20_まあそれはそれで、うまいか
「これな、私がここに生まれる前の国のご飯やねん~」
そういって、おにぎりと玉子焼き、玉ねぎの味噌汁を家族にふるまったことがある。
味噌は、ばあちゃん直伝。といっても、こっちで米麹を作るのが難しく、本当に苦労した。
カビさせたり、酸っぱくなったり、黒くなったり、赤くなったり。我慢できずにそのまま使ったときは、お腹を盛大に壊した。
苦労の味噌である。
「何してるか思ったら、あんたこれ作ってたん~」
「うーむ」
母は好奇心強めだが、味覚に合うのか。保守的な父は、食べる前から微妙な顔だ。
兄のマイサは、あとで食べると言って、遊びに行ってしまった。あれは食べないやつや。
この国の「あとで」は、関西人の「考えとく」と同義だ。ほぼ確で、ない。
「ミソシル、おいしいなあ!」
姉のンダイアワの言葉に喜んだが、これ以降一度も飲んでいない。私の苦労を見こした優しい言葉だった。
「作ってくれて、ありがとうな~」
「うーむ」
不発も不発。家族の優しさが身に染みる日本食初お披露目となった。残りは、もちろん私が爆食させていただいた。
そういえば、唐揚げは好評やったか。
この街には、ジョロフチキンというチキン屋さんがある。
日本で言うフライドチキンやハンバーガーを売っている店だ。
「日本版ジョロフチキンやで~」
と言いながら出した唐揚げは、みんな美味しいと言って食べてくれ、そのままイベントの日に私が作るようになった。
それ以降、こっちの食材で作ることができる、かつ好評な料理には出会えず、他の料理をふるまうことはなくなってしまった。
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「ほんまに。日本にいた頃は、あんなに食に恵まれていたなんて考えられないですね。」
ジャム王国の料理を紹介すると、朝はパンに豆を煮たソースやオムレツをはさむ。ソースもオムレツも、油と塩分たっぷりだ。
たまに、ソーと呼ばれるヨーグルトや、それにチャックリと呼ばれる穀物と砂糖を入れて食べる。
昼は、油でいためたタイ米のような米に、これまた野菜や魚か肉で煮込まれたソースがかかっている。
もちろんソースには、油とスパイス、塩分たっぷりだ。
レパートリーも少なく大皿にドーンと盛って、みんなで囲んで食べる。
1週間に同じソースを3度食べることになった時は、さすがに母に泣きついた。
夜ご飯もパンか短いパスタと一緒に、レタスの上にソースがのった大皿をみんなで囲って食べる。玉ねぎのソースが定番。
毎日ずっと同じようなご飯が出される食生活は、家族の団らんがあればこそ耐えられた。
みんなで囲むご飯は、それほどまでにおいしい。日本でいう、鍋みたいなもの。
毎日お昼は鍋やで。と言われたらどうやろうか。しかも、毎日もつ鍋レベルに重い。




