白いケープと分かれ道
「今回の道はどう?」
「どうもこうも、またおんなじ。右は人工的な感じで左は荒っぽい道」
「左右が違うのはこれで2回目だね」
2人は分かれ道の二股でまた立ち往生していた。あの坂道の出口のすぐ先に分かれ道があり、そのまたさらにすぐ先に、さらに、さらに、さらに……。合計6回の分かれ道を経て、2人は7回目の分かれ道を目の前にしている。
これまでの道も最初の分かれ道と大きくは変わらなかった。対照的な2つ道のどちらかを選ばされて、振り返るともう片方の道は消失する。道は安全な時もあるし危険な時もあるしそこに法則性もない。安全そうだからと選んだらいきなり断崖絶壁になっていたり、逆に見るからに険しそうな道が身あっけ倒しだったりすることもある。
太陽は頂点を通り過ぎて、2人の影は少しずつ大きさを取り戻していた。分かれ道の片方、右側に影が伸びて、アズサはシンにそのことを話した。シンは変わらぬ笑顔で笑い、アズサはそれが皆に向けられたものと変わらない笑顔なんだと気づき、少し寂しがった。――もちろんそれを口に出すことはなかったが。
「じゃあ行こうか?」
「……うん」
人工的な道を選ぶのは初めてだった。尋常ならざる世界において人間みあふれるものが存在するのは不可解だったし、自分たちに人がいる方がむしろ恐ろしかったからだ。そしてその直感は間違いではなかったとアズサはすぐに気づくことになる。
石畳を踏みしめてアスファルトより柔らかいことにアズサは気づいた。しかしローファー越しに感じる石と土の感触を楽しむ間もなく、アズサの意識は正面から感じる威圧感へとくぎ付けになった。
黒ずくめの人物が放つそれは、圧倒的とも言える殺意だった。三半規管の更に奥、脳から脊髄へとつながる各器官が緊張で冷え固まって警鐘を鳴らす。対照的に身体は緊張して動かない。それに……あれはきっと人間じゃない。いや、人間であってはならない。自然の摂理に、道理に反している。
肩に手が置かれ、アズサの硬直がわずかにほどけた。「大丈夫?」というシンの声が意識の遠くから耳に入る。しかし彼女の脳細胞は硬直し。その言葉の意味を処理できなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「アズサ、気が付いたかい?」
アズサの意識が戻る。珍しく真面目な表情でシンが彼女を見つめていた。アズサとの距離は鼻息もかかりそうなほど近い。
「ずっと笑っるたから気づかなかったけど、意外と釣り目なんだね」
「そんなこと言ってる場合じゃなくて……まぁ、冗談を言えるなら大丈夫かな」
シンが困ったように笑う。アズサの肩からゆっくりと両手がどけられて、2人はほっと息をついた。
「ここはどこ?」
「距離的と方角が合っていれば分かれ道のところかな」
周囲を見ると、確かに見覚えのある分岐路だった。
「急に真っ青になったからびっくりしちゃったよ」
「なんか、黒くて怖いのがいて……」
「魔物の類かなぁ」
「シンは見てないの?」
「ごめん、さっぱり。でも僕が感知できないぐらいの者ってことはまっすぐ逃げて正解だったね」
右側の道に先ほどの黒い影のようなものは見えない。しかしそれは最初に来た時もそうだったし、別に見えないからといって安全だとは思えなかった。
「左の道でもいい?ちょっと怖くて……」
「もちろんだとも」
アズサは立ち上がろうとしたが、そのまま体勢を崩して倒れかけた。地面からすんでのところでシンに抱えられ、そこでアズサは自分の脚が震えていることに気づいた。まだ先ほどの遭遇の恐怖を身体が忘れていないのだ。シンの白い外套に縋り付きながら、何とかアズサは姿勢を保った。
「おっと、大丈夫かい?少し休んでからにする?」
「いい、行く」
「行くって言ったって、そんな様子じゃ無理だよ」
「でもシンには時間がないじゃん!」
「……それを言われると厳しいね」
「それに私が……っ」
アズサが言葉に詰まっているのを見て、シンが身に身につけているケープを脱いだ。白磁の記事が太陽光を柔らかく反射する。
それをアズサに被せると、シンは困ったように笑った。
「ハデスの外套、不死の加護を与えられし魔除けのフードだよ。これをつけていればひとまず安全。無理に進むならこれだけはつけてほしいな」
「……ありがと。じゃ行こう」
満足そうに笑みを浮かべるシンをみて、アズサは心の中でしくしくと涙を流した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
左側の道は、ありていに言えば「当たり」だった。当初の警戒心をあざ笑うかのように道は穏やかだった。険しそうなのは最初の数メートルだけで、それ以降はひたすらに平坦な道が続いている。
アズサも少しずつ緊張がゆるんでいき、シンも合わせて速度を上げていく。途中から花畑に差し掛かると、アズサも赤やオレンジの花々を楽しむ余裕すらできるほどだった。
「やっぱり、これ返すよ」
「いいさ。既に君にあげたものさ」
「でも大切なものなんじゃないの」
「うむ。とっても大切なものだね。だからこそ大切にしてくれたまえよ」
アズサは立ち止まってケープの紐に手をかけた。しかしシンがそこに手を添えて制止する。ゴワゴワとした指がアズサの爪をなぞり、ケープの紐を結びなおした。
「これはある人からの貰いものでね。君に持っていて欲しいんだ」
「余計貰いづらいよ」
「貰いづらいなら捨てづらいだろ?」
「それはそうだけど……」
「とは言ったものの、扱いは君に任せるさ。燃やしたって路銀にしたって構わないよ。捨てるのだけは勘弁してほしいけどね」
「大切にはするよ、流石に」
「その言葉だけで十分だとも」
シンはアズサの方を見てにっこりとほほ笑んだ。しかしその微笑みに含まれた一抹の寂寥を、アズサは見逃さなかった。きっとこれは大切な人から貰ったものだ。彼女はすぐにそれを察したが、言葉にはしないことにした。彼なりに言えばそれを指摘する行為は無粋というものだ。
ハデスの加護とやらの効果なのだろうか、毛立ちやほつれも目立たずまるで赤ちゃんのような肌ざわりだ。引っ張ればしなやかに伸びるし、折っても皺がつきそうな様子もない。
「良い生地だよね」
「うん。誰からもらったの?」
「あんまり聞かないほうがいいかもしれないけど、聞く?」
少し考えてから、アズサは小さく頷いた。
「じゃあ話すけど、覚悟はいい?」
「いいよ」
「それはね。繋ぎの魔女から貰ったものなんだ」
「うん」
「あれ?もっと嫌そうにするのかと思ってた」
「それだけ前置きされたら流石に察しが付くよ」
「ありゃりゃ、こりゃ失敬」
それから2人は少し歩いた。太陽も少しずつ首を垂れはじめ、気温も少しずつ低下し始めた。




