたNPCたちである。
ガゼルのNPCの少女を舐めるように眺め、そのうちの一人で目を止めた。大量のフリルで装飾された白い服を纏う金髪の少女。どうやら右足が不自由なようだが、中々の上玉である。なによりも彼の嗜好に合致していた。
知らず下世話な笑みを浮かべるガゼル。これだけ苦労させられたのだ。売り払ってしまう前に『味見』をする権利くらいあってしかるべきだろう。
ギルドに戻ってからの楽しみを見つけ、機嫌を直したカゼルは懐から一枚のカードを取り出すと実体化させた。
白い結晶体のアイテムはホワイト・ジェム。一般的には転移石と言われる、『ジェムシリーズ』の一つである。内包する属性によって多様の効果を発揮する『ジェムシリーズ』は、高レベルのモンスターからドロップする高純度の魔石に、特殊な魔法術式加工を加えたモノだ。
ホワイト・ジェムはポータルと同じ効果があり、使い捨てながら効果範囲内の対象をまとめて転移させることができる。
「しっかし、うちのギルドはなんていうか。ホントによくわかんねぇよなぁ」
手元の結晶をまじまじと見やる。このジェムはギルドからの支給品なのだが、ジェムはかなりのレアアイテムであり、ホワイト・ジェムはその中でも群を抜いてレア度が高いとされている。
元となる魔石自体がレアな上、加工できるプレイヤーの数が少ないというのもあるが、緊急時の脱出手段としての利便性と稀少度で価値が跳ね上がっているのだ。
それをぽんっと気前よく渡す辺りがなんというか。NPCの売買で元は取れるということなのだろうが、相変わらず行動原理に矛盾を感じてしまう。
「まあ、下っ端には関係ない話か」
自嘲気味に言い捨て、頭上に白い結晶を掲げる。転移石の効果を発揮するためのトリガーボイスを口にしようとし――頭上から降ってきた白髪の少年に、挙動を静止させられた。
白装束を纏う少年は黒いマフラーを翻し、腰の後ろの鞘から剣を引き抜いた。視認できない速度で剣が振られ、薄暗い森に閃く斬光に複数の悲鳴が重なった。
軽やかに地面に着地した白髪の少年。怯えて震える少女たちの周りには、血溜まりに沈んで倒れ伏すプレイヤーたち。まだ死んではいないが重症である。全員のHPバーは三割を切っている。彼は”六つの紫色のカーソル”を醒めた眼差しで見下ろした。
その光景をガゼルは息を呑んで凝視していた。すべては一瞬の出来事だった。彼の部下は決して弱くはない。流石に幹部に比べれば質は落ちるが、それでも前線でやっていけるだけの力は有している。
それを一振りだ。たったの一振りで六人をまとめて切り裂いた白髪の少年に、身体の震えを抑えることができなかった。
ガゼルとて長年、この世界でやってきたのだ。明らかに格が違うのは一目瞭然だった。なんでこんな化け物がこの場にいるのか理解できない。あまりにも理不尽すぎる。
――だが、いまなら殺れる。向こうがこちらに気がついていないいまならば。それが証拠に奴は背後にいる自分に気がついていないではないか。
バンダナの少年はリーダーだけあり、七人の中では一番できるプレイヤーだった。あの刹那、彼は斬閃を死に物狂いで回避することに成功していた。
半分は運だ。もう一度同じことをやれと言われてもできる気がしなかった。それに完全に回避することはできなかった。裂けた肩から血が滲み、ずきずきと熱をもって痛む。だが、自分は動ける。HPも七割近く残っている。ならばこそ、逆襲することだって可能だ。
闖入者である白髪の少年がガゼルの存在に気がついていないのは、彼の持つ隠者の指輪の特殊能力が原因だった。透明化――それが隠者の指輪の特殊能力だった。
インビジブルの名前の通り、この指輪の所有者は効果が発動している間は、姿を透明にすることが可能なのである。付随効果として【索敵】や【追跡】などのスキル、探知系の魔法効果も誤魔化すことができる。代償としてこちらもスキルの発動が一切不可能になり、ステータスも低下してしまうが、それを補って余りある効果だった。
ギルドにも内密にしているカゼルのとっておき。頭に超がつくほどのレアアイテムだ。とあるパーティと迷宮探索に赴いた際に入手したアイテムであり、パーティの仲間とこのアイテムの使い道で揉めに揉めた結果、ガゼルは仲間を皆殺しに隠者の指輪を持ち逃げしたのだ。この諍いが原因で犯罪者に転落してしまったワケだが、いまでもそれだけの価値はあったと確信している。
右手の短剣の柄を強く握りしめる。透明化している短剣の刃には、毒々しい色の液体が塗りたくられている。様々な種類の毒草から作られた液体は、まだ市販に流通していない、彼らのギルドでのみ生成できる猛毒だ。
大丈夫。殺せる。反応していたカーソルが七つから六つになったのは、白髪の少年も気がついているだろう。だが、まさか透明化しているとは思うまい。なんらかの手段で逃亡したとでも考えているはずだ。
殺ってやる。殺ってやる。殺ってやる――ッ!!
このままでは引き下がれない。震える自らを鼓舞し、カゼルは背後から白髪の少年を強襲した。毒液を滴らせる短剣を後頭部目掛けて振り下ろす。
白髪の少年は動かない。カゼルは己の勝利を確信し――響いた金属音に驚愕の表情を浮かべて絶句した。
刃が命中する直前、彼が振り上げた盾が、短剣を受け止めている。金属が擦れ合い、ギギッと異音を発している。
「残念だったな」
レザーコートの裾を翻し、身体を回転させる。遠心力の乗った盾の一撃が、無防備なガゼルの顔面に直撃した。
「俺に不意打ちは通用しない」
潰れた悲鳴を上げるガゼルの身体が後方に吹き跳び、樹の幹に叩きつけられた。息が詰まり、全身を貫く衝撃で透明化の効果が消失した。
「な、なん、なんで……!?」
だらだらと鼻血を流しながら、こちらに歩み寄る白髪の少年に畏怖する。透明化を見破られた理由がわからない。なんなんだ。なんなのだ、こいつは!?
「ここにくるまではお前ら全員、監獄送りにするつもりだったが――」
そこで一端言葉を区切り、背後に視線をやった。身を寄せ合い恐怖に震える少女たち。ぎりっと噛みしめた奥歯が軋んだ。
「気が変わった。皆殺しにしてやる」
直後、ガゼルの全身に稲妻が落ちたかのような衝撃が貫いた。片手剣に盾。白髪に白装束。いる。一人だけ該当する人物がいた。
グロキシニアの最要注意人物。最高額の逆懸賞首。『十剣』の一人。竜殺し。白光のPKK。最速。最強。付けられた異名は数知れず。
即ち――。
「じゃあな」
その名を口にする時間すらなく、真っ直ぐ突き出された剣先が、ガゼルの顔面――の横を通過し、樹の幹を貫通した。ズンッという重たい音が木霊して、太い樹がベキベキと悲鳴を上げてがへし折れた。
「って、ワケにもいかないよな」
剣を鞘に収めるのと同時に、バンダナをした少年の身体が崩れ落ちた。恐怖の余り失神したのだ。ぴくぴくと小刻みに痙攣している彼から視線を外し、デュランは拉致されていた少女たちに近づいた。
怯える少女たちに無害であることを示すように両手を上げ、「もう大丈夫だ」と安心させるデュラン。そこでようやく自分たちが助かったことを理解して、彼女たちは安堵感から膝を崩してわんわんと泣きだしてしまった。
その様子に困ったように頬を掻くデュランだったが、少女たちの中にライラの姿を発見すると、ほっと吐息を吐いた。
「怪我はなさそうだな」
「デュラン、さん。でしたか?」
「そうそう。無事でよかった。……これで君になにかあったら、ヘキサに顔向けできなくなってたよ」
お互い初対面ではない。一度だけだがヘキサに連れられて、彼女の店に行ったことがあるのだ。【追跡】は出会ったことのある対象にしか使用できないため、事前に顔を見ておいてよかったと内心で思った。
「彼は無事なのですか?」
「ああ。早く帰ろう。ヘキサの奴が凄い心配してるだろうからな」
「……そう、ですか」
無表情な彼女の顔が心なし緩んだように思えたのは、彼の気のせいだろうか。なんにせよ、元気そうで一安心だった。
「この方たちは一体。盗賊の類なのでしょうか」
「うーん、そんな感じかな。詳しくは戻ってから話すよ」
不審げな彼女の視線に曖昧に答えると、デュランは倒れている連中を見回した。気絶している七人は、付けている箇所こそ違えど、武器や防具に同じシンボルを刻んでいた。
嗤う一角の髑髏。それを見た瞬間、すべてがわかった気がした。余りに不可解な行動に対しても、奴らならば納得がいくというモノだ。
忌々しい一角の髑髏からふいに視線を切ると、少女たちと倒れるプレイヤーの対処するために、デュランは踵を返してやるべきことを頭にまとめた。
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…………。
……。
「――楽しいパーティーの準備はどうなってるんだ?」
「こっちは完了してるわ。計画通りに事前の仕込みも終わってるし、あとは開演の合図を鳴らすだけ。いまから待ち遠しいわ」
「ボクのほうも大丈夫です。いつでも動けますよ」
「オッケ。……そんじゃ、少しばっか遅れちまったが、楽しい楽しい新人歓迎会といこうじゃないか」